Observing China
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中国ジャスミン革命の「発火点」

煙のように消えた「2・20中国ジャスミン革命」は、すっかり「日本メディア幇助犯説」に議論のポイントが移りつつあるが、きっかけの1つになったとみられる博訊網の2月19日付記事「中国『ジャスミン革命』の各大都市の集会地点」を参考のために翻訳してみた。

       *

中国「ジャスミン革命」の各大都市の集合地点
(博訊網北京時間2011年2月19日寄稿)

(編集者より:これは匿名の寄稿である。これまでにも説明した通り、博訊網はジャスミン運動に関する通知や伝言、組織者とは無関係である。博訊網はその背景について確認できないし、関わってもいない)

赤ちゃんを腎臓結石にさせられた父親よ、自宅を強制撤去させられた家族よ、狭いアパートに何家族も同居することを余儀なくされている人々よ、退役軍人たちよ、私立学校の教師たちよ、早期退職を迫られた銀行員よ、リストラされた人々よ、政府への陳情者たちよ、「銭雲会事件」の結末に不満をもつ人たちよ、「オレのパパは李剛!」と言った奴がどうしても気に喰わない人たちよ、他人から「社会公正の問題に理性的に対処しよう」と言われてむかついた人たちよ、温家宝の偽善ぶりが我慢ならない人々よ、08憲章の署名者よ、法輪功の参加者よ、共産党員よ、民主活動家よ――ただの野次馬ももちろん。今このときわれわれは未来に夢を抱く同じ中国人である。われわれは自分たちの未来、そして子孫たちの未来に対して責任をもたねばならない。

指定された地点に赴き、遠くから眺め、だまって後ろについて歩き、順序よく、勇敢にスローガンを叫ぶだけでいいのだ。歴史はここから変わる。

一緒に歩けば、すなわちみな兄弟姉妹だ。互いに助け合ってほしい。もし集会が好ましからざる扱いを受けても、できるだけ我慢し、自分の隣の人を助けてほしい。集会が終わったらゴミをポイ捨てしないこと。中国人はマナーを知る、民主や自由に相応しい民族であるはずだ。

今回成功しなかった都市は、以後継続して毎週日曜日の午後2時から集会を開こう。継続は勝利なり!

統一スローガン:

我々にメシを喰わせろ
我々に仕事をよこせ
我々に住む場所を与えよ

我々は公平を求めている
我々は正義を求めている

私有権を保障せよ
司法の独立を守れ

政治改革を始めよ
一党支配を終わらせよ
報道規制をやめよ
メディアに自由を

自由万歳
民主万歳

時間:
2011年2月20日午後2時

場所:

北京 王府井マクドナルド前
上海 人民広場ピースシネマ玄関前
天津 鼓楼下
南京 鼓楼広場秀水街百貨店玄関前
西安 北大街カルフール玄関前
成都 天府広場毛主席像下
長沙 五一広場新大新ビル玄関前
杭州 武林広場杭州百貨店ビル玄関前
広州 人民公園スターバックス前
沈陽 南京北街KFC玄関前
長春 文化広場西民主大街快楽購スーパー玄関前
ハルビン ハルビン電影院玄関前
武漢 解放大道世貿広場マクドナルド玄関前

ここに集会場所が挙がっていない都市は、都市の広場に自分たちで集まること。

       *

「今回成功しなかった都市は、以後継続して毎週日曜日の午後2時から集会を開こう」とコワいことを言っているが、二度と人は集まらないだろう。

この文書が対象としている「社会的弱者」があまりに多様なことに驚かされる。今回の「ジャスミン革命」では、インフレと外的要因という89年と似た条件がそろったが(それゆえ当局は最大限の警戒をした)、それでも中国が中東化しなかったのは、人々の不満があまりに多様化して1つの共通項で括れなくなったことが大きな原因だと思う。革命が成就するためには人々の不条理に対する大きな、かつ共通する「憤り」が必要だが、それが中国には明らかに足りない。

