王道日本:佐野雄二 -8ページ目

TPPと郵政民営化

野田政権は、「何も決められない政治」の最たるものになりそうである。その中で、今回はTPP(環太平洋経済連携協定)問題を掘り下げてみたい。

TPP参加は、その事前協議で、日米の双方に課題が発生している。アメリカ側の懸念材料は、国内で生後30ヶ月以上の牛にBSE(狂牛病)が見つかったこと。日本は米国産牛肉の輸入制限を月齢20ヶ月以下としているが、アメリカ側は30ヶ月以下に緩めるよう要請しているからだ。

またアメリカは、大型車と軽自動車の税金の差を「障壁」としてきた。背後に日本がTPPに参加することを阻止したい米自動車業界の思惑があり、問題は長引きそうである。  

また日本で成立した郵政民営化見直し法案も、アメリカ金融界にとっては気にくわない内容である。

郵政民営化は、もともと、小泉・竹中政権の時、郵貯・簡保の資金300兆円強をアメリカにも提供できるよう、そして外資の生保会社が日本市場で顧客を獲得できるよう、民営化された。

その証拠に、郵政民営化のために開かれた18回の会議に外資の生保会社が17回も参加していたし、民営化を地域割にするのではなく、ゆうちょ銀行とかんぽ生命を別会社にした。民営化で株式を売却した場合、膨大な資金をあずかる金融部門を別にした方が、アメリカでの運用など、外資の自由に出来るからである。

いわば典型的な「売国法案」であったわけだが、自民党も小泉・竹中改革の行き過ぎを反省し、公明党の妥協案にのったわけである。

しかし、この民営化見直し法は、中途半端である。たしかに小泉・竹中政権での民営化法では、20179月までに全株を売却することになっていた。それが努力規定に代わり、かつ郵政3事業(配達、郵貯、簡保)のユニバーサルサービス(全国均一サービス)が義務づけられたため、事実上、全株の売却は不可能だと言われている。しかし実態と現場を踏まえない見直しで、将来的には次のような再見直しが必要だろう。

その第1は、タテ割りではなく、地域割りにすべきである。1つの郵便局の中に、郵便配達事業、郵貯、簡保と3つの会社が同居し、所属が違うというのは異常である。大震災の時も、同じ郵便局なのに車を融通できないという問題が生じた。JRやNTTを見ても、分社化するなら、地域割が良いに決まっている。

第2に、郵貯・簡保の資金を民間で運用することは止めた方が良い。なぜなら証券投資にしろ、貸し付けにしろ、そのノウハウが無いからである。運用はあくまで日本国債か地方債に限らないと、損失が起きた場合、膨大である。お金だけ大量にあってノウハウのない官僚(OBを含む)たちに運用させると、年金運用やサブプライムローンでの運用など、ろくなことがない。

第3に、一部を民営化したからといって、民業圧迫になることは止めた方が良い。全国2万4千もある郵便局で他の事業を始められたら、外資ならずとも、民業圧迫がはなはだしい。長い目で見て、効率性や民間活力を生かす意味でも「民間でできることは民間に」という流れは正しいと考える。

これらを考慮すると、郵政は民営化せず、かっての形に戻し、簡保だけを廃止するのが良いという結論になる。

郵政のそもそもの問題は、郵貯・簡保に膨大な資金がたまって財投に野放図に運用されていた(ただし、民営化の前に、その点はクリアされていた)ことと、アメリカの生保会社が、保険料の安い簡保を敵視したという面がある。

だから簡保を止めれば、外資のみならず、日本の生保会社も市場が拡がり、民業圧迫はなくなる。また、簡保を止め、郵貯だけの資金であれば、100兆円は減り、200兆円ほどの資金量となる。運用を国債・地方債に限っても困らない数字である。

一方で、外資の生保会社を特別優遇するのは、もう止めた方がよい。かっては所得保障保険がそうであったし、今はガン保険や全額損金保険がそうである。

日本の生保市場は、もう十分に外資が幅を利かせている。簡保を止めれば日本の生保市場に問題は無くなるのだから、特例やわがままは認めずとも良いだろう。

いずれにしろ郵政見直し法の成立で、TPP参加への障害は大きくなった。自民・公明・民主の3党による共同提出だから、アメリカに言われて「ハイ、そうですか」と直すわけにはいかない。大いに歓迎すべきことで、少し、流れが変わってきた感がある。

※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp

※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/

節電対策には昼のテレビの放映停止を!

55日、国内50基の原発がすべて止まった。原発を積極的に推進してきた戦後の歴史の大きな転換である。今後、どのような展開を見せるべきかを含めて、久しぶりに原発問題を考えたい。



一瞬でも原発ゼロになった直接的な原因は関西電力・大飯原発34号機の再稼働に、京都府や滋賀県などの了解が取り付けられなかったことにある。そしてその背景には、原発再稼働に対する国民的な不信感がある。


福一の事故処理が中々進まない中で、安全性への基準も専門家の間で違うこと、そもそも専門家と称される学者や官僚たちが原発ムラの住民で、これまで電力会社から研究費や天下りなどの恩恵を受けて世論操作に一役買ってきたことを考えると、信頼の回復は容易ではない。



しかし、この夏を原発ゼロで乗り切れるか、さらに将来的に原発に代わるエネルギーはあるのかを考えると、当面、「縮・原発」を掲げながら、安全性の高いものは稼働させざるを得ないだろう。

実際、この問題は中々複雑で、太陽光や風力発電などの自然再生エネルギーは不安定で高価、休耕地を広範囲に使用したり、景観を害するなど問題が多すぎる。

太陽光を拡大するのなら、発電効率を今の3倍ほどに高めてから普及させるべきで、1キロワット当たり42円でも量が出れば安くなるというのは、発電効率がそれで上がるわけではないことを知れば、賢明な選択とは言えない。



原発事故対策でアメリカとの提携を!

