(1992/立花美乃里・三保みずえ訳、
評論社、2006.5.25)
ルーシー・M・ボストンの
生誕100年を記念して
『意地っぱりのおばかさん』(1979)と
『マナーハウスの思い出』(1973)という
生前に刊行された2つの自伝的作品を
書かれた内容に即して年代順に収録し
1冊にまとめた本を読み終えた
備忘的感想の続きです。
第1部として収録された
『意地っぱりのおばかさん』
についての記事はこちら。
第2部として収録されている
『マナーハウスの思い出』は
グリーン・ノウ・シリーズのモデルとなった
マナーハウス(荘園屋敷)に出会って
買い取ってからのことが書かれており
第2次大戦中のレコード・コンサートなど
音楽的関心からはこちらの方が
興味深い記述が満載です。
レコード・コンサートで
何がかけられたのかについては
前々回ご紹介した本に収録されている
鳥越けい子の論文によれば
「一九四一年十一月二十四日から
一九四四年一月十八日までの間に行われた
すべてのレコード・コンサートの
作曲家名、作品名、来場者名を記録した
貴重なノートがある」(p.391)とのこと。
鳥越は許可を得て
「その記録簿の全ページを
コピーして持ち帰」った(p.392)
とのことですけど
よくかかった作曲家名と
それが何回かかったか
ということが記されているだけで
曲名までは書かれていません。
来場者名はともかく
作曲家名と作品名のリストを
公表して欲しいと思うのは
自分だけではないはず。
それはともかく
作品を選ぶ場合は
ボストンの趣味だけで
選ばれたのではなくて
来場者からのリクエストもあったことが
『マナーハウスの思い出』を読むと
分かります。
ある夜、ベートーヴェンの晩年の四重奏が延々と流れているとき、一人の新顔の情熱がくじけて爆発した。「ねえ、奥さん、ヘンデルはないの? ヘンデルを聴かせてよ、早く」。私たちは、この次にかけると約束した。(三保みずえ訳。p.307)
鳥越けい子の記述によれば
ベートーヴェンが254回でトップ、
それに次いでバッハが190回
モーツァルトが150回で
ヘンデルはそのあとになり
95回かかったそうです。
ボストン自身は
ベートーヴェンが
ことのほかお気に入りだった
と考えられそうですね。
そしてヘンデルの95回が全て
《メサイア》からのアリアだった
という可能性も
なきにしもあらず。
もっとも
当時、どのような録音があったのか
ということにも左右されるはずで
SP盤をかけていた以上
そんなに長い曲はありえず
大曲のアリアだけという場合や
短いピアノ曲、弦楽曲の一部
というのが普通だったような気もします。
鳥越が分析するように
「主なレパートリーは、
ウィーン古典派の音楽と
バッハやパーセルに代表される
バロック音楽だった
ということができる」(p.392)
というふうに
簡単にいえるものかどうか
当時の録音状況なども踏まえて
もう少し分析が必要かと思います。
ちなみにパーセルは
34回かけられたそうですが
当方が関心のある
バロックでは他に何か
かかったのかについて
分からないのが残念。
なお
『メモリー』の304ページに
「蓄音機にレコードをおく著者」
というキャプション付きで
モノクロ写真が載ってますが
蓄音機の、特にスピーカーの
どデカさがよく分かる
興味深い写真でした。
音楽については他に
最終章でコリン・ティルニーの
チェンバロ演奏を聴いたことが
回想されています。
1960年末か1970年初めごろ
ハープシコード奏者の
メアリー・ポッツと出会い
友人になったそうですが
このポッツは教育者でもあって
生徒の中には
クリストファー・ホグウッドや
コリン・ティルニーがいたようです。
本書中には註がありませんけど
立項されているのを
見つけたほか
以下のような記事が
検索でヒットしました。
ノルウェー語版 Wikipedia の記事によれば
商業的なリリースはなかったようですが
BBCで演奏が放送されたようで
いずれ音源が見つかって
リリースされるかもしれません。
(もうリリースされてるかも)
それはともかく
ティルニーが演奏することになったのは
もちろんポッツの紹介で
ホグウッド
(邦訳書だと「ホッグウッド」)が
