王道日本:佐野雄二 -10ページ目

太陽光1000万戸・発言

太陽光1000万戸・発言


527日、菅総理がフランス・パリで開かれているOECD設立50周年記念行事で講演を行った。その中で福島原発の事故を受けて「2020年代の早い時期に1000万戸の太陽光パネルを家庭の屋根に設置する」と発表した。この発言は、ただちに、担当大臣が「聞いていない」と驚きを隠せず、独断での発表であることが露呈した。


全く民主党内閣は、先の鳩山前総理が何の科学的積み上げも裏付けもなく、「温暖化対策のため、CO290年比25%削減」といったように、「裏付けのない構想」を夢のように、突然、外国で打ち上げるというパターンが好きである。これでは「政治主導とは、科学的な裏付けや関係省庁との議論の積み上げを必要としないこと」と誤解されかねない。


民間人では、ソフトバンク・孫正義社長も太陽光発電に傾倒し、「日本中の休耕田などは20万haあり、この全てに太陽光パネルを設置すれば、原発54基分に相当する。とりあえず、20%分への設置を目指す」として、埼玉県知事や大阪府知事などと共同設置する方向を明確にした。


ブームになっている感のある太陽光発電であるが、これらの問題を指摘しておくと、休耕田は、いずれ食糧自給率向上のために田畑として復活させるべきものである。そこに太陽光パネルを設置してほしくはない。


また、今の太陽光は1キロワット時50円前後と、他の発電方法に比し、34倍高い。経産省を中心に太陽光の発電効率を3倍にするという研究が進行していることを考えると、その完成を待ってから拡大させるのが順序であろう。そうでなければ発電効率の悪いものを政府の補助金で全国につくり、材料のシリコンなどを浪費する愚挙となる。



また、脱・原発で太陽光や風力などへの傾斜を、市民運動家が言うのは結構である。しかし政治家は、それだけでは困る。なぜなら脱・原発をするにしろ、既存原発で発生したプルトニウムの量は、ロシア・アメリカなどの筆頭核保有国とほぼ同じに近づいている。この処理をどうするのか、はっきりさせる必要があるからである。

プルサーマル計画というのがあって、発生したプルトニウムをウランと混ぜてMOX燃料として再利用するという考えは、段々、燃焼できない核廃棄物を蓄積・拡大するという。つまり計画はすでに破たんしており、「トイレなきマンション」の状態は変わっていないのである。



私が何度か紹介したトリウム溶融塩・発電は、このプルトニウムを燃焼し、無害化できる唯一の方法と考えられる。1960年代の米・オークリッジ国立研の時代には、配管の腐食の解決が難問となっていたが、その後の研究で、この点もクリアされているという。


発電と送電を分け、電力を自由化すれば、様々な企業や自治体が発電に乗り出す。今回の震災で企業の自家発電は相当、増えているから、余剰電力を売電できるようにすれば、供給電力は相当に確保できる。また24時間連続運転のゴミ焼却炉は全国にあるから、わずかな費用で発電できるはずである。


さらに夏の電力使用がピークを迎える2週間ほどの間は、正午から午後3時まで、テレビ局が放送を止めれば良い。高校野球をやっていても録画で見ればよいわけで、こうすれば今年の夏からでも事業用の節電はしないで済むはずである。


電力を自由化した場合に問題となるのは、カリフォルニア州のように停電しないための「安定供給の確保」である。この点は既存の電力会社に一定割合の発電能力の保持を義務づければ良い。つまり既存電力会社は、送電網の地域独占と、安定供給の砦として存続し、電力の買取り価格や小売り価格は「電力供給安定化委員会」なるものをつくって決定させれば、公平性と透明性、価格の妥当性が担保される。



民主党も自民党も、大震災や原発の処理を「政局扱い」にしないで、以上のような、前向きで科学的裏付けのある方向性をはっきりと示していただきたい。そうしないと、「国民はしっかりしているが、2大政党の政治家がダメ・・・」と言われかねない。

「みんなの党」以外に、科学的根拠にもとづいた明確な方針と、問題解決のための戦略性を持った「第3の政党」が出てくるべき時期なのである。



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浜岡原発・停止後の戦略

福島原発の事故を受けて、国会議員間で2つの原発関連の議員連盟が立ち上がった。一つは自民党の原発推進派の議員連盟。もう一つは、再生可能なエネルギーへのシフトを目指した「エネシフ・ジャパン」で、阿部知子氏(社民)、河野太郎氏(自民)、田中康夫氏(日本新党)や市民運動家が呼びかけ人となった「脱・原発」を目指すグループである。

その「エネシフ・ジャパン」の2回目の勉強会が12日、議員会館であり、参加してきた。こちらは趣旨は良いのだが市民迎合的で、今一、突っ込みが足りない。そこで今回は脱・原発の戦略を書くことにする。

浜岡原発周辺の地震予測は30年以内に87%であった。だから管総理は浜岡原発を停止したのだが、一方、福島沖での地震予測は0%であった。それでも巨大地震が起きたことを考えれば、将来的には日本全国の既存原発をすべて止める必要がある。ウラン・プルトニウム型原発は事故が起こった時の悲惨さが半端ではない。脱・原発は必然で、そのための中長期の戦略が必要と考える。

しかし自然再生エネルギーへの移行は、すぐには無理で、風力には低周波や鳥への被害、騒音、威圧的な景観の問題が指摘されている。自然の景観や鳥・虫たちの生命をも大切にする日本人の民族性と、狭い国土を考えると、風力は日本では将来的にもあまり普及しないだろう。

