宮崎正弘氏のメルマガを中心にblogを構成してきました。しかし、AI(人工知能)についてだけは違和感を覚えていました。そんな疑問を多少解消してくれたかなというのが、今回の「マスコミでは言えないこと」だと思いました。
マスコミでは言えないこと
https://archives.mag2.com/0000125990/
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■【超訳】渋沢栄一伝、安倍晋三は「リベラル」だった
新紙幣が発表され、1万円札の肖像に選ばれたのは「渋沢栄一」。
埼玉県深谷市生まれで、映画「跳んで埼玉も」大ヒットしており、空前の「埼玉ブーム」がやってくるやもしれません。
ところが、発表後、渋沢栄一を知らないというテレビコメンテーターは多く、ややもすれば呆れもしましたが、ツイッターのフォロワーさんでも「しらない」という声を多数いただきました。
かく言う、私も彼を学んだのは四十を手前にしてから。
もちろん、名前は知っていましたが、その触れる名前の多さから「知っているつもり」になっていたことに気づいてからのこと。
とりわけ、「戦中戦前は暗黒」という日教組&GHP史観によれば、無知蒙昧と絶望が支配したはずの、その歴史のなかに、わずかに漏れる光に目をやると、渋沢栄一の名前に触れることが異常に多いからです。
例えば、いまの「みずほ銀行」の大元になった銀行の設立や、東京ガスに、王子製紙、東京証券取引所にキリン麦酒などなど、果ては時事通信や共同通信が生まれる起点をつくったのも渋沢翁。
これだけの人物ならば、三井三菱のような「財閥」になっていてもおかしくないはずなのに、いまでいう資産管理会社があるくらい。
幾つかの「評伝」を辿ったのが十年ほど前。正確な日時ではありませんが、歴史というのは、新資料から書き換えられることが多々あることは、二十世紀になってから読み込んだ「司馬遼太郎」から
も明らか。そこで、当時の文庫本化も含めた「新刊」を漁っております。そして手元にある各種書籍の奥付が、平成二十年ごろ。
余談ながら、あらたな史実を前にしたとき、史実に謙虚になればなるほど「歴史修正主義」になるのは、当たり前のこと。この言葉をもとに、安倍晋三首相や、右派やもとより保守を攻撃する、左派はどうやら現実が見えないようで、それが彼らの退潮に繋がっているのでしょう。
話を「評伝」に戻れば、いまは分かりませんが、当時は点数が少なく苦労した記憶があります。それは、そのまま、渋沢翁の履歴に接続します。
渋沢栄一は、いまの埼玉県深谷市に生まれます。
「実家は豪商だった」と、さらっと4月10日のテレビ朝日「モーニングショー」に出演した、歴史学者の本郷和人氏は紹介しますが、私の知る限り、それは渋沢栄一の御尊父が、中興の祖的に家業をもり立てて財を成したからです。
すなわちいまでいう「ベンチャー」の家に育っております。
また、深谷市とは、江戸から9番目の宿場町で、大名や公卿・幕府役人の宿泊休憩施設の「本陣」があった、伊勢崎ともわずかな距離の、つまりは交通の要所。
ここが重要。
だから、彼が14才のころ、父親が不在の代理として、染料となる「藍玉」の仕入れをし、そして「商い」を経験していきます。生まれながらの富裕な豪農の坊ちゃんなら、こうはならないでしょう
し、人が集まるところには情報が集まります。
ただの頭でっかちが生き残るほど、甘い世界ではないのが人間の生きる現実です。暴力、絶対ダメ、の現代ではありません。
腕っ節の強さというのも「たしなみ」だった時代、渋沢は剣術を学び、後に江戸にでて、北辰一刀流の千葉栄次郎の道場にも通ったとウィキペディアにあります。
ウィキにはここで「勤王の志士」との交流とありますが、彼の生まれ落ちた深谷市には、流れ落ちた、あるいは「同士」を求めた志士らが集まったことも、「義挙」への決意に繋がったことでしょう。
渋沢栄一は、日本国を守るためにと、高崎城を奪い兵をあつめ、集めた兵と共に横浜に進軍し、外国人を追い払おうとします。
京都に行き「現実」を見てきた従兄弟の説得により断念しますが、父親に勘当を願い出ていた身ということもあり、志士のメッカであった京都を目指すため、可愛がられていた一橋慶喜の家来さんの、その家来のような立場を与えられます。