マナーハウスで弾きましょうか
とボストンに直接声をかけたのも
ポッツとの交流があったからでしょう。
ティルニーの来訪が
すでに決まっていたので
ホグウッドの申し出は
断らざるを得なかったようですが
うーん、実にもったいない
とか思っちゃいました。( ̄▽ ̄)
そのティルニーが
自らのチェンバロを携えて
妻子を連れてマナーハウスを訪れ
セッティングしたあと
3時間半ほどの演奏で
初めてフレスコバルディを聴いた
ということが書かれていますけど
ティルニーの演奏だけでなく
容貌の印象も含め
その記述はまさに絶賛の嵐です。
印象に残ったのは以下の記述で
ある曲を二回目に聴いても、それは最初のものと決して同じではない。それは、驚嘆という要素を失っているからだ。のちにそれは吸収され、所有され、繰り返し呼び起こされ、ついには主観的なものになってしまう――まったく正反対のものに。このことは、人とはじめて会うことにも当てはまる。(三保みずえ訳。p.440)
だったら
レコードを所有するということは
どういう意味があるのか
と思わないでもありませんけど
「まったく正反対のもの」になることが
それはそれで意味のあることなのだ
という含意があるというふうに
ここでは解釈しておきましょう。
息子ピーター・ボストンの「あとがき」には
亡くなる前の最後の三ヶ月
「もっぱら好きな音楽のテープを聴いて
過ごした」(p.448)と書かれています。
その際、ティルニーが
「彼の新しい演奏を吹き込んだ」
《平均律クラヴィーア曲集》のテープを
カナダから送ってきたそうですけど
他に、マーガレット・フォールトレスが
「枕元でヴァイオリンを弾いてくれた」
と書かれています。
マーガレット・フォールトレス
(他にフォルトレス、フォートレスとも
表記されます)とは
いったい誰だろうと思い
検索してみたら
トン・コープマン率いる
アムステルダム・バロック管弦楽団の
コンサート・マスターであることが
分かりました。
何を弾いたのか
気になるところですね。
音楽関連の記述では他に
レコード・コンサートの際
客に提供するお菓子を調達するため
ウェディング・ケーキが
特別に配給の決まりに縛られず
注文できることに着目して
毎週結婚式をあげた体で
注文していた時のこと。
ケーキの上には
想像上の新郎新婦のイニシャルを
アイシングしてもらっていたそうですが
ひとつあげられている例が
「A・T&K・F
(アントン・トスカニーニ/
カスリーン・フェリエ)」
訳注にもある通り
新婦の方は
コントラルト歌手の
キャスリーン・フェリアー
Kathleen Ferrier ですね。
今、一般的な表記は
上記のものかと思いますが
(フェリアと表記する場合もあり)
自分もペルゴレージなどで
フェリアーを聴いてなければ
フェリエって誰?
と思っていたところでした。( ̄▽ ̄)
上に貼った
当ブログの記事でも書いている通り
フェリアーは
バッハやヘンデルの
アリアの録音も残していますので
レコード・コンサートでそのどれかが
かけられたかもしれませんね。
『マナーハウスの思い出』は
創作への言及も多く
そちらに関心のある向きにも
興味深く読めるかと思います。
『グリーン・ノウのお客さま』(1961)が
カーネギー賞を授賞したときのエピソードは
当時のイギリスにおける児童文学が
どのように捉えられていたか
ということを偲ばせて
興味津々でした。
ジル・ペイトン・ウォルシュは
本書の序文で
ウィリアム・メインや
フィリパ・ピアス、そして
ローズマリー・サトクリフなどと共に
時代を画した作家だと
述べています。
はるか昔に読んだ
イギリスの児童文学史の解説で
神宮輝夫が同じようなことを
書いていたような記憶が蘇り
感慨深いものがありました。
その「はるか昔」には
ルーシー・M・ボストンの本を
1冊買ったくらいで
積ん読だったことを思うと
こんなふうに
自伝にまで手を出すことが
我ながら不思議でならず。
そのきっかけが
作中で描かれた仮面劇
というわけで
ルネサンス・バロック音楽に
興味関心がなければ
気にもとめず
スルーしていたでしょう。
本との出会いというのは
そういうものなんでしょうね。