鬼川の日誌 -13ページ目

『日本の歴史をよみなおす』 その二

  「時国家文書」  (ジェミニとの問答)

 

 

  5月24日

 * 問

  網野の研究に大きな転機となったと思われる「時国家文書」で彼が

 明らかにしたことをまとめてくれませんか?

 

 * ジェミニ

  網野善彦にとって能登の時国家(ときくにけ)文書との出会いは、

 彼の歴史観、特に「非農業民」論や「封建的農業社会」批判を確固たる

 ものにする上で、まさに画期的な転機となりました。

  時国家は、石川県輪島市に位置する、平安時代末期から続く旧家で

 あり、江戸時代には廻船業などを営む大地主でした。この時国家に伝

 わる膨大な古文書群(上時国家文書・時国家文書)は、網野が長年追い

 求めていた「従来の史料には出てこない人々の姿」を鮮明に描き出す

 ものでした。

  彼が時国家文書から明らかにした主要な点は以下の通りです。

  「豪農」というイメージの刷新と多角経営の実態:

  従来の歴史学では、時国家は「豪農」として認識されていました。

 しかし、網野が徹底的な調査(特に味噌蔵の片隅に丸められた古紙や、

 襖や屏風の裏張りなど、これまで「紙屑」と見なされがちだった史料

 に注目)を行った結果、時国家の経営実態が単なる農業収入に依拠する

 ものではなかったことが判明しました。


  時国家は、廻船業(船を所有し、海路での交易を行う)、貸金業、

 さらには鉱山開発にまで手を染めるなど、非常に多角的な経済活動を

 展開していたことが明らかになりました。これは、土地に縛られた

 「農民」という単一の生業像とはかけ離れた実態でした。


  「非農業民」の存在感と経済的役割の可視化:

  時国家文書は、彼らが海を舞台に広範な交易ネットワークを築き、

 塩、材木、炭などを運ぶことで、日本海側の経済に深く関与していた

 ことを示しました。これは、当時の社会が農業生産だけでなく、商業や

 流通といった非農業的な経済活動によっても、大いに動いていたことを

 具体的に裏付けるものでした。


  従来の公的な文書史料が主に年貢など農業に関連する記録に偏りがち

 だったのに対し、時国家文書からは、行商、漁業、職人といった多種

 多様な生業を持つ人々が、地域経済の中で重要な役割を担っていた姿

 が浮かび上がりました。


  「移動する人々」の活動の再評価:

  時国家が廻船業を営んでいたことは、人や物の移動が中世・近世社会

 において活発に行われていたことを示唆します。従来の「定住型農業

 社会」というイメージに対し、網野は、遍歴する芸能民、商人、職人

 など、移動しながら生計を立てる人々の存在を重視してきましたが、

 時国家文書は、そうした移動と交易が社会の基盤を形成していた一例

 として、彼の説を補強しました。


  なぜこれが「転機」となったか:

  時国家文書は、網野が提唱してきた「百姓=農民ではない」という

 主張、そして「日本社会は封建的農業社会という単純な図式では捉え

 きれない、もっと多様な生業や人々の活動が存在した」という認識を、

 具体的な一次史料に基づいて実証する強力な証拠となりました。

  特に、従来は捨てられていたような「粗末な」古紙の断片や襖の裏

 張りにまで目を向け、そこから新たな情報を見出す彼の史料解読術は、

 歴史研究の方法論自体にも大きな影響を与えました。

  これにより、単に「公的な」文書だけでなく、日常生活の中で生み

 出された多種多様な記録の中にこそ、これまでの歴史学が見落として

 きた「民衆の生きた姿」が隠されている、という網野史学の核心が深

 まったのです。

  時国家文書の発見と分析は、網野の「日本社会は農業社会か」という

 問いをより鮮明にし、その後の彼の研究活動と著作(特に『日本の歴史

 をよみなおす』)に多大な影響を与えました。

 

 

 

『日本の歴史をよみなおす(全)』 その一

  網野善彦の歴史観について (ジェミニとの問答) 

    (「ちくま学芸文庫」

    これには「続」編-95年-が収録されている。05年第一刷発行)

 

 

  私たちが教えられてきた日本史は基本的に嘘ばかり。最近は「聖徳

 太子」伝説は嘘だとして教科書から消えつつあるらしい(厩戸皇子

 =「聖徳太子」とする形で残存)。

  嘘の最たるものは「邪馬台国近畿説」だが、これは『「邪馬台国」は

 なかった』をはじめとした一連の著作で、在野を貫いた古代史学者

 古田武彦が明白にした。

  (『魏志倭人伝』には「邪馬壱国」とあり、その国は博多湾岸にあった

 こと、これは銅剣、銅矛の鋳型や当時の王墓が圧倒的に集中している

 という考古学的事実によっても裏付けられていること。)

