ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー -18ページ目

ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、それからは海外生活が続き今のベトナムで三ヶ国目10年以上になっています。
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります。

 若い頃から車中泊が好きで多い時は月7、8回もしていました。

 

 車中泊の目的は何となく自分を見つめ直すこと、環境が変われば違った視点で物事だって見れます。

 

 実際の目的は狭い所が好きで、それと自宅で寝ることに飽きていただけだったかも知れません。

 

 

 日本では平日なら営業先からの帰り道に車中泊をすることが多かったです。

 

 夕方の渋滞を避けてサービスエリア内で食事と休憩、車に戻ったら寝てしまう感じです。

 

 明け方に起きて帰宅、シャワーを浴びて仮眠した後に出勤していたのを思い出します。

 

 

 タイでも高速道路のサービスエリアやガソリンスタンドの駐車場で車中泊を楽しんでいました。

 

 たいていフリーWi-Fiがあるので助手席でユーチューブを見ながらウトウトして寝てしまう感じです。

 

 深夜から早朝に起きて帰宅、シャワーと仮眠の後に出社していました。

 

 

 休日は幹線道路沿いのトラックが多いドライブインや飲食店の大きな駐車場で車中泊をしていました。

 

 大盛もつ煮定食を食べれば気分は長距離ドライバー、腹パンになって車に戻れば爆睡です。

 

 小さい頃はトラック野郎に憧れ、トラックドライバーと言うよりトラックになりたいと思っていました。

 


 

 今は車中泊や車中飯では物足りないはずで、車上生活をセカンドライフで楽しみたいです☆

「円安ヤバい、1ドル153円になった」

 

 そう聞いて牛丼の値段はどうなるのか?自分はそんなことくらいしか考えたくありません。

 

 

 さて、最近になって円安と聞いて特に思うことがあります。

 

 それは日本や日本人が作り出す物・事の価値が本格的に下がったあらわれ、その指数だと思います。

 

 "悲観的に構想し楽観的に行動する"と誰かの言葉を思い出し、今がそのタイミングと感じています。

 

 

 人々の暮らしは日々苦しくなる一方で一般人が株式投資をするなんて…何かおかしくない?

 

 「タケチヨさん、これって前兆じゃない?」と聞かれ、同じことを日頃から感じていたので驚きました☆

 弁当容器の上げ底、見える部分に具材のサンドイッチなど、いわゆる「ステルス値上げ」が以前から話題です。

 

 その容器をネット見たところ、見た目を変えずに量を減らす売る側の努力と言うか苦悩がうかがえました。

 

 

 さて、ステルス値上げで「給料上がらず、物価高騰で自分達の生活は苦しくなるばかり」とあります。

 

 だったらコンビニで買わなければいいじゃん。

 

 ちなみに自分は一時帰国中にコンビニで弁当を買うことはなく、たいていスーパーへ行きます。

 

 飲み物はスーパーなら100円以下でも買えます。

 

 

 とやかく言うのは「これからもセブンの弁当を食べたい!」なファンの願いであってほしいです。

 


 

 最近の意見や願い、文句や言い掛かりに聞こえるのは自分だけではないと思います☆

 50を過ぎてからは「このままでは老後に困窮しかねない!」と思うようになりした。

 

 その一方で「俺は老後に困窮しないために毎日を生きているのか?」と考えるようになりました。

 

 

 さて、2年前の怪我と病気がなければ、自分が入っている民間保険の内容を詳しく知る機会はなかったと思います。

 

 生命保険と個人年金に入ったのは20代後半、25年間も入っているのかぁと改めて知りました。

 

 考えた結果、生命保険は保険料が跳ね上がる55歳までに解約し、個人年金は見直そうと思います。

 

 

 ところで自分が生命保険と個人年金に入った頃、保険屋のおばちゃん達からよく聞いた言葉です。

 

「年を取ってから生命保険に入ると保険料が高いから、若い内に入ったほうがいい」

「結婚して子供とか将来のためにも生命保険に入ったほうがいい」

「タケチヨさんが60になる頃は国から年金はもらえないかも知れない」

 

 

 あれから2、30年が経ち、今では生命保険と個人年金に関して一般にあまり良いことは言われません。

 

 当時とは社会や状況が変わった昨今、生命保険や個人年金の諸々は不遡及ではないでしょうか。



 

 この年まで保険に大きく助けられることなく生きてこれたことに感謝です☆

 東南アジアの人々の家族の構成や関係を聞くと、日本ではなかなあり得ないよなぁとよく驚かされます。

 

 「今のお父さんは弟のお父さんで私のお父さんじゃない、お姉さんは違うお母さん…」は、それほど珍しくありません。

 

 

 さて、子供を田舎の実家に預け、夫婦は都会に出て働くことは東南アジアではまだまだ普通です。

 

 もちろん子供と一緒に暮らしたいですが、田舎の仕事では生活ができない実情があります。

 

 人々の人懐こさや独特な優しさは、おじいちゃん子やおばあちゃん子がその理由にあると感じています。

 

 

 東南アジア女性の懐の深さは想像以上です。

 

 たぶん親戚?みたいな同居人がいて、その理由は家、お金もなくかわいそうだから

 

 離婚して夫婦どちらも子供を引き取らないので、兄弟の誰かが養子縁組して我が子のように育てていたり

 

 複数の子供がいるシングルマザー、どの子も父親が違う、結婚もしていないのに産んだり

 

