以前も記事に書いた、
中島岳志先生の「思いがけず利他」という著書の中で、
ヒンディー語の
与格構文というものが出てきます。
それが、
感謝の気持ちが上手く持てないとか、
自分の感情が良く分からないとか、
無条件の愛が良く分からないとか、
そういう悩みのすごいヒントになるので、
ご紹介したいと思います。
以下、著書の抜粋です。
例えば、私は嬉しいという場合ヒンディー語では、私に嬉しさが止まっている、という言い方をします。
風邪をひいたも同様で、私に風邪が留まっている、という言い方をします。
この、「~に」で始める構文を与格構文と言います。
自分の意思や力が及ばない現象については、与格を使って表現します。
要は自分の行為や感情が不可抗力によって作動する場合、ヒンディー語では与格を使うのです。
ヒンディー語、面白いなーーーと率直に思いました。
感謝の気持ちも、与格ですよね。
どおりでそれ自体を直接悩んでもしょうがないわけです。
著書の抜粋の続きです。
感情は、意志が所有しているものではありません。
利他的になるためには、器のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要であると思います。
与格的な境地に達した人たちであり、そこに現れた自分への懐疑こそ、利他の世界を開く第一歩ではないかと考えます。
ほんとうにその通りだなーーーと思いました。
英語の「I」の考え方ばかり学んでいると
「全部自分かーー」
と思ってしまいますが、実はそうではなく、
逆にそれだけだと行き詰るわけです。
そう思うと、日本語にも微妙に与格的な、
あいまいな表現などもあったりして、
意外とそういうの悪くないのかなと思います。
こういう与格的なものが
あいまいと言われたり軽視されたりする背景には
行き過ぎた自己責任論的社会があるとわたしも思います。
戦地に行って殺されるのは自己責任。
危険なところに行って命を落とすのも自己責任。
自業自得。
自分のことは自分で。
そう言われると、自分も子どもに
「出した人が自分で片づけてください」
「出した人が責任を持って全部食べてください」
なんてよく言っている気がします。
それは何かというと、
家庭からも社会からもそういう言葉を
多く聞いて育ったからです。
自分自身、自分でやらねばという
自己責任的思考が強いので、
自分の意志でがんばりすぎている分、
中島先生のいう与格的なものが入り込む隙がないのでしょう。
自分で頑張るのもいいけど、
やって来るものをキャッチする力をもっと磨きたいものです。
1回目:2023年1月22日(日)
【時間】
午前中(3時間程度)
【受講料】
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ママである。
ただそれだけで、
あなたはすばらしい。