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一松書院のブログ

ネット上の資料を活用し、出来るだけその資料を提示しながらブログを書いていきます。

 映画「パラサイト(原題:기생충)」がアカデミー賞作品賞を受賞すると、そのロケ現場が一躍脚光を浴びることになった。コネストの地図で「パラサイト」で検索をかけると、撮影場所が表示される。

 

 当然それぞれの場所にはそれぞれの「背景」「歴史」がある。ポンジュノ監督とスタッフがどこまでそうしたことを考慮して選んだのかはわからないが、それぞれに興味深い物語が見えてくる。意図して選んだとすればそれはすごい。意図してなかったとしても、その選択は納得できる。それもまたすごいことだと思う。
 撮影場所の歴史を、勝手にひもといてみる。

 

 

城北洞ソンブットンの豪邸(KonestMap11)

 映画の豪邸は、セットで撮られたもので、すでに取り壊されて存在しない。ギジョンが「ジェシカ、一人娘、イリノイ、シカゴ♪」と独島ドットのメロディーにのせて歌ってインターホンを押す玄関もセットである。この曲の背景についてはブログ「「パラサイト」を楽しむための豆知識」の後半「◆ジェシカソング」を参照。

 ただ、豪邸の前の坂道は城北洞で撮影されたもの。ジェシカがパク社長の運転手に「恵化ヘファ駅まで送ってください」と言うセリフがあるので、豪邸は城北洞という設定である。城北洞の高級住宅地から車でまっすぐ南に下れば地下鉄4号線の「恵化」に出る。唯一の公共交通機関である「城北ソンブッ02」のマウルバスはその隣駅の「漢城大入口ハンソンデイック」から出ている。

「パラサイト」より

 ただ、城北洞の高級住宅地へのアプローチは、このルートよりも、景福宮キョンボックンの東側の道を上がって三清サムチョントンネルを抜けていく方がよく使われる。「鍾路チョンノ11」のバスはトンネルのずっと下の三清洞サムチョンドンが終点で、車でないとトンネルまでは上がれない。

 

 1980年代には、「車がないようなやつは来るな」と言わんばかりの場所だった。三清トンネルと抜けると、すぐ左手に「三清閣サムチョンガック」があり、しばらくまっすぐいくと「大苑閣テウォンガック」があった。1990年代まで、この「三清閣」「大苑閣」は高級料亭として知られていた。「三清閣」は最も格式が高く、1972年の南北共同声明発表の際に訪韓した北側代表団の接待に使われ、その後も要人や賓客の接待に使われた。金大中キムデジュン政権時代に営業をやめ、現在は伝統芸能の公演場になっている。一方、「大苑閣」では、コテージ風の韓屋でチマチョゴリのアガシが骨付きカルビを焼いてくれた。1990年代にはこちらも営業を停止。その後、オーナーの金英韓キムヨンハンが全てを吉祥寺キルサンサに寄進し、1997年からは寺院に生まれ変わった。

 金英韓は朝鮮戦争の時に北側に行った(越北ウォルブック)詩人白石ベックソックの恋人だったといわれた女性で、「大苑閣」は南朝鮮労働党の朴憲永パッコニョンの秘密資金で建てられ、スパイ活動をしていた金素山キムソサンは大苑閣の妓生だったなどというエピソードもあるというのだが、真偽のほどは…。

 

 三清トンネルを抜けた先のこの場所は、高級料亭があると同時に富豪の一戸建ての邸宅が立ち並び、そこに各国大使の公邸が点在するという地区だった。今は料亭はなくなったが、「不動産専門家らが選定した韓国の富裕層地域のトップ」(2015年3月6日付毎日経済新聞)というソウルでも最高級にランクされる住宅地である。在韓日本大使公邸も、この一画、三清トンネルを出てすぐ左に折れたところにある。

赤丸が「大使公邸」「大使館」左下が三清トンネル、右上が撮影場所


城北洞の日本大使公邸

 

