小椋聡のブログ「古民家に住もう!」

小椋聡のブログ「古民家に住もう!」

主に、動物や昆虫などのイラストを描いて仕事をしています。イラストやデザインを通して、「いのちの大切さ」や「生きる楽しさ」を伝えることができる仕事をしたいと願っています。

【「浅野千通子さん講演会と交流会」受付終了のお知らせ】
 

今月24日(土)に開催予定の「浅野千通子さん講演会と交流会」についての取材を彼女と一緒にお受けし、終了後にこれまでほとんどお話する機会がなかったので、いろいろなことを話すことができました。

…というのも、彼女とちゃんと話をするのは10年ぶりぐらい。最初に出会ったのは、マンションに激突してぺちゃんこに折れ曲がった2両目の事故車両の中。私は片足を挟まれて逆さまにぶら下がっていて、彼女は2両目の先頭の方に埋もれていて、上にたくさんの人が積み重なっている状態でした。足が抜けた後に瀕死の人を運び出しましたが(足の骨が折れていましたけど…)、そのときに彼女に「助けてください…」と声をかけられました。「大丈夫か」と声をかけたけど、「この子は助からない…」と思いました。それほど悲惨な状況で、どうしてあげることもできない現場でした。

その後、新聞などで必死に安否を探しましたが、結局分かりませんでした。

それから約1年後。亡くなった方の乗車位置や乗車車両を探すための取り組みの場で、車椅子に乗った彼女に再会しました。生きていてくれたことに本当に感動しました。彼女のこれまでの壮絶なリハビリの日々を思うと、なんと表現して良いのか分からない複雑な気持ちで涙が止まりませんでした。「助けてあげられなかった」という気持ちと、「しかたがなかった」という言い訳と、何もしてあげられすに「見捨てた」という罪悪感など、いろんな感情が入り混じっていました。でも、車椅子に乗って会場に来てくれた彼女は、「私はこうして生きているよ」「頑張ったよ」って言ってくれているように感じました。
周りには遺族の皆さんがたくさんいる場でしたので、あまり喜び合うこともできず別れましたが、それから、会社帰りに何度か入院中の彼女のお見舞いに行かせてもらいました。

退院をして我が家にも遊びに来てくれるようになりましたが、妻が双極性障害という病気になり、ちづこちゃんもPTSDの診断を受けたため、しばらく疎遠になりました。

そこからの我が家は本当に大変でした。どうやってその時期を乗り越えたのか、あまりよく思い出すことすらできません。

妻が少し良くなり始めたときに、ちづこちゃんはピラティスの教室をやり始めることになり、妻がレッスンに通うようになりました。まったく何事にも興味を示さなくなっていた妻が、自発的に彼女のレッスンに通うようになって、私の知らないところでお互いを支え合う良き理解者同士になっていたようです。彼女はいろんなことにチャレンジしようとしてもがいていましたが、事故から随分時間が経ってから妻と同じような症状を患い、精神科の病棟に強制入院することになりました。

この間、妻から彼女の様子を聞くか、たまに彼女が書いていたSNSの投稿で近況を知る程度で、あえて私からはコンタクトを取らないようにしていました。ただ、「調子が悪そうだ…」ということは何となく垣間見ることができました。

私は事故後、遺族や負傷者との関わりや事故調査のことでかなり事故のことに深く関係していましたので、私と関わることは「=事故のことを思い出す」ということを意味していました。なので疎遠になるのは致し方ないことと感じていましたし、事故後、たくさんの被害者のかたとお付き合いがありましたが、時間と共に皆さんと距離ができるようになりました。「そんなもんか…」と思う反面、生きている人間は同じ場所にとどまっているわけにはいきませんので、疎遠になるのは、それぞれの人にとって良いことでもあったはずです。

事故から6年目に国との事故調査のことが一段落し、我が家は事故から8年目に多可町に越してきました。まったく縁もゆかりもない場所でした。妻の病気は一進一退でしたが、少しずつ底上げがされてきたように感じています。きっと、この場所が彼女に合っていたのでしょう。

本来10年目に出すべき書籍のことが宙ぶらりんになり、モヤモヤした時間を過ごしましたが、事故から13年目に自分で出版社を作って、妻と共同で「ふたつの鼓動」という書籍を発刊しました。これまで伝え残していたことを全部吐き出すことができて、もうやり残したことはないと感じました。後は、バラバラになった事故車両を、今後、どのように安全教育のために活かすのか…ということだけですが、これはまだもっと先のことではないかと思っています。