さて既存原発の難しさは、事故が起こった場合、他国にも影響が及ぶことである。逆に言えば、日本で原発ゼロにしても中国やベトナムで大規模な事故が起きれば、その被害は日本にも及ぶし、世界中に被害が拡大する可能性がある。



次に、アメリカは今後、既存原発を輸出して雇用に役立てたいと考えているが、その時に使う企業には日本企業が大いに関係する。具体的に原発で全米第1位のGE社には日本の日立の資本が4割入っているし、ウェスチングハウス社は東芝の子会社である。また、三菱重工はフランス・アレバ社と提携し、今後も原発を世界に売ると言っている。



つまり日本政府が「脱原発」と言って国内ではゼロになったとしても、アメリカが既存原発推進の姿勢をとるかぎり、日本企業は海外で原発を売る。あるいは他国での大事故の可能性は(今後の日本以上に)絶えずある。その場合、事故への対応は導入国が第一にやるとしても、国際的な対応機関がどうしても必要である。


そうであるなら、日本は福一の事故経験を活かしてアメリカと組み、原発事故への対応部隊とネットワークをつくることの方が世界に貢献できるのではなかろうか?



既存原発には「トイレなきマンション」という課題もある。日本も使用済み核燃料のプールがあと5~6年で満杯で、つもり積もった使用済み核燃料の無害化ないしは縮減には、これまでのところトリウム溶融塩炉で燃やすしか方法が無さそうである。


そのこともあって、私は既存原発に代わるエネルギーとして、トリウム溶融塩炉を推奨してきた。このメルマガで何度か取り上げ、その世界的権威であった古川和男博士とも2度ほど話をした。しかし、その古川博士は昨年末に逝去された。慎んでご冥福を祈るが、結果として、日本人でトリウム炉に関する世界的権威はいなくなってしまった。


それを踏まえると、使用済み核燃料の無害化方法も含めて、今後、トリウム炉を研究するのはアメリカと共同研究ないしは情報交換(そもそもトリウム炉はアメリカで開発された)するのが最善と言えるし、アメリカや中国が既存原発推進である以上、大事故を起こした日本の経験を生かさないのは無責任ではなかろうかという考えである。



つまり、将来的には「縮・原発」を掲げながら、技術維持のためにも安全度の高い原発を最小限、残す。そしてアメリカと提携しながら原発事故対応のネットワークをつくり、同時にトリウム炉による使用済み核燃料の無害化研究を図る。自然再生エネルギーは、高値での買い取りではなく、発電効率のアップに力を注ぎ、それらが稼働するまでは火力発電と節電でしのぐ。


ちなみに即効性のある節電方法は、真夏のピーク時にテレビの放映を全局止めることである。正午から午後5時までテレビ放映を止めれば、家庭での節電は大きく進む。高校野球は録画で見れば良いのだし、計画停電のように産業用を止めずに節電できるから、ぜひ採用してほしいものである。



※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp


※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/













財務省の上納金を許すな!

先週の話で恐縮であるが、日本政府は、IMF(国際通貨基金)に対し、600億ドル(約4兆8千億円)の融資を決めた。これはギリシアやスペインなどの欧州危機を受けて、IMFが加盟国に総額約35兆円の資金調達を図っていたものである。


今回の融資については、「財務官僚主導」に従順に対応する野田内閣・安住財務相の能天気ぶりに腹が立つ。なぜなら日本の財政は、依然として東北の復興はままならず、消費税増税を国会に上程するという中で、他国に気前よくお金を出す余裕などないからである。


今回のは融資だとは言っても、IMFの事情を良く知るアメリカは、「IMFには資金がある。アメリカはこれまで十分に協力してきた」として、要請を断っている。賢明な判断で、欧州の状況次第では焦げ付いて回収不能になる危険性がある。



ギリシアにしろイタリア、スペインにしろ、欧州での経済危機である。途上国ならともかく、先進国グループに属する国が野放図な公務員天国(ギリシア)や放漫財政をしてきた結果、経済危機に陥ったからといって、IMFが率先して乗り出すことはない。EUという立派な経済共同体があるのだから、そこで処理すれば良いのである。


さらに問題なのは、IMFはこれまで何度も日本の財政赤字を批判し、「15年までに消費税を10%、20年までに16%まで上げるべきだ」とおせっかいにも主張してきた。「ギリシア、イタリアの次に財政破たんしそうなのは日本だ」と言っておいて、その国に資金要請をしてくる。それにバカ正直に対応する能天気ぶりが救いようがないのである。



この裏には、財務省のIMF内での発言力向上がある。財務省は毎年、若手職員をIMFに出向させているだけでなく、副専務理事のポストを天上がりポスト(現在は篠原尚之氏)として確保している。つまり「日本の発言力向上のためではなく、財務省の発言力向上」のために、国民の血税を使っているのである。



IMFポストは外務省へ!

