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ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります

 「ただより高いものはない」と思いませんが、「ただほど怖いものはない」と思うことがあります。

 

 

 さて、日本の飲食店で出されるお水やおしぼり、自分は小さい頃から違和感と疑問を持っています。

 

 無料はあり得ないこと、水道代、冷蔵庫の電気代、運ぶ人、コップを洗う水などの全てに費用が発生します。

 

 無料であれば、それらに関わる費用はお店の仕入や光熱費に含まれていないのでしょうか?そんな訳ありませんね。

 

 

 お水やおしぼりを有料にしたら「ここは金を取るんだ」と思うお客さんが少なくないと思います。

 

 そう言われたないためにお店は食べ物の価格に水やおしぼりの費用を入れてしまえばいいのか?それは違うと思います。

 


 

 相手に気付かれない配慮を"おもてなし"と考えますが、おもてなしの一部が限界に達していることを先日も垣間見ました☆

 日曜日の夜になれば明日から仕事かぁー、水曜日にはもう水曜日?、そして金曜日はもう今週終わり?な1週間です。

 

 そんな1週間を繰り返していれば、数年なんてあっという間に経ってしまいますね。

 

 

 さて、住む場所と国も変え、仕事を変えて、勤務地を変え、仕事を変えずに雇われ先も変えてきました。

 

 そんな半生、自分が自分らしくいられる環境を探し求めた手段であって結果ではありません。

 

 戦略、戦術、戦力、戦果…人生にそこまで考える必要性があるのか、ま、どーでもよくて少しでも楽しければいいんです。

 

 

 何か物を買えばサラリーマン現役で最後の買い物、物によっては人生の最後まで使う年齢になりました。

 

 そんな物選びに限らず、毎日の生き方への向き合い方も新しい思考に変わりつつある最近の自分です。

 


 

 来るもの拒まず去るもの追わず、嫌や不都合も楽しみたい思考となり、人を含めて邪魔は抹殺し、もっと身軽になりたいです☆

 「世界で一つだけの花」が流行ったのは今から20年くらい前、自分が30歳くらいだったと思います。

 

 いい歌だなぁ、それにスマップだし、聴けば聴くほどに自分も励まされている気がしてCDを買った記憶です。

 

 繰り返し聴く内に歌詞に違和感を感じはじめ、そんな理由から聴くのをやめてしまいました。

 

 

 その歌詞の違和感とは「ナンバーワンにならなくていい、もっともっと特別なオンリーワン」の歌詞でした。

 

 オンリーワンとは事実上ナンバーワン、ナンバーワンになれる才能、資質や素養のある人が言う言葉でしょ?と思いました。

 

 ナンバーワンになれることが何一つない自分、だから妥協、諦めや逃げた状態をオンリーワンと理解したくない心境でした。

 

 

 歌の歌詞に限らず、人に物事を伝えることは本当に難しいですね、誰目線でいつ誰に何を言うのか、時と場合…。

 

 たくさんの人がこの歌に救われていると思いますが、その一方で自分のように違和感を感じる人が少なからずいるはずです。

 


 

 例えば苦しいこと、逃げても逃げられないし、さらに悪化することも、結局は苦しいことでも楽しもうとする思考ですね☆

 20代後半にたまたまTVドラマで見た大沢たかおが沢木耕太郎の「深夜特急」に今も感化され続けています。

 

 その頃から自分の旅先は「深夜特急」の足跡をたどり、現地でする簡単なサインは漢字で沢木と書いています。

 

 

 旅をする度に将来は東南アジアに暮らしたいと漠然と思い、今では東南アジア生活10年を過ぎました。

 

 引退を機に物事をはじめるのは難しいので現役中にお試し!それで東南アジア生活なのでしょう。

 

 もう自分には東南アジア生活は十分、将来は1年に数ヶ月間を過ごす程度が最適だと思います。

 

 

 引退してやりたかったことの一つに大沢が沢木の「深夜特急」の経路と方法で長旅があります。

 

 目的地のロンドン中央郵便局へ行き、そして自分なりの「深夜特急」を完結させたいです。

 

 体力的、精神的にも「深夜特急」な長旅を続ける自信がなくなりかけているので早く出発したいです。

 


 

 以前は旅することに好奇心、さらに高揚感までありましたが、、、急がないと旅は終わらない☆

 騙されているのか、呪縛なのか、支配なのか、政策や国策なのか…と思うことが、おやじになってから増えています。

 

 それが何かと言えば、自分のような勤労者の思考と行動、そして生き方です。

 

 学校ではお金のことを教えてくれないと言われ、勤労者を支配する手段の一つと考えます。

 

 勤労者の投資とは自分が働くことであり、資本家のように投資をしても成功しないようになっている仕組みではないでしょうか。

 

 

 さて、日本の学校教育は工場や工事での現場の担い手を育てる目的があると思います。

 

 それを自分は否定しません、高度経済成長期の前から最も必要とされる人材のはずです。

 

 例えば学校でチャイムが鳴って席に着くは職場ではベルで持ち場に就く、先生の言うことを聞くは上長に従うことになります。

 

 

 奴隷の支配方法は手錠など様々ですが、そんな物理的ではなく心など精神的な支配が重要と聞きます。

 

 もめ事や争いを意図的に奴隷内に誘導し、奴隷と奴隷主が直接対立しないようにしていると聞いたことがあります。

 

 塀の外(=転職)へ逃げても獣に襲われる、今より環境が悪くなるかも…だったらここにいたほうが…。

 


 

 大昔、昔も今も政治、経済や社会の仕組み、人間関係だって大して変わってないですね☆

 「N産自動車だけじゃないよ(他だって同じような状況下)」、それが自動車産業に関わる人達の意見や認識だと思います。

 

