にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ -6ページ目

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

<<ブログ 300>>

 

    私に気づきを与えてくれた英(単)語たち」  その④

 

    『4つの「CH」』と『一つの「CO」』

 pinCH CHance CHange CHallenge 

          COurage

        ~私の変わらない想い~  by 入道

                 

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       今回も私の年のちょっとだけ離れた友達

                浦和と秋葉原を基点に世界に羽ばたきをされている

                    画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を

                 画いてくださいました。

             拓馬さん、ありがとうございます。

    田中拓馬さんのwebサイトを訪ねていただければ、と思います。

   http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●今回のブログの入り口は現在もいろんなところでいろんな人が言われている「ピンチはチャンス」、この言葉と間もなく50年になる出会い、です。

 

 

●社会人としての動きを始めた当時の日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)の江副(浩正さん(社長)が社内でよく口にされていた言葉です。それだけ当時のリクルート、ピンチが多かったのかも・・。

 

「ピンチはチャンス」。江副さんはよく口にされていましたが質問をしても「どういうことなのか」の説明は全くなし、「自分で考えてみて」の一言だけ。

 

★そこで自分(当時22才!!)で考え自分で意味付けをしようとしたことがスタートでした。

 

「ピンチはチャンス」「ピンチ」は一体、なんのための「チャンス」なのでしょうか。

 

◆英単語事典で先ずは「ピンチPINCH」を調べていた時にピンチ「PINCH」の終わりの「綴り」の二つの「CH」は「ピンチはチャンス」のチャンス「CHANCE」の頭二つにかぶさるぞ!!と変な感じ方をしたのが「4つのCH」の入り口です。

                    pinCH      CHance

 

◆そこで、CHで始まる英単語を辞書を見つめながら、心に引っかかる単語を「二つ」見つけました。

 

◆それは「CHangeと「CHallenge」の二つの単語です。

 

◆この二つの出会いで今も使い続けている「4つのCH」になります。

      pinCH   CHance   CHallenge  CHange

 

◆そして!!!!!!!

この「4つのCH」を次の絵のように関係付けをしたことで私の変わらない想いの形成となっていました。そして同時に「しっかりと実現していくために必要なものとして「1つのCOが産まれました。

        

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

 それも関係づけの中に加えました。これで「4つのCHと一つのCO」の完成です。

      1つのCO、それは『COurage・勇気』です。

 

 

ピンチはチャンス。何のためのチャンスなのか。それは「今これまで」を「変えてチャンス。でも・・・何もしないで「変化」は産まれてはこない。そのために必要なのがチャレンジ・挑戦の心。そして・・・挑戦

今これまで」を変えていくには「勇気・COURAGE」が必要となる。

これが私の「ピンチはチャンス」と言う言葉への自己定義でした。

 

●この自己定義づけの時に実は「新たな発見?」ができてもいます。

 

●但し、学問的では全くありません。その「新たな発見」とは・・・・それは「4つのCH」の中の二つの英語・・・「CHance」と「CHange」、この二つの単語からの発見?となります。

 

★小文字でCHanceとCHangeと見ていた時には気がつかなかったのですが、何かの拍子に二つの単語を大文字で縦並びに書いていた時に心に「瞬間的」に感じとりました。

            CHAN

                     ⇑⇩

        CHAN

 

★みてください。右から2つ目以外は全く同じなのです。

異なるのは右から二つ目の「C」と「G」これが違うだけなんです。そして・・・・CとGも似ていますよね

 

この違いだけで「チャンス」が「変化」となっていくんです。不思議て゛ないですか!??

 

★そこで考えました。「CとGの違いって何?」と。そして・・・何日か後だったと思いますが、勝手な想い、勝手な自己定義が想い浮かびました。それが下のシートになります。

 

「C」の右下に「T」をくっつけると「G」になる、んです。ではその「T」とは何???

