水薙鳥の翔ぶ碧い海へ -20ページ目

第2章 太古の匂いが今も残る島 (3-1)


水薙鳥の翔ぶ碧い海へ

小笠原は1593年信州松本の城主小笠原貞頼が発見し、島の名前もそれに由来したと言われる。小笠原は当初無人島であったが捕鯨の基地として欧米人数名とサンドイッチ諸島(ハワイ諸島の旧名)カナカ人20数名が定住したのが始まりで、1876年日本の領土ということに成り、その後日本人の移住が始まり、日本人が旧島民に加わり、現在の小笠原島民のルーツが形成された。





水薙鳥の翔ぶ碧い海へ


その後時代の趨勢で日本人以外の旧島民の一部は日本人に帰化し小笠原住民となった。第2次大戦後しばらくの間米軍の占領下に置かれたが、昭和43年6月に日本に返還され、強制疎開から開放された人々が帰島し、現在に至っている。強制疎開という過酷な歴史を背負っていた為かこの島の人達は日本本土のことを「内地」と呼ぶ、北海道や沖縄などでも内地と呼ぶようである。




かといって三宅島や八丈島の人達が本土のことを内地と呼ぶのを聞いたことがない、どんな背景からそのように呼ぶのか研究してみたいものである。きっと何か歴史的な背景があってのことだと思われる。



現在は東京都小笠原村字00××となり、東京都の財政で潤っていることになる。そのせいか、こんな離れ小島にしては道路が島の隅々まで整備されている。又トイレがいたるところにあり、それもきれいで便座式の水洗トイレ、極めて旅人への配慮のいき届いた島である。トイレと言えば我々のヨットにはトイレが2つ装備されている、それも水洗トイレである。



通常船についているトイレは船が海の上を走っているとき、用を足し、海中に垂れ流すと言う極めて単純な方式であり、後は「藻屑」となり、気にすることはないが、船を係留している時はそうはいかない。なぜと言うとその「藻屑」が船の周りをふわふわ漂ってしまう。昼間だと明らかにわかってしまうので、どうしてもと言うときは夜秘かにと言うことになる。ハワイなど海外では昼夜を問わず、港内での垂れ流しは一切禁止と言うところが多く、小笠原もこの部類に入っている。もしそれに違反すると海上汚染防止法違反となり罰金刑に処せられるので決して侮れない。



船が走っているとき用を足す、簡単なようで簡単ではない。通常ヨットが帆走している時、右舷か左舷にヒールしているので便座の位置がどちら側かに傾いている、ヒールが激しければ激しいほど傾きも激しくなる。その上ピッチングが加わり、おちおち用を足すことなど不可能なのである。早い話が壁に手をツッパリ、便座からずり落ちないように調子を取りながらの用足しになる。そんな訳で小笠原のトイレはそのようなことをする必要が無く我々に大いなるやすらぎを与えてくれた。毎朝きちっと気持ちよく利用させていただきました。そうそうトイレットペーパーが毎朝きちっと補充されているのにも感激しました。



街を歩いていると、子供が多い。同時に若いお母さんが多いということにもなる。年寄りがますます多くなってきたと感じる昨今、これは不思議な現象だと言える。知り合いになった若い夫婦の話を聞くと、共通した事柄がいくつかある。それはいずれも島の住人同士の結婚ではなく、内地から移り住んできた若い夫婦たちであるということ、島の若い人たちは逆に内地に行って、そこで伴侶を見つけ、結婚すると言うのが一般的で島の住人同士の若いカップルは殆ど見当たらない。



もうひとつの共通項として、若い男女が結婚する前に島に遊びに来て、島で恋心が芽生え、しばらく都会で生活していたが、都会での競争社会で生き抜くよりも、時間がゆっくり進むあの島で暮らしたいと思うようになり、意を決し、彼女に島行きを相談したところ、快く了承され、二人で手に手を取って移り住んできた、すなわち、競争社会で過ごすより自然の中で生活をエンジョイする方がずっと価値があるといった生活価値観を持っている人たちが移り住んできている、この価値観を共有出来る人達は若い人たちに限ったものでなく、ある程度年をとった人たちの中にも、第二の人生をこの島でゆっくり過ごしたいと言う人たちが多数見られる。この島は彼らにとって「たどり着いた楽園」なのであろう。



若い夫婦がどんな生活をしているのかと言うと、この島にはこれといった産業がない。どこにでもある田畑がこの島では全く見られない、稲は暑すぎて育たないそうである。それではどんなことをして暮らしているのかと言うと、私の知った限りでは、お土産屋さんの手伝い、観光船やスキュウバーダイビング船の手伝い等ちょっとした仕事を生活の糧にしているようである。「え、そんな稼ぎで生活できるの?」当然このような質問をしたくなる。彼らは全く屈託なく、「生活は苦しいが、それよりも楽しく人生を過ごせる、気兼ねない、それに島の人達が優しく自分たちを受け入れてくれる」その辺がこの島に移り住みあの笑顔で暮らして行ける、彼らの大きな理由かなと思われた。



但しこの若いカップルたちにも全く悩みがないわけでもない。自分たち2人にとってはこの島はとても居心地がよく、骨を埋めても良いと考える程であるが「子供たちが成長した時どうなるかが心配である」と言う。心配の中身としては「子供たちが自分たちと同じ価値観を持ってくれるのか、価値観を子供たちに押し付けるわけには行かない」と言うことと「子供たちが成長して大学に行きたい」と言われたとき、それに答えられる程の経済的なバックグランドがそれまでに準備できるのか、あるいは子供たちがこの島で就職するようになったとき、子供たちを受け入れてくれるような就労環境がこの島にあるのか等などがあげられ、彼らにとって全てが楽園と言うわけには行かない現実も垣間見られる。