もう財務省のIMFへの「天上がりポスト」は止めさせた方がよい。そのポストを維持・向上させたいために、財務省はIMFの要請がある都度、対応する。これでは他国から見たら、自国の財政状態もまともに判断できない、無能なカモ、キャッシュ・デスペンサーだと軽蔑されるだけである。


今後もIMFの主要ポストが日本に渡されるなら財務省ではなく、外務省などにするのが良いだろう。今のままでは、お金を握る財務省の省利省益にもとづいて、国益が犠牲にされる。お金を出す省とポストを得る省が違っていれば、互いにけん制し合って野放図になることはないはずである。



ちなみに、この事態は別に民主党に始まったことではない。092月の麻生内閣の時、やはりIMFに要請されて1000億ドル(当時、約10兆円)を融資している。民主党に限らず、自民党政権の時から財務省支配であったという証左であるが、もう、このようなCDぶりは止めにしたいものである。


※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp



※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/







歳入庁と金融庁・銀行行政の入れ替え

野田政権になって国論を2分する大きな問題が次々と起きている。消費税増税、TPP参加検討、原発再稼働など、マニュフェストと大幅にかい離する生煮えの議論と思い込み、根拠不足のため、支持率は下がる一方であるが、今回は、歳入庁発足の構想について述べてみたい。

歳入庁とは旧社保庁(現・日本年金機構)と国税庁を統合するもので、民主党は3年後の15年1月に発足させる構想をまとめた。

この問題の肝は、統合によって国民背番号制を実施することと、もう一つは財務省所管から切り離すか否かである。うち背番号制は「マイ・ナンバー制」などと呼称を変えるようであるが、5000万人の年金データ喪失などの事故を考えると、個人情報管理の徹底と、必要最小限の番号制を条件に、いずれは容認せざるを得ないだろう(それでも懸念はあるので、充分な議論が必要である)。

問題は統合後、財務省の所管から外すか否かである。論理的には厚生労働省所管の年金徴収との統合であるから、財務省所管から外さないと厚労省が納得しない。

それを想定した財務省は、自民党や公明党に猛アタックをかけた。その結果、谷垣総裁は「統合すれば旧社保庁の影響で相当モラルが落ち、税を集める機能がガタガタになる」と発言し、公明党・石井啓一政調会長は「木に竹をつぐような組織になる」と主張する。

現実には、現場の税務署職員に聞くと、「年金徴収を並行して行えと言われれば、すぐにでもできますよ」とのことである。つまり自民・公明の幹部は、現場を知らずに財務省の言いなりの主張をしていることは一目瞭然である。

国税庁は、有力政治家をも脅すほどの権力=強制捜査権を持つ。だから、その権力を手放したくない財務省は、必死に歳入庁構想に反対する。

しかし、冷静に考えて、国税庁は財務省から分離すべきである。その理由は、

第1に、年金徴収との一元化。今は、本来の事業経費だけでなく、徴収の人件費を二重に払っているようなものだから、より高い税率になっている。行政の無駄を無くし、国民負担を減らすためにも一元化は必要である。

第2に、腐敗した旧社保庁や厚労省の年金事務に「活!」を入れる意味がある。今、国民年金の納付率は6割ほどであるが、以前、市町村で徴収していた頃は8割以上はあった。旧社保庁に移管することで納付率は大幅に下がったのである。

厚労省傘下の年金徴収や運用、年金管理が如何にずさんでモラルの低いものであったかは、最近のAIJによる年金運用、厚労省官僚の年金基金への天下り、グリーンピアへの放漫流用、年金データの大量紛失など枚挙にいとまがない。本来、旧社保庁の悪事が明らかになった時点で、日本年金機構などをつくらず、国税庁への統合を図るべきであった。

 「統合するとモラルが下がる」というのは呆れた理屈だが、旧社保庁がそれほど緩んでいたのは確かである。国税の徴収は、モラルが低ければ納税者からすぐに批判を浴びたり、通報があったりする職場だから、統合することによって、厚労省や旧社保庁の悪習を一掃できるのである。

第3に、財務省から国税徴収の権力を切り離すことである。かっての実力者・金丸信は、国税の査察で脱税が発覚し、政治生命を絶たれた。それほど強いのがこの権力で、予算編成権と合わせて財務省の力の根源である。

 しかし、政治家を脅すほどの権力を官僚が持つのは問題である。財務省を政治主導できる政治家・政党のいない状況では、財務省の力を削がないと、何時まで経っても政治主導による方向転換が出来ない。自民党が政権をとっても民主党・野田政権と同じように、「最高権力者は財務省」というのではお話にならないのである。

試案であるが、歳入庁設置により、国税庁を財務省から切り離す代わりに、金融庁の「銀行局」を財務省に戻すのが良い。何故かというと、金融庁は、設立の経緯からして、旧大蔵省の護送船団方式による銀行管理から、「銀行でもつぶす」ことを実行するために、旧大蔵省から分離された。