 

★それはhink」と「acion」の二つの「T」なのだと勝手に決めました

実に勝手な意味付けなのですが、私の心にはストーンと落ちてきました。

   「チャンス」の時には「今日これからを考え

  そしてその実現のために動いていく」ことに

よって「今日これまでをチェンジしていくこと」に

         繋がっていく・・・・。

 

◆そして!!この時以来、まもなく50年になろうとする今でも私が使い続けている「こうどう」は単に「行動」なのではなく「考えてそして動くこと」即ち「行動とは考動」であるとの想いが形作られています。

 

●そして…目指す変化は「一気に大きく」でなくていい、のです。「小さな変化」を続けていけばいい、のです。「進化はちっちゃな変化の積み重ね」なのです。

 

 

●この「小さな変化」の積み重ねのために何が必要なのでしょうか

 

●私はそれを下の「2つのシート」のようにまとめました。そしてその想いは今でも変わってはいません。

 

★先ずは「こうありたいな」「こんなんだったらいいな」「こんな状態にしていきたいな」・・・・「MUST」ではなく「たくさんのWISH」が必要なのです。私はそれを「明日のデザイン」と称し続けています。

 

 

★では、この「明日のデザイン」をしていく「力」は何なのでしょうか?それを私なりに「4つの力」にまとめたのが次のシートになります。

 

 

「課題創造力」「挑戦力」「シナリオ創造力」そして「考動力」。この「4つの力」を持つことだ、としていますがどうでしょうか。

 

◆こんな自分の想い形成から・・・1971年・昭和46年10月に行われた日本リクルートセンターでの「新入社員フォロー研修」の最後に自分に向けての「これからのスローガン」を創る時間があり、私は下記のようなスローガンを創り、これ以来、今でもその動きを継続しています。

 

    常に疑問と再点検

     今が最高なのではなく

       もっと良くなるはず、と考えて

          常に新しい動きを重ねていこう

 

        今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

                 ありがとうございます。

 

       ちょっとしたところに自分の想いを形成していくヒント

                  キッカケがある

      誰かがこういった、有名な人はこう言っているではダメ

             それだけだとすぐに忘れます

          やっても形だけになりますし真似です
                    なぜなら

       自分の言葉、自分の想いではないのですから・・。

 

          今日までずっとそう想い続けています

 

      今回で4回目になります「英単語からの気づき」

         後一回書いてみようと思っています。

 

             ありがとうございます。

     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 299>>

        かつて・・・悩み悩んでいた時に

   私に「とてつもない大きな『気づき』」を与えてくれた

      「英語(英単語)たち」     その③

     「教える」の二つの英単語

   そして二つの「童謡」から気づいたこと

       TEACHからEDUCATEへの転換

 スズメの学校からメダカの学校への転換を 

       ~私の変わらない想い~    by  入道

                

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   今回も浦和そして秋葉原を基点として世界への羽ばたきをされている

      私の年の離れた友達、画家の田中拓馬さんがご厚意で

            素敵な挿絵を画いくださいました。

           拓馬さん、ありがとうございます!!

       田中拓馬さんのウェブサイトも訪ねてくださいませ。

     http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     研究社 新英語辞典より

       TEACH     教える

       EDUCATE   教育する 育てる 養う 訓練する

       TEACHER   先生 教師

       EDUCATOR  教育者

 

●日本を「まとも」にしていくには大切なことがある、と想い続けています。

 

●そんな想いの私の心を揺さぶりそして固めてくれたのが今回の二つの英語・・・「教育」を意味する英語TEACHEDUCATEです。

 

★日本を「まとも」にしていく大切なこと・・・それは『現在の「学校教育」を勇気を持って変えていくこと』だと想い続けています。小学校、中学校、高校に大学・・・更に企業・職場そして家庭を含めての『教育』が対象になります。

 

