ご縁があって神戸市内の歴史ある印刷屋さんと親戚関係になりました。
神戸で100年以上続く老舗の印刷所で、ふと見ると倉庫に1台の自転車が佇んでいました。「時々は使うんだけど、さすがにもう古いから・・・」というその自転車はいわゆる「実用車」と呼ばれる初期のころの自転車、ロッドブレーキに26吋のBEタイヤを装着した骨太の業務車両です。 ただ、幾か所か残念な部分も見られ、長い年月に幾多の変遷もあったことが見られました。
神戸は1868年(慶応3年)に対外自由貿易港として開港しました。それに伴う様々な混乱は歴史にいろいろと記録されていますが、大坂でも大和でもない兵庫の「神戸村」が国際的な都市になったのはこのことによるものです。貿易に伴う経済の発展とともに、神戸も大きく発展しました。対外的な公用文書をはじめ、証明書や許可証など公書の需要がかつてないほどになったことに応じて「角丸印刷所」がはじめられたそうです。そしてその後も長くにわたり貿易、通関などの主要都市神戸の印刷所として繁栄をしてきたそうです。創業1900年(明治33)年、今年で123年を迎えるといことになります。
おそらく50年ほど使われてきたであろうこの自転車は、基本部分はしっかりとした造りのままでありながら、各部にふさわしくない対症整備も行われてきたようです。すでに何年も前の時点で「もう部品がない」「整備技術がない」などの理由で施されたであろう場当たり的な整備作業の跡が見られます。それら以外には整備不足や自然消耗による機能低下も見られます。さらにこれは仕方がないことですが経年的な劣化や損傷も見られます。すでに「印刷所」としての業務使用は大幅に減ってこの個体をさらに大切に長く使うという意義がないためやむを得ない状況でしょう。
しかし、印刷所の長い歴史やその半分近くの長い年月をこの印刷所で業務に使われていた車両、という歴史を考えた際にこのままお手上げになったらおしまい、ということは非常に残念に感じられます。すでに現時点で部品の調達が不可能かもしれませんが、できる限り「当時」の機能・性能、そして役割を取り戻すための自転車の整備をさせていただくことにしました。
まず、多くの自転車がそうであるように「壊れるまでは整備しない」が50年という年月だったとすれば年数に伴う機能低下は避けられないものでしょう。幸い「運搬業」ではなく、主業務に伴う配達や納品といった軽微な使用だったようですから年数のわりには損傷、消耗は少ないはずです。そして壊れた箇所を修理された場合も、入手可能な部品や技術でおこなわざるを得なかった、ことによる不適合な部品が装着されているようです。
整備の必要箇所を挙げていきます。
・フレーム自体には塗装の損傷を除いて問題はなさそうです。ただし、ヘッドベアリング、BBベアリングは状態を見て整備をすべきでしょう。
・ホイール。こちらもベアリングの整備が必要でしょう。リムの錆はあるものの変形や問題はなさそうです。装着されたBEタイヤの摩耗はすぐに交換しなければという状態でもなさそうです。 しかし、スポークの錆はかなり酷いものです。
・ハンドル回り。この車種の大きな特徴となっているロッドブレーキですが、すでに部品供給がなくなっている状況の中でどれだけ十分な機能状態にまで整備しきれるか、でしょう。
・チェーン、スプロケット、クランクは開けてみて見ないことには何ともいえません。
・サドル。機能的にはスポンジサドルでも良いのですが、可能であれば長持ちする上に身体に合っていくオリジナルな「革」が良いでしょう。あれば、ですが。
・ペダル 安直なプラスチック製、が装着されてしまっています
・ブレーキシュー。消耗していてそれが原因で効きが悪くなっています。ロッド類は修正/整備して使用できるでしょうか。
・ベル、ライト、反射器 機能はしていますが・・・
・泥除け 衝突などによる損傷も見られますし、不適正なスタンドの取り付けによって変形してしまっているようです。
・両の立スタンド 簡易な物に代わってしまっていますが、寸法的に適合していません。それによってアルミの泥除けが変形してしまっています。
