6月6日から大阪府堺市のkockaさんで展示が始まります。
6月6日(土)から21日(日)まで大阪府堺市のkocka(コシュカ)さんで展示をしていただきます。昨年に続き2回目です。昨年の初の展示でしたが好評を頂いて、今年連続してお取り扱いをしていただくことになりました。うれしい限りです。
ただまだ不安定な状況ですので、kockaさんでもお店の営業には細心の注意を払ってらっしゃるそうです。自分も堺まで伺いたいと思ってましたが、流石にまだ関西に行けるタイミングではないので、在店は見送らせていただきます。
そろそろ梅雨が近づいてる気配。そんなシーズンにはさらりとした綿や麻、動きやすいスタイルがいいと思います。
お近くの方は是非お立ち寄りください
コシュカ
藤野くらしてさんで今週末まで展示していただいてます。
6月に入りました。今日は晴れてはいますが、なんとなく雲があります。梅雨に近づいてる気配です。
先月下旬から神奈川県西部の藤野にある「くらして」さんで今週末まで展示をしていただいてます。今回は自分は在店出来ませんが、お客様に喜んでいただけてる様子を、オーナーの大和さんから伺っています。本当にありがたいことです。
相模湖のほとりにあり、周りを山に囲まれている藤野の風景を見に行いきたいし、もうしばらくして、気軽に出かけられるようになったら、伺いたいと思います。
お近くの方は是非ご覧ください。
くらして
写真は藤野でなくチェンマイです
小倉商会 その7 売り始め
とにかく好きな手織の綿、草木染の布をオーダーできる目鼻立ちはつきそうだけれど、それをどう販売していったらいいのか?
当たり前だけど、これはめちゃくちゃ大きな問題だった。今から考えれば、かなり無謀なスタートだったが、タイミングとしてはリーマンショックの3年ぐらい前で、ぎりぎり何とかなりやすい時だったのかもしれない。試行錯誤しながらいろんなイベントに出てみて、全く赤字になってしまうことも何度かあった。都内では出展料は高額な分、タイのものがすきなお客様を呼べるイベントもあった。売上はある程度いくけど、出展料が年々うなぎ上りになり、あきらめざるを得なくなった。大阪に行ったときは設営したら台風が来てしまい、そのまま撤収して一晩新世界の宿に泊まってから、何も成果を上げずに帰った。野外イベントは天候にも左右されるので、本当に泣きたいこともあった。でも試行錯誤することは必要だったのかもしれない。
立ち上げてから2年目の秋だったか、都内のイベントに出ているときに、目白でギャラリーをやっているという女性が現れた。その頃には衣服という形で布を使うことが、手に取ってもらいやすいと思っていて、やっぱりもともとすきな民族衣装を探して仕入れたり、それに合わせることができそうな小倉商会オリジナルのラインナップを作り始めていた。モン族のスカートにヘンプコットンのTシャツをあわせたボディーを見たその女性は、今度うちに来てくれ、と言って立ち去った。その時からお世話になりっぱなしの「ギャラリーゆうど」の今井芽さんだった。
それからしばらくして、目白に行った。自分の扱っているものを持ってこいと言われていたので、持てる範囲でいくつかを持参した。ゆうどに入ると、眼光の鋭い老人がいた。芽さんのお父さん、今井俊博さんである。自己紹介をしてから持っていたものを見せると、ダメ出しの連発をくらい、最後にこう言われた。「自分が仕事をするとき、そこの風土をまずはみる。」正直何のことなのかわからず、考えてしまった。でも何だか変な言い方だけど、一芝居見たような感覚があり、何かひっかかるものがあった。
それからしばらくの間、時間を見つけてはゆうどに通って、話を聞いた。俊博氏が言わんとした概略は、素材も衣の形も気候風土から生まれてきている。そこに適した素材と形を見極めなければいけない、という事だった。それを聞いて、なるほどと思った。素材は長年使われている綿や麻を使っていきたいと思っていたが、形に関しては、タイパンツはかっこいいけど、そこから先どうしよう?と、ただ漠然とデザイン的なことを考えていた自分(全くアパレル関係はど素人なのに)は、モノの見方を教わったような気がした。見た目とかも大事だけど、道具としての衣服というものは、長い間庶民の中で使われてきている。そこに方向性を決める大きなヒントがあったのだ。単純なことだったわけだ。
方向性が決まれば、そこから布をどう使うか?もしくはこういう形をしたいからどういう布を使うか?試行錯誤が始まる。そしてその流れからゆうどで展示会をさせていただけることになった。2007年のこと。陶芸家の厚川さんとの二人展だった。土っぽさのある手触り感のある作品がうちの手織の綿や藍の色といい組み合わせなんじゃないか・・・と、すごくうれしかったのを覚えている。そもそも小倉商会を始めた時に、できたら日本の作家さんたちと何らかの接点を持って仕事をする機会を持つことができないか、と漠然と思っていたのだが、初めての展示会で同じ空間にならべて仕事ができるというのは、その時の自分にとっては単純に刺激的なことだったし、うれしかった。