そして今年の3月末にちづこちゃんが新たな家族の息子さんと一緒に我が家に遊びに来てくれて、その後、「自分が経験したことを伝えることによって、生きる力をお伝えできれば」という思いで、講演会をする場所を探しているということを知りました。人が集まって、知らない人同士がつながることができる場所「古民家空間 kotonoha」を3年ほどかけて創り上げてきた私にできることは、これかなと思いました。彼女にとっては、自分の経験を自分の言葉で話をしようと思うようになるまでに、これだけの時間が必要だったのでしょう。

こんなに遠い場所であるにも関わらず、すでに45名ほどの皆さまがお越しくださることになりましたので、本当はもっとたくさんの方にお話を聞いていただきたいのですが、そろそろ受付終了とさせていただこうと思っています。すみません。
告知をしている間に、ネットでの情報をとおしてはるか遠くのJR東日本さんからお声がかかり、11月に二人で約300人の社員の前で講演をさせていただくことにもなりましたし、来年、事故から15年目には東京でも講演ができたら良いなということで、これまでにいろんな立場で事故のことに関わってくださった方がプロジェクトチームを作って、関東で動いてくださっています。本当にありがたいことです。

ご予約をしてくださった皆さま、「私のいのちを生きること」というタイトルどおり、ひとりひとりにとっての「生きる勇気」をお伝えできる場にできるように頑張ります。当日、お目にかかれるのを楽しみにしております。


田舎の集落での暮らしでは、日役と呼ばれる村全体での共同作業の日が多かれ少なかれあります。この三谷集落では、毎年決まった作業が年に4回あります。主には村が管理している共同の敷地の草刈り作業ですが、春の「溝掃除(草刈り)」、台風シーズン前の「山道作り(草刈りと側溝掃除)、夏の「川刈り(村を流れる川の土手の草刈り)、秋の「道作り(草刈りと秋祭りの準備)」です。

 

まずは春の「溝掃除」。これまではただ草刈り機を持っていって、みんなが刈っている周辺を刈っていれば良かったのですが、隣保長として初の日役ですので何をすればよいのかな…と思っていたら、前日に区長さんからお電話がありました。

「明日の、ゆねは誰が出ることになりましたか?」とのことで、「ゆね??」「誰が出る?」…と、お葬式のときと同様、まず日本語の意味そのものが分からなかったのですが、よくよく話を聞いてみると、『「ゆね」と呼ばれる川から田んぼに水を引くための取水口の掃除には、各組から一人ずつ当番を出して掃除をするので、各組の隣保長はその当番を決めてゆねの掃除に行かせてください』という意味だったようです。これ、移住してきた人には、ほぼ100%通じません…。「ゆね」とは、いったいどんな漢字を書くんでしょう?

 

 

その他、村から各組に草刈り機に使う混合ガソリンが支給されるので、隣保長は携行缶に入ったガソリンを1年間保管することになっています。草刈りがある毎に持って歩かないといけないのですが、我が家には軽トラックが無いのでご近所さんのトラックの荷台に積んでもらって運ぶことになります。自分の車だと車内で高温になって危険なので、こういうときにもやはり軽トラックがあると便利だな〜と思います。薪ストーブの薪を運ぶときにあったら良いな〜と思うことはありますが、畑や田んぼをしていない我が家はホントに年に何度かしか必要ないので、今のところ購入の予定は無し。

 

春はまだそれほど草も伸びていないので作業そのものは楽ですが、公共の場所がきれいになるととてもすっきりして村全体がとてもきれいに見えます。

こちらに来るまでは草刈り機も使ったことがありませんでしたが、これは劇的な威力を発揮するので結構好きな作業です。家の庭も定期的に刈ると見違えるようにきれいになります。

 

通常、草刈り機の刃はスチールの円盤を付けて使うのですが、自宅の庭を刈るときにはナイロンカッターと呼ばれるヒモ状のものを使います。これは、「刃で切る」と言うよりもナイロン状の硬いヒモで草を「叩き切る」という感じなのですが、細かい岩の隙間や段差のあるところでもきれいに刈ることができるのでスグレモノです。しかし、ネックは石が周囲に飛びまくるので、必ず顔を覆うフェイスガードを付けてやらないと、下手をすると失明します。さらに、家の窓などにも雨戸を立てておかないと、石が飛んで割れることがあるので気をつけなくてはいけません。越して来てすぐに、そんなことも知らずにブンブン刈りまくっていたら、窓を割りました…。

 

田舎暮らしの必需品。軽トラックもあった方が良いですが、まずは草刈り機。絶対必要です!

