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Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「REFLECTION」LORAIN JAMES

 

 

 いま振り返ってみても、フライング・ロータスがエレクトリックミュージックに与えた影響は大きかったと思う。その〈前〉と〈後〉ではシーンの光景も一変した。もちろん、ダブステップの存在も忘れてはいけない。とりわけ、圧倒的なオリジナリティとクオリティでビートの概念を拡張していったブリアルはオリジネーターにしてイノベーターでもあった。それでもフライング・ロータスが与えた影響の大きさに比べれば、その影響は限定的である。はたして、フライング・ロータスの〈前〉と〈後〉では何が変わったのか。それは、有機的なエレクトリックビートの出現であり、ランダムな音の配置が生み出す予測不能な曲の展開である。誤解を覚悟で言えば、それは即興演奏に似ているかも知れない。もちろんそれがプログラミングされた音楽である以上、真の即興などありえず、いきおい即興演奏もどきにならざるを得ないのだが、先の見通せない有機的な音の戯れは予定調和を回避するには十分なものであった。トラップの自由さも、間接的にはフライング・ロータスの影響下にあると言っても過言ではないだろう。

 ロンドン出身の女性サウンドクリエイターであるロレイン・ジェイムスのアルバム『REFLECTION』を聴いて思ったのは、このアルバムもまた紛れもなくフライング・ロータス後の作品であるということだ。大半の曲にはラップやボーカルがフィーチャーされ、トラップから派生したドリルなどの影響が強いのだが、ダンスミュージックを超越した自由な展開がジャズを思い起こさせる。

 アトランタで生まれたトラップがシカゴでドリルへと変異し、そのドリルがUKへと瞬く間に飛び火して、UKガラージやグライムなどのUKサウンドと結びついていくという複雑な背景も、彼女のサウンドに厚みとユニークさをもたらしているといえるだろう。⑤「Insecure Behaviour And Fuckery」はイントロのコズミックなゆらぎがアンダーグラウンド・レジスタンスの「Jupiter Jazz」を偲ばせるIDMチューンだし、スモーキーな⑨「Change」にはフォーテックやブリアルの影がちらつく。さらに言えば、⑩「Running Like That」はアンディ・ストットも顔負けのエレガントエレクトロと言えるだろう。つまり、単なるグライムやドリルだけではなく、フライング・ロータスの〈前〉と〈後〉をつなぐ試みも、意識的にか、無意識的にかは定かではないが、このアルバムの大きな魅力のひとつになっている。

 この傑作をリリースするのが、かつてブリアルの名前を世に知らしめ、ダブステップのムーブメントを牽引した〈ハイパーダブ〉であるというのも興味深い。

 

追記

「Black Thing」のラップが「金貸したシーン」と聞こえるのは気のせい?

 

 

 

 

 

「Yellow」EmmaーJean Thackray

 

 

 南ロンドンのUKジャズムーブメントも、動きが本格化してから3年が経過しようとしている。ジョンソン首相の超アグレッシブな政策によりコロナ禍もニューノーマルな日常と化したロンドンから久しぶりにニューカマーが登場した。マルチ奏者で、楽曲制作やプロデュースもこなすエマ=ジーン・サックレイだが、昨年、ブルーノートからリリースされたUKジャズ新世代アーティストによるリミックス集『Blue Note Re :imagined』に精鋭の一人として参加している。じつは2016年に既にミニアルバムをリリースしており、非凡な才能は実証済みである。『Yellow』はその集大成とも言えるアルバムだが、引き出しの多さのためか、何度聴いても飽きず、気が付くとリピートしている今年屈指の名盤だ。

 私たちはこのような音楽に遭遇すると、ジャズとエレクトリック・ミュージックの融合だとか、新旧のハイブリッドだとか、紋切り型の表現に陥ってしまうのだが、本人にとっては、必要な音を必要に応じて組み合わせているだけで、ジャンルは関係ないのかも知れない。曲作りをはじめた時に既にテクノやハウス、ヒップホップがあたりまえのように存在した世代は、ことさらジャンルの壁を越えようと意図しなくても、無自覚のうちにジャンルを超越してしまっている可能性が高い。テクノさえもジャズを構成する要素/パーツのひとつとして、自然に選び取っているのではないだろうか。そのような世代を〈デジタル・ネイティヴ〉に倣って、〈クラブ・ミュージック・ネイティヴ〉と呼びたい。

 エズラ・コレクティヴやヌビア・ガルシアとも交流があるというから、南ロンドンの一角を占めるミュージシャンのひとりといっても間違いないのだろうが、楽曲の抜けの良さやソウルフルな歌唱などは、南ロンドンというブランドでは容易に括れない独自性に溢れている。 