★今日の「日本の教育のやり方?」「教育の『目的』」を「明日の日本人」「明日の日本」のために、へ「勇気を持って変えていく」ことをしていかないと「非常にマズイ」!!!私がそう感じ始めてから30年以上・・・残念ながら状況は変わってはいません。

 

日本の教育・・・・「点数付け」「ランク付け」「順位付け」・・「みんな同じ教育」「個性無視」「脱個性」・・・・「同じ人間を創ろうとしている教育」等々・・・・どうしておかしくなってしまったのだろうか・・・少し考えてみました。

 

★どうやら、私の年代も最後の仲間?として属している「団塊の世代」に大きな原因を見つけることが出来そう、です。

 団塊の世代、自分たちの子供時代そして就職での「体験」

 いってみれば「競争ばかり」の「競争世代」でもありました。

 そんな「競争体験ばかり」をしてきている私たち団塊の世代が親と

 なって子育てをしてきている・・・・たぶん・・同じような「ものさし」を使

 用して・・。

 

★団塊の世代の「体験」、それは端的な言葉で表すと「大人数集団」からの「振るい落とし」のための「手段」として「教育の場」を使っていたことにある、私はそう想い続けています。

 

ものすごい人数の「団塊の世代」に対応して学校数の絶対的な不足・・・・一学年50名から60名で1クラス、これで8~10クラス・・・それでも足りない・・・・(私も高校では3年8組57名のクラスでした)・・・そして「受験戦争」の言葉に代表される「学校が子供を選ぶ」状況下での「教育」・・・そして今、大きく学生の数が減少して学校余り「生徒が学校を選べる」状況になってきているにもかかわらず「教育の在り方」「教育の目的」に関して、ほとんどほぼ60年前と変わってはいません。変化を観ることができません。変化を感じとることができない、のです。

 

●言い切れば、「いい学校に入れる・入る」

                ↓

         「いい成績で卒業する」

                ↓

         「いい会社に入れる・入る」

こうなれば「いい人生」なのだとなっている、のです。みんなそう思っているのです。その状況がなんと「今も」続いているのです。

 

●私がよく用いる「手段」「目的」に区分して考えると「手段ばかりに固執している」のであり、「目的・何のために」がまったく「ものさし」とはなっていない、私はそう想うのです。

 

「いい点数を取ること」が「目的」ではない、のです。

なんのためにいい点数を取ることが必要なのか・・・・「いい高校・大学に入るため」「いい会社に入るため」・・・・目的ではありません、これらも「手段」の一つにしか過ぎないのです。

◆そんな「手段」としての「点数」「ランク」がとれない子供は「落ちこぼれ」としていいのでしょうか。

 

★違いますよね!!!でも・・・・・ものすごく残念なことに、まだまだそんな状態が続いています。続けてしまっている、のです。

 

★今のような日本の「教育」を続けていった時の「未来人(未来の日本人)」の人達に対して「いいのだろうか」「いいことなのだろうか」・・・・そんな気持ちになってしまいます。

 

★「叩き込み」「暗記」「詰め込み」の教育から「気づかせて」「導き出して」の教育に勇気をもっての転換を!!!!!

 

★そして「画一的」「没個性」「同じような人間をたくさん創り出す」教育

から「個性の尊重」「個性の発見」「ひとり一人の強さの育成」を前提とした教育に「教育の「目的」」を変えていく必要が絶対にある、私の信念です。(所属していた会社組織ではそれを実践してきたつもりです)

 

家庭そして職場での教育も全く同じ変化が必要だ、と想い続けています。

 

★この「想い」は先の二つの英単語の解説をじっと見ていた時に、ふっと心に浮かんできた「共に学校がタイトルの入っている二つの童謡」が覆いかぶさり私の想いは更に強くそして不変のもの=信念となりました。

 

二つの童謡。それは「スズメの学校」と「メダカの学校」の二つです。

この二つの学校と二つの英単語・・・・私の心の中でちゃんとマッチングした。マッチングしています。

 