その背景には、バブル時からの「金融自由化、間接金融から直接金融への流れ、BIS規制受け入れ、金融ビッグバン」などがあった。それらによって銀行をつぶし、外資=国際金融筋の受け入れを容易にする意図があった。橋本内閣から小泉内閣へと続く構造改革路線、外資受け入れの流れを見ると、そのように分析できる。

しかし銀行のネットワークは、人体における血管のようなものである。血管が全身の細部まで存在することで、血液が全身に行き渡る。同じように銀行網が全国ネットで築かれることで、貨幣が全国に円滑に流通する。

どの血管も「不良部分がある」からといって切断すれば、その先の細胞は死に至る。同じようにどの銀行も「不良債権がある」からといって倒産させれば、その取引先や地域経済は死に瀕するのである。

中央銀行がいくら金融を緩和しても、その先の市中銀行が「貸し渋りや貸しはがし」をすれば、血液たる貨幣はまわらない。

それらを知ると、銀行の護送船団方式は正しかった。逆に「大銀行であってもつぶれる可能性がある」という小泉・竹中式の金融行政こそが売国的で、誤りなのである。

この話は長くなるので、この辺でまとめると、税収を確保するためには経済が順調でなければならない。そのためには銀行行政の安定が重要で、税収確保と銀行行政は車の両輪である。

その観点から、金融庁は、AIJなどの事件が2度と起きないように年金運用の監視や証券業、生損保の監視などに特化する。一方、銀行行政は財務省に戻して「護送船団方式」に切り替える。

国税庁を財務省から切り離す見返りという訳ではないが、事実上の「財務官僚へのアメの入れ替え」をする。財務官僚を納得させるには、そのぐらいの知恵と戦略、したたかさがないと、難しいのではなかろうか?

※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp

※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/

大局観のない野田・民主党

政治が相変わらず停滞している。野田政権は消費税増税法案の今国会提出を目指して、今週内に閣議決定をするべく、強気の姿勢を崩していない。

  

その理由は「社会保障の安定財源の確保などを図る税制の抜本改革」で、決して「東日本大震災からの復興」ではない。今の状況で何を最優先すべきか、大局観のない選択である。

一方、それに反対する小沢グループなどにしても、「景気回復条項」を入れろとか、「マニュフェスト違反だ」というだけでは、あまりにも能がない。

なぜなら民主党のマニュフェストそのものが財源の裏付けのない、実現不可能な「バラマキ政策」であったことが明らかなのだから、理屈は正しくとも反省の無さの点では「目くそ鼻くそ」のたぐいなのである。

以前に書いたように、消費税には逆進性だけでなく「人件費課税であることと、担税力が無くとも課税する」という3大欠点がある。

税率を上げても大企業は全て価格に転嫁でき、さらに「輸出免税」でほとんど還付されるから、大企業にとっては消費税増税は何の痛みもない。逆に法人税率を下げられるから、大歓迎なのである。


一方、価格に転嫁できず、人件費割合の多い中小零細企業には重い負担となる。結果として消費税倒産に向かったり、雇用削減に向かうのが消費税なのである。

それを踏まえると、財政再建の方策として、政府紙幣までは至らずとも、「日銀による国債の直接引き受け」などを主張する民主党議員が何故いないのか。その方法は消費税増税よりは優れているのだから、何故、主張しないのか。

今回の消費税増税路線には、「親・財務省」を貫く野田政権のうちに「消費税増税」をしようという財務省の思惑がある。その財務省が「日銀の直接引き受け」や「政府紙幣」の発行を嫌がっているのは間違いがない。彼らは増税の方が自由に使える財源だという認識があるからだろう。

ちなみに自民党・谷垣総裁も、「消費税増税のために、党内で反対する小沢氏を切ったらどうか」とか、「国税庁と旧社会保険庁を一体化する歳入庁は、旧社保庁に引きずられて勤務の緊張感が劣化するからダメ」と主張する。


歳入庁をつくれば財務省から分離させられるから、それを避けたい財務省の完全な代弁者になっている。自民も民主も完全に財務省に牛耳られている証拠で、それを超える政治家が2大政党にはいないというのが嘆かわしい。

 一方、第2回・核保安サミットが26日、ソウルで開幕した。野田総理は福島第1原発の事故について反省を述べるそうだが、どこの国とも2国間の首脳会談を開く予定がない。ロシアとの北方領土問題、中国への軍事力増強への牽制や尖閣諸島問題、韓国との慰安婦問題やTPP認識問題、アメリカとのTPPや天然ガスの輸入交渉など、話すべきは山ほどあるのにである。


「他国からの要請がない」とか、「タイトな日程だから」というのでは、日本を代表する総理としては情けない。この点は、総理の国会出席を絶えず求める野党にも責任がある。

たった一人のヒーローに期待するのではなく、この際、出すべき膿を出し尽くして、日本の政治を今後、どういうシステムに変えるべきかを皆が考える時期に来ていると言える。

※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp

※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/

大震災から1年、道州制の危うさ

未曽有の東日本大震災から1年が立つ。その復興の遅さに歯がゆい思いをするのは、誰しも同じだろう。


 この震災後の1年を見て、民主党政権の体たらくだけでなく、その足を引っ張り続ける野党・自民党、そして首をすくめて責任を回避しようとする無能な政府委員の学者、官僚、東電などの原子力ムラの存在は、どれも国の重要な中枢を任せるには不十分、不満足なものだった。