 冒頭①「Mercury」の印象から、サン・ラーやジョン・コルトレーン、ストラタ・イーストなどのスピリチュアルジャズの影響下にあるアルバムと思った人もいるかも知れないが(私もその一人だ)、それは①「Mercury」だけで、②「Say Something」では、フィル・アッシャー直系のブロークン・ハウスが繰り出されるという意外な展開。続く④「About That」はモダールジャズ風の作品。⑤「Vnus」はラテンフレイバーを採り入れたボーカルナンバーといった具合に、曲ごとにテイストが変わっていく。⑥「Third Eye」は厚みのあるサビの伴奏がドラマチックなキラーチューン。ブロークンビーツにゴスペル風コーラスが絡む⑧「Sun」やエマ=ジーン・サックレイの特徴のひとつであるエレクトリックピアノがメロウな⑨「Golden Gleen」もいい。ストリングスが荘厳な調べを奏でる⑩「Specte」、アッパーなダンスチューン⑬「Our People」まで、招集されるジャンルは幅広い。

 果たしてエマ=ジーン・サックレイが〈クラブ・ミュージック・ネイティヴ〉だとして、それだけでこのようなアルバムが作れるだろうか。おそらくUKならではのエクレクティックな音楽風土、マルチ奏者/コンポーザーとしての才能、ジャズへの理解という下地があってこそなのではないだろうか。

 

 

「VOYAGR〜日付のない墓標」松任谷由実

 

 

 遅ればせながらアマゾンプライムで「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見ていたら、ラストシーンに思いがけず松任谷由実の曲「VOYAGER〜日付のない墓標」が流れて鳥肌が立った。カバーしたのは綾波レイを演じる声優の林原めぐみらしい。「VOYAGER〜日付のない墓標」は、小松左京原作の東宝映画「さよならジュピター」のために書き下ろされた曲だ。

 1970〜80年代の日本映画のSF超大作には“失敗作”や“トンデモ映画”、“残念な作品”と呼ばれるものが少なくなく、「スターウォーズ」(1977年)のヒットに便乗して突貫作業で作られた和製スペースオペラ「宇宙からのメッセージ」(1978年)や、パンデミックと核の恐怖を日本映画史上まれに見る空前のスケールで描いた「復活の日」(19980年)など、いずれも従来の日本映画になかったハリウッド風の物量作戦やSFX表現を売りにしていたが、扱うテーマが大きいぶんだけツメの甘さが目立ち、現在に至るまでツッコミの対象になることはあっても、正統な評価を受けることはなかった。しかし、これらの作品が観るべきところの全くない駄作だったかといえば、決してそんなことはない。「宇宙からのメッセージ」にはコンバットで有名なアメリカ人俳優ビッグ・モローが出演していたり、深作欣二の宇宙を舞台にした活劇が見られたり、石ノ森章太郎デザインの帆船エメラリーダ号がロマンに溢れていたりとそれなりに映画ファンを楽しませる細部があったし、「復活の日」ではオリビア・ハッセーをはじめ、ロバートボーン、グレン・フォード、チャック・コナーズ等の名バイプレイヤーを起用し、チリ海軍から借りた潜水艦を南極の海に浮かべ、テオ・マセロ作曲のオリジナル主題歌をジャニス・イアンが歌うという「翔んで埼玉」(2019年)とはけた違いのハッタリとエネルギーがあった。1984年に公開された「さよならジュピター」もそんな作品のひとつだ。

 2125年、宇宙に入植する人々のエネルギー確保のために、人類補完計画ならぬJS計画(木星を第二の太陽にする計画)を旗印に宇宙開発を進める人類。その調査過程で、ブラックホールの地球への接近を知った三浦友和演じる主人公は、木星を破砕させてブラックホールの軌道を変えようとする。そこに計画に反対するジュピター教団や地球外生命体による全長100㎞を超える巨大宇宙船ジュピター・ゴーストのエピソードが絡み、話は進んでいく。ヒッピーまがいのジュピター教団の描き方はご多分に漏れず酷く稚拙だが、リアルな宇宙船の造形やSFX技術はそれまでの日本映画の水準を塗り替えるもので、もっと積極的に評価されても良いのではないだろうか。正体不明の巨大宇宙船ジュピター・ゴーストの発する音がザトウクジラの歌(鳴き声)と同じ波長で、爆破する木星にレクイエムを捧げているように聞こえるところも、詩的で記憶に残るシーンだ。