       スズメの学校=TEACH

     メダカの学校=EDUCATE

                                  挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★この二つの学校の「校歌?歌詞」を記します二つの童謡のうち、「スズメの学校」を知らない人がかなり多くなってきているようですが、私たちの世代では子供の頃に何度も口にしていました。

 

 

◆この二つの学校の校歌?の歌詞をよくよく見ていただきたいと思います。

 

「心に二つの学校の授業風景をおもい浮かべて」いただきたいと思います。

 

★いかが、でしょうか。

「どっちの学校で学びたい」と思いますか?そして自分の子供たち、孫たちを「どちらの学校」に入学させたいと思われますでしょうか?

 そしてそれは「どうして」なのでしょうか?

 

★「教える」「教育する」の英語は二つ。
          
TEACHとEDUCATEです。

 

●これまで・・・そして今でも私が気になっていることがあります。

●それは「教育の主体」「教育する側」にあり、「教育を受ける側にはない」、そして「教育の目的」が「教育の目的と手段を取り間違えている」が故に「インプット」に偏り過ぎている、「インプットばかり」であるということです。

 

EDUCATE、この英単語の語源を遡っていくと「導き出す」「引っ張り出す」の意味のある言葉であることが解ります。

 

★と、なると・・・・・「教育の主眼」は本来的に「インプット」て゜はなく『アウトプット』である、そう想うのです。インプットはアウトプットのための「手段」の一つなのです。

 

      アウトプットのないインプットは無意味!!

                (試験・テストはアウトプットとは違う)

      インプットは手段でありアウトプットこそが目的!!!

 

ひとり一人の生徒の「個性」をどう見つけ出していくことができるのか、そして本人と一緒に見つけ出した「個性」をどのように育てていくのか」・・・ここにこそ「教育の目的」そして「教育の在り方」があるのでは・・・・・そう想います。

                                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

TEACHEDUCATE。この二つの英単語二つの童謡=二つの学校覆い被せることで「これからの教育のありたい方向」が見つけられると私は想い続け、会社所属の時の自分にその変化を課し続けてた。

 

●学校と会社、社会の違いもあるのですから会社等での教育研修体系は「自由」に組み立てられるのです。

●学校の先生は決められたカリキュラムで生徒にTEACHするのですが、社会そして会社の先輩・上司・人事部(=会社社会での教育者・先生役)は先ず自らが自らのアウトプットでいつもいつも変化していなければならない(=最新・新鮮でなければならない。10年いつも同じではダメなのです)と思います。

 

★異なる表現をいたします。

学校教育には到達点(ココマデ)がありますが、会社・社会での教育には到達点はない、終わりがない、のだとも思います。

 

★それゆえに、社会での教育者(教える側)はいつもいつも自ら汗して新しい体験と知恵を身に着けていくことが必須条件になる、そうも感じます。

 

★そして・・・・「学校教育」と「社会教育」とこれまで分けて記していますが、この「垣根」「境目」を無くしていく、「連なるように教育を組み立てていく」ことが重要なのです。

 

★そのためには・・・日本の学校教育を勇気をもって変えていくべき、と想うのです。

 

その変化の方向

     TEACHからEDUCATEへ

       そしてスズメの学校からメダカの学校へ

               さらに

           TEACHERからEDUCATORへ

ここにあるのでは、私はずっと想い続けています。

 

教育者=EDUCATOR「教え育てる人」なのです。育てることを失しては絶対にいけない、のです。

          

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そうなれば・・・・自然に・・・・

    「ひとり一人のマイナスを見つけあう・

         指摘し合う」のではなく

  「ひとり一人の強み(=個性・できること)を

          組み合わせることで

  生きていくこと、そして仕事をしていくことが

          「楽しく」なっていく、

     「楽しく」していくことができる!!!