次に太陽光であるが、材料のシリコンは高く、エネルギー変換効率は20%未満と低い。また木造家屋の屋根に乗せようとすると、屋根の補強が必要とか、工事ミスによる雨漏りが懸念される。

火山の噴火や雹が降るなどの異変があると発電機は損傷し、投資はすべて損失になる。つまり机上の計算では良いのだが、コスト高とリスク高で、大幅な普及には50年以上はかかると推定されている。

そんなわけで、どうしても先に紹介した「トリウム溶融塩・発電」が必要となる。その概要を今一度述べると、既存原発のように固体燃料ではなく、フッ素入りの液体燃料を用いる。塩を高温で熱すると約500度Cで液体になるが、この液体(フッ素、リチウム、ベリリウムから成るためフリーベ溶液という)にトリウムを溶かし、中性子を充ててウラン233に代え、これを核分裂させる。

このトリウム溶融塩炉の優れた点は、安全性が高くて大事故が起きず、猛毒の核物質を発生させないことである。

さらにはウラン・プルトニウム原発で生成されたプルトニウムを消滅させることができるため、今後、トリウム炉への移行をいつ決断するかがポイントになる。

実をいうと、福島原発の事故のおかげで、世界的にトリウム炉の研究にはずみがつく。インドやチェコのトリウム研究は4050年に及ぶし、ロシアはチェコのトリウム発電研究会社を08年に買収した。

中国は古川和男博士の『原発革命』を熟読し、今年1月、トリウム炉の開発研究を宣言した。すでにカナダやアメリカの会社(トリウムパワー社)と提携し、「トリウム炉でできるだけの特許を取る」と息巻いている。

アメリカも2010年、海軍の原子力潜水艦の燃料をトリウム溶融塩炉にするための予算を付けた(ただし、当初はあったトリウム炉という名前は消してある)。

つまり09年~10年と、世界中で静かにトリウム炉が研究され出し、これが福島原発の事故で勢いを増すという状況である。そうした流れを考えても、日本はトリウム炉の開発を本格的に取り組むべき時期なのである。

問題は脱・原発のタイム・スケジュールであるが、

1にトリウム溶融塩炉は米・オークリッジ国立研での4年間の無事故稼働実績があるため、設計・建設に2年、研究期間3年の計5年ほどで技術の完成ができるはずである。

続いて、これと並行して固体燃料としてトリウムを使う研究を同時にスタートさせる。トリウム固体燃料炉の研究は、インドやアメリカ、フランスが行なっており、すでに世界中に出回っている既存原発を無害化するためにも必要である。

国内でも、既存原発の設備を廃炉にするまでの間、トリウム炉として使えれば廃棄物を最小にすることができる。この研究開発をアメリカ・インドなどと組んででも10年以内に終え、既存原発をトリウム固体燃料炉に移行させる。

第3に、トリウム炉が完成するまでの間、東電管内につき、電力の自由化をする。この電力自由化は過去にやったことがあり、東電が募集したら、東京湾沿いの高炉メーカーなどから売電希望が殺到した経緯がある。それを受けて今は一部、自由化されているが、工場ごと、マンションごとの自由化でしかない。

そうではなく、売却を希望する者から一定額で東電が買い取り、それを供給するという「電力買い取り方式」にする。他の方式に比べて、すぐに移行でき、公平という利点がある。この方式ではコストの高い太陽光発電などは不利になるが、市場原理に従ってコスト競争をしてもらうというのは理不尽な要求ではない。

この方式は、将来的に電力会社を発電と送電に分離するという話になるが、福島原発の責任を考えれば、東電を使って数年間試行し、その後、全電力会社への導入を検討するのが妥当だろう。電力の需給を最適化する「スマートグリッド」も、並行して導入の準備をすれば良い。

脱・原発に向けて、こうした中長期の戦略を立てれば、「10年以内の既存原発の全廃」は可能と考える。

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トリウム原発への移行を!

福島原発の鎮静化が中々進まない。一体、東電を含めて、保安院、メーカーと、これほど災害に弱い原発を、よくぞ運転してきたものだと呆れるのは筆者だけではないだろう。

当面は関係者に事態の鎮静化のために頑張ってもらうしかないが、それとは別に、国家として、今後、電力をどう確保していくのかが大きなテーマである。

すぐに思い浮かぶのは地方分散型の国家にして、太陽光や小規模水力などの自然エネルギーを利用しての循環型社会だが、実をいうと言葉で言うほど簡単ではない。太陽光の変換効率は相変わらず悪いし、外気にさらすと劣化もあり、大都市の電力をまかなうには充分ではないのである。


そんなわけで色々と探していたら、「トリウム原発」に行き着いた。すでに承知の方もいるかと思うが、一般的にはあまり知られていないと思うので、今回はこれを紹介させていただきたい。(以下、200985日、日経BPより引用)


トリウムはウランの従兄弟のようなもので、天然に産する放射性元素である。そのトリウムを原子力燃料としてウランの代わりに利用しようとする動きが世界で静かに広がり始めた。背景には地球温暖化対策として世界的に原子力発電増設の気運が高まっていることがある。

その場合の大きな懸念は、核兵器の拡散と放射性廃棄物である。トリウムは核兵器の拡散防止に役立つうえに、プルトニウムを含む有害な放射性廃棄物がほとんど発生しない。

そんな良いことずくめの技術なのに、なぜ今まで実用化されなかったのだろうか。一言でいえば、理由は第2次大戦後の冷戦構造と核兵器開発競争にある。原子力の民生利用としての原発も、軍事利用と無関係に展開されてきたわけではなかったのである。