上方にのぼってしばらくすると、一橋慶喜さんは、徳川最後の十五代将軍となり、気がつけば将軍様のご家来に(ざっくりといって)。
パリで万国博覧会が開かれるということで、将軍さまも人をだすこととなり、異母弟で、後の身と徳川家の11代当主が派遣されることになったのですが、水戸家と言えば「攘夷!」の家風で、家臣もそんな感じ。
そして、渋沢に白羽の矢が刺さり、気がつけばパリ。そこで銀行制度など学んでいたら、徳川幕府がなくなちゃった。
新政府から帰国命令がでて、一大名になり静岡藩にいた徳川慶喜のもとで商売でもやるかと思っていたら、ざっくりといえば「出張旅費」をきっちりと、書面と共に清算するなど、評判が評判を呼び新政府に呼ばれもします。
ただし、根っからの商売人のせがれからか、どうにも宮仕えは肌にあわなかったよで、すぐに民間人となり、そこからは時代の要請に応える形で、先にあげた会社の立ち上げに関わっていきます。
新政府といえばいわゆる「薩長土肥」の、薩摩・長州に、土佐に肥前の、旧4藩が仕切っていたと言われ、いまも、長州の流れを汲む安倍首相に代表されるように、その「支配」が続いていると陰謀
論が好きな人は広言します。
それでは渋沢栄一はといえば武蔵国。どこにも属さず、官僚でも政治家でもない、どころか後に子爵を賜りますが農家の出身の商売人。さらには「徳川の身内」。あえていうなら、いわば明治以降の「支配者の系譜」から見事に外れた人物。
「評伝」が少ない理由はここにあるのかもしれません。
多少強引ながらも、こんな経歴で、また「財閥」にならなかったのも、育った会社を次々と手放していったから。つまり、いまの時代の、とりわけ「リベラル」を自称するのならば、これほど新しいお札の肖像として適している人物はいない、と私は考えます。
しかし、これに「ひとくさり」いれるのが、玉川徹テレビ朝日社員テレビ朝日社員。
《あのー要するに安倍・麻生新紙幣ってことで渋沢さんを選んだんであれば、今の日本ていうのを考えたときに、もう、日本ていうのはこの平成の三十年間で国際的な地位が、だだ下がりなんですよ。だから、日本素晴らしい、日本美しいじゃなくって、世界からは相当おくれている国になっているっていうのが現状認識で、正しいはずなんですね。で、変えなきゃいけないこといっぱいあって、この三十年間で少子化って言うのも、もう三十年前から分かっていたのに、いまだに手が打てていないんですね。だとしたら、海外の色々な、要するに正解は海外にあるんですよ。そういう風なものを日本に取り入れて、もう一度、日本を世界に冠たる国にするっていうことに活かす、その為の渋沢栄一だっていうのなら大賛成です。》
ほば、発言そのまま。
まず、安倍・麻生新紙幣とは、下関と北九州を結ぶ、塚田一郎前国交副大臣の「忖度」で注目を集めた道路を、「安倍・麻生道路」とレッテルを貼った日本共産党と同じ発想なのは、思想が通じるからでしょうか。
いくつもの間違いがありますが、まず、平成で下がった国際的地位の論拠が一切示されていません。GDPは中国に抜かれましたが、2位が3位になったことを「だだ下がり」とは間違い。
確かに「国防費」においては、いまや韓国に並ばれ、徴兵制を敷く韓国は人件費が安いので、実際的に自衛隊の防衛力を、金銭面で抜かれつつありますが、ならば、それを明示すべきでしょう。
また、日本は美しいということも、否定していますが、この「モーニングショー」で、この玉川徹テレビ朝日社員も出演していた放送で、
「日本のサクラを楽しみに来る外国人が沢山やってくる」
と伝えていた。彼ら外国人は、美しくない日本を見に来ているというのでしょうか。
海外にある正解が、日本の正解とは限りませんし、少子化への危惧は四十年前からの話。また、先進国において少子化と無縁となっているのは「移民政策」をとっている国。
そもそも、渋沢翁のやったことは、海外の制度のまるまるの輸入ではありません。
むしろ、こんな珍説が公共の電波で垂れ流されていることこそ、日本の国力を落としている、そういっても過言では無いのは、ネット番組「文化人放送局」の「【生田のいくバズ】光吉の人工知能ス
ペシャル!」に明らか。
