第2章 太古の匂いが今も残る島 (7-1)
毎晩飲みに行く居酒屋が出来ました、人口の割には居酒屋の数が多い所です、面白いもので東京からの連絡船小笠原丸が入港している間はどの店も繁盛しているが、出航するとパタッと客足が途絶える、それは見事なものである。また入港した数日は新鮮な食材が豊富にあるが日にちが経つに従い食材が少なくなるなど、小笠原丸の行き来に生活のリズムが全てが合っているのだが、嵐で船が入港しない等、生活のリズムが多少乱れても慌てないのが小笠原流なのかもしれない。
前にも述べたように父島には魚屋さんが無い。スーパーなど食材を売っている店の鮮魚売り場に立ってもマグロとか秋刀魚、鮭の切り身などが並んでいるのみで地の魚が全く見当たらない。下田などでは想像できない話である。従って居酒屋でも地の魚にお目にかかる事はめったにない。これにはがっかりさせられる。
ゆいつ「アカバ」と言う、ハタの仲間だと思うが、30cm位の魚が出ていることがある。この魚は居酒屋の親父が進めるだけあって美味しい。カサゴのから揚げを下田では良く食べるが、アカバのから揚げはそれよりも淡白でジュウシーな食感の魚で、カサゴより美味しいと思った。
それ以外に海亀の刺身や煮込み、なども食べたがこれはいただけなかった。珍しいだけで、お世辞にも美味しいとはいえない。海亀は捕獲禁止だと思われるが、この島では昔から海亀を食用にしている、但し無制限ではなく、ある一定量のアオウミガメのみ捕獲しても良いことになっているそうである、捕獲対象になるのは100キログラム以上と、とてつもない大きさの海亀だそうである。海亀には青海亀と赤海亀がいる、赤海亀は捕獲禁止になっており、食料になるのは青海亀のみということになる。
それ以外に例のヤギも食べた、普通の人は食用にはしないのだが、たまたま手に入ったヤギの肉を食べることが出来た。これがまた不味い。硬くて歯が立たないのと、臭いがきつい。一口で放棄してしまった。伊豆諸島には必ずその島々の焼酎がある。例えば八丈島には島の華とか島流し神津島には盛若等その島特産の焼酎があるものである。
残念ながら小笠原にはそのようなものはなく、全て内地から持ち込んでいる、それはそれとして焼酎にパッションフルーツを2~3個入れそれに蜂蜜を入れたお酒がある、これは美味い、内地でも最近パッションフルーツが出回っているので是非試してみると良い。南国の香りがしますよ。尚パッションフルーツは黒いバナナではないが、皮がしなびて、しわしわになった位が、熟していて甘みが増して美味しいので、腐ってしまったなどと思い捨ててしまわないように。
島に長く滞在するといろいろな人たちと交流の輪ができる、もっぱら夜の居酒屋で知り合うケースが殆んどである、面白いことに、昼の暑さが一段楽した7時頃になると、昼間汗みずくで過ごしていた人たちが、シャワーなど使って、こざっぱりとして居酒屋に三々五々集まってくる。居酒屋が夜な夜な社交の場に変わるのである。
例の信ちゃんはもちろんのことであるが、それ以外にトムさん、居酒屋の親父の菊池さんなどが常連。それに我々が加わるわけであるが、驚いたことに席順が決まっている。ちょっと不気味なひげ面の60年配の親父が一番奥の席、ついで、トムさん、われらが信ちゃんはその次の席順になっている、もちろん我々新参者は末席に座ることになる。
北海道の札幌でおでん屋を手広くやっている横山さんとも知り合いになったが、その店では我々より下の席になる。こうして皆が揃ったところで乾杯などして今日一日の無事を感謝しながら雑談にふけるわけである。
一番奥のひげ面の親父とは結局滞在期間中一言も話をしなかったので、彼のことは何も分からない。但しテレビのチャンネル権は彼が握っているようで何人も彼の承諾なくしてチャンネルを変えることはできない。どんな人なのか今もってわからない。
トムさんはスキュウバーダイビングのプロで74歳と言う高齢にもかかわらず、毎日1回以上若い人たちを指導しながらダイビングしている元気な高齢者である、千葉に家があり家族を残し、好きなダイビングをするために小笠原あるいはハワイへと気ままに移動しながらの生活をたのしんでいる、私どもでは想像出来ないようなライフスタイルで生き抜いている。