 日本の基幹産業の自動車産業が本格的に揺らぎはじめていること、そのことに誰もが気づきはじめている時代です。

 

 

 さて、職種、会社や地域で働くより、業界と成長市場に働くことを最優先してきた自分です。

 

 ま、自分のようなやつが東南アジアにいることは必然ですね。

 

 東南アジアの自動車産業や重工業は試練か我慢の周期に入った気がし、その要因の一つが人口ボーナスの終わりだと思います。

 

 

 事業と経営はできるはずがなく、営業しかできない勤労者の自分、そんな働き方も通用しなくなっているのが現実です。

 

 「物事は概ね30年周期、失われた平成30年の後は良くなるしかないでしょう」と自分はよく言います。

 

 でも、実際は繁栄の後は停滞、その後は衰退と歴史からも理解していて、平成は停滞、令和は衰退と考えています。

 


 

 今までは半信半疑や他人事のように考えていた衰退にいよいよ自分もどっぷり関わりそうな様相です。

 

 何事にも逆らわず、そして受け入れずに受け流すことが50代の自分らしい生き方として最適な気がしてきました☆

 日本を飛び出して働きたい人から自分が日本の税金、保険、年金をどうしているか聞かれることがたまにあります。

 

 もちろん、わかる範囲で答えますが、下調べなく聞く人は新興国でも働くことに基本的に向いていない気がします。

 

 自分の今のベトナム生活は8年が過ぎ、海外生活は3ヶ国目で計13、4年になっています。

 

 

 さて、例えばベトナムの所得税、日本の給料もベトナムの法律で計算されてベトナムに納めます。

 

 家賃は収入に加算され所得税が課税され、他には医療+年金なベトナム社会保険料も納めています。

 

 控除や二重課税排除など色々とあり、それらを個人で全て理解するのは難しいと考えます。

 

 

 日本の社会保険、年金や税金などは日本の給料から天引き、身寄りのない自分でも特に問題ありません。

 


 

 日本を飛び出して新興国で働くことに自分は概ね賛成し、その理由は「たいていの人は変われない、だったら環境を変えるしかない」と思うからです☆

 ここ5、6年は直接知る知人友人の定年退職が増え、当たり前ですが自分だって若くありません。

 

 地域で知られる企業の上級管理職、大企業で管理職の経験と実績のある先輩達がいますが、それらは再就職にほとんど関係ないそうです。

 

 「タケチヨさん、60や65過ぎたジジィの世間での扱われ方なんてそんなもんだよ」と聞きました。

 

 

 さて、あれだけ早期引退を言っておいていまだに実行できていない自分、相変わらずやるやる詐欺です。

 

 自分の早期引退の目的は心身が本格的に衰える前にやりたかったことをやり、その後は復帰して生涯現役でいたいからです。

 

 夢や希望を叶えるためには超長期休暇が必要で、その手段としてサラリーマン人生の早期引退≒計画的一時無職です。

 

 

 サラリーマンから早期引退で一気に無職になるのは危険、と言うか無知や無謀と最近は考えるようになりました。

 

 退職後の税金、公的な年金や健康保険料などを調整するために退職前提の転職、場合によっては海外居住など非合法的ではない減額や納付回避…も考えないと!です。

 


 

 サラリーマン定年後の継続雇用は無職になるための心身の準備期間でもあり、サラリーマンの雇用の仕組みはよくできていますね☆

 

 3月下旬からピックルボールを週2回くらいでやり始め、5月に入ってからは順調に体重と体脂肪率が下がっています。

 

 思った以上に高い運動負荷のピックル、やり方にもよりますが消費カロリーは15分間で100㎉くらいな気がします。

 

 自分の他の趣味の自転車やウォーキングにはない相手がいる運動の楽しさをピックルで改めて感じています。

 

 

 さて、30代後半から病院の肥満外来に不定期で通い、その指導で中・高い負荷のスポーツは控えるようによく言われます。

 

 そんな運動は早い体重減を期待できますが、負荷の中・高いスポーツはたいてい続かず、やめたらすぐに太るそうです。

 


 

 ピックルの日は外食しない、終わった後は疲れで固形分を食べたくない…そんな相互作用で減量と健康維持に役立っています☆

 レタントン通りにあることから「レタントン」と呼ばれるようになったと聞くホーチミンシティ1区の日本人街です。

 

 ここ数年はその日本人街に外国人が増え(実際は日本人客が減った模様)、リトルトーキョーやジャパンタウンな雰囲気です。

 

 コロナ後の特徴として、主に日本人の殿方が二次会や三次会で利用するバーのお客さんがめっきり減っています。

 

 

 さて、そんなバーで「最近お客さん少ない、なんでかな?」や「先月は売上が悪かった、なんで?」とたまに聞かれます。

 

 「決算月だから経費を抑えて出張者や会食がない」、「日本は今月は連休があるから出張者が少ない」、「円安で日本人はお金がない」と言ってお店をなだめます。

 

 確かにコロナ前はそんな傾向がありましたが、コロナ後はそれがあると自分は思いません。

 

 

 ここ数年そんなバーで感じること、まずは一昔前の日本的料金システムが現役3、40代の日本人、外国人からも受け入れられていません。

 

 そんな料金システムを数十年前に築き上げた今60代や70歳の殿方の現役引退もお客さんが減っている原因と思います。

 

 料金システムも含めて客層や時代に合わせて大胆に変えていかなければ停滞、そして衰退するのは当たり前でしょう。

 


 

 東南アジア各国にある日本人の殿方が利用するお店がある街全体が停滞期、場合によっては衰退期に入っている気がします☆