・必要性から取り付けられたいる「鍵」ですが、タイヤ太さや泥除けを含めた径に対応しておらず、泥除けを変形させてしまって、しかも十分に機能していません。
美観再生(世間でいうレストア)でなければ基本的には機能的な整備(分解・給脂・調整)と不適合部品の交換だけで満足のいく状態にはできそうです。ただ、サドルが懸案事項です。入手できる英国メーカー製の金額は躊躇するものです。かといって国内メーカーはとっくに製造を終了しています。
消耗品の手配もできるだろう、と安易に判断して作業に取り掛かります。何はともあれ、フレームからすべての部を取り外していきます。50年分の埃、脂、汚れの堆積が出てきますが、無事にフレーム単体にまでできました。絶望的な錆や損傷は見られず、これをきれいに掃除して、再び取り外した部品を組み戻していきます。ベアリング類はチェックして再利用できそうであれば洗浄して戻してゆきます。ブレーキパーツやハンドル回りなど機能部品とはいえ、正しく作動するためにも徹底的に磨いてめっきを艶出しておきます。ロッドは丁寧に曲がりなどを修正すれば問題なさそうです。ところがブレーキシューはメーカーが製造終了しているようで見つけることができません。取引のある問屋さんでもないようです。これには困ったので意を決して地元の老舗自転車店へお願いしてあみたところ、数日後に「あったよ♪」とどうにかして見つけてくださいました。さすがにそういったネットワークには感謝するばかりです。スタンド、ですが現時点で装着されていものはフレーム(チェンステイ幅)に合っていないものを無理に削って装着されているもので、これは交換を要します。幸いインダストリーがかろうじて?まだ製造・供給をされている様ですので実用車用を手配します。セーフ♪リンエイ製の鉄箱も製造終了ですがこれは軽く色を塗ってカッティングシートで看板文字を入れておきます。ライト、ダイナモは最新機能(LED)で外観それっぽい、が入手できます。入手できるだろう、と安心していたBEタイヤですが発注して届いたものはすっかり中国製のものに変わってしまっていました。トレッドパターンも肉厚も別物でがっかりです。しかも「耳」の部分が異常に大掛かりな構造でこれをリム内にきれいに収めるには通常のBEタイヤでもてこずるのにさらに困難なものになってしまっています。この点を見ても実用車の将来はかなり厳しそうです。そして、問題のサドルです。実はこれも大陸性のノーブランドの雰囲気商品は比較的安価で手に入ります。しかし乗り手にとっては大切な部分でもあり、造りのノウハウで大きく影響される箇所ですので安直に手をだせません。中古も含めて探してみた結果、カシマ製の比較的使用の少ないものが適価で見つかりました。しかし、届いてみてから重要なレール部品が一部欠品していたのです。ああ、イチから探しなおしか?と思いましたが製造のカシマサドルのHPに旧革サドルのベースパーツのみの供給があることを見つけ、これを求めて万事休止。ホイールはハブのオーバーホールは当然としても、リムを磨いてそのまま終了と考えていたのですが、スポークの錆が思いのほかひどく、部品価格を見ると1台分で1000円ちょっと、二度と整備されることはないだろうと考えるとこの際スポークの全交換をしてくことにしました。
以上の作業をすべて済ませ、フレームも軽く艶出し磨きをして完成。まあまあオリジナルに近い状態で、そして機能的にはほぼベストな状態に復活することができました。
「試運転」という名目で、神戸の港町を回ってみることにします。重厚な変速機構を持たない車両ですので坂道は苦手ですが、街中の平坦な道は思ったほどでもなくすいすいと軽快に走ってくれます。転がりがよく進む、というと手前味噌になってしまいますが、タイヤサイズとギヤ比、フレームの剛性/しなりが程よくバランスしているのでしょうか。神戸開港155年ははるか昔でも、神戸が貿易輸出入の拠点として栄えていた時を想い忍びながら、当時に活躍した印刷所自転車であたりを散策してみます。海岸通、税関関連施設、世界各国からの船員でにぎわったであろう元ドヤ街・・・ おそらく当時もこの速度で走るこの自転車が一番しっくりと来ていたはずです。