2月20日、
最愛の母が亡くなりました。
それはあまりに唐突で。
3月には退院をさせて
どのような体制で在宅介護をしようかと
ケアマネさんと相談していた
矢先のことでした。
思えば2018年の春。
伯耆大山の神様から
母の寿命を聞かされました。
それは母が70歳になってから
半年の間というものでしたが、
母がその歳を迎えた年の秋。
僕はふたたび伯耆大山へと登って、
「私も足が丈夫になって
どこにでも行けるようにして欲しい。
また息子と一緒に出掛けたいから
どうかお願いします。」
という母の願いを
神様の元へ届けることで
家族の運命を動かそうと試みました。
愛は山をも動かすと言うけれど。
本当に伯耆大山の神様は
僕たち家族の運命を
描き換えてくださいました。
今にして思えば、
それは自分のエゴだったようにも思います。
それでもそのことを承知の上で
「愛とは何か」を探し求める僕への
ひとつの答えとして
神様は運命をほんの少し
描き替えてくださったのだと思います。
昨年、母が71歳を迎える年のお正月。
そして昨年の7月からは
長期入院をしていましたから、
父と僕がその寂しさに耐えられるように
母のいない生活の練習を
させてくださっていたのだと思います。
その間にも龍神たちによる
奇跡を目の当たりにさせてもらいましたし、
そんな息子の想いに
母もよく応えてくれたと思います。( ´͈ ᵕ `͈ )
父もよく頑張ってくれました。
母の亡くなった当日、
翌日のお通夜の準備が整った
斎場の上空を龍神が大きく旋回して。
寂しさと喪失感で打ちひしがれる僕に
最期まで母に寄り添って
力を与えてくれていたことを
教えてくれました。
戒名なんて正直どうでもいいと
思っていたけれど。
そこには母の真の姿を
顕わにする言霊が宿っていて。
見えない世界に盲目だった自分は
なんと尊い魂の元で
愛を知るための旅路を共に
歩ませてもらっていたのかを知りました。
また、これは
遺影に使った写真なのですが、
その笑顔には最期まで
生き切った人だけが放てる誇らしさがあって
僕のこれからの人生を
照らし続けてくれるように思います。
溢れんばかりの花々と共に
斎場から火葬場へと向かう車中で
僕にはひとつの曲が降りてきました。
それはこの胸を占拠する
途方もない寂しさとは裏腹に
愛に満ちた歓喜の歌でした。
人の生涯とはなんと尊く、
愛おしいものなのでしょうか。
天国の扉が開いた先にある
歓喜に満ち溢れた世界が
母の生涯を称えてくれていることを
確かに感じることができました。
太陽のような存在だった母。
生活の中心にいつも母がいて
介護という名の家族の濃密な時間が
これまで15年も続いてきましたから
今はまだ途方にくれるばかりですが、
泣いてばかりもいられません。
腎臓を患うことと引き換えに
僕をこの世に生み出してくれた母の生涯は
72歳と半年で幕を閉じましたが、
愛を知り、愛を実践していく
僕の旅路はこれからも続いていきます。
ううん、寧ろこれからが
本番なんだよね?お母さん。(⌯˃̶᷄ ⁻̫ ˂̶᷄⌯)
僕もまた歓喜の内に
天に迎え入れてもらうその日まで
生き切ってみせるからね。
最後になりましたが、
これまで母に心を寄せてくださった皆さまへ
本当にありがとうございました。
母に代わってお礼申し上げます。
Stevie Wonder / Overjoyed