今日はバレンタインデー。
だけと何もそれらしいことは無し。
それより昨日は
すんごい強風で築うん十年の我が家は
飛ばされるかと・・・。
「春隣」と使いたいけど・・・
打って変わって今日は穏やかな快晴。
春はもうそこという感じです。
(↑パステル画は
10年前まで教えていたもの。
今はやっていません)
先月に「春隣(はるとなり)」
という美しい日本語を知りましたが
使う時期を逸してしまい残念無念。
これは俳句の世界での冬の季語で、
立春前に使う言葉だそう。
ということをラジオの人が
「いつだったかの
『今夜も生でさだまさし』で知った」
と教えてくれました。
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たまたま曇っていなかったから
”星や月が綺麗な夜っていうのは
それ自体が強く輝いている
と言うより、
雲が少なかったり、
空気が澄んでいたり、
その他の要因によって
綺麗に見えるということ”
ということを天気予報の
こぼれ話で耳にしました。
星や月が綺麗な夜も、
晴れ渡った空も、
龍やハートの形の雲も、
たまにまみえる虹も、
この世の「美しいもの」は、
様々な要因が重なって生まれる
奇跡だということ。
たまたまもらった日記帳から
思えばワンセルフカードも
様々な要因が重なって生まれ、
継続出来ています。
それを思うといつもしみじみします。
発端は25年前の入院中に
お見舞いで日記帳をもらったことから。
でももらった時は正直、
有難迷惑と心の中で思っていました。
(↓下段の左がその日記帳)
だって日記なんてつける気はなかったし、
遺書のようになったら怖いし、
闘病記と言う言葉も好きじゃなかったし。
(今も嫌い)
でも持ってきてくれた人は
私があまり喜ばないのを察知して
こんなことを言ったのです。
「前にスキー場で事故って
10か月以上入院した時にさ、
いくらくらいのお見舞いを
誰からもらったとか
検査の日とか書いておかないと
案外わからなくなるから、
メモ帳として使うと便利だよ」と。
「ふ~ん」と思ってせっかくもらったので
その人の言うとおりメモ書きとして使い始め、
いつしか毎朝院内の売店で買う新聞の
気になる記事を貼ったり、
テレビや本の中での好きな言葉を書き留めたり。
それがもとになって第一弾の
カードが出来ましたが、
当初はパソコンの中に入っていた
フリーのイラストをペタペタと
貼り付けていました。
↓
その後展示会でたまたま出会った
るり子さん→ こちら
の絵に魅せられて今に至ります。
↓
自分にとって大切なものが
誕生する背景には、
良いこと、悪いこと、ひっくるめて
それを炙り出す要因があるということです。
大切なもの(者や物)と巡り合ったり、
創り出していくのは
月や星が綺麗に見えるのと
同じことだと今の私には思えます。
ですので良いこと、
悪いこと、ひっくるめて、
心あるもの、心ないもの、
ひっくるめて、
受け留め、受け入れる覚悟が必要だと思います。
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美しい日本語の多くはさださんから
冒頭に書いたさだまさしさんですが
実は大して好きではないです。
(↑ファンの方々、すみません)
けれど私が知っている
美しい日本語の大半は
さださんから学んだとも思うのです。
「つゆのあとさき」
という5月から7月の時期とか、
「ひとひら」
とは雪の数え方とか、
「案山子」と書いて
「かかし」と読むこと、等など。
そうそう「小春日和」を間違って
今頃使っている人をたま~に見かけるけど、
秋に使うものなんですよね。
っていうのもさださんの歌から。
今日も最後まで読んで下さり
ありがとうございました。