その後いろんな場所で展示会をさせていただくことになっていった。 続く
懐かしい~! 初めての展示会のDM
小倉商会 その6 chiangmai
タイ北部のchiangmaiには前職出張時から何度か訪れていて、もともと知り合いも何人かいた。観光スポットとして有名だったナイトバザール(今はほぼシャッター街とかしてる)にお店を持っていたアカ族のご夫婦も知り合いだった。旦那が喘息気味で、空気のいい故郷のchiangraiの村へ戻ったのが自分が退職する少し前。小倉商会を立ち上げてからchiangraiに立ち寄ることがあり、時間も遅かったので一泊することにした。さて、宿をどうするか?chiangraiの市場あたりをぶらついてたら、その奥さんにばったり出くわした。市場に出店をしていたのだが、一人で来ていて旦那は家にいるという。お店はあと少しで終わるからそれからうちに来い、という話になり、ピックアップの荷台に乗せてもらい家まで連れて行ってもらった。そこの村からお店を出しているアカ族が何人かいて、ピックアップに相乗させてもらったのだ。家に着くと、久しぶりに会う旦那が前と変わらずニコニコしていた。しばらく話をしていたが、夜も遅くなっていたので寝かせてもらうことにした。部屋の準備をするからちょっと待てと言われたが、何だか様子がおかしい。しばらくして、泊めてもらう部屋の中に吊ってある蚊帳にすぐに入れ、と強く言われた。一般的にタイの田舎の家では蚊帳をつるしてあってその中で寝る。木造の家に虫が入って来れる隙間があるからだ。ただそれにしても、それをそこまで念押すか?といぶかしがってると、実はこの部屋の中でミツバチを飼ってる、だから刺されないように気を付けてくれ、とのこと。ホントかよ!と思ったけど仕方がない。走るように部屋に駆け込んで、蚊帳の中に入るとミツバチの羽音がしばらくしていた。でも蚊帳の外。無事に潜り込めたのだ。そのうち静かになったのか気にならなくなったのか、案外ぐっすり寝てしまった。
ミツバチと同じ部屋で寝たのはその時だけだけど、そういうちょっとしたハプニングは時々起こるもので、仕事上の出張とは言え、そんな予測不能なことがおこるのが面白い。それが無かったら、物足りなくなってしまうかも。
もちろん仕事で成果が出なければ話にならないわけで、今でも毎回その過程の精度をどうしたらあげられるのか?は苦心している。具体的にこれが欲しいという現物を用意したり、パターンを用意したり、日本でできる準備はなるべくするようにしている。ただそれにしてもお願いしてる織りや色味、衣の仕上がりぐあいがイメージ通りになるかは博打のようなもので、出来上がりを見るときには毎回本当にドキドキする。これは足蹴く通ったからといって、予想通りに出来上がることは難しい。当たり前だけどイメージの共有ができても、手仕事の精度や再現性を、離れたところで制作をしている人に過度に求めるのは無理がある。色に関して言えば天然染料は季節によって同じような色を出すのにも違う植物を使ったりするので、違うタイミングであれば同じ色を出してもらうのには無理がある。そんな当たり前のことも、教えてもらいながら理解できるようになってきた15年。まだまだわからない事も多いけれど、最近は少しずつイメージと出来上がりのギャップの差が小さくなってきているような気がしている。
村によってできること、得意なことには違いがあったりするので、もうちょっとこう出来たら..........なんて思っていた時の新しい良い出会いがあるのは、今でも本当にうれしい。
初めのころはどういう形で仕事を作っていくか、まずはthai国内ではどこに行けば何ができるか?を探すところから始めなければならかなった。それにいい関係が結べそうなところとは、長くお付き合いをしたい。そこで以前から知っていたpakeryawというお店の女性主人のpirinさんに相談してみた。彼女はもともと村の自立支援をしているNGOで働いていたが、そこから生まれてくる産品を販売するお店をchiangmai市内でずいぶん前から営んでいた。その経緯があるので顔も広い。できれば糸紡ぎや織を教えてもらえて、注文もでき、尚且つ泊まらせてもらえるという図々しいリクエストをした結果「その4」で書いたkaren族の村を紹介してもらった。本当にありがたいと思っている。
小倉商会を始めて15年通い続けたchiangmai。今は海外へ行くのが難しい状況だけど、早く、今まで通りみんなに会いに行きたい。