早いもので、もう2007年も終わろうとしています。個人的にも、また社会に目を転じても、色々あった、色々考えさせられた1年だったと思います。
今年の前半、とくに1月から3月は、仕事でもその他でも悩むことばかりでした。色々なきっかけがあり、分かったことがあり、徐々に落ち着いてきて、そして、思いました。焦らず、気負わず、自分を大切にして、無理のない範囲で自分にできることをやっていこう、自分に提供できるものを周りに提供していこう、と。
人にはそれぞれ限界があります。私自身、大きな欠陥を負ってしまった人間だと思っています。人が普通にできることが、自分にはできない。それでも、無理して空回りして自分も傷つけるくらいなら、開き直って、その欠点を受け入れ、穏やかに自分にできることを自分のペースで提供していく方が、自分にとっても周りにとっても、いい結果をもたらすのではないかと思ったのです。
人間はどんな時に一番力を発揮できるのでしょうか。人それぞれという側面はあると思いますが、内心が安定している方が、くよくよと病んでいる時より、うまくやれるのは言うまでもないでしょう。落ち着いている時にできないことが、落ち込んでいるときにできるということは、まずないと思うのです。置かれた状況の厳しさ、自分の至らなさを認識することは必要かもしれませんが、それを受け入れた上で、楽な気持ちで無理せず進んでいっていいのではないでしょうか。そうすれば、周囲ももっとよく見えるようになるのではないかと思います。
だとすると、落ち込まないことが才能でしょうか。でも、それも個性です。人間、落ち込むときは落ち込むもの。苦しいときは、自分をいたわり、癒すことを優先していいと、そういう風に考えればよいのではないでしょうか。
地位や財産、才能等にかかわらず、いつでも一人の人間としての自分を大切にすること、どんな状況でも、自分以外の何かを優先しすぎて潰されることなく、一人の人間として、無理のない可能な範囲で最善を尽くすこと。これらは、卑屈になり自分を踏みにじることのみならず、傲慢になって他者を傷つけることを防ぐことにもなるのではないかと感じています。卑屈になる背景に、地位や才能で人を序列付けるような価値観があるとすれば、それをもって他者を見下すことにも容易に結びつくからです。
社会に目を転じたとき、ややこじつけ的かもしれませんが、今年電撃的な辞任をした安倍前総理とその一代前の小泉元総理が、まるでその卑屈と傲慢の表裏を反映しているような、そんな印象を感じました。
小泉元総理も、安倍前総理も、ある意味個人主義的な方だったと思います。個人的な思想・主義、否、むしろ「趣味」と言った方がしっくりくるかもしれませんが、そういったものを前面に押し出したやり方をしたといえるのではないでしょうか。この「個人主義」は、先ほどの「一人の人間としての自分を大切にすること」とは全く相容れないものだと考えるべきでしょう。むしろ総理の立場で自分の主義を押し通すことに躍起になっていた意味で、地位・立場・権威に踊らされていたと見たほうがいいのではないかと思います。
小泉元総理は、類稀な政治的才能(総理としての有能さというより、マスコミ等を利用した人心掌握術とでもいうべきものでしょうが)、強引な手法とそれをやり通せる鈍感力的なもので、長期に渡り在任し、悠々と去っていきました。これに対して、安倍前総理は、ある種の未熟さとそれを補うものの不足、強引な手法をとりながら繊細さのためそれを遂げられず、潰れる結果となってしまったのではないでしょうか。いずれにせよ、前者では、格差問題に象徴されるような「構造改革の歪み」が、後者では大きな政治的混乱が残されました。
分かりやすい解答・解決策を信じさせた小泉マジックが効力を無くし、「構造改革の歪み」と政治的混乱の中、年金、食品表示偽装、防衛事務次官の収賄容疑と様々な問題が渦を巻いていたのが、この2007年だったのではないでしょうか。小泉前総理の示す端的な解答と、それに対する批判という二項対立が終焉を迎えた今、皆思っているのではないでしょうか、「もう、どうにもならないのかもしれない」と。
八方塞の不安の中、端的な解決を得られないストレスが、ひょっとしたら、モンスターペアレンツのようにモラルを欠いた言動を行う一因にもなり、一方で多くの自殺者や、心を患う人の増加にも絡んでいるような気もします。
問題のない状況を通常ととらえ、問題を「あってはならないもの」とし、だからこそ一朝一夕で解決しなければならないとする発想があるとすれば、もうそれでは立ち行かなくなっているのではないでしょうか。また、問題の原因を特定の人や物事に全て負わせ、それを駆除すれば足りるという考えも、社会を混乱させるだけというべきでしょう。責任の押し付け合いが、ストレスのはけ口としての攻撃の応酬が、問題の解決を遠ざけるだけです。
多くの人がひしめき合う社会では、問題は必ず起きてきます。起きてくる問題を冷静に受け止めて、それぞれの立場の人が、一人の人間として、無理のない可能な範囲で力を発揮していけば、確実に解決に近づくのではないでしょうか。甘い考えかもしれません。しかし、責任の擦り付け合いの中、傷つけあいの中で、多くの人が潰されていくぐらいなら、その方がよほど効果的だと思うのです。
皆が、一人の人間としての自分を大切にしながら、自分でできる限りのことを提供していけるようになれば、今よりは確実に生きやすい世の中になるのではないかと思います。そうすれば、問題やうまくいかないことが生じたとき、短気を起こすような反応で混乱することなく、もっと解決に向けた道筋が見えてくるのではないでしょうか。自分の責任におびえ、自分の立場に踊らされることなく、皆の幸せに適った結果へとゆっくりと進んでいくことができるのではないでしょうか。
奇麗事と思われるかもしれませんが、皆が自分を大切にし、気負うことなく自分にできることで他の皆を大切にできる社会を望んでやみません。2008年が少しでも、そういった社会に近づける年でありますように。
読んでいただいた皆様、今年は本当にありがとうございました。