その懐に抱かれるだけで

自然と「大好き」がダダ漏れてしまう

神様の棲まう山、伯耆大山。

 

後編である今回は言わば

おとなの遠足 The Other Side Story。

 

僕自身が何を感じ、

どんな世界を見ていたのかを

お伝えしたいと思います。


 

さて、今を遡ること5年前、

大神の御眷属である白狐の神様から

両親の寿命を聞かされました。

 

 

今にして思えば

それは僕が愛を学ぶために

必要なことだったのだと思います。

 

ゴールの見えないしんどさが

確かに介護にはあって

投げ出したくなる刹那的瞬間が

ないと言えば嘘になります。

 

だけど両親が

その年齢を迎えた今、思うのです。

 

これまでたくさんの神様に

「愛とは何か」を問い続けてきたけれど

自分自身が愛なんだ、って。

 

奇跡を起こす鍵を握るのは

他の誰でもなく自分自身なんだ、って。

 

 

リラックスモードの一日目、

夕刻の空に八大龍王が集結して。

ズラリと整列して首を垂らす龍頭に乗った神々から

一堂に見つめられる心境は筆舌に尽し難く。

この夏、石鎚神社の成就社で

「友と呼んでも良い」と仰っていただいたことを

改めて畏れ多く思いました。

 

翌10月15日、

伯耆大山・弥山への登拝が始まりました。

 

 

ところでこの日に先立って

僕は母から伯耆大山の大神に届ける

願い事を預かっていました。

 

 

「私も足が丈夫になって

どこにでも行けるようにして欲しい。

また息子と一緒に出掛けたいから

どうかお願いします。」

 

そんな母の願いを

スマホのボイスメモに録音して

大神の元へ届けること。

 

 

その行動こそが

これまで伯耆大山の神々が

僕に教えてくださってきた

「愛とは何か」への

自分なりの一つの答えでした。

 

 

眼下に海の広がる伯耆大山。

 

 

その上空では

三女神さまも駆け付けて

その様子を見守ってくださっていて。

 

 

誰かに人差し指で

どこかをちょっとでも押されたなら

涙となって溢れてきそうな

この感情の尊さを「ありがとう」にして

みんなに伝えられていたかな?

 

そんなふうに想ったのは

一緒に登る友人たちも含め、

自分は今、愛しかない極限の世界に

立たせていただいていることを

一歩一歩踏みしめる登拝だったから。

 

 

弥山の山頂では

剣ヶ峰に向かって手を合わせて、

ボイスメモを再生して

大神の元へ母の願いを届けました。

 

すると俄かに雲が割れて

伯耆大山・弥山の頂きが顕わになると、

 

 

その雲間の空に

大神がその姿をお顕しくださいました。

 

 

僕の思う伯耆大山の大神のお姿は

まさに日本昔ばなしに出てくるような

こんな古の龍神さまなんです。(*´꒳`*)

 

「ちゃんと受け取ってくださったよ!!」

 

すぐにでも母に伝えたいような

嬉々とした氣持ちの中で、

こうして僕は友人たちと

登頂の歓びを分かち合ったのですが、

同時にそれまで頭にはなかった

ある言葉が浮かんできて

次第にそれは大きくなっていきました。

 

 

実感を伴わない

どこかフワフワとした感覚の中で

僕はその言葉が

意味するところを深く探りながら、

今ではすっかり友達となった

御神木との再会に歓喜して。(。˃ ᵕ ˂。)

 

 

 

大神山神社 奥宮では

登山の感動と

無事の下山に感謝を捧げて

今年の悲願だった伯耆大山登拝を

無事に終えることができました。

 

 

そして。

 

その日の夕方、

大山町に大きな虹が架かりました。

 

 

その虹を目にした時、

実感を伴わないフワフワとした

感覚は消えて、

弥山山頂で浮かんできた言葉が

僕の中で確信に変わりました。

 

 

大神の元へ

母の願いを届けたことで

タイムラインがシフトしたのだ、と。

 

10月15日、

奇しくも新月だったこの日。

 

たくさんの愛に囲まれて

ことのは家の新たな運命が動き始めました。

 

ZARD / 運命のルーレット廻して

 

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