水薙鳥の翔ぶ碧い海へ -18ページ目

第2章 太古の匂いが今も残る島 (4-1)


7月18日朝食もそこそこに小笠原海上保安庁に出頭した、「船舶安全操船違反」に関する調書を執るとのことであった、船長の私だけでよいと思っていたが藤次郎氏も一緒にと言う知らせがあったので、恐る恐る二人で出頭した。私と藤次郎氏は別々の保安官にどのような経緯で小笠原まできたのかを事細かに聞かれた。二人の話の内容に食い違いがないかを確かめるためのようである。私を担当した保安官は30代半ばのちょっと太り気味の若い保安官で、まだ小笠原に来て間もないとのこと、あたりは優しいのだが、時折、いかにも海上保安官といった厳しさもみられる。



池波正太郎さんの鬼平犯科帳の鬼平(長谷川平蔵)が逆に取調べを受けることになり、全く面目ない気持ちである、ただ私は既に「、罪は罪、罰は罰」として甘んじて保安庁の裁量に委ねる腹つもりは出来ていた。鬼平に捕まった夜盗がすっかり観念して、お沙汰を聞く気持ちはきっとこのようであろう、などと変にわかったような気持ちになっていた。ともあれ冷房の効いた取調室はいたって気持ちよく、ゆったりくつろいだ気分で取調べを受けることが出来たのはラッキーであった。取調室と言っても普段は当直の保安官が寝泊りする畳の部屋だった。畳の部屋というのも何か鬼平犯科帳を彷彿とさせる。



久しぶりの畳の上の感触はとても気持ちがよいもので、それだけで嬉しい気持ちになってしまう、まさか寝転ぶわけには行かないが、それでも足を投げ出し、どちらが取調官か解らないような状態で取調べを受けていた。保安官が私にひどく恐縮していたのにも驚かされた、たぶん私に全く悪びれた様子が無く、こんな遠くの島に来れた経緯を得々と話している私を見て、いつもとだいぶ勝手が違うと困惑してしまったせいかもしれない。10時過ぎに始まった取調べが昼食を挟んで、終わったのが4時近くであった、昼食はよくTVに出てくるような、カツ丼でも出てくるのかと秘かに期待していたが、自分たちで出前を取るか外に食べに出るか、いずれかにしてくださいとのこと、これにはがっかりした。全体としては和やかな雰囲気に終止、笑いが耐えない取調べであった。



ともあれ私どもは安全装備品を装備して船の航行区域を変更しなければ、小笠原を一歩も出てはいけないことになった。保安官が言うことがまた振るっている「闇夜で逃げたら大変なことになりますよ、今度は拘束しますので」と言うことで我々は観念した次第である。ちなみに船の安全装備の確認や航行区域変更に関しては船舶検査協会が担当しており、海上保安庁の管轄外となる、従って我々の交渉相手は海上保安庁から船舶検査協会に移った。



早速安全装備品の手配にかかったわけであるが、小笠原では我々が望むような安全装備品は手に入らない、東京から送ってもらうほか手はないとのこと、ホームポートの下田ボートサービスに手配をお願いして、その件はひとまず片付いたが、今度は鬼平Ⅱの航行区域変更手続きが大問題になった。変更手続きは安全装備品がきちっと装備されているのを船舶検査協会の検査官が確認しないと、許可証を発行しないルールになっている。



その検査官が小笠原に常駐していない。検査官は通常年2回定期的に小笠原に来る、そのタイミング以外でどうしても船舶検査証を発行してもらいたい場合は自費で検査官を呼ぶそうである、馬鹿にならないお金が必要になるが、お金は何とか工面するとしても、検査官に今日お願いして、明日来てくださいというわけには行かない、相手の都合に合わせるしかない。



従って検査官が1ヵ月後と言えば、それまで1ヶ月待たなければならない。船を置いて、いったん東京に帰ろうかとも考えたがその間の船の保管、管理は全て船の所有者の責任で、海上保安庁ではその件に関しては一切感知しないとのことである。



小笠原の低気圧、台風は半端なものではないようである、がっちり係留していても風波により下手をすれば船が粉々に砕け散る場合もあるとのこと、そのような場合船は全て陸揚げにしてしまう、どうしても係留して凌ぐ場合は風を出来るだけ避けられるような位置に船を移動して対岸の岸壁から風上に向かって舫いをとり、船を固定するなどの工夫をしているようである。ちなみに岸壁からの距離は200メートルくらいあり、その位の長さのロープが2本以上必要になる、普通の船でそのような長さのロープを持っていることは先ずない、従って小笠原に行く場合は絶対に台風と遭遇するような航海計画を立ててはだめと言うことになる。



私どもは幸いなことにホームポートの下田ボートサービスの皆さんが手分けして安全装備品を揃え、小笠原丸に積み込んでくれたり、伝を頼って沼津の船舶検査協会に出向き事情を説明して、特別に臨時近海航行区域の免許をとってもらったり、皆さんの強烈なバックアップがあったお陰で低気圧や台風に遭遇することなく、小笠原滞在を2週間程度に切り上げることが出来た。