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第2章 太古の匂いが今も残る島 (8-2)


我々の生活ついて少し話をしよう。この島にしばらく滞在することが決まった際、私は当然民宿などに泊まり、朝夕の食事は民宿のお世話になり、冷房の聞いた部屋でぐっすり眠る、快適な滞在が出来るものと信じていたところ、我らの総務部長藤次郎氏がせっかく文明から離れたところに来ているのだから、何もわざわざ自分の方から文明に近づかなくても良いのではないかといった提案があり、なるほどそうであると思い直し、船上泊と決まった。



結果としては、船上泊であったからいろいろな人たちとの巡り合いがあり、良い経験も出来たと痛感したものである。従って朝と昼の食事は自分達で作る、夜は例の社交場に繰り出すので作る必要は無い。毎朝6時頃起床、これは殆んど目覚まし無しで起きられる。誰がその日の朝食を作るかを決め、準備に取り掛かる。もう一人は7時頃から太陽が容赦なく照り付けるので、タオルケットを利用した日よけを作る。



昼間我々の船を見ると難民船のような姿になる。太陽が動くので時間に合わせ日よけを移動するのがまた大変な作業である。その後はじっと夕方の涼しい時間を待ちわびるわけである。



水薙鳥の翔ぶ碧い海へ

我々の船はベッドルームが2つあり、フォアキャビンは藤次郎氏の部屋で専用のトイレがある。バウのキャビンは私の部屋。私の部屋にもトイレが付いており、それぞれ自分の責任で清掃している。自分の部屋をそれぞれ持っているなど贅沢な話であるが、残念ながらエアコンは付いていない。船室は夜でも30数度はゆうに有り、いつもサウナ状態である、明け方30度を若干下回る位である。




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従って生活は殆んど甲板の上ということになる。だから例の社交場から良い気分で船に帰ってきても、すぐに部屋に入って寝ることは出来ない。毎晩夜の2時頃までデッキで涼をとりながら寝ており、部屋が涼しくなった頃、自分たちの部屋に降りて行って寝ると言う毎日であった。





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船には備え付けの台所があり、ガスコンロやオーブンまで備え付けられており申し分ないが、男所帯なので、ともかく簡単にということになる。冷蔵庫もあるが、エンジンを動かし続けることが出来ないので、冷蔵の必要な食材も使えない。どうしても缶詰や日持ちのするものに食材が偏る、それを補うのが夜の社交場ということになる。






水薙鳥の翔ぶ碧い海へ 暑いところへ航海をする場合はエアコンや補助エンジンの装備が必要なのかもしれないが、この苦労があったればこそ、貴重な経験が出来たとも言える。滞在中風呂はどうしたのかというと、島には風呂屋や民宿などで風呂のみ使わせてくれる、というようなところは一軒もない。ただ海岸にはトイレと脱衣所、シャワーが必ず完備されている。我々はもっぱらこのシャワーを利用した。毎日誰とはなく、陽射しが耐え切れなくなるほど強くなったとき、「風呂に入って汗を流さない?」という合図でシャワーを使いに出かける。その際洗濯物も持参して、シャワーを使いながら脚で洗濯物を洗うといった器用な芸当をやってのける。洗い終わった洗濯物は、船に持ち帰り、ロープを張った洗濯干しにぶら下げる。色とりどりのTシャツや、パンツそれに日よけ用のタオルケットが船の上にへんぽんと翻る、壮観である。



シャワーといえばこんな話もある。父島では朝夕大体決まった時間にスコールがある。島の北東部からスコールが始まり、10分程度で島の南西部に抜けていく。スコールが来ると我々は待ってましたとばかり、裸になって甲板に飛び出し、シャワー代わりにスコールを浴びる、堀江さんや白石さんは走る船上でスコールを浴びるので、それはさまになっているが、我々はロープでしっかり固定された船の上であり、あまり格好の良いものではない。でも我々は恥ずかしげもなく何回となくスコールシャワーを浴びたものである。