特に問題なのは官僚である。官僚がしっかりしていれば政治家が多少劣ってもカバーするだけの対応力を持つのだが、明治以来の分業体制が続いた結果、国益よりは省利省益、前例踏襲主義、事なかれ主義が蔓延している。ために重大事の問題解決能力がまったく無くなっている。

明治以降、戦後もこの国を先頭に立って良くしてきたのは主に官僚だったが、悪くしたのも官僚だったのである。



かっての官僚には「武士道精神」があった。武士道精神とは、事に当たっての責任感、使命感、忠誠心、胆力、潔さ、戦略眼、決断力、洞察力などを指す。
日本の官僚の起源は、江戸時代を見ると、明らかに武士であった。武士が裁判官や警察官、租税の徴収や事務管理などを仕切った行政官であった。同時に朱子学や論語を学び、商人など、他の階層の模範となったのである。このことは明治の偉人、渋沢栄一が「片手に算盤、片手に論語」と、経済人でありながら武士道の柱の一つである論語を挙げたことでも理解できる。


もっと言えば、政治家もかっては皆、武士であった。鎌倉幕府、江戸幕府と、それまでの天皇独裁制から相対的に自立して政権をつくったのは武士であったから、日本においての「自立」とは、武士道精神を伴うものだった。


その武士道精神が明治の政治家や官僚達にも脈々と生きていたが、戦後民主主義と小選挙区制で政治家が堕落し、官僚は各省庁の分業固定化で、省利省益に走るようになったというのが筆者の認識である。


なぜ戦後民主主義の在り様まで問題になるかというと、これは西洋の模倣である。民主主義は「個人の自立」を前提とするが、西洋における「自立」とは、キリスト教的神からのアトム的な「個人の自立」であるから、「武士道的自立」の日本とは自立の態様も異なるのである。



大震災の、特に原発事故の発生の経緯と、事後処理を見る限り、この日本的自立の精神が欠如していると思われる。
たとえば震源地により近い女川原発は大参事に至らなかった。その理由は、建設時の東北電力の副社長・平井弥之助氏が、過去の歴史の教訓から15メートルの津波を想定すべきことを強力に主張して、1段高いところにつくったからである。

一方、福島第一原発は、地震が多いという日本の特殊性や過去の歴史の教訓に何も学ばず、知ろうともせず、すべてをアメリカGE社の設計に任せ、そして指定より低い位置に緊急用電源を建設した。


重要な判断を為すに当たり、自らの能力をフルに使って考えるか否かは、ひとえにその当事者が自立しているか否かによる。自立していず、「事なかれ主義、前例踏襲主義、よらば大樹、皆で渡れば怖くない」式の従属的判断では、力の強い者、権威ある者に付和雷同する。その結果が女川原発と福島原発の差であったろう。



今回の事故を契機にして、地域主権の危うさも明らかになった。民主党やみんなの党、大阪維新の会の掲げる「地域主権や道州制」は、国家的規模の大災害時には対応できない。

大災害があった場合には地方は皆、「国は早く何とかしてくれ」というが、道州制では税源まで地方に移譲するから、国は対応できない。結局、日本がバラバラとなって対応能力を失うのが道州制なのである。



今後、国民的な課題として「自立した個人をいかに育成するか」が課題である。これまでの偏差値一辺倒、対米従属・盲信路線ではなく、「国家の自立と個人の自立」を真剣に考えなければならない。


合せて政治制度や官僚組織の見直しも必要である。うち政治制度について述べれば、2大政党制ではなく3大政党制を想定した選挙制度への変更と、参議院の廃止が必要である。


2大政党制を前提とする小選挙区制では、たえず1位でなければ当選できないため、選挙が終わった翌日から次の選挙を気にするし、与野党の連立もできない。連立できるなら政権交代は不要となるからである。結果として野党は政策よりは与党の足を引っ張ることに専念し、党利党略の政局中心の政治となる。これはどちらが与党になっても同じである。

一方では、中選挙区制に戻そうという意見が自民党にあるが、それでは選挙区が広すぎ、金のかかる選挙、派閥選挙が復活するだけである。



日本はABとが対立すれば喧嘩両成敗や中庸の選択、勝負ごとはジャンケンのように3つで決めるように3大政党制が合う。それを実現するには1つの選挙区から2人が当選し、かつ、全国1区の比例代表併用制を導入すれば、死に票が少なく、大政党にとっても小政党にとっても、さらには第3極にとっても良い選挙制度となる。


官僚組織の見直し点は、長くなるのでまたの機会にするが、いずれにしろ、国の統治機構が転換期に見ていることは明かである。



※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp



※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/















1人1票の不平等

25日までに衆院区割りの調整がつかなかったために、26日から最高裁が「違憲」と指摘した状態に陥っている。今日はこの問題を考えてみたい。


昨年3月の最高裁判決で、2009年の衆院選の格差2.30倍は違憲状態とされ、各都道府県に1議席を割り振る「1人別枠方式」の廃止が要求された。見直しが行われない場合、「解散権は制約されないが、選挙は無効の判決が出る可能性もある」という状態である。



このことにつき、「1人1票の平等原則」に反するから、与野党、早く取りまとめろというのが普通の判断である。

しかし、今の憲法がアメリカの押し付けで、日本的な価値観に基づくものではないとすると、違った視点が見えてくる。というのは、「1人1票の原則」に厳密に従うと、農村部と都市部では別の大きな不公平が出るからだ。



