第2章 太古の匂いが今も残る島 (6-1)
今日も暑い一日が始まろうとしている。決まって朝5時過ぎには起きる、この頃から7時前までが最も過ごしやすく、気持ちが安らぐときである、7時を過ぎると太陽がじりじり焼き付けてきて、たまったものではない。昔、渥美清さんの演じる寅さんが沖縄に行って、あまりの暑さに電柱が作る日陰に体をなぞって、涼をとると言うシーンがあったが、まさにその通りで、笑い事ではなく、この地ではそのようにしてでも日陰を求めたい気になるほどの熱さが容赦なく照り付けてくる。
毎朝決まって我々の船を訪れる人たちがいる。最も頻繁に訪れるのが信ちゃん、彼は小笠原の野生化したヤギを駆除する仕事を生業としており、毎日決まった時間に島全体を見回りしており、その合間を縫って私たちの船にも立ち寄る。定刻どおりの男、もう一人は小笠原ヨットクラブの会長の菅野さん、彼は小笠原丸の荷役の仕事をしているようで、小笠原丸が入港しているときはそちらが忙しくてこれないがそれ以外はちょくちょく顔を出し、船の話を飽きることなく話して帰る、聞くところによると30フィートクラスのヨットで世界一周した猛者、詳しいはずである。
もう一人元小笠原ヨットクラブの会長の渡辺さん、現役を引退し、船からも足を洗い、静かに父島の生活を満喫している紳士、渡辺さんはボランティアで父島では絶滅に瀕している、小笠原カラス鳩の生息観察を続けているとのこと。父島をいくつかのエリアに分け、そのひとつを担当しているようで、毎日決まった時間にその場所に行って耳を澄まし泣き声が聞こえないか確かめ、その結果を報告するだけの仕事のようである。いくばくかの補助金が付くことと、きっとまだ生息しているのだと言う期待感の両方が彼のボランティア精神を突き動かしているのだと思う。この3方が入れ代わり立ち代り船に訪れてくれるので、大方の相談やら不自由は解消できる。
ある朝、信ちゃんが島を案内してくれると言ってきた、暇をもてあましていた我々はひとつ返事で、その申し出に乗った。彼の冷房の効いた車で観光できる、それだけでも嬉しい。第二次大戦の際、父島にも日本軍の拠点があり、海には貨物船の沈船が無数にあったり、山には高射砲台の後があったり、戦争の傷跡が無数にある。
こんな静かな、それも本土から遠く離れた島にもあの悲惨な戦争が押し寄せていたのだと思うと、人間のおろかさが今更ながら思い知らされる。そう言えばここから約200キロメートルほど南下したところに、あの歴史に残る激戦地、硫黄島がある。小笠原も当然戦渦にまみれたのはいうまでもなく、父島、母島合わせ約4500人もの尊い命が失われているとのこと、今の平和の礎となられた人々に心から鎮魂の祈りをささげるものである。
父島は東京都に属しているだけ合って道路はすこぶる良い。いくつもの見晴台が設けられ、はるか先の島々が一望できる。途中、野生のヤギの群れと遭遇した。「かわいいじゃない!なつこいねー!」等とはしゃいでる我々を尻目に信ちゃんは「あれ、俺の獲物」じっと見る目が怖い。ヤギはそれを知ってか草むらにそそくさと姿を隠す。聞くところによると300メートルくらい離れていても、ライフルでし止めるそうである。
それが人間の都合で野生化し、繁殖しすぎたからと言って今度はそれれを駆除すると言う羽目になった可愛そうなヤギ達なのである、昔は父島周辺の島にも生息していたが、現在は父島以外の島のヤギは全て駆除されたと言う悲劇があり、まだその悲劇は続いていると言うことになる。
現在小笠原諸島に人が住んでいるのは父島と母島に限られている。戦前は他の島にも人が住んでいたという、小笠原が日本に返還された際、いくつもの島に分散して、住むのは効率が悪いということになり、人が住む島として父島と母島に集約され現在に至っていると言う話を聞いた。その際ヤギも移住させれば良かったのだが、ヤギは可愛そうに残されてしまった。そして今日の強制駆除と言う結果に至ったと言うわけで、これも悲しい話である。