 核兵器には原料としてウランを使うタイプと、天然にはほとんど存在しないプルトニウムを使うタイプがあるが、プルトニウム型の方が圧倒的につくりやすい。プルトニウムはウランが核分裂反応を起こして燃えるときに生成されるが、トリウムを燃やしてもプルトニウムはほとんど発生しない。したがって、トリウムを原発の燃料とすると、核兵器を効率的につくれなくなる。そのため、政治的に日の目を見ることはなかったわけだ。

 米国では1950年代から70年代にかけて、トリウム溶融塩炉と呼ばれる原子炉の技術開発を進めていた時期がある。1965年から69年までの4年間、無事故で運転した実績を持ち、基本技術は確立している。トリウムの燃料利用を想定していたこの原子炉は、核の平和利用の本命であった。

 トリウム溶融塩炉の利点は小型化に適し、経済性が高いということだ。そして軽水炉の使用済み燃料や解体核兵器に含まれるプルトニウムを、トリウムとともに燃やして処理ができるという点も都合がいい。トリウムそのものは核分裂しないので「火種」としてプルトニウムが使えるからだ。

 米国にはトリウム・パワーという核燃料企業もあり、日本など世界で広く使用されている軽水炉でのトリウム利用を推進している。各国では、溶融塩炉だけでなく、さまざまなタイプの原子炉でトリウムを使えるようにする研究開発が行われている。

 米国、チェコ共和国のほかに、トリウム溶融塩炉の技術開発に向けて動き出した国としてはカナダ、ノルウェー、オーストラリアなどである。インドは60年にわたって独自に開発を進めてきた。そして、忘れてはいけないのが中国の台頭だ。

 残念ながら日本では封印された状態である。これまで古川和男氏など、ごく少数の技術者が溶融塩炉の実用化の必要性を声高に訴えていたが、全く無視されている。何しろ、東芝、三菱重工、日立製作所といった大企業が軽水炉型の発電所ビジネスでフランスのアレバ社とともに世界にその存在感を示しているわけだから、大型タンカーのように簡単には国策の舵はきれないだろう。しかし、世界の空気を読めないでいると、日本は世界から取り残される恐れも否定できない。(引用終わり)

日本がトリウム型原発に転換しようとすると、恐らく過去の経緯からしてアメリカから圧力がかかるだろう。核兵器製造のために、トリウム型原発を捨ててウラン・プルトニウム型原発を採用してきたのはアメリカだからである。

 しかし、事態は急変した。ウラン・プルトニウム型では事故があった時の制御が困難で、何十年、何百年も尾を引く大規模の災害となりやすい。

廃棄物の処理や事故の危険性も含めて、人間がコントロールできないものをつくるべきではないのである。

実を言うと、昨日14日、民主党議員の原口一博氏の講演会が都内であった。原発事故への対応の話が大半であったので、その質疑応答の時間に、このトリウム型原発の紹介をし、買ったばかりのトリウム原発の本(古川和男著『原発革命』文春新書)を渡しておいた。有力な政治家には今後もトリウム原発の紹介をするつもりで、21世紀型エネルギーとして、ぜひ、進めたいものである。

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福島原発の事故から学ぶ

311日の東北大震災からの復興がなかなか進まない。そんな中、原発輸出に直結するヨルダンとの原子力協定締結承認が参議院を通過した。23011の圧倒的多数での可決で、反対は共産・社民・糸数慶子氏のみであったという。


福島原発の事故処理がまだまだ予断を許さない状況で、数多くの設計上の甘さや天下り・無責任体質が明確になっている。今後、炉心溶融がどこまで進み、いつ危機を脱出できるのか、先が見えていない。国内においても、原発を今後、どうするか国論が二分される状況であるのに原発の輸出など、控えるのが普通であろう。



 今回の福島原発の事故は日本人の生き方そのものが問われている気がする。日本が原子力発電の採用に舵を切ったのは、戦後の早い時期であるが、あちこちに増設をしていったのはバブルの頃からである。


1985年、当時の中曽根内閣は、アメリカの要請で、アメリカの貿易赤字と日本の貿易黒字解消のため、元日銀総裁・前川春雄氏に「前川レポート」を書かせ、それにしたがって「円高誘導、マネーサプライの増加、内需の拡大、輸入の増加」という4点セットの政策を遂行した。


それが8691年のバブルを引き起こしたのであるが、その中で内需拡大策を見ると、①大都市圏内の建物建設(容積率)の規制緩和をし、大都市に2030階建ての高層ビルを林立させた ②電子レンジ、乾燥機付き洗濯機、200ボルト仕様のエアコンやオール電化製品の推奨で電力消費を拡大させた ③東京湾横断道路の建設、東京臨海副都心構想の具体化 ④お台場、横浜みなとみらい21、千葉の幕張新都心、大阪の関西新空港など、巨大施設、巨大リゾート、ムダな公共事業が次々と建設された。




こうした大都市中心・巨大施設中心の内需拡大策は必然的に大都市の電力消費を増大させ、原子力発電に頼ることになった。その結果が新潟県柏崎刈刃原発の事故であり、福島原発の事故につながったわけである。



今後も「輸出は円高を招く」として内需拡大による経済成長路線をとれば、類似の政策となり、原発は今後も維持・拡大が必要という結論となる。大都市集中型の国つくりと経済成長路線、過剰な公共事業と原子力発電所とは1セットなのである。




筆者は地方分散型の国つくりを進めれば原発に頼らずとも済むと考える。これは「地方に高層ビルを建てよ」という意味では無く、建物の高さを12階ほどに抑えて市街地への人口集中を避ける。エネルギーは太陽光、小規模水力、地熱など自然の力を利用し、大自然と共生した、永続可能な生き方を追求するべしという考えである。

