(1992/立花美乃里・三保みずえ訳、
評論社、2006.5.25)
本書は
生誕100年を記念して
『意地っぱりのおばかさん』(1979)と
『マナーハウスの思い出』(1973)という
生前に刊行された2つの自伝的作品を
書かれた内容に即して年代順に収録し
1冊にまとめた本です。
ボストンが書き残していない時期
(結婚後、離婚してから
マナーハウスに出会うまで)および
晩年については
ボストンの本の挿絵画家でもある
息子のピーター・ボストンが簡単に補足し
ジル・ペイトン・ウォルシュが
序文を執筆しています。
前回ご紹介の
(国書刊行会、2022)にも
よく引かれていたので
1次資料として
目を通しておくべきかと思い
購入しました。
第1部として収録された
『意地っぱりのおばかさん』は
1982年に福音館書店から
邦訳が出てますが
その時と同じ訳者
(立花美乃里)によって
改訳されたものを収録しています。
同書は
幼少期と青年期の回想録で
両親や兄弟姉妹との関係
子どもの頃に受けた教育
第1次世界大戦時の
フランスにおける看護婦経験について
書かれています。
興味深くはあるものの
今回、自分の関心対象である
音楽関係の記述は少ないのが
ちょっと残念でした。
少ない記述の中でも
ケンブリッジ在学中の兄
ジェームズ(通称ジャス)の
下宿に身を寄せた時期における
次のような記述は
見逃すわけにはいきません。
ケンブリッジでは、ジャスはいつも私によくしてくれていた。学部学生のころは、ルーザム博士によるヘンデルの「セメレ」の初演、「魔笛」などの特別な音楽の催しにはすべて招待してくれた。それにキングズ学寮での「ロ短調ミサ曲」へも。これは音楽が持つ深い意味を悟らせるものだった。(立花美乃里訳/p.159)
ヘンデル《セメレ》初演
と書かれているのは
復活上演のことだと思いますが
それに関わった
ルーザム博士については不詳です。
このケンブリッジでの体験について
前回ご紹介の本に収録されている
鳥越けい子の論文
「ルーシー・ボストンが愛した
二つの音楽」には
全く言及されていません。
やっぱり1次資料には
目を通しておくものですね。
まあ、翻訳書ですから
厳密には1次資料とは
いえませんけれども。(^^;ゞ
その他に
これは自分の備忘のためにも
書いておくんですけど
オックスフォード大学に合格し
サマヴィル学寮に入った
という記述は見逃せません。
というのも
かのドロシー・L・セイヤーズが
いた学寮でもあるからです。
前回ご紹介した本に収録されている
菱田信彦の論文の冒頭に
「ボストンが生まれたのは一八九二年で、
ヴァージニア・ウルフより十歳下なだけ」
(p.131)と書かれていましたけど
ミステリ・ファンとしては
それをいうなら
アガサ・クリスティーより2歳下
ドロシー・L ・セイヤースの1歳上
といいたくなったり。( ̄▽ ̄)
そのうえに
サマーヴィル・カレッジですからね
これに盛り上がらずして
何に盛り上がれというのか。
もっとも
当時、女子のための大学は
2つしかなかったようですから
オックスフォードに入れば
2分の1の確率で
セイヤーズと同じ学寮に
入ることになったわけですけど。
あと、2箇所ほど
ジョージェット・ヘイヤーの名前も
出てきます。
ただしこれは
ヘイヤーの小説に
出てくる娘たちのような
とか
ヘイヤー流に描写するなら
というふうな言及で
おそらくはヘイヤーの歴史小説を
踏まえてのものでしょう。
ボストンは子どもの頃
はしかと猩紅熱の
合併症にかかったそうで
その回復期に与えられた本が
『不思議の国のアリス』(!)
それについて
以下のように書かれています。
教訓と無縁の最初の本、うっとりするようなよろこびだった。私はまだ一人で本が読めなかったので、忙しくしている乳母をつかまえては、読んでもらおうと、何度も何度もしつこくせがんだ。「こんなやくたいもない本が、どうして読みたいんでしょう」(p.55)
これには大ウケしたというか
さもありなん、という感じですね。
第2部として収録された
『マナーハウスの思い出』については
ちょっと長くなりそうなので
記事を改めることにします。
To be continued. . .