 住宅地になる前、この一帯は教保キョボ生命保険の創立者である愼鏞虎シニョンホが所有していた。教保文庫が地下にある光化門クァンファムン交差点の茶色のビル、あれが教保生命本社ビルである。

 

 愼鏞虎は1958年に大韓教育保険という会社を立ち上げた。その前後に、銅雀洞トンジャクドンの国立墓地の拡張計画があることを知り、1961年に銅雀洞の南側の土地を自分の所有地として登記した。1963年3月、銅雀洞の土地は国立墓地用地とされ、愼鏞虎はその代替地として国有地だった城北洞ソンブクドンの土地を手に入れたのである。当時は恵化洞ヘファドンの裏手の道もろくに整備されていない未開発地区であった。


銅雀洞国立墓地北側の土地(推定)

 

1960年発行のソウル特別市地図の城北洞


 1970年12月に三清サムチョントンネルが完成した。このトンネルによって、城北洞ソンブクドンは「中央庁チュアンチョン」(旧朝鮮総督府庁舎)や青瓦台チョンアデ(旧朝鮮総督官舎・李承晩イスンマン時代の景武台キョンムデ)などのある政府中枢地区とダイレクトに行き来が可能になった。城北洞一帯の地価は一気に高騰した。そして、政府高官や外国公館に高値で分譲売却された。教保生命保険は、この時の巨額の売却益をもとに大手保険会社に成長したと言われている。

 朴正煕パクチョンヒ政権時代の警護室長車智哲チャジチョル、ソウル市長梁澤植ヤンテクシクなどがここに住居を構え、日本政府は三清トンネルに近い場所に用地を購入し大使公邸を建てた。

 

 愼鏞虎は運が良かったのではない。銅雀洞の国立墓地拡張の情報や、城北洞に通じるトンネル建設の情報などは、権力者との癒着がなければ入手できない。実際に権力者との関係をうかがわせる事例がある。銅雀洞の土地の所有権の移転に関して、愼鏞虎に書類の偽造などの不法行為があったとされて訴訟が起こされたが、愼鏞虎は当時中央情報部長だった李厚洛イフラクに教保生命の株式の35%を渡して揉み消したといわれている。李厚洛は1972年の74南北共同声明に署名した当事者であり、北側代表団の接待に使った三清閣の建設にも深く関与していた。

 今でも、1961年の銅雀洞の土地登記については教保生命へのクレームが提起されており、請願が青瓦台に出されたりもしている。

 

 すなわち、城北洞の住宅地は、独裁政権の時代という韓国現代史が産んだ超高級住宅街といえるのである。

 

 この住宅地の一番奥まった城北洞330番地に教保生命保険会長の愼昌宰シンチャンジェや前教保文庫代表愼文宰シンムンジェの邸宅がある一角がある。現代ヒョンデデパート名誉会長鄭夢根チョンモングン現代峨山ヒョンデアサン会長だった故鄭夢憲チョンモンホン、GSグループ会長許昌秀ホチャンス裕秀ユスホールディングス会長崔恩瑛チェウニョン斗山トゥサン重工業会長朴容晟パギョンソンなど韓国財界の有力者が住んでいる。またペ・ヨンジュンの住居もここにあり(日本大使公邸のすぐ西北側)、日本人のヨン様ファンが三清トンネルを徒歩で越えて押し寄せたこともある。

 

 

 ところで、映画「パラサイト」の豪邸には秘密の地下室が作られていて、これがストーリー展開で重要な役割を果たしている。

 映画で朴社長一家が住む豪邸は、著名な建築家「南宮ナムグン先生」が建てたものとされ、外国に移住するために売却したという設定になっている。売却のときには地下室の存在を買主の朴社長には知らせず、そのまま朴社長の家で働くことになった家政婦のムングァンだけがこの地下室の存在を知っている。隠し扉の向こう側には長期滞在も可能な地下シェルターがあるという設定である。

 