それは明らかに経済成長路線の放棄であるが、果たしてどちらを選択するのかが問われている。




 世論調査などを見ると、今後も原発は必要だという意見と、もう原発はこりごりだという意見がほぼ拮抗している。

 原発推進派は、今回のヨルダンへの輸出についても、そうすれば経済的に日本が潤うという考えであるが、これは正しくない。なぜなら輸出が増えて貿易収支が黒字になれば、さらに円高になって他の輸出が減る。また、これ以上、円高になれば海外に生産拠点を移すという大企業が数多くあるからである。その分、雇用は悪化するので、今以上の輸出振興策は愚策なのである。




今後は、東北地方の復興を中心とした公共事業で内需を図りながら経済全体を復活させていくことになろうが、原発の計画も輸出も従来通りというのでは、今回の災害に何も学んでいないと言わざるを得ない。これほどの災害でも何も学ばないというのでは先が思いやられるのである。




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東北大震災について

東北地方を中心に大地震と津波が起こってから早、8日間がたった。未曽有の災害規模で、亡くなられた方、ご遺族の方には衷心よりお悔み申し上げる。

避難中の方々の多い中、「国家という統治機構の必要性と重要性」が国民的規模で知らされたのが今回の災害ではないだろうか?



95117日の阪神淡路大震災においては、自社さ連立を組んでいた時の村山首相は災害救助に自衛隊を出すことに躊躇し、死者6000人を出す結果となった。今回は何段階かに分けてであるが、最初から自衛隊に出動要請している。


10万人が出動したとしても、軍隊(自衛隊)ほど国家的危機における役割分担の徹底と任務遂行能力の高い組織はない。この組織の能力を最大限使うことが、避難民救済と災害復旧とのスピードを早める鍵となる。



元台湾総統の李登輝氏は、99年に起きた台湾中部大地震の経験を踏まえて、「リーダーシップを発揮するには自衛隊の幕僚長と官房長官(ついでに地方を統括する総務大臣も)をしたがえ、ヘリコプターから降りて災害地を1つ1つ見て回り、被災者を慰問し、地方自治体指導者から救済措置と財政負担を聞き取ることが大切」と提言している。



まことに適切なアドバイスで、災害から1週間以上経つのに、避難先に暖房や食料、必要な衣類が届いていないというのは問題である。


首相が行けば受け入れ体制で人手が取られる、などと言っている場合ではない。観光や視察に行くのではなく、情報を収集し、被災者のニーズを把握して、スピードある決断をするために行くのだから、受け入れ先の準備など要らないのである。自衛隊の幕僚長(と総務大臣)も同行させることで、実行力の担保された決断が下せるのである。



合わせて、全国の自治体で被災者を2~3カ月ほど受け入れることをもっと積極的にやってほしい。被災地を復興させるため、道路や土地を整備し、プレハブなどを建てるにしても2~3カ月はかかると思われるからである。


大きな災害はいつもそうであるが、国の在り様、個人の生き方を考えさせられる。

たとえば新潟沖地震の時にも、柏崎原発の真下が地割れし、大参事になるところであった。日本は地震が多い国であり、関連して津波も多い国と想定できるが、何度もの警告を無視して原発を推進し、我々もその利益を享受してきた部分がある。


具体的には、エネルギーも水も空気も食べ物も、産廃の処理も地方に依存しているのに、そのことに無頓着で来た。

首都圏には20階、30階建の高層マンションが立ち並ぶが、地震の揺れがひどいだけでなく、停電になればエレベーターも水道も使えない。


また、みずほ銀行が業停止に陥っているのは合併で巨大化し過ぎた反動である。銀行が業務を停止すれば、国民生活全般への影響は大きい。将来的にはリスク分散の観点からメガバンクの分割を考えるべきであろう。


地域主権も見直しの対象である。福島原発の冷却用に、高層ビル用の消防設備をもつ東京都のハイパー・レスキュー隊に出動を要請したが、決定権者は都知事である。

もし石原都知事が「これは民主党政権への天罰である」などと言って出動を拒めば、万策尽きるところであった。地域主権が進めば当然あり得ることで、民主党の掲げる地域主権が如何に危ういものか、分かろうというものである。



エネルギー供給にしろ、都市計画、ライフラインの配置、地方分権の限度など、今後は危機管理・リスク分散という観点から様々なものを見直す必要があると思われる。


もちろん私生活でも見直しは必要で、近場に行くにも車に乗っていた私は、当分、自転車を活用することにした。消費するエネルギ―を減らせば、その分、地球の資源を有効に使え、健康にも良いわけで、皆さんも何か実践していただきたい。



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左翼と新自由主義者が賛成するTPP

最近の民主党・菅政権にはあきれるばかりである。政権政党としての自覚がまったく無いと言わざるを得ない。野党も含めて政治の現状を見ると、ペンを持つ手が重くなるが、嘆いていても仕方がない。今回は表題のテーマで書いてみたい。

他党だけでなく民主党内でも慎重論の多いTPP(環太平洋経済提携協定)であるが、それに賛同する勢力を見てみると、①経済界 ②対米従属主義者 ③新自由主義者 ④左翼くずれ

4つに分類できる

そのうち、大企業中心の財界が賛成するのは理解できる。彼らは互いの国の関税をできるだけ低くして国際競争をすれば必ず勝てると見込んでいる。彼らが保護主義を批判するのは、保護主義では他国の市場でのビジネスチャンスを失うからである。


だから保護主義を批判するのは、いつでも勝つ見込みの圧倒的に高い先進国の企業である。だが、国際競争で勝てば貿易黒字が増えて、さらに円高になる。これ以上円高になれば海外に工場を移転せざるを得ず、それなら初めから海外での消費分をその地で生産する地産地消に徹した方が良いという単純なことに気付いていない。