それにしても、博訊網が「無関係」と強調すればするほど、怪しく見えるのだが。

毛沢東の孫の「達筆度」

あけましておめでとうございます。すいません何ヶ月もブログを放置していました。その間にも結構たくさんの人に来ていただいていたようで、ちょっと驚きです。ご想像のとおりツイッター(あと若干の仕事上の変化と家庭の不幸)にかまけて更新を怠っていました。本業もあるので、今後どれだけ続けられるか分かりませんが、「新聞に載らない中国ニュース」をてきるだけ提供できるよう頑張ります。

       *

というわけで(どうわけだか)、毛新宇少将である。すっかり中国ネチズンの人気者になった毛少将だが、China Smackがどこからか集めた毛少将の揮毫をサイトに並べている。見たら分かるが、かなりひどい。

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周知のとおり、毛沢東は独特の書風ではあるが、達筆で鳴らした人だった。「書は人を現す」というが、超右肩上がりのその書風は、超前向きかつ積極的で人のことをまったく気にしない毛沢東という人をよく現していると思う。

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ちなみに林彪も達筆で知られる。


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それに比べてわが毛少将…もうちょっとどうにかならんのか。まあせいぜいこのレベルの人物なのだろうが。ひ孫の毛東東のほうがいい字を書いている。

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トントンは中国第11世代ぐらいのリーダーになれる…かもしれない。

尖閣問題:多様化する中国の意見

尖閣問題がどんどんややこしくなっている。日中双方がヒートアップしているように少なくとも日本からは見えるが、それは本当なのだろうか。

先日、中文サイトを渡り歩いていて、「釣魚島は愛国の試金石ではない」という記事に出会った。どうやら元は経済観察報の記事らしいが、「敵に当たるときには国内の意見が一致していなければならない、という教育を受けてきたが、これには弊害もある」「日本製品をボイコットせよという人がいるが、ソニー製品の98%は中国で作られている。ボイコットは愚かなことではないか」(人民日報海外版に載った呉建民・前フランス大使の言葉)「韓寒とその支持者は本当に『非愛国』なのかどうかは、たったひとことをもって判断すべきでない」と、まともな議論が展開されている。日本で広がっている「大使館前で抗議!」というイメージとはかなり違う。

で、「韓寒とその支持者」の意見とは何なのか。レーサー兼作家で「80後」を代表する存在である韓寒の9月13日のブログに次の文章が残されている。

「違法な言葉」を守れ
韓寒 9月13日

以前「なぜ釣魚島事件について意見を公表しないのか、日本を糾弾しろよ」と聞いてきた友達に、私はこう答えた。「自分の土地ももっていないけど、領土問題には関心がある」。かなり早い時期、私はこの問題に関するある掲示板にかなり張り切って「釣魚島を守れ」と書いたことがある。するとこの掲示板は私が非合法な内容について発表しようとしている、修正して欲しいと連絡してきた。どう考えても理解できなかったので、スレッドを「尖閣諸島を守れ」を書き換えた。なぜかこれが合法だった。

一大事というだけあって、外交部は週末も休日出勤して過去に例のない糾弾を続けている。もしすべての中国人の生活がうまく行っていて、妻も子供も家も車も仕事も休みも健康も医療もちゃんとしていて、かつ暇をもてあましているなら、「脳ある鷹は爪を隠す」の反対ではあるが、民族的な熱情の赴くままに釣魚島問題を追及すればいい。だがもし自分の周りにちゃんとできないことがあるのなら、まず自分のことをやるべきだ。「前衛」を気取る必要などない。