集落内でお亡くなりになった方がいた場合、区長は可能な限り全員の葬儀に出席するそうですが、隣保長は基本的に同じ隣保の方が亡くなった場合にのみお世話をさせていただくことになります。もちろん、隣保関係なく親しくお付き合いをしておられる方は葬儀に参列するのですが、隣保としての役割は親族の皆さんをお手伝いして負担を減らし、ご近所の仲間を皆で送り出してあげることです。

残念ながら、隣保長になって一番最初の仕事がお葬式ということになりました。集落によって違う…というよりも、各家によってまったくやり方が違いますので、これまでに何度も隣保長をやっている方でも、葬式に関してはどうすれば良いのか分からないというのは正直なところのようです。

 

 

昔は集落の集会所で葬儀を行うことが多かったようですが、最近は葬儀場で執り行うことが増えたので、同じ隣保の皆さんが自主的に食事などの準備をすることは少なくなったようです。僕はまだ一度も経験したことがありませんが、隣保で接待の食事の準備をする場合はお出しする食事の内容が決まっているようですので、皆で手分けをしてあちこちに買い出しに出るそうです。大量の食事を用意するのでこれがなかなか大変とのことですが、当然、葬儀なのでそれが突然降って湧いてくるわけです。

 

隣保でお亡くなりになった方がいると、直接、隣保全員の家に知らせに来てくださるご近所さんがいるので、情報はすぐに回ります。近隣の皆さんも僕が初めて直面する葬儀なので、分からないことだらけだろう…と心配してあれこれアドバイスをしてくださるのですが、「まずは、そうけのご意向をお聞きして…」と言われても、「そうけ?」という単語そのものが分かりません。普段馴染みのない言葉ですが、葬儀を執り行う家と書いて「葬家」というそうです。

「しゃばりょうを準備して…」というのも、「シャバ料?」ヤクザのシャバ代のこと!?と思ったら、「車駕料」と書いてお坊さんのお車代とのこと。一事が万事すべてこんな感じで、「とぎりょう(斎料)」「やくそう(役僧)」など、耳で聞いただけでは何を言っているのか全然分からないことだらけで、まるで外国語を聞いているような状態でした。

 

さらにどうして良いのか分からないのは、お亡くなりになった方は普段からお付き合いがあるので連絡先を把握していますが、その親戚関係となると、誰がどう繋がっているのかまったく分かりません。昔からここに住んでおられる方は当然把握しておられるのですが、この地域は同じ名字の方が多いので、名前で判断することもできないのでほぼお手上げ状態。

幸い、同じ隣保に移住してきたご夫妻がいるので、「何が分からないか」ということを分かってくれる方がおられるので助かりましたが、同じ隣保の長老の後を付いて回って無事に役目を果たすことができました。3年間のお役目の間に葬式が無いに越したことはないのですが、果たして何度か経験したら理解できるようになるものでしょうか…あまり自信がありません。

 

田舎の葬儀は葬家のご意向によってかなり違いますが、おおむね隣保の皆さんがお通夜と葬儀の両日の駐車場係と香典の受付などのお手伝いをさせていただき、お骨がご自宅に戻って来てからご挨拶に伺うという流れかと思います。なので、ほぼ二日間お世話をさせていただくことになりますが、場合によっては葬家の代わりにお弁当の手配をしたり、必要な物の買い出しに出たりもします。昔のように同じ地域内で仕事をしている場合は田舎の習慣に理解があるので突然休むことも可能でしょうけど、他地域の企業に務めておられる方は難しいかなと思います。僕の場合はフリーランスなので比較的自由に時間を調整できますが、もし自分にしかできない講演会や講座を受け持っていた場合は絶対外すことができませんので、どなたかにお願いをするしか方法がありません。こういう場合、同じ家か近隣に身内が住んでいると代わりに出席してもらえるのですが、我が家は両親が鳥取、弟夫妻は北海道なので、ほぼ不可能です。