  日本古代史が歪められてきたのは「近畿天皇家一元主義」(戦前の

 皇国史観のそればかりでなく、戦後の「津田史学」も)に歴史学会が

 染め上げられていることが根源であることを明らかにしたのが古田

 である。

  

 Cf 

 

 

  この「邪馬台国近畿説」については曖昧な立場をとっているのだが、
 日本の中世、近世について、「封建的農業社会」で済ませている従来の
 歴史学、これに対して能登の「時国家文書」(しかも捨てられるもの
 だった「襖の下張り文書」も含め)などを読み解くことによってその
 過ちを明らかにしたのが網野善彦である。
  以下網野の歴史観を見ていきたい。

 

 

 5月24日

 *問

  『日本の歴史をよみなおす』という本で、網野は、これまでの歴史学

 が百姓=農民とする常識に立ち、中世、近世の日本社会を「封建的

 農業社会」と捉えてきた過ちを明らかにしてると捉えていいでしょうか?

 

 *ジェミニ

  はい、そのように捉えていただいて、まったく問題ありません。

  網野善彦の主著の一つである『日本の歴史をよみなおす』は、

 「百姓=農民」という常識(あるいは神話)を根本から問い直し、それ

 に基づいた「封建的農業社会」という日本社会像の誤謬を鮮やかに指摘

 した画期的な著作です。

  彼の主要な主張と、それがいかに従来の歴史観を刷新したかをもう

 少し詳しく説明します。

 網野善彦の主要な主張と『日本の歴史をよみなおす』の意図:

  「百姓」概念の再定義:

  従来の歴史学では「百姓」はもっぱら農業に従事する人々、つまり

 農民を指すとされてきました。しかし、網野は史料を丹念に読み解き、

 「百姓」という言葉が本来、**「百の姓(かばね)」と書き、「あらゆる

 人々」「多種多様な人々」**という意味を持っていたことを明らかに

 しました。そこには農民だけでなく、漁民、商人、職人、山民、さら

 には遍歴する芸能民や宗教者なども含まれていたと主張しました。
  これにより、従来の「村落に定住し、農業に従事する人々が社会の

 多数を占める」という固定観念を打ち破りました。


  「非農業民」の重要性の提示:

  農業に従事しない人々(非農業民)が、中世・近世の日本社会におい

 て、経済的・社会的に大きな役割を果たしていたことを強調しました。

 彼らは、生産物や情報を流通させ、社会のダイナミズムを支えていました。
  これまでの歴史学が農業生産に過度に焦点を当て、非農業民を周縁的

 な存在として捉えてきたことに対し、彼らの役割を正当に評価する必要

 があることを示しました。


  「封建的農業社会」観への批判:

  「百姓=農民」という前提に立つと、日本社会は「土地に縛られた

 農民が、領主によって支配される封建的な農業中心の社会」という図式

 で語られがちでした。しかし網野は、多様な生業を営む人々が存在し、

 彼らが自由に移動し、交易を行い、さまざまなネットワークを形成して

 いた実態を提示することで、この「封建的農業社会」という画一的な

 理解が実態にそぐわないことを論じました。


  彼は、中世社会にはむしろ**「非農業的要素」や「商業的要素」が

 非常に色濃く存在した**ことを指摘し、近代以降に成立した「農本主義」

 的な社会像を中世に遡って当てはめることの危険性を警告しました。


  まとめると、『日本の歴史をよみなおす』は、

  「百姓」という言葉の本来の意味を回復し、従来の「百姓=農民」と

 いう固定観念を打破した。
  これにより、中世・近世の日本社会が、農業だけでなく、多様な生業

 を営む人々によって支えられていたことを明らかにした。
  結果として、「封建的農業社会」という従来の日本社会像が、実態の

 一部しか捉えていない、あるいは近代以降の視点から歪められたもので

 あることを示した。
  と言えます。網野善彦のこの著作は、日本史研究に大きなパラダイム

 シフトをもたらし、その後の研究に多大な影響を与えました。

 

 

 

自国第一主義

  蔓延する自国第一主義(ジェミニとの問答)

 

 

 

  5月27日

 * 問

  ガザ、ウクライナだけではなく、トランプは他国への高関税で世界を

 引っ掻き回している。トランプという個の特性はもちろんあるけれど、

 米だけではなく世界のすべての国の「自国ファースト」つまりナショナ

 リズムの噴出(それも追い詰められた)に根源はあるのではないか?