 1950年に朝鮮戦争が勃発すると、南に敗走する韓国軍は開戦3日目の6月28日に漢江大橋ハンガンテギョを爆破した。避難しようとしていた多数の民間人が犠牲になった。漢江の北側にいたソウル市民はそのまま取り残されることになった。ソウルに入ってきた北朝鮮の人民軍に見つからないように3ヶ月近く身を潜めていたという人も実際にいた。こうしたことがトラウマとなって、1970年代後半から、多くの人々が漢江の南側の江南カンナム地区に住まいを求め、高級マンションが林立するようになった一因ともされる。

 そうしたことから、漢江の北側、特に大統領官邸のある北岳山の北側に住むのであれば、かなり長期間にわたって潜伏できる秘密の地下室があっても不自然ではない。今でも実際にそのようなシェルターはあるのだと思う。ただ、実際に見たことはないのだが…。

 

パラサイトのロケ地(2) 阿峴洞、紫霞門トンネル・厚岩洞につづく

 「パラサイト」では、カブスカウトとモールス符号が重要なポイントの一つとして使われている。
 中学生からはスカウトだが、小学生はカブスカウト(컵스카우트:cub scout ちびっこスカウト)。末っ子のダソンは落ち着きがないということで、オンマのヨンギョがカブスカウトに入れた。ヨンギョ自身、その前から「インディアンおたく・・・」だった上、ダソンのスカウトの指導者が「インディアンマニア」。インディアン用品、弓矢とかテントとかかぶり物とかをアメリカのサイトで買い込んでいる。
 日本では、ネイティブ・アメリカンということも多いが、韓国では「아메리카 인디언アメリカインディオン」とか「미국 인디언ミグッ インディオン」が一般的な呼び方。ここでは「인디언インディオン」と言っている。




 ここで、ギウが「カブスカウト精神の元祖はアメリカインディアンなんですよ」と講釈を垂れている。
 ちょっと胡散臭く聞こえるのだが、これは当たっている。
 1910年からアメリカのボーイスカウト連盟の理事長だった博物学者のアーネスト・シートンは、ウッドクラフト・インディアンズという少年団を創設して青少年にアメリカインディアンに倣った野外生活を経験させるキャンプを行なっていた。

 

左側がアーネスト・シートン

 「シンプル」な性格のヨンギョは、カブスカウトとアメリカインディアンのことなど知らなかったにもかかわらず、「まぁ、ケビン先生もカブスカウトだったのね」と感激する。
 「나는 완전 스카우트 체질(僕は完全なスカウト体質)」と答えるギウ。
 ギウは本当にカブスカウトだったことがあるのかもしれない。

 そして、もう一つ重要なこの映画のポイントがモールス信号。韓国語では「모스부호(モス符号)」という。
 もともと電信線の通信はこの「長短の信号」の組み合わせで文字情報を送るものだった。ファックスとかネットによる情報伝達が可能になるまで、ずっとこれが情報伝達の手段だった。
 スカウトで重視されたコミュニケーション手段は、手旗信号とモールス符号。世界中がそうだった。日本でも。



日本のボーイスカウトポケットブック

 ハングルは、母音と子音に分かれていてキーボード入力も早くからできたし、韓国語の「모스부호(モス符号)」は日本語のカナモールス信号よりも文字パターンが少なくてすむ。

 そして、長い間地下室にいたグンセは、モールス符号で階段の照明を点滅させていた。


 グンセが、「リスペクト!!」と叫びながら押していたスイッチの横には、モールス符号の一覧表が貼られている。その古びた一覧表の左上部には、「한국스카우트연명(韓国スカウト連盟)」の文字が入っている。


 つまり、借金取りに追われて地下室に潜んでいたグンセも、スカウト出身だったことを示唆しているのだ。
 さらに、その一覧表では、モールス符号の表記は、「모스モス부호符号」ではなく「모르스モルス부호符号」と表記されている。


 日本語では、Morseは「モールス」と「モース」と2通りある。大森貝塚を発見したのは、エドワード・モース(Edward Morse)なのだが、電信を使った通信手段を考案したのは、サミュエル・フィンリー・モールス(Samuel Finley Morse)と表記される。だから、日本語ではずっと「モールス符号」と呼ばれてきた。