 

僕のように子供の頃からあちこち転居が多い人にはなかなか理解できませんが、同じ集落内に同級生がいたり、兄弟のようにずっと何十年も一緒に育った人が亡くなった場合、ご近所の全員でお見送りをしてあげたいというのはとても自然な流れなのではないかと思います。また、同じ集落内に親戚がたくさんおられるので、近隣の皆さんが葬家の皆さんの負担を減らすためにお手伝いを申し出るというのも理にかなった習慣のように感じています。

こちらに越して来てまだ6年ですが、一緒に草刈りをして秋祭りなどに参加していたご近所さんがお亡くなりになって空き家になってしまうと、それほど深いお付き合いをしていたわけではなくても、何となく寂しいものがあります。

兵庫県の多可町に越して来て、もうすぐ6年になります。本当は来年度から隣保長が回ってくる予定でしたが、役に当たっていた方の体調が思わしくなく、運営が困難であったために1年前倒しで僕がお引き受けすることになりました。なので、本来の任期+1年で合計3年間隣保長を務めさせていただくことになりました。分からないことがいろいろありますが、3年間経験すると、きっといろんな側面で日本の田舎の自治システムの素晴らしさや課題が見えてくると思いますので、少しずつ記録に残していこうと思っています。

 

 

現在、三谷という集落(村)の三隣保に住んでいますが、集落の運営は、区長をトップにして副区長、会計の三役が集落の運営を行い、その他に山林係、土木係、農会長、寺総代、宮総代など、いろんな役があります。細かい部分は集落によって違うのだと思いますが、基本となるところはほぼ同じではないでしょうか。

 

僕が前に住んでいた西宮市の青葉台という住宅街で自治会長をしていたことがありますが、そこは440世帯、全23組の大きな自治会でした。なかなか大変でしたが、そこでの経験はとても役にたっています。こちらで言う「区長」というのは、自治会でいうところの「会長」にあたり、自治会の「組長」が「隣保長」です。三谷は7組まであって、世帯数は67世帯の自治会ということになります。

 

僕が34歳のときに自治会長をやっていましたが、やってみると「地域ってこういうふうに運営されているんだ」という新たな発見がたくさんあってとてもおもしろかったのですが、田舎の区長は、おそらく都心部の自治会長よりももっと大変です。

集落によって行事や運営の方針がまったく違いますので、区長には集落運営の責任がある代わりに、町長ですら口出しができないほどの大きな権限があります。集落内のことに関して言えば、区長がYESと言わなければほぼ動けません(もちろん役員会での話し合いで決めるのですが)。それは隣保長でも同じことのようで、まだ実感はありませんが、隣保の行事に関しては隣保長に一任という感じのようですので、個別に独立した隣保の集合体がひとつの集落を形成しているような感じなのではないでしょうか。

 

集落によって草刈りの回数も違いますし行事の内容も全然違いますが、三谷の場合は年に4回定期的な出役の日が決まっていて、主な仕事は草刈りです。4月に溝掃除をして、台風が来る前の7月に山道の側溝掃除、8月に川原の草刈り、10月に秋祭りの準備を行います。7月の山道の側溝掃除は敷地が広大で、ほぼ土木作業なのでホントに大変です…。

他の集落では、秋祭りで村芝居をしたり運動会をやったり、神輿や獅子舞が出るところもあるようです。そういった行事の準備もありますので、集落によってやることも予算も全然違ってくるわけです。

 

外国生活が長い方がこうした自治の在り方をみるとびっくりするようです。通常は、国の方針で決められたことを各家庭が守るというのがほとんどの国のやり方のようですが、日本の田舎は各集落が自発的に住民からお金を集めて集会所を維持したり消防団の運営費に充てたり、公共部分の草刈りや祭りの運営を行っています。都心部のように災害があってもすぐに消防車が駆けつけてくれるわけではありませんので、大雪のときには集落の消防団が自発的に雪掻きをしたり、大雨のときには土嚢積みをしたりしてくれています。こういった自治の在り方は、僕もホントに素晴らしいなと感じています。ただ、逆に言うと、住む人が減ってきて集落を維持できなくなってくると、これは深刻な問題になってきますので、日本全国、田舎の集落の存続というのは共通の課題なのではないかと思います。