具体的に見てみよう。衆議院で東京、神奈川、埼玉、千葉の13県には71の選挙区があるが、この71の選挙区をすべて合わせたより、さらに広い選挙区が日本にはある。どこかというと自民党の武部勤氏、大地・真民主の松木公氏が出ている北海道・第12選挙区である。稚内市、網走市、北見市などの農村部を地盤とするこの地の総面積は14741km²もあり、首都圏・1都3県の総面積13557km²よりさらに広い。


北海道・第12選挙区の広さは、首都圏の平均を基準にすれば、実に77の選挙区分に相当する。それほど広い面積を1つの選挙区・1人の議員でカバーするというのは不公平以外の何物でもないだろう。今の衆議院選挙の区割りは、12千万人÷300選挙区=1区当たり40万人と、単純な人口割りで行うゆえに生ずる不公平である。


 

「1人1票」は民主主義の絶対条件であるかのようであるが、決してそうではない。日本が西洋型民主主義を模倣して採用しているために原則となっているだけである。
西洋型民主主義はバラバラのアトム的(これ以上、分割し得ない)個人を前提とする。これは個人が直接、神との契約を結ぶという一神教の考えを起源とする。つまり個人と「一神教的神との契約」が「国家との契約」に代わったのが西洋型民主主義であり、個人主義だと言える。


一方、日本の文化は家族主義と農耕文化を起源とする。農耕は1人では不可能で、家族単位の労働を常とするから、家族主義こそが日本文化の根源だと言える。

日本人は家族の中で生まれ、家族の中で育ち、家族に見とられて死んでゆくことを至福の喜びとした。この家族主義は、地域、国家までをも一つの家族と捉える共同体意識へとつながっていく。

また天皇は万世一系を保ち、国民を「天皇の赤子」と呼ぶ。これは「国家を1つの家、国民を1つの家族」と見て、天皇が「国家建国の父」であり、「家父長制」をとってきたことの別の表現である。つまり家の長が「父、父、父、父・・・」と続いてきたことが家父長制であり、万世一系なのである。

もちろん企業においても年功序列型賃金と終身雇用制を保持してきたのは、企業を1つの家族として社長を父親、従業員を兄弟姉妹と見てきたからである。



選挙に関して言えば、江戸時代の「藩」を見れば分かるが、各地域をも1つの家族と擬制して、共同体として捉えてきた。だから規模10万人であっても規模100万人であっても1つの地域共同体としてほぼ同等に扱い、その代表として選ばれるという性格を持ってきた。だから抽象的な「30万人のアトム的個人の代表」とはならないのである。

それを知れば、将来的には人口のみならず、面積要件も加味して選挙区割を決めるべきだろう。当然、1人1票の原則も変わってくる。

単純な人数だけによって選挙区の区割りをすれば、都市部のみが多くの代表を選出して有利に物事を進められる。それでは大都市対地方の格差は開くばかりである。



明治以来の国是であった「欧米に追いつけ、追い越せ」の時代は、すでに終わった。経済での米欧的グローバリズムにしろ、1人1票の議会制民主主義にしろ、彼らの歩む先は、すでに行き詰まっている。その意味でも、今後、至るところで日本の文化に沿った制度的見直しが必要と考える。

中選挙区制にしろ小選挙区制にしろ、すでに日本で何年もの実績がある。その反省の上に立って構想すれば、「首相公選制や大統領制ではない」日本の政治風土にあった、スピード感のあるシステムが構築できるはずである。それを考えないのは政治の怠慢であり、国民自身の怠慢だと言える。



※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp


※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/










橋下市長、維新八策の矛盾

大阪市長、橋下徹氏の行動が注目を集めている。民主・自民の2大政党が国民の期待を裏切り続ける状況で、彼の行動力が飛びぬけていることは間違いない。しかし、「維新八策」に示された政策となると、首をかしげるものが多いというのは、私だけではないだろう。





うちTPP参加については、関税をゼロにすることで国家主権を放棄し、ひいては国民主権さえ放棄するものであると、これまでも指摘した。



また道州制も、地方を競わせて大企業に都合の良い制度を実現させようとするものである。国内版・新自由主義の政策といってよく、導入すれば九州独立、大阪独立、北海道独立と日本をバラバラにさせる面がある。だから日本解体を望む人はともかく、望まないなら賛同しない方がよい。

こうした新自由主義の政策は、みんなの党も同じである。




そんな中、大阪都構想と首相公選制を取り上げてみる。16日の地方制度調査会での質問で、彼は、「大阪府を今の東京都のように1012の特別自治区と他の市町村」にして、区や市町村には区議会や市区長を置くという。

その理由は、「大阪市といえば、京都府や広島県と同じ人口規模。僕一人で仕切っていては住民自治はできない」からだという。また、国については「一国を永田町、霞ヶ関だけで動かしていくのは不可能だ」とも言った。




これらの発言は、彼らの政策である首相公選制とセットで考えると、随分、矛盾したものである。なぜなら首相公選制は、たった一人で京都府などの何十倍もの人口規模を仕切っていくものだからである。

もちろん国をたった一人で仕切ろうとするのも首相公選制で、超人的なスーパーマンを想定しないと橋下流の論理では無理があるのである。

 