 ハングルでは「모르스モルス부호符号」という表記があったが、これは日本語からの影響であろう。外来語表記法が確立されて以降、「모스モス부호符号」が正しい表記となっている。新聞での使い方を見ると、70年代〜90年代まではむしろ「모르스モルス부호符号」が主流であった。

네이버 뉴스라이브러리より


 この地下室にグンセが貼っていた一覧表では「모르스부호」となっている。
 さらに、グンセのセリフも「아저씨 나이라면 알잖아, 모르스부호!(あんたの歳なら知ってるだろ、モース符号)」.

 ということは、グンセも1970〜80年代にはスカウトだったという設定なのであろうか。
 
 韓国のボーイスカウトは、日本の植民地時代から始まる。解放後、李承晩時代にも引き継がれ、1977年には朴正煕大統領が世界連盟の名誉総裁になり、金鍾泌や崔圭夏なども韓国スカウト連盟の名誉総裁になっている。

右側は金鍾泌キムジョンピル国務総理(1974)大韓ニュース大1005号

 つまり、スカウトはエリートの少年少女組織だった。もちろん、大統領や国務総理に会えるのは一部の選抜された超エリートだけだろうが、そこそこの「良家」の子供でなければスカウトには入れなかった。

 

 2014年のネット相談に、「4年生になった息子がボーイスカウトに入りたがっているが費用はどのくらい?」という質問が出されている。その回答の一つに、「国民学校の頃、スカウトは金持ちの象徴だった」という書き込みがある。


 ダソンがそうであるように、お金持ちの家の子はカブスカウトに入れた。 
 ギウも、グンセも、スカウトだったのかもしれない。となると、彼らにも、そこそこに豊かな暮らしを享受していた時代があったのかもしれない。


 そして、ギテクもまたスカウトだったとも思える。地下室でギウにモールス符号を送っている。


 パラサイトで描かれているのは、今という瞬間の貧富の格差ではなく、韓国現代史の中で動き続けている格差が描かれているのであろう。

 

 


付録

下のサイトに行くと、韓国語(日本語・英語も可)をモールス符号や点字に変換できる。切り替えれば逆の変換もできる。
http://jinh.kr/morse/
モールス符号に変換して何に使えるのか思いつかないのだが、とりあえずご紹介まで。

◆発泡酒とビール

 ギウの友人のミニョンが、ハラボジの石を届けにきた時、ギテク一家は、セウッカン(えびせん)をつまみにFiLiteを飲んでいた。


FiLiteは、2017年春にハイト眞露チルロが売り出した韓国初の発泡酒。コンビニで₩1800で買える。

 その後、一家でパク社長の家に寄生してからは、


肉を焼きながらSapporoビールを飲んでいる。最近は日本製品の不買で見かけなくなったが、以前はコンビニで₩2500前後だった。

 しかし、オンマだけは依然としてFiLiteである。買い置きのFiLiteが残っていたので、それを飲んでいるということであろうか。細かい…。

   

 

◆マウルバス

 ミニョンがギウに家庭教師を紹介する場面。
阿峴洞アヒョンドンのテジスーパーの前で撮影しているのだが、後ろを「麻浦マポ03」の緑色のバスが通り過ぎる。セリフの合間のいいタイミングで走り抜けてる。ちゃんと誰かがバスのキサニムに合図して走ってもらったんだろう。

 これは撮影場所を提供したテジスーパーのハルモニが見せてくれた撮影風景。


 

 本当はテジスーパーの前はバス停なので普通はバスは多少徐行するし…
 ちなみに、アカデミー賞作品賞受賞の直後に見物に行った時はテレビクルーや記者がいたもんで、マウルバスはノロノロ走ってた。

アカデミー賞受賞直後にChannelAの取材を受ける店主夫妻

 

