第2章 太古の匂いが今も残る島 (2)
それはそれとして、不足装備品の取り寄せ、臨時近海仕様への変更手続き、等どのようにすれば良いか、考える時間がほしい、今朝接岸して休み無く動いており、頭がくらくらする。ともかく町に出て一休みしてから考えをまとめることにした。
どんなに窮地に陥ってもお腹はすくものである。何故か寿司が食べたい。丁度開店したばかりの寿司屋を見つけ、とびこむ、メニュウを見るとこれがまた面白い、海亀のにぎり寿司、など今まで目にした事が無い、寿司が沢山ある。
無難なところでマグロのにぎりを注文すると、ものの5分としないうちに出てくる。お客は我々だけであると言うこともあるが早すぎる。そのはずで、小さく丸めた握り飯の上に何時間も前に薄く切ったマグロをパタパタのせただけの代物で、とてもこれが寿司だとは思えないようなものである、それでも長い船の上で、あじけない食事に耐えてきた我々にはとても、美味しい食べ物に感じられた。
我々に寿司まがいのものを出した親父が「ちょっと留守番していてくれる!」と言い残し、小笠原の寿司は美味いですか。でもなく店を出て行ってしまったではないか、店の中で二人ぽつんとして思わず「小笠原らしいやねー!」等と言ったもんだ。しばらく待つも、親父一向に帰ってくる気配がない。結局小一時間も待ち、やっと外に出ることが出来た。いやはや着いたばかりなのに驚かされることばかりである。
ひと心地がついたので、早速町を探検してみることにした。海岸に沿って東西に1車線にしてはやや太目の太い舗装路が300メートルくらい続いている。両側にはココヤシが整然と植えられており、いかにも南国と言った雰囲気をかもし出している。これが父島のメインストリートで道路の南側が海、まぶしいような白いサンゴの浜辺が弧をえがくように東西に広がっている、
この浜辺は日中ともなれば若いお母さんと子供達でにぎあう、島の住人達の専用海水浴場。道路と海は熱帯の植物にさえぎられており、適度の涼を楽しめる緑の緩衝地帯が整備されている。道路の北側は山が迫っており、そこには山の日陰を利用した住居が点在している。
このメインストリートに沿って山側に細い道がある。この道が父島の夜の歓楽街、社交街である。屋台に毛の生えたような風情のある店が軒を連ねており、涼を求めながら歩くのにはもってこいの道である。当然、私どもも毎夜この道をそぞろあるくことになる。
メインストリートの東側を廻りこんだところに、北側に山を背負い南側が大きく開けた、懐の深い湾が広がっている。ここが父島二見港である。漁船の着く船着場、スキュウバーダイビングや観光を生業としている船などがコンパクトにまとまって停泊している。鬼平Ⅱはその中の飛び魚桟橋と言うところに舫いをとっている。
町の中心から港の方にしばらく歩いていくと、緑とウッドデッキが南国風にアレンジされたレストランをみつけ、お茶でも飲みながら今後の対策を考えることにする。外の気温は30度はゆうに越えており10分とその場にたたずむことは出来ない。ともかく暑い。コーヒーを注文すると、かわいい女の子がめずらしい小笠原産のコーヒーがあると教えてくれたので、これは面白いと思いそれを注文した。小笠原産のコーヒーとはどんなものかと聞くと、明治11年頃戊辰戦争で旧幕府軍の海軍を率いて戦った榎本武楊が小笠原でコーヒーの栽培を試したのが、始めと言われている。現在も日本で唯一コーヒーを栽培しているのも小笠原だけという。現在の小笠原のコーヒーは第二次大戦の際、強制疎開で栽培農家が日本やアメリカに移り住んでしまい、コーヒー園はそのまま放置され野生化してしまった。その後戦争が終わり、疎開先から小笠原に帰ってきた人々が荒れ果てたコーヒー園を蘇えらせて現在に至っているとのことである。
コーヒーの栽培から豆にしておいしく飲めるまでの行程は大変な手間と労力がいるとのことで、今は大規模に手がけている人は皆無で、趣味的に栽培し商品化している程度であるとのこと、貴重な一杯である。我々がいつも飲み慣れているコーヒーに比べちょっとコクが無く物足りなさはあるが、貴重品と言うことで美味しくいただけた。