東京大学、道徳感情数理工学特任准教授、光吉俊二さんは、人口感情、人工自我のエキスパートで、あの「ペッパー君」に感情を与えた人物。
彼は番組の中で、大要、以下のような指摘をします。
・人工知能はまだ発明されていない
・いまの「人工知能」は古く使い古されたロジック
・コンピュータの処理速度の向上で、そのロジックが実現できただけ
・その「人工知能」を有り難がって喧伝している奴らがいる
・その方が研究費を含めて金になるから
・すでにアメリカで研究尽くされているものを、日本の大学でやる
意味が無い
私の「人工知能」の見解とまったく同じ。かつて呼ばれた「チャンネル桜」で、宮崎正弘先生のご意見に真っ向から反対した理由。
技術が多少でもわかり、論理的に考えることができれば、いまの人工知能がいかに「まやかし」であるかは簡単にわかること。
一方、光吉俊二さんは「言葉から感情を読みとる」ことを考えます。それは悲しい児童虐待をみて、しかし、当事者は被害者とてウソをつく、それを「言葉」から読み取れれば、悲劇を防げるのでは
ないかという、人間への愛を出発点とします。
もともとは彫刻家で、医療も研究していたという経歴にも唸ります。技術へのアプローチは、技術からだけでは息詰まることが多いのは、技術はすでに使い古されたもの、とりわけ、技術に親しめば親しむほど、固定観念に支配されてしまいます。
それを証明するかのように、海外の人工知能研究者は、哲学者など、別の側面を持っているものです。
さらに国内の「人工知能の第一人者」を名乗る連中のほぼすべてが、すでにある「人工知能」とやらの啓蒙家であり、宣伝屋といっても良いでしょう。
ハッキリ言って、彼らは商売人でありタレントで、技術者でも研究者でもありません。少なくとも「人工知能」と、ためらいもなく語るものは、そうと断じて良いでしょう。
なぜなら、「知能とは何か」の定義が、まだ不明確なのですから。すなわちそれは「人間とは何か」といっても良いでしょう。
光吉俊二さんの素晴らしいところは、そこから「感情」や「倫理観」に限定して研究し、それを証明して見せているところにあります。
だから、社名は控えましたが、彼のところには名だたる企業が足繁く通っているといいます。
つまり、かぎかっこつきの「人工知能」に限るならば、その正解は海外になく「日本」にあるのです。
そして新紙幣と絡めるなら、3年ほど前から日経新聞を筆頭に大騒ぎしていた「フィンテック」という言葉を、いま耳にしなくなっている理由は簡単。
日本が最先端だから。
PASMO、おサイフケータイ、コンビニATMにしても、金融と工学の組み合わせにおいて、日本が世界に遅れていると判定する理由を探すのは困難です。
もちろん、すべてにおいて、日本が勝っているわけではありません。それは同時に、玉川徹テレビ朝日社員が言い垂れるように、すべての答えが海外にあるわけではないということです。
渋沢栄一を安倍・麻生が選んだこと。
そこにメッセージを求めるなら、薩長土肥の「維新閥」ではなく、「武士」でもなければ「財閥」にもならなかった農民出身の商人こそが、来たるべき時代の「顔」だということ。
超絶、リベラルやんけ、というお話し。
安倍さんって、世界標準でみれば「リベラル」なんですよね。
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光吉俊二氏のWikipediaを眺めたけど、理解不能だった。彼が在籍したスタンフォード大学の研究所の運営は確か日本人であったと記憶しています。感情とか感性とかを研究してたかなぁ。西洋人には持ち得ないモノを研究するのが、我が日本人であると感心しながら、何処かのテレビを眺めていたと記憶しています。
一般人(僕も含めて)に理解しやすい形(言葉)はまだまだ先の言葉だとは思いますが、一定の成果をあげてるんじゃないかと思っています。
自然の音を聴き分ける能力を持つのは多分日本語で育った人間だけではないかとも僕は考えています。梢の葉の音と小川のせせらぎを聴き分けるのは?どちらも日本語の擬態語では「サラサラ」かと思うけど、目隠しして聴き分けるのは日本語育ちだろう。
同様に「人工知能」の定義付けは曖昧と混沌を何の疑問も矛盾も感じず平静で居られる日本語育ちの人種だけが開発するのではないかと考えています。