「大事の前に個人の小事など何の意味がある」と言うかもしれない。そのとおり。でも個人によって「大事」って違うんじゃないか。この種の問題について、私はまず政府の対応を見守るべきだと思う。一個人は指導者の前を走るべきじゃない。指導者が糾弾の意思を表明するのは、国民に糾弾してもいいよという意味である。指導者が遺憾の意を表面するということは、国民に糾弾をやめよ、という意思表示だ。指導者が糾弾の意思を表明しているときに国民が「行動」したら――それは指導者の限界を超えている。彼らはきっと国民を罰するだろう。国家の指導者は巨大な将棋を指しているようなもの。国民は駒の1つに過ぎない。それがどうして盤の外に飛び出すことができるだろうか。(以下の2文翻訳不能)

釣魚島の問題について、われわれの政府が重視しているのは国内の安定であり、地下の石油についてはどうでもいいと考えている――私はそう思う。石油が必要なのは日本人であり、だからこそ彼らは70年代になって釣魚島に新たに色気を起こした。中国政府は安定を求めているだけで外交や軍事上の未知のリスクを欲してはおらず、それゆえもともと複雑でもない問題が複雑になってしまっている。

わが国の国土において、国家間の争いや局地紛争を起こしかねない釣魚島と似たような場所はそれほど多くはない。なのに、そのせいで不満があるとすぐ大騒ぎする国、というふうに中国の印象は変わってしまった。大衆や世論が問題の隅々まで了解しているはずもなく、政府はもし譲歩したければいつでも譲歩できるし、場合によっては不動産業者に売ることだって不可能なことではないのに。釣魚島の注目度が高いのは、とりわけ指導者が釣魚台迎賓館で外国の賓客を接待するから。もし釣魚島が他人のものになってしまったら、メンツがなくなる。だからこそ釣魚島は政府の領土問題の要であり、ボトムラインなのだ。きっとこの点は他人に譲れないのだと思う。

中国政府にとって一番いい解決方法は先延ばしである。海底の地盤がまた動いて釣魚島が福建省にくっつけば、コトは省ける。領海権や石油のことはその後でいい。だから私は釣魚島が事実上、日本人に占拠されていても心配していない。

今回の事件は、日本が船長を10日勾留し、われわれの強い糾弾と抗議が9日間続いたあと日本が船長を釈放し、われわれも抗議をやめる――というのが一番いい落とし所だ。英雄気取りのヒマ人があれこれ言っても大した邪魔にはならない。ただ深入りさせず、自分たちの生活に影響を与えさせず、自分がやるべきことをしっかりさせればいいだけ。自分たちほど指導者は盛り上がっていなかったと思わせてはならないのと同時に、自分たちがわが民族の「先鋒」であり、わが民族はもっと「先」に進まねばならない、とも思わせるべきではない。


前半のパラグラフと後半のパラグラフでやや論調のトーンが変わってしまう感はあるし、中国政府の姿勢に近く目新しいところもそれほど多くない。ただ9月19日に日本が船長の勾留を延長する前の13日の時点で「今回の事件は、日本が船長を10日勾留し、われわれの強い糾弾と抗議が9日間続いたあと日本が船長を釈放し、われわれも抗議をやめる――というのが一番いい落とし所だ」と予言していたのは、注目に値するだろう。

ところで、尖閣問題に関する韓寒のブログには、9月18日バージョンもある、という説がある。新浪のブログからは削除されているので真偽は確かでないのだが、タイトルは「主人、奴隷そして犬」。

「自分の土地ももたない者が他人のために土地を争い、自らに尊厳をもたない者が他人の尊厳のために戦おうとする――こういう人間は1斤いくらなのだろう? あるいは1斤で何人が買えるだろう?(注:つまり何の価値もないということ)」

「国内の問題についてデモも行えない民族が、外国に向かってデモをしても何の価値もない。ただのマスゲームに過ぎない」

と、より刺激的な言葉を連ねている。これが本当に韓寒のものかどうかは定かではない。ただ一昔前の中国では、こんな多様な意見が大衆の目にさらされるなどとは考えられなかった。今の中国は日本人が思っているほど単純ではない。日本や日本人の方がずっと単純だ。中国のこの複雑さを理解しない限り、日本はこの問題を解決できない気がする。
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