 

 自分の将来(≒老後)の備えで子供を作り、旦那さんを追い出した知人だっていました。

 


 

 日本では老後2000万円、5080問題、年金問題…その解決方法の一つが子供や家族でお金より有効と改めて考えました☆

 先週末の日曜日は珍しく夕方から夜半まで雨が降り続きました。
 
 夜10時頃にレタントン日本人街でグラブを予約しようとアプリを見れば近隣に全くいないようで、普通タクシーもいません。

 

 

 さて、普通タクシーだっていないし、雨が弱まるまで近くのバーで雨宿りをしましょう。

 

 1時間近く経っても雨は弱まることなく、グラブ、普通タクシーも雨宿り前と同じ状況で周辺に全くいません。

 

 こうなったらレタントン通りを走る普通タクシーを捕まえよう!

 

 

 1時間近く待って予約済みタクシーが2,3台来ただけ、唯一来たのはいわゆるぼったぐりタクシー1台だけでした。

 

 自分は普段からぼったぐりタクシーも乗りますが、いつもは相場の2倍、今夜は8倍だったので諦めました。

 

 再びバーで雨宿り、普通タクシー、グラブ、ビーなどを横断的に予約できるアプリでようやくタクシーが捕まりました。

 


 

 タクシーが捕まらずバーで2回の雨宿り、タクシーに乗れたのは0時30分過ぎ、散々なタクシー難民な夜でした☆

 自分の持病を改善させるには減量が重要で、ダイエットを続けて去年一時期は体重を94キロ台まで落とせました。

 

 昨年末から今年の前半はリバウンドして、最高102キロ台まで増えて赤信号が点灯しました。

 

 

 さて、6月頃から堕落した食生活を見直しながらダイエットを再開し、最近は安定して97キロ台になっています。

 

 この調子でいけば年末までに95キロ台まで体重を落とせるでしょう。

 

 

 夢のダイエット薬GLP-1は自分には合っていないようで、減量薬を以前の種類に戻してからは体重減少の効果が現れました。

 

 ほどほどの食事制限と日常の軽い運動を続け、薬の副作用を緩和すれば、薬は減量の速度を2倍にしてくれる感じです。

 


 

 減量薬を飲む時間や食事との関係性など、これからも自分減量実験を楽しみながら再び『目指せ90キロ!』です☆

 最近は朝晩暑くなく、勤務先からの帰りは少し手前で車を降りたり、歩いて帰ったりします。

 

 来月11月くらいからは朝晩は涼しくなり、もっと過ごしやすくなりそうです。

 

 

 さて、今日は夕方にホーチミン1区で用事があり、その後は涼しい夕方なので歩いて帰宅しましょう。

 

 市街地は電飾ばかり、カラフルな色とその色の組み合わせが何ともベトナムらしいですね。

 

 

 ベトナム名物のヤギのようで、大きな半屋外レストランは夜の営業の準備で大忙しでした。

 

 ちょっと独特な臭いが漂っていて、やっぱり自分はヤギやヒツジは苦手です。

 

 

 場所取りではなく貸しゴザ屋さん?たぶん屋台の人が飲み食いする場所を用意しているようです。

 

 いつかここで缶ビールの飲みながら、ほろ酔いになってウダウダ宇したいですね。

 


 

 今日は昼を食べ過ぎたので夜は軽めに食べ9時過ぎに寝ましょう☆

 

 以前の自分は「円安なんて庶民の自分には関係ない、牛丼を食べて払うお金は日本円だから」と考えていました。

 

 

 さて、ここ最近は日本経済、そして日本企業も今までとは違って何かおかしい?!と感じています。

 

 そう感じる主な原因は、自分が日本にいないからかも知れません。

 

 もし日本にいたら…物価上昇やNISAなど自分の目先のお金のことばかりを考えるはずです。

 

 

 令和恐慌が噂されはじめ、超高齢化社会2025年問題など他にも日本は問題山積みです。

 

 でも、それらは問題ではなく課題、実際は宿題のようなもので一つ一つ対応をすれば概ね解決すると信じています。

 


 

 自分はギリギリ逃げ切り世代、年齢的にも老害予備軍となり、これからも日本の社会問題は空騒ぎに過ぎないでしょう☆

(タイトル)か無難に「ハロー」と呼び込みの声が増えたレタントン日本人街です。

 

 最近は日本人街と言うより日系飲食店街、Japan TownやLittle Tokyoのが相応しく感じます。

 

 

 さて、ある意味で名物のバーやマッサージの呼び込み、以前は「ハロー、お兄さん」ばかりでした。

 

 自分はその風ていから「ニーハオ」と声を掛けられ、彼女らはそれなりに身なりも見ていますね。

 

 

 以前にも書きましたが「呼び込みがうるさいからレタントンは嫌」と言うおじさんは少なくありません。

 

 でも、そう言っておきながら呼び込みのお姉さんの顔、次は首から下を見るので、彼女らは気付いて声を掛けます。

 

 ちなみに自分は声を掛けられても見ないので彼女らは近づかず、もし知っている子なら挨拶程度に話します。

 

 

 この地区を歩く人の年齢層は日本人40~60代、中国人40、50代、韓国人30、40代と感じ、韓国人は比較的若く、グループでいる気がします。

 


 

 「以前、この辺りは"レタントン日本人街"と呼ばれていたんだよ」と言う日が遠くないと感じる最近です☆