次に対米従属主義者もTPPに賛成する。彼らは、アメリカと規則も商慣習も一体化して、アメリカの51番目の州になることが日本の安全を確かなものにすると信じている。だから、ご主人様の言うTPPに賛成する。かってアメリカが大豆の輸出を止め、世界中が被害に遭ったことなど、まったく忘れている。

また、新自由主義者=グローバリストも賛成する。彼らは国家の壁を低くして、国内取引にも海外取引にも国家が介入しない

「小さな政府」が理想である。だから、国家主権=関税自主権を放棄するTPPは「小さな政府の極限」であるとして、賛成する。


彼らの主張は財界と連携していると思うが、自民党内の小泉・竹中路線の継承者、みんなの党、民主党の菅・前原グループなどがこれに該当する。

ちなみに民主党内の他のグループ、民主党A(日本維新の会・原口氏など)も本質的にはTPPのような自由貿易協定には賛成である。前回の民主党マニュフエストには、「農家への所得保障を行い、自由貿易協定に参加する」と書いてあった。つまり農家への所得保障は自由貿易協定参加のための対策であった。唯一違うのは前農相・山田氏の「TPPを慎重に考える会」のグループであろうか。

次に左翼や新左翼くずれが、何故、TPPに賛成するかであるが、そもそも左翼というのは新自由主義とよく似た構造を持つ。なぜならマルクス主義は、「国家は階級抑圧の道具・暴力装置」と規定する。だから国家主権の発動たる関税自主権を放棄することは、「ブルジョア国家の弱体化」であるから歓迎する。これは新自由主義の「小さな政府」と合致する。


また、彼らは「万国の労働者=プロレタリアート団結せよ」と言うように、たえずインターナショナルを指向する。これは新自由主義者がたえずグローバリズムを指向するのと良く似ている。

さらに社会主義者はプロレタリア独裁を掲げ、それを世界化して、国際共産主義の統一政府を指向する。かってソ連が社会主義国であった時、同時に国際共産主義運動の世界統一政府であらんとして、他国に様々な介入や指示を出していたことを想起していただきたい。この考えは新自由主義運動が,その世界的な推進機関としてWTOやIMF,世銀などを「世界統一政府的な機能」として強化しようとすることと良く似ている。

また社会主義者は国家を階級対立の場ととらえ、プロレタリア(低所得の労働者階級)が権力を奪取することを目標にする。だからプロレタリアが増えることは、社会主義が近いとして歓迎する。


一方、新自由主義では社会格差の存在が競争の原動力ととらえる。だからワーキング・プアが増えても「ああならないように勝ち組に入ろう」と考える。つまり、それ自体が競争の原動力であるから、さほど意に介さない。

ワーキング・プアとは別名プロレタリアと言って良いから、この点でも彼らの増加は両者から無言のうちに歓迎される面がある。だが、ワーキング・プアとはバラバラにされた個人であるから、団結の共通基盤がないので階級闘争の担い手になることは今後もないだろう。

さらに左翼・社会主義者には前官房長官・仙石氏などのように「権力志向」の人物が集まりやすい。なぜなら彼らは労働者階級による権力奪取(プロレタリア独裁)を目指すからである。

一方、新自由主義者にも権力志向の強い人物が集まる。なぜなら「国家介入なしで国際競争をすれば、必ず『勝ち組』に入れる」と信ずるからで、「勝ち組」指向は権力指向と同義である。だからネオコン・グループは新自由主義と相性が良いのである。

以上、左翼も含めて労働組合関係者の多い民主党と自民党・

小泉竹中路線の共通点を見てきた。

アメリカ型の金融資本主義が格差や貧困を極大化する制度であり、同時に個人をバラバラのワーキング・プアにして民主主義を破壊する制度であることが徐々に知れ渡ってきた。お蔭で、すでに亡霊化した社会主義思想が復活しつつある。

今こそ、過剰な格差と貧困を解決し、地域や生活者を真に守る国家像が求められている。

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 WTOは世界に貧困を広める

WTOは世界に貧困を広める

世界貿易機関(WTO)が、日本の貿易政策に関する審査報告を行い、「日本の農業は他の部門に比べて生産性が著しく低い」と批判し、日本政府に改善を求めてきた。


また、日本がTPP(環太平洋経済連携協定)への参加を検討していることは評価する一方で、「09年から構造改革のスピードが遅れた」と、郵政民営化見直しの機運も含めて批判している。

WTOは2年に一度、対日貿易審査報告を作成・発表しているそうだが、全般的に小泉・竹中政権時代に強力に進められた「新自由主義=グローバリズム推進」の観点からの報告で、内政干渉もはなはだしいものになっている。


WTOはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)を前身とするもので、世界の貿易について「関税障壁」を撤廃するだけでなく、「非関税障壁」をも排除して、あらゆる活動に市場競争の原則を適用することを目標としている。極論すれば、国家の壁を無くして、TPPを世界的に広めようというわけである。

何故そうするかというと、国際的分業を進めることが生産の効率性を増し、世界に幸福をもたらすという考えである。各国は自国の得意な分野に生産を特化し、不得意な分野は減産ないしは撤退する。その方が全体の生産力が向上する(リカードによる比較優位の原則)という考えである。


 この考えは貿易だけでなく、分業一般に通ずるものとして定着しているが、問題は国際的分業によって生産力が上がったとしても雇用が増えるわけではない。雇用が増えなければ消費力も増えないわけで、生産量が増えた分、資源の枯渇が進む結果となる。


