水薙鳥の翔ぶ碧い海へ -19ページ目

第2章 太古の匂いが今も残る島 (3-2)


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街には2~3軒のスーパーマーケットがある。日常生活品や生鮮食料品は殆んどこれらの店で揃う。生鮮食料品に関しては全て内地からの取り寄せで賄っている、きわめつけは周りが海に囲まれていると言うのに、この島には魚屋さんが1軒もない。魚まで内地からの取り寄せである、漁師がいないのかと言うと沢山いる。不思議なことであるが、彼らは島の住人を相手に漁はしていないようである、東京を始め大都市に出荷できる高級な魚を狙い漁をして、生計を立てている。取れた魚は一箇所に集められ、冷凍して何日かおきに、主として東京に出荷している。ともあれ内地と島をつなぐのは週1便の東京小笠原間を結ぶ小笠原丸である。



それ以外の交通手段は皆無なのである。それも嵐などで欠航すると何週間も内地からの物資が途絶えるらしい。小笠原丸が岸壁に付くと、その日街は大いに活気を帯びる。新鮮な食料品、頼んでおいた買い物品、手紙新聞の類、いろいろな生活物資が島に運び込まれる。食料品はその日のうちにスーパーに陳列され、あっという間に品切れてしまう、うかうかすると買いそびれてしまい、次の船が来るまで新鮮なものは食べられないと言う状況になる。

興味を引いたことがある。島に運び込まれる生鮮食料品は東京を出る時、多分冷凍状態で積み込まれ、島に着いたとき、適度に解凍された状態になるような物流システムで運搬されているようである、私が食パンを購入した時まだ霜が付いていたところから察すると多分そうであろう。スーパーマーケットは生鮮食料品を扱うだけあって冷房が効いてともかく涼しくて気持ちが良いホッとする瞬間である。島に滞在中、我々は買い物もないのに何回か、おしかけ、冷房をむさぼったものだ。

小笠原丸についてこんな話を聞いた。今父島と東京を結ぶ交通手段は小笠原丸しかない。新たな交通手段として、高速フェリー、飛行機などさまざまな方法が検討されてきたが、いずれも頓挫しており、これといった解決手段が見つかっていない。加えて小笠原丸の寿命が後3年程度であるとのこと、この時代だから飛行機や、高速船などで大量かつ迅速な輸送手段をいち早く講じた方がよいように思われるが、島の人達は必ずしも、そのような考えに賛成しているわけではない。

島の人達に聞くと、時間がそんなに早く動くのは嫌だ、この島のゆったりした時間の流れの中での生活リズムが壊されてしまう、と言った恐れと警戒感があるようで、人事ながらこんな癒しの島にも大きな悩みがあるのだと実感させられた。