 

ネットの情報を見ていると、「田舎は閉鎖的」「集落に受け入れてもらえない」など、ネガティブな話題が山のように出てきますが、我が家がここに越して来て6年の間によそ者扱いをされたことは一度もありません。皆と同じように接してくれますし、自宅でお店をやったり民泊をやったり、いつも不特定多数の人が集まる場所ですが、快く応援してくださっています。妻共々、とても良いところに越してこれたな〜と喜んでいます。

 

隣保長として今後経験することが、これから田舎暮らしを計画しておられる方に少しでもお役に立てればと思いますので、今後の投稿をお楽しみに!

浅野千通子さんの講演会のご案内です。

 

彼女のことは、我が家が綴った書籍「ふたつの鼓動」の中にも何度か出てきます。僕が最初に彼女に会ったのは、まさにぐちゃぐちゃに潰れた脱線事故車両の2両目の中でした。車両の後方に乗っていた僕はマンションに激突して前の方に飛ばされていって、人が塊のようになった山の上の方に右足を挟まれて反対向きにぶら下がっていましたが、彼女は2両目前方の山の一番下にいました。顔だけが見えている状態で、たくさんの人が上に積み重なって押し潰されていました。


「助けてください」と声をかけられたけど、自分の背丈よりも高い場所で人と瓦礫と外れた座席が複雑に絡み合って彼女の上に何十人も乗っていたので、どうしてあげることもできませんでした。地獄のような現場で、「この子は助からない…」と感じました。むしろ、早く楽にしてあげてほしい…と思えるほどの絶望的な状況でした。爆撃を受けたような現場でしたので、レスキューの方にお任せしてその場を離れましたが、ずっと彼女の安否が気になっていました。

 

その後、新聞や報道で必死になって探しましたが、約1年後、亡くなった方の乗車位置を探す取り組みの会場で、車椅子に乗って来てくれた彼女に再会しました。14箇所を骨折して折れた骨が足から飛び出し、骨盤と股関節がバラバラに粉砕していたので、もう元通りには歩けないと医師に言われたそうですが、凄まじいリハビリとPTSDによる精神の病を経て今はピラティスの先生に!

 

事故から14年の時間を経て、「いのち」と「生きること」について伝える役割があると強く感じるようになったとのことですので、kotonohaで講演会を開催させていただくことになりました。こんなときが来るなんて感激です。主催者として、僕もちょっとだけ司会で登壇させていただきます(^^)

 

人生いろんなことに巻き込まれて翻弄されることもありますが、きっと彼女の話は、そうした中でも「生きることは素晴らしい」ということを教えてくれるのではないかと思っています。是非、ご参加ください。

 

【浅野 千通子 講演会と交流会】
私の「いのち」を生きること〜JR福知山線脱線事故の経験をとおして

 

日時:2019年8月24日(土) 13:30〜15:00 ※その後、交流会
場所:古民家空間 kotonoha 兵庫県多可郡多可町加美区三谷255
参加費:¥1,200(税込み) ※ケーキセット含む

 

また4月がやってきました。JR福知山線脱線事故から14年目を迎えますが、この1年間はいろんな変化がありました。

 

まずは、昨年7月にコトノ出版舎という出版社を立ち上げて、9月に「ふたつの鼓動」という書籍を妻と共著で出版しました。本来であれば事故から10年目に別の形で記録として残しておくべきものでしたが、諸般の事情によって形に残すことができませんでした。それがとても残念で心残りだったのですが、それから3年半後にようやく自分の大きな役割を終えることができたように感じています。

いろんなことに妻と共に向き合ってきたつもりでしたが、この編集作業をとおして(自分の出版社なので、執筆はもちろんのこと、編集、校正、デザイン、流通などもすべて自分で行いました)私がまだ気が付かなかった妻の思いを知ることができましたし、自分が当時どのような行動をしていたのかを思い出すことができました。「書く」という行為は、自分の考えを見つめ直す上でとても重要なことだと再認識しました。

 

ふたつの鼓動(コトノ出版舎)

 

そして、4月22日・22:50〜23:20までの30分番組、NHKの全国放送「事件の涙」の取材を受けることになりました。この書籍を読んでくださった若いディレクターさんが、ご自身の経験とも重ね合わせて「人が生きるとは」ということにとても共感をしてくださり、取材のご依頼がありました。