では今の議員内閣制はどうかというと、首相は政党の代表として選ばれる。もし首相不適格なら、政党が代わりの人物を用意して国政を仕切っていく。つまり「テレビに出ていて有名だ」というだけでなく、政党が人物を保証し、組閣や運営も保証するという点で、首相公選制や大統領制よりは優れているのである。



 

これは民主主義の観点からも言える。首相公選制では人口が12700万人、有権者は1億人とすると、1人の価値は1億分の1しかない。しかし議員内閣制であれば、各選挙区の議員を選ぶ間接選挙になるから、1人の価値は約30万分の1で、300倍以上の価値があるのである。

民主主義は「自立した個人」を前提とする。自立した個人とは付和雷同せず、自分の頭で考え、行動し、自己責任を持つ者である。それを前提とした場合、選挙の母数は少ない方が結果への連帯責任を負いやすいため、議員内閣制の方が民主主義にかなうのである。




 問題は最近の国政の劣化である。あまりにもスピード感が無く、決断できないから、首相公選制という考えが出てくる。しかし政治が停滞する原因は、2大政党制を前提とした小選挙区制と参議院の存在にある。



小選挙区制ではわずかの得票率の違いが大きな議席差になって表れる。05年の郵政解散、09年の政権交代選挙と、いずれも選挙区では40%強の得票率で70%以上の議席をとった。その反動が直後の参院選に現れるために、ねじれるのである。



 

そもそも2大政党制は、何でも2元論で考えようとする西洋思考の模倣である。日本では勝負事はジャンケンのように3つの優劣で決める。2つが争っていたらケンカ両成敗で第3の選択=中庸を考えるのが日本的解決である。

絶えずトップでなければ当選できない小選挙区制では、選挙の翌日から次の選挙を考えるという選挙屋ばかりが増えてしまう。もっと政治家が落ち着いて政策の研究に専念できるよう、選挙区での当選者を2名にして、比例代表制を加味し、3大政党制を想定した制度に変えるべきと考える。



合わせて参議院を廃止する。参議院の「良識の府や再考の府」の機能は、野党となった政党が批判能力を高め、監視能力を高めることで担保すれば良い。

今のままでは参議院はプロレスラーやプロ野球、メダリストや売れなくなった芸能人、あるいは大労組や大宗教団体などが目立ち、「圧力団体の府、ネジレの府」に過ぎない。廃止した方が良いのである。




※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp



※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/










民主党の年金制度の欠点

このところ国会で、民主党の年金案が問題となっている。発端は「税と社会保障の一体改革」を掲げて消費税の10%への増税を打ち出したことから、「では、年金制度の全体像を示せ」となった。


「ヤブヘビ」である。民主党の「一体改革」はまさにこれで、消費税増税の前提となる民主党の年金改革をまともにやれば、さらに7.1%分の財源が必要(2075年)で、とても飲めるものではない。今回はそれらを検証して行きたい。年金問題を語るには多くの課題があるので、箇条書きにすると、



◎まず民主党案の「年金一元化」は無用のものである。一元化とは公務員、民間サラリーマン、自営業者を同一の制度とするものだが、特に問題なのは、一元化すると自営業者は倍の負担になる。サラリーマンが社会保険料として15%を負担するといっても、現実には本人はその半分しか負担していない。残りの半分は事業主が負担しているからである。


自営業者も払った分、自分に戻ってくるから良いでしょうというのは屁理屈で、所得が多くなれば減らされる。



民主主義は「自立した個人」を前提とする。国に頼らず自立して生きて行けるヒトが増えれば、国家の自立も維持されるから、今後は「個人の自立」が重要な政治テーマである。そのためにも自立の典型例である自営業者が増えるよう誘導することが必要である。自営業者は定年がないのだから、老後も働くとなれば、何も倍額の年金保険料を払う必要はないのである。



◎民主党は国民年金の納付率が低いために、「7万円の最低保証年金」を考えた経緯がある。しかし納付率は、市町村から社会保険庁の所管に移してから急速に低下した。今でも年金徴収を国税庁に一元化(歳入庁)すれば徴収能力は高まるから、納付率は格段に上がる。そういう努力をしないで増税だけをしようというのは誤りである。



◎今の年金は「世代間扶養」という考えだが、これを「積立金方式」に変えるべきである。世代間扶養であれば、これから増える老人を少数の若者が支えなければならないと、「世代間の不公平」がクローズアップされる。しかし自分が掛けた分は将来、確実にもらえるのだとなれば、世代間の不公平を問題にする必要はない。


積立金方式にする場合、「積立金が圧倒的に足りない」という声をよく聞く。しかし計算上、本人の積立額を基準に支給するというだけで、残高として、その金額が無くとも一向に構わない。それこそ世代間で資金融通し、足りなくなれば、その分は税で補てんするか低利子で貸し付れば良いのである。



◎年金財源に限らず、増税といえば消費税が俎上に上がる。しかし消費税には逆進性以外に「人件費課税」と「利益が無くとも課税する」という3大欠点がある。

うち人件費課税とは、雇用する従業員の給料は税額控除できないから、人件費割合の多い企業ほど消費税を納める。だから税率をアップすれば企業は人員削減に向かう。消費は低迷し、不景気は拡大する。