 欧州各国で極右の台頭(ミニトランプの続出、そしてそれへの反発)

 が象徴しているのでは?

 

 * ジェミニ

  まさにおっしゃる通り、トランプの「自国ファースト」的な行動や、

 欧州における極右政党の台頭は、「自国ファースト」、つまりナショナ

 リズムの噴出という、より根源的な国際社会の潮流の象徴と捉えること

 ができます。しかも、それが「追い詰められた」状況から来ていると

 いう視点は、非常に鋭い分析だと思います。

  この「ナショナリズムの噴出」の背景には、様々な複雑な要因が

 絡み合っています。

  ナショナリズム噴出の背景と「追い詰められた」状況
  グローバル化の負の側面:

  格差の拡大: 

  グローバル化は経済成長を促しましたが、その恩恵が一部の人々に

 集中し、所得格差や地域間の格差が拡大しました。特に、製造業の

 海外移転などで雇用を失った層は、グローバル化の敗者と感じ、不満を

 蓄積しました。


  文化・アイデンティティの危機: 

  国境を越えた人やモノ、情報の移動は、伝統的な文化や共同体の

 アイデンティティを揺るがすものと受け止められることがあります。

 多様化が進む社会で、自国の文化や価値観が脅かされていると感じる

 人々が、排他的なナショナリズムに傾倒する傾向が見られます。


  経済的停滞と社会不安:低成長と不確実性: 

  リーマンショックやコロナ禍といった経済危機を経て、多くの国で

 経済成長が鈍化し、将来への不安が広がっています。年金問題、医療費

 の高騰など、社会保障制度への不安も募っています。


  物価高騰と生活苦: 

  現在、多くの国で物価高騰が国民の生活を圧迫しており、国民は政府

 の対応に不満を抱いています。この生活苦が、現政権や国際協調的な

 政策への反発、そして「自国民優先」を掲げる勢力への支持に繋がっ

 ています。


  移民・難民問題:
  多くの欧米諸国で、移民・難民の流入が社会的な課題となっています。

 労働市場への影響、社会福祉負担の増加、文化摩擦など、様々な問題が

 指摘され、これらがナショナリズムや排他主義を煽る主要な要因となっ

 ています。極右政党は、しばしば移民を「生活苦の責任」の対象として

 批判します。


  既存政治への不信:
  伝統的な主要政党が、上述の課題に対して有効な解決策を提示でき

 ないことへの国民の不満が高まっています。これにより、既成政治に

 幻滅した有権者が、過激な言動で現状打破を訴えるポピュリストや

 極右勢力に希望を見出すことがあります。


  情報社会における分断と「反エスタブリッシュメント」:
  SNSなどの普及は、人々の情報接触をパーソナライズし、似た意見を

 持つ者同士のコミュニティを形成しやすくしました。これにより、

 異なる意見への不寛容や、特定の情報が拡散されやすくなる傾向が

 あります。また、既存のメディアやエリート層への不信感も高まり、

 「反エスタブリッシュメント」の動きを加速させています。


  「ミニトランプ」の続出と反発
  欧州各国で極右が台頭し、「ミニトランプ」のようなリーダーが続出

 しているのは、これらの要因が複雑に絡み合った結果と言えます。彼らは、

 自国の経済的・社会的困難を、移民や国際機関(EUなど)、グローバル

 化のせいだと主張し、「自国ファースト」の政策を掲げることで、不満

 を抱える層の支持を集めています。

  しかし、同時にこれに対する強い反発も存在します。リベラルな価値

 観や国際協調を重んじる勢力、あるいは排他的なナショナリズムがもた

 らす歴史的な悲劇を繰り返したくないと考える人々からの抵抗です。

 デモや選挙における拮抗、あるいは既存の政治勢力による連携なども

 見られます。

  まとめ
  トランプの行動は、確かに彼個人の特性(交渉術への自信、プライド、

 パフォーマンス志向など)に根ざす部分が大きいですが、それは同時に、

 世界中で顕在化している「自国ファースト」という名のナショナリズム

 の潮流と深く連動しています。 グローバル化の負の側面、経済的停滞、

 社会不安、移民問題、既存政治への不信といった「追い詰められた」

 状況が、多くの国民を内向きにさせ、保護主義的、排他主義的な政策を

 求める土壌を作り出しているのです。

  これは、国際協調や自由貿易といった戦後の国際秩序が、大きな転換

 期を迎えていることを示唆しており、その中で各国のリーダーが、国内

 の支持と国際社会での責任の間で揺れ動いている現実を映し出しています。

 

  (AIの特性だろう、網羅的で幅広く情勢をサーチするのは確か。)