NHKの取材は通常でもかなり長時間の取材であることが多いのですが、今回はほぼ1ヶ月間、定期的に数日間泊まり込みで一緒に生活をしながらカメラを回し、いったん局に帰って内容の確認。そしてまた我が家での撮影…という繰り返しでした。一緒に過ごさなければ見えてこないこともありますので、この方法は必須だったように思います。

 

NHK「事件の涙」

 

・4月22日(月)「事件の涙(全国)」22:50〜23:20

・4月26日(金)「かんさい熱視線(かんさいローカル)」19:30〜20:00

・再放送5月3日(金・祝)「事件の涙(全国)」5:10〜5:40

 

妻が抱えている双極性障害という病気そのものや、彼女の性格などからして、普段普通に接しているとまったく病気のことなどには気が付かないと思いますが、一緒に生活をしているとその片鱗が見えてくるようになります。

我が家は比較的たくさんの人が集まる場所ですし、仕事としていろんなことにチャレンジしたり、地域でのボランティア活動なども行っているので、すでに事故の影響は何も無いように見えるかもしれませんが、月に一度の通院や周期的に繰り返される彼女の不調などは、日々の日常の中にそれらは当たり前のように同居しています。それを自分たちの人生の中でどのようにとらえていくのかが、我が家にとっての14年間であったように思います。

 

いずれにしても、この14年目はいろんな意味でこれまでに感じてきたことを、書くという行為やまとまった時間の取材を受けるということで整理ができた年だったのではないかと感じています。

いろんな苦難の中で生きている方もおられると思いますが、鉄道の事故という視点で見ている書籍ではありませんし、番組もそのような内容では無いのではないかと思います。「夫婦とは何か」「生きるとは何か」を感じ取っていただけると嬉しく思います。

【発売中】

価格:¥1,296(本体:¥1,200)+送料
サイズ:A5判/ページ数:160p/高さ:148mm
ISBN:978-4-9910423-0-0 C0095

 

ご購入希望の方は、下記のコトノ出版舎までお問合せください。

著者:小椋 聡/小椋 朋子
表紙デザイン/装丁:コトノデザイン
発行所:コトノ出版舎
〒679-1333 兵庫県多可郡多可町加美区三谷255
電話:0795-20-8253 FAX:0795-20-7484

 

※Amazonでのご購入も可能です(「一時的に在庫切れ」という表示になっている場合がございますが、Amazonのシステム上の問題ですのでご注文可能です)。

 

【目次】

  • はじめに
  • 第一章 微熱
  • 第二章 妻の鼓動 Ⅰ
  • 第三章 夫の鼓動 Ⅰ
  • 第四章 妻の鼓動 Ⅱ
  • 第五章 夫の鼓動 Ⅱ
  • 第六章 妻の鼓動 Ⅲ
  • 第七章 最期の乗車位置
  • 第八章 呼吸(妻の変調)
  • 第九章 呻吟(夫の決断)
  • 第十章 動悸(事故調査報告書に関わる作業〜示談)
  • 第十一章 妻のあゆみ
  • 第十二章 夫のあゆみ
  • 第十三章 ピエタ
  • おわりに

ご予約はこちらのコンタクトフォームに下記の必要事項を記載の上、お申込みください。完成次第、発送させていただきます。
お支払いは同梱の振込用紙をご使用いただくか、請求書に記載の振込口座にお振込み下さい。※送料および振込手数料(必要な場合)はご負担願います。

  • 題名に「ふたつの鼓動の注文について」とご記入ください。
  • 希望冊数
  • お名前(ふりがな)
  • 送付先の住所
  • 電話番号/メールアドレス

コトノ出版舎」で最初に取り扱う書籍のご案内です。

事故から10年目にどうしても形に残しておきたかった内容ですが、諸般の事情によって実現することができませんでした。そのまま放置したままにすると、将来、絶対に後悔するだろうと思いましたので、自分で出版舎を作って出版をするという方法をとることにしました。この書籍では妻が半分以上執筆していますし、私の直接的な事故体験を伝えるための内容ではありません。これまで、個人での仕事で社会の中で様々な困難の中にいる方たちに接する機会がありましたが、彼らの多くは取材をされるわけでもなく、表立って声をあげられる訳でもなく、声なき声を抱えながら社会の中で苦悶しながら生きています。その最たるものが私の妻の声だと思っています。電車に乗っていた訳ではない彼女が、なぜ生涯治らないと宣告された病気を抱えることになったのでしょう。彼女は心が弱い人なのでしょうか?私はそうは思いません。そのことこそが、この書籍をどうしても残したかった理由のひとつです。

