よく考えれば日記でもないのに一日に記事は一つだなんてばかばかしい。
これからは記事の内容が途中で大きく変わるようなら分割して投稿します。
で、これは今日の記事の最後の方にふと思ったことを書こうかと思ったことです。
というのもこの話、いろいろと長くなりそうなので。別記事で書きました。
これからはツイッターのようにまとまった内容を書きたいと思ったら
取り敢えず書くようにします。むしろブログなんだしそれくらいでちょうどいい。
回路講習を終えて、翌日の回路講習の内容をまとめておこうと
資料作成に手を出したわけですが、久々に生き生きしたことをしている。
なんてふと思ったわけですよ。私は欲望に忠実な時間ほど無意味な時間に
思えてしまうようで。というよりは虚しいの方が正しいのか。
理性的に行動して、何かに一生懸命取り組んだほうが生きがいを感じます。
と、さっきも書いたような内容ですが、大切なのはここから。
そんな時、ふと「生涯勉強」という言葉が頭に浮かんだわけです。
確か一番最近では担任から聞いた言葉だったように思います。
それでも一年は前の話だとは思いますけどね。
学習するのは学生の時だけか?若しくは会社に入ったあと
社員研修を終えるまでなのか。そんなことないように思います。
人は人生の中でいろいろなことを学びます。それは何も学問である必要は
決してありません。人生の教訓であったり、文化のことであったり、
いろいろあると思います。新しいことについて、人は知りたいと考え、
それについて学習をする。いくつになってもそういう生き方が出来れば、
その人間の人生にとって、とても有意義なことになると、漠然ながら思います。
まだ学生の身ですけど、なんとなくそういうことを理解できるようになりました。
それゆえに、ある一つの疑問に辿りつきました。
こうした知識欲は何故生じるのだろうか、と。
偏見かもしれませんがこうした知識欲は人間誰しもが持っているものだと思います。
ただ考えてみましょうか。人間の三大欲求といえば、「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」
の3つを指すわけです。前者二つは無いと生命活動に支障が出ます。
後者は無かったり薄かったりすると種の存続に関わったりするでしょう。
人がみんなこれらの欲求を強く持っているわけではないですが、
三大欲求などと呼ぶあたり、大抵の人はこれらの欲求が強いはずです。
これらの欲求は種族の維持という観点でとても重要で、
生命のプログラムとして組み込まれているものだと理解することが出来ます。
・・・ただし、それが正しいかはさておいて。
ならば、知識欲はこうした種の存続の観点で重要でしょうか。
まぁより環境に適した生き方を見つけるため、つまりは進化のための
ものかもしれませんけど、本当にそれだけなんでしょうか。
何かについて知りたいと感じ、調べようと思う気持ちはどこから湧いてくるのか。
ちょっと気になりました。哲学を専攻していた人たちはこうした問題を
どう解決したのでしょうか。今度調べてみましょう。
文明の中に生きている我々は、なるべく理性的であるべきです。
少なくとも私はそう思っています。余計な欲望や感情はなるべく排除し、
社会というサイクルの中で周囲と折り合いをつけながら
行動できることは、非常に重要なことだと思います。
理性的に生きるのであれば、知らないことを知ろうと考えることも
重要なのでしょうか。私はそれも大事なことだと思うので、
知りたいことを学習し、知識人として振舞っていくのが目標です。
尤も、飽きっぽい性格ゆえに今も苦労しているんですけどね。