また消費税は利益が無くとも納税する。「預かり金だから当然だ」というのは詭弁で、以前は1万円で売っていた物が、消費税導入で1500円になった。しかし続くデフレと不景気で、税込みで8400円に値引きせざるを得なくなった。消費税導入前と比べて差引き1600円のマイナスだ、というのが中小企業の実体である。


これらの3大欠点を考えると、あまり消費税の税率を上げない方が良い。税率を上げて雇用が削減され、消費税倒産が増えるのでは、本末転倒である。



◎いずれにしろ少子高齢化が進む。また国の借金も1000兆円を超えて膨大である。だから、それらの解決のために政府紙幣(貨幣)を発行するしかないだろうというのが筆者の見解である。


政府紙幣は確かに麻薬であるが、過去にも麻薬は使ってきた。戦時中の「軍票」がそうである。日本の場合、軍票の管理がまずくて、戦後になって国内でも使えるようにした。だから物不足と相まってハイパー・インフレになった。  

アメリカは軍票を発行しても現地だけの使用で、アメリカ国内では使わせなかった。だからハイパー・インフレにはならなかった。それらを踏まえ、現代流に管理と使い方を工夫すれば良いのである。そうすれば、「打出の小槌」としての良い面だけが生かせるのである。



※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp




※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/











資本主義が問われている

世界経済フォーラム=ダボス会議が129日、閉幕した。これは欧米を中心に経営トップらが集う会議で、金持ちクラブ的な面が強く、反発する左翼系グループもあるほどである。

そのダボス会議で今回は資本主義のあり方が問われた。おそらく初めてのことである。

2008年のリーマン・ショック以来、米欧日の各国は政府も民間も多額の債務問題が明らかとなり、依然として解決の目途が立っていない。大企業は雇用をつくり出さず、世界的にワーキング・プアが増えているのにトップは膨大な報酬をもらっている。地球環境問題や富の格差も深刻で、社会に不満だけがたまっている。

90年のソビエト崩壊で社会主義は終わって資本主義が勝利したと言われた。しかし、その資本主義もグローバル化し、金融主導型となると以下のような問題を露呈する。

金融主導型とは、具体的には直接金融主導型の資本主義である。外資流入の金融自由化、株式市場の整備を前提とするもので、典型的なマネー主導・拝金主義の資本主義となる。


「モノ言う株主」が増え、短期利益と配当のアップを求めてヘッジファンドなどが国境を超えて動くのが特徴で、為替も投機の対象となる。80年代前半までの日本では間接金融中心の資本主義であったが、金融自由化以降は意図的に直接金融重視に転換された。結果として従業員と顧客重視の家族的経営などの日本的経営はおろそかになっている。

グローバル化で製造は低賃金の途上国で行い、先進国では販売するのみという企業が増えている。企業の多国籍化であるが、その結果、先進国では雇用は縮小し、ワーキング・プアや失業者が増えることになる。

(輸入)物価は安くなるが、先進国の労働者は途上国の低賃金と競争させられ、歯止めのないデフレ状態となる。これを筆者は「100円ショップ・デフレ」と名付けている。


この特徴は、たとえば日本で消費される物を日本の企業が、低賃金国で徹底指導してつくる。ために品質も良く、日本人の嗜好に合ったものがつくられる。ユニクロ、青山、ニトリ、100円ショップなど、安さと品質で売る企業は皆そうである。国内雇用が際限なく縮小するので、グローバリズム資本主義の最も大きい問題である。


かっては、この事態はリカードの「比較優位の原則」により、国際分業で生産力が発展するから良いのだとされてきたが、先進国での雇用縮小を全く考えない論理であり、いい加減、卒業すべきと考える。

グローバル資本主義は国境の壁を取り払っての弱肉強食で「強きを助け、弱きをくじく」面が強い。結果として格差を拡大する。だから弱者救済のため社会福祉を充実させたとしても際限がない。そういう意味で「強きをくじく」日本型の資本主義が求められている。

グローバル資本主義・マネー資本主義は別名、「強欲資本主義」とも呼ばれる。そこでは「CO削減のために原発を!」あるいは「排出権取引で一儲け」というように、環境問題さえもが金儲けの対象とされる。


人間は大地の「おかげ」を頂いて生きている。食糧は当然のこと、飲む水は大地で浄化されなければ飲めたものではないし、酸素を吸って吐き出したCOは植物が光合成で酸素に変えてくれる。その植物は大地のお蔭で活動しているのだから、ひと時も大地のお蔭なしでは生きていけない。大枠として資本主義をとるにしても謙虚さが必要で、認識を改めなければ、恐竜が自らの重さで自滅したように、資本主義も自滅に向かっているといえよう。

以上の問題を解決するために「日本型システム」が求められている。調和を重んじた日本型の修正資本主義モデルを呈示し、採用することが世界の見本となる。それまでは「産みの苦しみの時代」と捉え、今後に期待したい。

※ご意見をお聞かせ下さい。必ず本人が目を通しますが、返答は答えに窮するものもあり、省略させていただきます。下記へどうぞ

e-mail: y-sano@sage.ocn.ne.jp

※このメルマガの申込や停止をしたい方は、下記にて「登録の解除または申込」をお願いします。  http://ameblo.jp/ohdoh/