私が会社を辞めて、今、この場所を選んで生活をしているのも、生き急いでいるようにいろんなことに取り組んでいるのも、根っこになっている部分は13年半前のこの事故に起因するものだと思っています。事故から10年目から3年半の時間が経過しましたが、これをやり終えると自分の中での大きな課題がひとつ終わります。

現在困難の中にある方、もしくはこれからいろんな事件事故や災害などで苦しい状況に追い込まれるかもしれない方、苦難の中にいるときはもう二度と笑える日は来ないように思ってしまうものですが、人生は決して捨てたものではないということを感じ取ってもらえたら嬉しく思います。二人でたくさんの時間をかけて作り上げてきた書籍です。ご一読頂けると幸いです。

 

https://kotono-design.com/news/kotono-publishing_futatsuno-kodo_book/

 

こちらに越して来てからずっと放置していた離れ。現在は、あっちこっちから頂いてきた建具の物置状態になっています。

 



コンパクトでとても可愛いたたずまいなのですが、天井からポロポロ土や埃が落ちてくるので、掃除をしてもすぐに土だらけになってしまい、このままでは部屋として使用することができません。

 

 

以前、現在寝室に使っているプレハブ小屋の天井板を張ったことがあるのですが、ずっと上を向いての作業でしたし、途中にある鉄骨を避けながらの作業だったので、かなり複雑な形に板を切り抜きながらの作業でした。
 

https://www.facebook.com/satoshi.ogura.officecozy/posts/811901268887220

 

あまりの大変さに、天井張りの作業は二度とやらない…と思っていたのですが、またしてもついついやり始めてしまいました。
…というのも、次の4月からこの空間をもう少し広くして事務所として使おうと考えているので、ある程度自分でできるところはやっておきたいなと思って、しかたがなくやり始めました。水回りや電気系統はプロにお任せすることにします。

 

あまりにも久しぶり過ぎるアメブロの更新で、すっかり使い方すら忘れている…というか、ログインのパスワードすら忘れている状態でした。
 

さて、今回の「古民家に住もう!」ですが、越してきたときから最も気に入っていなかった大きな窓の交換作業に取り掛かりました。多可町にはたくさん古民家が残されていますが、その多くは時代の流れや寒さ対策のためにアルミサッシに付け替えられています。我が家は茅葺屋根の上にトタンを張った三角屋根で、そのたたずまいがとてもかわいくて気に入っているのですが、一番目立つこの窓枠と玄関だけはどうにも気に入らない…。

しかも草刈りのときに石を飛ばしてしまってヒビが入っています。

 

 

倉庫と化している離れには、家を潰すというお宅から頂いて来た建具がたくさんストックされています。窓だけでなく、どうせやるなら草刈りで石が飛んでも良いように…と、雨戸も手に入れてあります。

 

 

しかし、この窓の交換で一番厄介なのは、やり始めると一気にやってしまわないと窓が無くなってしまうこと。さらに、後から取り付けられているアルミサッシの枠を取ってみないと、この下がどうなっているのか分からないので、ずっと躊躇していましたが、放ったらかしておいても解決する訳じゃないので、本日、正月の2日というのに急に思い立ってやり始めました!

 

さて、これを外したら、この下は一体どうなっているんでしょう!?ちゃんと窓枠の溝が隠れていたら良いな…。

 

 

古民家改修で一番厄介なことのひとつ。ネジが外れない…。釘が抜けない…。とにかく、本番の作業に入るまでの下準備がもの凄く大変です。

 

 

しかも…外してみると、上側の枠に窓枠の溝が無い!!イコール、自分で作らないといけない。ちょっと予想はしていましたが、今日一日で何とかなりそうな感じではないことが確定です。

 

 

 

そういう訳で、とりあえず雨戸にする板を立てかけてビスで固定し、ネコたちが出ていかないようにして今日の作業は終了。