すでに物質文明は限界を超えているわけで、「生産量が増えるか

ら国際分業は良いのだ」という考えは国家の自立と雇用をおびやかし、「地球生命より経済成長が大事だ」というのと同じである。

国際分業論を初めてリカードが唱えた19世紀初頭は、国家間の貧富の格差はせいぜい2対1であった。今日では国連開発計画(UNDP)によると、741の格差がある。グローバリズムが拡がってわずかの期間でこの数値であるから、将来的には、もっと格差が広がるだろう。


さらにWTOによるグローバリズムの結果、世界の全経済活動の約4分の1は、世界のトップ200位までの超国家的・多国籍企業で占められている。すると、そのトップ200社の正社員だけが充分な収入と雇用を確保できるが、他の何十億人という人は失業と隣合わせの低賃金労働に甘んじることになる。


なぜなら大企業は安い労働力を求めて、インドや中国、バングラディッシュと生産地を変えるが、先進国の労働者は途上国の労働者と賃金競争させられ、ワーキング・プアか失業するしか無いからである。

つまり新自由主義=グローバリズムの政策を進めればモノの価格は下がってデフレとなるが、それ以上に賃金下落と失業増え、世界に貧困と格差を拡大するのである。


WTOは前身のGATTとは異なり、国連とは完全に独立した機関であることも問題の一因である。国連の機関であれば人権宣言や社会的・文化的権利条約、諸国家の経済的権利と義務の憲章などの規制を受けるが、そうではないため、WTOでは「人権」とか「人間的権利」といった言葉は無力になる。


元々、WTOはアメリカン・エキスプレスやシティコープといった金融サービス会社によってつくられた。彼ら国際金融グループにとっては関税を低くして取引と交流が増えるほど利益になるわけで、WTOは奥深いところで国際金融と多国籍企業の利益代弁機関となっている面があると言わざるを得ない。

経済取引に関する国際的なルールづくりと監視につき、必要性は充分に認めるが、それが国家の壁を無くする、あるいは自給できていた参加国の農業を衰退・消滅させ、国家の独立性や自立性を失わせるというのは明らかに行き過ぎである。

アメリカでも雇用の減少から、WTOの政策を問題視し、「WTOからの離脱」を訴える動きがあるそうである。歓迎すべきことである。


現代の民主主義国家は、国民が1人1票の権利をもって国の経営に関与できる国民主権を標榜している。しかし、それは国家に独立した主権があることが前提である。

つまり国民主権は国家主権を前提とするが、その国家主権の重要な一部である関税自主権が放棄させられてしまうと、国民主権は絵に描いた餅でしかなくなってしまう。


国民はWTOやIMFなどの国際機関には何の権限も持たないためで、国家主権を放棄した後は、せいぜい官僚や政治家の悪口を言うのが精一杯となる。

このようにWTOやIMF、そして世界銀行などが推し進めてきた新自由主義の政策は極めて危険なものであることを、あらためてご認識いただきたい。

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再びTPPについて

菅総理がダボスで開かれた世界経済フォーラム年次総会に出席した。通称ダボス会議と呼ばれるこの会議は世界のトップ・エリートが集まるもので、明文はないが、グローバリズムの進展が共通目標と言って良いだろう。


その中で菅総理はTPPへの参加を「第3の開国」ととらえ、6月を目途に結論を出すと明言した。まだ何も国会で議論もせず、民主党内でさえ反対意見があるのに、重要事項を海外で表明する姿勢は、鳩山前総理と一緒である。恐るべき軽率さ、前のめりぶりである。


ダボス会議に出席した日本の総理は過去に森、福田、麻生氏と3人いたが、いずれもその年に退任し、短命に終わったというのは、菅氏の今後を暗示している。

TPPについては、すでに様々な意見が出ているが、もう一度、整理しておくと、TPPの最大の問題は食糧安全保障をどう捉えるかである。これを重視する人は、当然にTPPに反対である。


TPPには日本を含めて9か国が参加見込であるが、それらの国のGDPを見るとアメリカが68%、日本が23%と、日米の2か国で91%にもなる。まさに「TPPとは日米間の自由貿易協定だ」と言われるゆえんである。


そのTPP参加でアメリカは「5年間で輸出を2倍に増やす」としている。

アメリカが他国に売れる工業製品はほとんど無いから、農産物を中心に売る。アメリカの農作物で有名なのはモンサントによる遺伝子組み換え作物とその専用農薬、一代限りのハイブリッド作物、収穫後に腐敗防止で果実などに農薬を噴霧するポスト・ハーベスト、そして狂牛病回避のための牛の出荷基準の違いなど、どれも食糧安全保障を揺るがすものばかりである。

そもそも先進国で食糧自給が問題とされたのは、73年、アメリカが不作のため、大豆の輸出を全面的に停止したことによる。あわてた各国は、食糧は自国で調達することが必要だとして、皆、自給率の向上に走った。フランス、イギリス、ドイツなどの先進国の自給率が高いのは、そうした歴史に学んだからである。

この考えに対して、「否、食糧など、リスクを分散して多数の国から輸入すれば、自給率など気にしなくて良いのだ」という意見がある。この主張には「日本は商人国家として生きるべし」という考えが根底にある。


目先の経済さえ良ければ何でも良いという商人国家の行き着く先は「死の商人国家」である。レーニンは「資本家は、利潤のためとあらば自分の首を吊るす絞首用の縄さえも喜んで売ろうとする」と看破した。日本が経済至上主義に走れば、そういう行動も将来はとることになるが、その結果はみじめな没落であると言える。

