水薙鳥の翔ぶ碧い海へ -12ページ目

第2章 太古の匂いが今も残る島 (7-2)


夜の社交の場で目を引くのは、なんと言っても信ちゃんとトムさんである。ある夜、信ちゃんが浴衣姿でやって来た、おろしたてのノリのパリッと利いた絣の浴衣に兵児帯を締め、雪駄をシャラシャラ鳴らして店に入ってきた。あまりの変身振りに唖然としたが、ここがこの島の社交場だと思えば、うなずける。内地に負けない「粋」というのが島にもあるのだとでも言いたいのかもしれない。信ちゃん一流のおしゃれ感なのであろう。



今日の出来事やら挨拶がひと段落すると信ちゃんはおもむろにシガレットケースよりタバコを出して吸い始める。昼間は確かシガレットケースなどもっていなかった筈である。しゅぱっといい音を立てライターで火をつけタバコを吸い始める。ちょっとミスマッチな感じがするが、いやみな感じはしない。よく見ると、シガレットケースはシルバー製の重厚感のある値打ちもの、ライターはカルチェ、どれをとっても非の打ち所の無い出で立ちである。持ち物にまで社交場での演出を考えており、これには脱帽である。



面白いことに信ちゃんはタバコを1本すうごとにライターとシガレットケースを大事そうに鞄にしまう。その動作にいやみを感じさせないところがまた信ちゃんらしい。このように島の人たちの懐に飛び込んでみると表面だけではとても覗けなかった島の人たちの深層に触れることが出来たようであり、より一層の親密感がもて、毎夜、楽しい雰囲気のうちにその日を締めくくることが出来た。



水薙鳥の翔ぶ碧い海へ


トムさんは一言で言って「マリンブルーの海の臭いがしてくるダンディなシーマン」である。いつも洗い立てのかれたTシャツを上手に着こなし、ちょっとくすんだような居酒屋のカウンターの隅でグラスを傾けている姿は絵になる。そしていつも若い人達と接しているためか、会話が若い、とても74歳の人が話しているようには見受けられない。





いい年のとり方をしていると感心させられる。トムさんの胸にはいつもちょっと人目を引くようなペンダントがかかっている。私はそのペンダントを見るたび、魅かれ、機会があればそのペンダントについて聞きたいと思っていた。



あるとき、トムさんにそのペンダントは何で出来ているのかをたずねてみると、これはハワイに行ったとき購入したもので、マッコウクジラの歯で出来ているとのこと、海に潜るときは必ずこれを付けて潜る、魔よけのペンダントだそうである、釣り針のようなデザインで、色は象牙のような光沢のある白い色をしている、大きさは7~8cm位。話を聞くほどに羨ましく思い、尚もそのペンダントを見ていると、島のメインストリートの西のはずれに同じようなものを手作りして販売している店があると紹介してくれた。



トムさんの話では近年捕鯨が禁止されているのでこの種の工芸品は年々少なくなり貴重品の部類に入っているとのこと。早速トムさんに紹介してもらった店に行って、私、藤次郎氏も同じようなペンダントを購入した。敬意を評してトムさんよりやや小ぶりのものを購入、でも大満足である。藤次郎氏と私は早速それを付けていそいそと居酒屋に出向いた。


水薙鳥の翔ぶ碧い海へ

トムさんが一目見るなり「おお、兄弟!」と言うなり握手を求めてきた。しばらくトムさんが我々のペンダントを見てから「兄弟、着け方が違う、釣り針の先を心臓に向けて着けないと魔よけにはならない」というので、私と藤次郎氏、おおあわてに着け直し、「これでどうだ」ということになった。これを着けていると、きっとトムさんのようにマリンブルーの海の臭いがするのだろう、などと一人悦に入ったものである。





もう一人面白い人とめぐり合った。この人は北海道の札幌で手広くおでん屋を営んでおり、何を思ったか、この常夏の島におでん屋を出すための視察にきていると言う。おでん屋と言えば寒い地域、あるいは冬にふうふう言いながら食べるのがおでんだと思っていたが、彼に言わせるとそうではないらしい。いくら暑くてもおでんは美味いものだそうである。成功した人の考えは一味違うものかもしれない。



彼は我々より早くからこの島に来ており、知り合ったときには島の人ではないかと見まがうほどこの島に溶け込んでいた。「いい店が見つかりましたか」と聞くと、「これはと言う出物はないね」「土地を買うか、借りてそこに店を立てる作戦に変更しようかと考えている」と言う返事が返ってきた。「でもね、この島に家を建てるのは大変なんだよ」話を聞くと、土地購入費用が中都市並みの価格で島といっても馬鹿にならない、次に大工さんが島にはいないので、大工さんは内地から連れてくるしかない、さらに島には材木屋さんや建材店がないので全て内地から運び込まなければならない。そう言われれば、どの町に行っても材木屋さんの1件や2件は必ずあるのにここでは全く見ない、土地購入費以外で家を建てる費用として坪150万円位かかるとのこと、驚きである、その後どうなったか、定かではないが、ある日常夏の島小笠原に、おでん屋が突然出現したら皆んな驚くだろう、楽しみにしていよう。