約3ヶ月前、大好きで心から敬愛している大切な方が天国に旅立たれました。

 

 

 

 

この1年程、身近な存在の旅立ちが立て続けにあり、

「死」というものに向き合う月日でしたが、

 

 

この方とのお別れは私にとってあまりにも大きく、

「落ち込む」というのとも少し違うのですが、

 

寂しくて哀しくて

心のど真ん中に大きな穴がぽっかり開いてしまったような、大きな光を失ってしまったような感覚でした。

 

 

 

 

言葉にしたら自分が崩れてしまいそうで

また言葉にしてもこの大切な思いを表現できることなど到底叶わなそうでずっとずっとブログなどには書けないでおりました。

 

 

ブログに書かねばならないことでもありませんが、

それでも私の大切にする「言葉」として残しておきたいという気持ちはずっと心の中にありました。

 

 

先日、その方のご師匠である酒井淑恵さんがブログに認めてくださり私の中でも少しずつ言葉が紡がれていくのを感じました。

 

 

 

 

 

天埜紅子さん

私にとって師であり、同志であり、

大好きなお姉様のような存在であり、

生涯その背を追いたいと思う憧れで尊敬する女性です。

 

 

 

 

私のブログにも度々登場していただておりましたし、

満月の朝に開催しておりました「オンナのかたりば」には皆勤でご参加くださっておりましたので、存在をご存知の方もいらっしゃると思います。

 

 

 

私は紅子さんほどご自身の発されていることと体現されていることにブレがない方を身近な存在として未だかつて見たことがありません。

 

 

「美しく生きる」とはどういうことなのか、

紅子さんは身をもって、その全てを通して私に教えてくださいました。

 

 

 

そして「美しいとは何か?」ということを

私自身の中で再認識する機会を何度も何度もくださいました。

 

 

 

そのおかげで今、私の中で「美しい」とは何か、はっきりと掴むことができました。

だからこそこれからは「それは美しいのか?」と問うことで私の進むべき道を自分自身で選んでいける、そのように確信しています。

 

 

 

 

それは「正しいか否か?」ということの本質は「美しいかどうか?」ということなのだということ。

 

その振る舞いは美しいのか?と問うならば、私の中ではっきりと「YES」か「NO」は決まってくる。

 

そう問う時「わからない」が存在しないのです。

それほどに、私たちは「美しいこと」=この世界にとってよきことを心の奥の奥のところで知っていると思うのです。

 

※全文はこちらから

 

 

 

紅子さんと共に過ごさせていただいた4年間は神様が天使を私にお使しくださったのかな?と思えるほどに愛に溢れ、そして学びに溢れ、幸せに満ちた日々でした。

 

 

 

私はなぜ人間としてこの世に生まれ、

そしてこの世界で何をして生きていきたいのだろうか

 

 

そのような問いに対して、

ただただ「命を全力で燃やして、私という素材を真っ直ぐに使い精一杯生きたい!」と思っていた私は紅子さんと出会い、共に過ごす中で、具体的な志を持つようになりました。

 

 

 

美しく生きるとはどういうことか。

賢く生きるとはどういうことか。

優しさを持つとはどういうことか。

 

 

 

ことごとく、何度も考えさせられ

自分自身の中にしっかりと答えを持つことができました。

 

 

 

どこまでも美しく、強く、慈悲深く、

聡明で、清らかで、誠実で、

そして可愛らしい方でした。

 

 

 

紅子さんが旅立たれてからの毎日は

「では私はどう生きるのか」と日々自分に問い奮い立つ日もあれば

メソメソとしたり、どうにもこうにも寂しくなったりする日がやってきて、

 

 

ようやく言葉にしていますが、

空いた穴は塞がりそうもなく、寂しい気持ちはなくなりそうもありません。

 

 

寄せては返す波の動きは私たちの心と同じなのですね。

きっとこれからもこの寂しさを抱いたままで進み続けるのでしょう。

 

 

 

それでも貴女から受け取った美しいものを、

命あるものとして今度は私が体現していきたいと、そう心に誓います。

 

 

 

「お別れの会」でご主人様がご用意してくださったお土産

 

 

 

そして何よりも

心の底から素敵だと感じられて、

曇りなく尊敬できる

そのような方に出会えたことは私の人生の宝物です。

 

 

 

4年間の間に本当にたくさん時を共にさせていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

紅子さん、生まれてきてくださりありがとうございます。

神様、紅子さんという存在をこの世に授けてくださりありがとうございます。

命を生き切る、というお姿、お側で見届けさせていただきました。

 

 

 

 

紅子さんの大切にされていた「ニーバーの祈り」。

大木秀夫氏の訳文が特に大好きでいらっしゃいました。

 

 

 

 

 

 

大好きな紅子さん、

今生、お疲れさまでございました。

私も精一杯生きますのでお空で見ていてくださいね。

 

 

 

また逢える日まで。ごきげんよう。

 

 

森永 美陽