行ってみたい世界遺産は?

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こんにちは。
アレテーを求めて~
今日もトコトコ( ・ω・)
弁護士の岡本卓大です。
 
【くつろぎパンダ】
 
川越の氷川神社裏の河川敷に行ってみましたが、
残念ながらまだ桜は咲いていませんでした。
そろそろ咲くかな( ・ω・)?
 
さて、今日は、シルクロードの日だそうです。
シルクロードというと、私の小学校のときの修学旅行が
大阪・奈良・京都で、奈良でちょうど、シルクロード博というのをやっていましたね。
奈良の正倉院は、シルクロードの東の終着点。
車も列車もない時代に、広大なユーラシア大陸の東西を旅したシルクロードの旅人たちは
すごいと思います( ・ω・)
 
行ってみたい世界遺産はたくさんありますねぇ。
中国の万里の長城とかインドのタージ・マハルなんかは写真じゃなくて実物を見てみたいですねぇ。
世界遺産を巡る世界旅行とかできたら、楽しそうですね( ・ω・)
 
(雑学ネタ帳から引用)

1900年(明治33年)のこの日、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家のスヴェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭(ろうらん)が発見された。

都市国家・楼蘭は、中央アジア・タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部に、かつて存在した塩湖で「さまよえる湖」として知られるロプノールの西岸に位置した。シルクロードの要衝として栄えたが、4世紀頃からロプノールが干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれた。

「シルクロード」(絹の道)とは、古代の中国と西洋を結んだ歴史的な交易路を指す呼称である。絹が中国側の最も重要な交易品であり、この道を通って西方に運ばれたことから名付けられた。

 

シルクロード
シルクロード
画像元:Wikipedia

 

ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとしてシルクロードの名称を用い、これが1938年(昭和13年)に『The Silk Road』の題名で英訳されたことで、その名前が広く知られるようになった。

ユーラシア大陸の東西交流史において重要な役割を果たしたシルクロードは、その一部が2014年(平成26年)に初めて「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録された。

(引用終わり)

 

さて、シルクロードといえば、

神武征討記の最新シリーズでもその名が登場しています。

本日の記事紹介。

神武征討記( ・ω・)

第3部 神武東征・退魔大戦編

1【大異変・旅立ちの章】

第65話「開かれたパンドラの箱!蘇る異国の魔王たち!」

 

第66話「これってイジメ!?オオモノヌシ 対 7大魔王!」

 

第67話「日本沈没!?残酷なる7大魔王の封印!」

 

第68話「神様の声!八咫鏡と伊勢神宮!」

 

第69話「スケヨリヒメ一行、京都へ!激戦地の死闘!」

 

第70話「神武一行、出雲大社へ!スサノオの贈り物!?」

 

 

シルクロードを旅するには、現代は各国の政情が不安定ですが、

シルクロード巡りを楽しめるような平和な世界になってほしいものですね。

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

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