 最後に流れる「VOYAGER〜日付のない墓標」には、〈冷たい夢に乗り込んで 宇宙に消えるボイジャー〉などというエヴァを連想させる歌詞もあるが、この曲を引用した庵野監督の狙いは「さようなら全てのエヴァンゲリオン」という台詞に「さよならジュピター」を重ねることで、小松左京や日本のオタク文化を支えてきた特撮スタッフにオマージュを捧げることにあったのではないか。話を広げすぎて収集がつかず、伏線の回収も覚束ない「さよならジュピター」と「エヴァンゲリオン」はどこか似ている。断言してしまおう。庵野秀明は「さよならジュピター」という映画をちょっとばかし出来の悪い子だと思っていても、駄作とは思っていない。むしろジュピター教団がトンデモだなどととあげ足ばかり取って、色眼鏡でしか見ようとしない感性の凡庸さを笑っているに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

「Happier Than Ever」Billy Eillish

 

 

 グリーンのヘアにダボダボシルエットのファッションがトレードマークだったビリー・アイリッシュが、オタクで引っ込み思案な従来のイメージを覆すかのようなブロンドヘアのお嬢様ルックへと大胆に生まれ変わって、新作『Happier Than Ever』とともに姿を現した。アルバムの中身もローテンションで貫かれていた前作に比べて、表現の幅が広がり、最大の特徴だったエキセントリックな要素は大きく後退することとなった。毒牙を抜かれたウィスパーボイスは、どこか懐かしくドリーミーとすらいえるほどだ。これが、そんじょそこらのメンヘラ系アーティストなら、“日和ったな”ということになるのだろうが、ビリー・アイリッシュだと思うと逆にその心境の変化に興味がわいてくる。アメリカ、イギリス、カナダなどでアルバムチャート1位を獲得し、グラミー賞で主要4部門を独占した彼女は、いまや歴としたセレブであり、いつまでもひきこもりの子どものままでいさせてもらえない。モラトリアム期間が過ぎた以上、その音楽性に変化があっても不思議ではない。

 ブレイクのっきっかけとなった前作『WHEN WE ALL FALL ASLEEP,WHERE DO WE GO?』(2019年)は彼女が弱冠17歳のときに兄と二人でトラック制作し、ホームレコーディングした作品であったにも関わらず、圧倒的な個性とセンスで誰にも真似のできない世界を提示するという偉業を成し遂げてしまっていた。一度耳に付いたら離れない「bud guy」をはじめ、捨て曲は一切無し。ダークでクセの強いベースラインにジェイムス・ブレイク以降のビート感覚、そして気怠い歌声といったミニマムな素材で、ありそうでなかった楽曲を具現化するというコロンブスの卵的発想のアルバムであったが故に、同じ路線を踏襲したとしても、早晩自家撞着に陥るのは目に見えていた。そこで、ビリー兄妹はファンの多くを失いかねない賭けに出たのだろう。つまり、音楽的正統への目配せと歌の復権である。前作ではバックトラックが主役であったのに対し、本作『Happier Than Ever』は、ビリー・アイリッシュのヴォーカルが前景化している。

 その象徴とも言えるのが①「Getting Older」であり、オールディーズやジャズからの影響を踏まえた小細工無しの歌とメロディが聴ける。③「Bille Bssa Nova」はボサノヴァとは言い難いが、ビリー・アイリッシュ流のボサノヴァ・ソング。アコギが新鮮で、チルにはうってつけだ。⑫「Your Power」も静謐なアコースティック・ナンバーだ。アルバム曲中、最も衝撃を受けたのが④「My Futur」。途中からテンポが変わるAOR風のナンバーで、突き抜けた存在感を放っている。スローなアコースティックサウンドから始まって、リバーブのかかった合唱へと展開していく表題曲⑮「Happier Than Ever」は、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」やチャールズ・ステップニーの「Les Fleur」を思わせる大作だ。齟齬を感じながらも、部屋を出て、世の中へと決然と歩み出したビリー・アイリッシュの決意表明だろうか。

 ②「I didn't Changee My Number」や⑤「Oxytocin」、⑬「NDA」のように前作の延長のようなベースラインを持った曲もあるが、「Bad Guy」ほどキャッチーでも、無邪気でもない。ひきこもりのままサクセスストーリーを実現してしまったビリー・アイリッシュにとって、自虐や諧謔、皮肉や呪詛は説得力を持たない。今作で顕在化したたビリー・アイリッシュの歌唱力にこそ、今後を占う鍵がある気がする。

 

 

 

「GGP/RMX」GoGo Penguin

 

 