◆代理駐車(발렛パレッ

 ギジョンに「アッパ、バレッやってたじゃん」といわれたギテクはこう答えた。
 「발렛? 치킨집 망하고 대만카스테라 오픈전에.... 그 사이 한 6개월? 아니지. 카스테라 망한 뒤지. 발렛은.(バレッ?チキン屋が潰れて台湾カステラを始める前、その間6ヶ月くらい、いやカステラが潰れた後だ、バレッは。)」

 このバレッ(발렛)は代理で駐車する仕事。valet parkingからきた外来語で、韓国社会では10 〜15年くらい前から一般に使われるようになった。valet parkingはアメリカではよくあるらしいが、韓国での事情はこうである。

 

 大体において食堂やレストランは駐車場が狭い。客が自分で駐車したのでは数台しか入らないが、係員がキーを預かってぎゅうぎゅうに詰めればもっと入る。キーを預かるので、奥の車でも出し入れ可能。駐車場がいっぱいになれば歩道とか路上とかに駐車してくれる。もちろん違法なのだが。
 ということで、昔からちょっとした店に車で外食に出かけると店の前のアジョッシにキーを渡して駐車してもらうのが普通だった。
 その後、江南あたりから、2000とか3000ウォンで駐車場のないところでも駐車してくれる商売が始まった。「バレッパーキン」という看板が出ていたりする。

 そんなこんなで、キーを渡して駐車してくれる商売をバレッと呼ぶようになった。

 私の常宿の近くには有名な冷麺屋があるが、ここも店の前にアジョッシがいる。彼らもバレッなのだろう。

 まぁ、そこそこの運転技術はないとできない商売だが、休戦ラインの南側の路地の隅々まで道を知っているはずはないし、細かいパネル操作までできるわけではない。ましてやベンツとなれば……。

 ということなのだが、十数メートルの距離を前に行ったりバックさせたりしていたギテクは、パク社長の家のベンツの運転手になってしまった。

 

◆ジェシカソング

 ダヘの英語の家庭教師になったギウが、ギジョンをダソンの美術の家庭教師としてパク社長の邸宅に連れて行くところ。

 「ジェシカ」に関するバックグラウンドを確認したのがこれ。

제시카 외동딸 일리노이 시카고 과 선배는 김진모 그는 니 사촌

ジェシカは一人娘、イリノイのシカゴにいた。学科の先輩はキムジンモで、彼はジェシカのいとこ。

 この原曲は「独島は我が領土(독도는ドットヌン 우리ウリ ッタン)」。

 日本人の多くは言われないと気づかないのだが、もうだいぶあちらこちらで言われているので、「反日」要素としてこれを取り上げる向きも少なくないが…。


 この曲は、1982年に出され、翌年にかけて注目されヒットした。その後もずっと歌い継がれている。

 当時、日本の教科書検定で文部省が「侵略」を「進出」と書き換えさせたという報道をきっかけに、「教科書問題」をめぐって日韓関係は極度に悪化していた。食堂の「日本人出入禁止」の貼り紙やタクシー組合の乗車拒否決議などが報じられた。また、日本の「歴史歪曲」に対抗するとして募金運動が始まり、それは後に天安チョナンの「独立ドンニップ記念館キニョムグァン」の建設につながった。

 

 そうした中でヒットしたのがこの曲であった。

 

 当時、カセットテープに録音して持ち帰り、数年後にそれをデジタルデータにして授業や講演で使っていた。しかし、日本人はほとんど「何、それ?」という反応だったし、日韓間に領土問題があることすら知らなかった。日韓間に領土問題が存在することを日本社会が認識し始めるのは1990年代の後半以降のことである。

 

 試写で「パラサイト」を観たときにはうかつにも気づかなかった。

 あまりにも耳に馴染んだ曲調だったし、歌詞の方に気を取られたというのもあった。

 

 この部分、領土問題を意識しての選曲というようには、私には感じられない。

 

 ちなみにパクソダムは、Youtubeにジェシカソングの講習動画をアップしている。

제시카송배우기