それでも商人国家を主張する人は、すでに日本が巨大商人資本の優位な国家となりつつあることを知っていただきたい。いわば日本版・多国籍企業であるが、経団連などは、政府に対し、「製造業派遣を認め、TPPに参加し、道州制を導入しろ。税収は法人税を下げ、消費税でまかなえ」と圧力をかけ続けているわけで、すでに充分に日本版・多国籍企業である。 


かっては大企業も、従業員や下請けを家族と見て、日本的な家族的経営をしていた時代があった。しかし、グローバリズムと金融ビッグバンの進展で、外資を受け入れるようになって企業自身が変質した。それまでの顧客・従業員重視から株主と執行役員の利益重視に変わってきたと思うのは私1人ではないだろう。大企業の内部留保200兆円がそれを物語っている。

これはサプライ(供給)サイドでの分化でもある。民主党は、よく「これまではサプライ・サイドに片寄っていた。これからはデマンド(需要側)サイド重視だ」というが、消費者もどこかで収入を得なければモノを買うことが出来ない。そういう意味で両面を備えているのが生活者である。


問題はサプライ・サイドが株主、執行役員、正社員、非正規労働者、派遣労働者、下請けと分化していることである。下方に位置する非正規社員らはワーキング・プアとなり、中国やベトナム、バングラデッシュの労働者と賃金競争をさせられるのである。


この分化はグローバリズム=新自由主義政策で既に進行しており、TPPなどの関税ゼロの自由貿易協定でほぼ完成する。利益を得るのは誰で、犠牲になるのは誰かを改めて考えてほしいものである。

もう一つ、重要なことは日本の根源的な文化は農耕文化である。「大地に根を張る、地に足がついている」などは、大地と親和的であるほど善という考えであるし、「浮き足立つ、地に足がついていない、頭デッカチ、机上の空論、絵空事」などは、その逆である。


農耕文化の根幹をなす農業がTPP参加で壊滅すれば、大地との親和性など吹き飛んでしまう。本当の根なし草、家なき子となるわけで、それほどの破壊力があるのがTPPなのである。

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対米従属,大企業寄りの菅改造内閣発足

ゲーツ米国防長官が来日し、14日、慶応大学で講演していった。その中で、「在日米軍基地が無くなれば北朝鮮はより挑発的に、中国はより強硬な姿勢を強める恐れがある」と指摘。日本が単独で防衛をになえば「防衛費は格段に跳ね上がる」などと語り、在日米軍基地の利点を強調した。

そうした中国と北朝鮮の脅威を主張しながら、アメリカは「思いやり予算」の増額を主張し、結局、在日米軍駐留経費の日本側負担につき、5年間、現行水準を維持することで合意している。これは「単年度主義」をとり、毎年、国会で審議されるべき日本の予算の金額を5年間もしばる異例の約束である。


結局、北朝鮮の韓国砲撃にしろ、中国の尖閣諸島漁船体当たりにしろ、漁夫の利を得たのはアメリカである。

特に北朝鮮については、昨年326日の韓国哨戒艇沈没事件の時から、米潜水艦との同士討ち説があり、それを一切報道規制して「北朝鮮犯人説」を仕立てあげてきた。また、昨年1123日の北朝鮮による韓国住宅地への砲撃にしても、その一時間前の韓国の軍事演習が海洋境界を超えてきたとの認識が、北朝鮮側にあった。


こちらが相手を刺激する行為を行なえば、反作用が返ってくるのは当然である。北朝鮮の行為を批判するにしても、日本は情報能力が著しく弱い。官僚ルートや御用学者の分析、米国供与のルートだけに頼っていては国益を害するのである。


それを明らかにしたのが、昨年の「ウィキリークス」の暴露した米外交公電である。その中で、クリントン米国務長官は、093月のオーストラリア・ラッド首相との会談で、経済成長を続け、米国債を買い込む中国につき、「どうやって銀行に強く対処すれば良いのか」と、悩みを打ちあけたという。米国債を200兆円も買い込む中国を銀行にたとえ、つき合いの難しさをこぼしたものである。


つまり、アメリカにとっても中国との付き合いは、中々難しい。経済的には中国の市場無くしては景気回復は出来ず、米国債を大量に買ってアメリカの資金繰りを助けてくれているから感謝すべき存在である。


経済と軍事は違うと言っても、米国の国益を考えれば、中国と本気で事を構えることなど無いわけで、日本は尖閣や北方領土問題の解決を自力で探る必要がある。その具体策を呈示できるところが、日本の政治の第3極を真にになうことができるのではなかろうか。



14日、菅改造内閣が発足した。顔ぶれをみると、「脱小沢、消費税増税、TPP参加」の内閣だと言える。本来であるなら内閣の改造は、進めたい政策の他に「党内対立勢力との融和と野党対策」が重点に置かれるはずだが、そのいずれにおいても失格で、短命予想の内閣である。


まず、小沢氏であるが、強制起訴されたからといって、離党勧告や除名処分は行き過ぎである。なぜならプロである検察が起訴したのなら「有罪確率99%」で、離党勧告はやむを得ない。しかし、素人による検察審査会による起訴では「推定無罪」が当然である。秘書が3人逮捕されていることを含めて、検察が本人を起訴できなかった意味は大きいと言わざるを得ない。

次にTPPであるが、別に「第3の開国」など、する必要はない。日本の食料の平均関税は12%程度であり、充分に開国されている。経団連や財界はTPP参加を声高に言っているが、それは輸出企業のサガである。輸出企業は、輸出先での競争が不利にならないよう、TPP参加を言っているだけである。しかし、TPPに参加して輸出が増えれば、貿易黒字が増え、また円高になり、「円高デフレ」になる。