 小山田圭吾がオリンピック開会式の楽曲担当を辞任することになった。筆者は小山田氏がオリンピックの楽曲担当に起用されていたことすら知らなかったので、まさに寝耳に水だった。ことの発端となったのは過去に「ロッキン・オン」や「クイック・ジャパン」に掲載されたインタビュー記事だという。クラスメイトや障害者に対する度を越したいじめについて、喜々として語る内容が倫理的に問題視されたようだ。

 今では小山田氏の熱心なリスナーとはいえなくなってしまったが、当時は大ファンだった筆者はフリッパーズギターやコーネリアスに関する記事が掲載された雑誌はことごとく購入していたので、問題のインタビュー記事もリアルタイムで読んでいた。ひどいことをするなあと半ばあきれながらも、小山田圭吾らしい悪態の付き方にオリエンタルラジオ(当時はいなかったが)の武勇伝のネタのような創作のニオイを感じたことを覚えている。かつてアニエスbとベレー帽を流行らせたモード系のカリスマが、わざと露悪的に振る舞っているなと思ったのだ。そこに書かれているいじめ行為は概ね実話だろうし、ねつ造ではないとも思ったが、小山田圭吾は率先して悪事を働くタイプではなく、周囲ではやし立てたり、ひやかしたりするタイプ(記事でも自分はアイデアを出す役目と語っているが)だと信じていたから、かなりエピソードを大袈裟に膨らませてるなとフィクションでも読むような気分で、さしたる問題意識も持たずほくそ笑んみながらページをめくったものだった。サブカル全盛期で、コンプライアンスという言葉もなく、特殊漫画家の根本敬や鬼畜系・電波系ライターの村崎百郎が活躍していた時代であり、吐き気をもたらすほど残酷といわれた和製スプラッタービデオの〈ギニー・ピッグ〉シリーズなども注目されていた。そうした環境に首までどっぷりと浸かっていた筆者もどこかたがが外れていたというか、理性の感覚が麻痺していたのかも知れない。

 小山田氏の行為は決して正当化できるものではないが、小山田圭吾って誰?というような人(若い世代とは限らない。小山田氏がオザケンとユニットを組んでいたことを知らない同世代も多い。)に、いじめ問題で有名になった人としか認識されないとしたら、それはとても不幸なことだ。筆者だってコーネリアスおたくが高じて、都合の良い虚像を生み出していることは否めない。それは分かっているが、TVコメンテーターが糾弾する小山田圭吾と素晴らしいポップスを届けてくれたコーネリアスが筆者の中で上手く像を結ばないのだ。このブログでYOASOBIについて書いたときに、小山田圭吾=コーネリアスのデビューシングルのタイトルが「太陽は僕の敵」だったということに触れたが、太陽=平和の祭典のオリンピックがきっかけとなって、キャリアに傷をつけることになったのは皮肉だが、必然だったのかも知れない。今大会で音楽監督を担当しているファンタスティック・プラスティック・マシーン(田中知之)よりも、個人的には才能を感じるアーティストだけに本当に残念なことだ。

 

 そこで、今回紹介するのがゴーゴー・ペンギンの最新作だ。ゴーゴー・ペンギンは、クリス・イリングワース(p)、ニック・ブラッカ(b)、ロブ・ターナー(ds)から成るマンチェスター出身のピアノ・トリオだ。ジャズ・ミュージシャンだが、ドラムンベースをはじめとするクラブミュージックやエレクトロニカ、音響派、インディーロックなどの影響を受けたサウンドに定評があり、2020年にはブルーノートからサードアルバム『ゴーゴー・ペンギン』をリリースしている。そのリミックスアルバムが今年リリースされた『GGP/RMX』である。じつは、その1曲目を飾るのが、コーネリアス(小山田圭吾)がリミックスを手がけた「コラ」なのだ。小山田色を出しながらも、原曲を崩しすぎず、演奏者へのリスペクトが感じられるリミックスワークになっている。

 本作ではコーネリアスの他にも、マシーン・ドラム、ローン、スクエアプッシャー、808ステイト、クラーク、ザ・ポルティコ・カルテットなど、非常に分かりやすい人選が為されており、それぞれ気合いが入っていて楽しめる内容になっている。リミックスアルバム自体が下火になっている現在、改めてリミックスアルバムの魅力を再認識させてくれる良質な作品集だ。

 コーネリアスに関して付け加えるなら、現時点の最新作『リップル・ウェイヴス』(2018年)において、前回紹介したハイエイタス・カイヨーテを起用しており、こちらも是非聴いて欲しい。

 

 

小沢健二のレビューとして書いたが、小山田圭吾論でもあるので再掲載をします。