円高になれば大企業は海外に工場を移転するが、それなら初めから海外に工場移転すれば良いのである。それで輸出が減って円安になれば、国内企業の競争力が増し、雇用が増え、内需が拡大する。かえってTPPに参加しない方が、円安のメリットを充分に享受できるのである。

TPPに参加すれば、日本の労働者はベトナムや南米などの低賃金労働者と価格競争をさせられる。今でさえ中国やバングラディッシュの低賃金労働者と競争させられているのだから、ワーキングプアや若年失業者が拡大することは間違いない。


それだけではない。アメリカは日本をTPPに参加させて農業・食糧の更なる支配をねらっている。国家の独立や安全保障は食糧自給率によっても大いに左右される。「国家と地域と個人の自立」を達成するためにも農業を大切にすべきで、TPP参加だけは止めてほしいものである。



地方分権と個人主義のはき違い

最近、地方の反乱の事例が数多い。大阪は橋下知事が「大阪都構想」を掲げて、事実上、大阪市を解体・吸収し、府知事の権限を強化して国に対抗させようとしているし、名古屋は「住民税10%減税」を掲げて、中京都構想を掲げている。


民主党の子ども手当については、神奈川県・松沢知事などが「地方に何の相談もなく負担を強制することには問題がある」と強調し、群馬県太田市、千葉県浦安市なども地方の負担を拒否する方向である。

長崎では諫早湾干拓の潮受け堤防排水門につき、開門調査を命じた福岡高裁判決を国が受け入れたことに対し、県知事は「開門が前提なら国の意見調整を一切認めない」と、面会すら拒否した。

それぞれの案件に、市長や知事が、地方の立場から異論があるのはやむを得ないことではある。しかし、国と地方とは対等ではない。あくまで国あっての地方である。それを忘れて「地方が国と対等に立ち向かう」という風潮が最近、多いと感ずるのは私だけであろうか。


もちろん明治以降続いた中央集権の中で、地方が衰退し、役割の割に権限や予算が少なすぎるという歴史的背景はある。そういう意味では中央集権国家のあり方を見直すべき時期に入っているのだが、それを考慮しても、最近の流れは度を超えた部分があるような気がする次第である。

これは地方分権だけでなく、個人の自立や個人主義でも同じだが、日本の場合、西洋の個人主義や自立の仕方とは明らかに異なるように思われる。


西洋の場合は、個人は国家や公共を媒介とせず、直接、キリスト的な1神教の神と結びついた。だから近代にいたって神が相対化され、個人が自立したと言っても、国家や公益を媒介にすることはない。

また、個人が自立しても、幼少時にキリスト的考えを躾として教え込まれているから、各人を規制し、結びつける潜在的な紐帯がある。したがって西洋では、各人が個人主義になってもバラバラの利己主義に陥ることは原則としてない(?)のである。

また、西洋では「神の相対化」は、科学的な作業として行われてきた。それまで神の領域とされてきたことを科学的に説明し、科学に置き換えることで人類の自立化があった。だから「親たる神」の領域を相対化することはノーベル賞が与えられるほど賞賛されるものであった。

この自立から精神的自律へのプロセスは、日本の場合、おそらく武士道がこれをになう。日本における自律心の形成は、西洋における個人主義とは異なっている。日本では、キリスト的な全体を統合するような神は存在しなかった。あえて言えば天皇が国家建国の父として1神教的存在であった。だから日本では天皇の統治から独立した武家政権が、自立の見本である。


つまり西洋での自立は「神からの自立」であるのに対し、日本での自立は「もののふ(武士)の心を持って家を出る」、あるいは「独立して一家を構える」という形で達成されてきた。直接は、いずれも「親からの自立」であっても内面は大きく違っていると思われるのである。


この武家政権は、天皇統治から独立したといっても「公対私」、「君対臣」、「国家対臣民」、「上司対部下」という上下関係を引きずっていた。「いざ鎌倉」という言葉があるように、普段は農民をしていても国(幕府)に重大事が起きれば真っ先に駆けつけるという精神で、「国家内自立」であったというべきであろう。

このことは、「日本人としての最大級の罵倒」として、「売国奴、非国民」という言葉があり、下克上が嫌われることを想起していただきたい。つまり日本では、絶えず「国家ないしは公益」を前提としての「国家内自律」であり、一辺に「世界内自律」とは行かないのが西洋とは異なるのである。

しかし、この武士道精神から発露した日本的自立⇒自律は、現行憲法下での「国民主権=個人主義」教育により、著しく阻害されてしまった。これは「国民主権の前に国家主権がある」ことを欠落させていることに問題がある。天皇の君主的部分を捨象した現行憲法が、同時に日本の国家主権の弱体化個人の利己主義化と弱体化をも見事に達成しており、アメリカの占領政策の成功例の一つだと言える。

最近、自立できず、キレやすく、社会適応のできない若者が多くなっている。これは、日本的な自律に至る過程を忘れて、西洋的な個人主義を猿真似で持ち込んだ結果であろう。

キリスト教のように各人を外枠で支える体系的な倫理観を持たない日本において、武士道という日本独特の行動規範や自立観があるのに、それらを教えずにきた。国家主権があってこそ国民主権があるのだという当たり前のことを教えないため、国民主権=個人主義=自分達が一番偉いとする風潮が蔓延している。

同時に経済的に自立するための職業的技能を教えずに、机上の知識ばかりに専念させて来た結果が、自立できない青年達の大量排出となっている。早急に教育のあり方を再考する必要があると考える。

個人主義が利己主義に陥りやすいように、地方分権も一歩間違えれば「地域の利己主義」に陥りやすい。それらを正常にさせるためにも「国の柱、背骨」をしっかりさせ、地方との関係をもう一度、再構築する時期に来ていると考える。

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