そう想うのです。

   ・一人一人が活き活きと個性を発揮している

   ・失敗を糾弾し続けない

   ・犯人捜しをしない

   ・一度失敗すれば次にはそれを取り返そうとひとり一人が動く

   ・一人の失敗を他の仲間がその失敗を取り戻そうと一緒に動いて

    いる・・・・・・・・

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

●こんな会社そして「社会」になっていけば、力強い優しい会社、力強い優しい「日本」社会を形成していけるのてはないでしょうか。

 

★学問的な「みかけの賢さ」を教えるのではなくにんげんとして生きて行くための知恵と優しさ身に着けて自然に醸し

    出していくことを教えて育てていく

          学校教育であって欲しい

強くつよく感じています。

 

                  今回も長くなりましたが

     最終行にまでお眼を進めていただきましてありがとうございました。

 

                  ありがとうございます。

       にんげんしあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 298>>

           嘗て・・・悩み悩んでいた時に

      私に「とてつもない『気づき』」を与えてくれた

             「英語(英単語)」たち

 

         その②「利益 PROFIT」

             ~私の変わらない想い~     by入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           今回も浦和そして秋葉原を基点として

    世界への羽ばたきをされている私のちょっと歳の離れた友達

     画家の田中拓馬さんがアメリカから帰国したばかりの

    お忙しい中、ご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

          拓馬さんありがとうございます。

   田中拓馬さんのウェブサイトを訪ねていただければ、と思います。

       http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   PROFIT: 利益・得           ☚DICTIONRY/英ナビ/辞書

         : 利益・収益・利潤      ☚WORDNET

             ある一定期間内で出費を超える収益の超過部分

           

             ためになる、という有利な特質

 

1991年、平成3年の夏以来、今日に至るまで私自身が所属していた会社、そして会社組織を離れて個人事業主として関わらせていただいた沢山のたくさんの会社そして社団・財団法人・・そしてたくさんの社長さんたち、若いリーダーの皆さま方・・・多くのみなさんから「これは入村さんの代名詞」ですね、と言われてきた「数式(私の勝手な定義の数式化)があります。

 

●その数式とは・・・

 

  利益=Σ(ありがとう)

         -Σ(ばかやろう)

              

     利益=Σ(お客さまの笑顔)

                  -Σ(お客さまの涙顔・怒顔)

                

     利益=Σ(お客さまご満足)

              -Σ(お客さま不満足)

 

          

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

●上記の私の想いから、1991年以降、私が所属させていただいた会社で、取締役としてまた代表取締役を務めさせていただいた全ての会社で・・・また会社組織を自ら卒業して個人事業主として顧問として経営アドバイザーとしてお付き合いいただいたたくさんのたくさんの会社全てで・・・いつも私は次のように語らせていただいておりました(おります)。

                   ⇓

  ◆明日のために会社として「利益」を計上し続けていこう!!

 

  ◆但し、私の考える「利益」世の中一般的に言われている

    利益=売上高-売上原価-一般管理費-営業外・特別収支

  ではありません。

 

  ◆この数式から利益を上げようとなるとみなさんいつも聞き飽きた

  言葉になります。

    「売上を上げて、原価率を下げて、一般管理費を節減する

  これは私の想いとは異なります。

 

  ◆この数式で仕事をしては、経営しては「ダメ」なのです

         最初に「数字(お金)」を追求しては「ダメ」なのです。

 

 ◆数字(お金)は「私たちの『行動』の結果」として

 表れてくるもの、

  そう考えてください。

 

  ◆私がこれまでずっと考えそして実践してきた利益数式

    利益=Σ(ありがとう)

          -Σ(ばかやろう)

  なのです。

 

 ◆この「ありがとう」そして「ばかやろう」の言葉の主体者は「お客さ 

 ま」です。

 

 ◆どんなビジネスでも「お客さまのいない

                 ビジネスはあり得ません」。

     お客さまがおられるからビジネスが成り立つのです!!

 

 ◆そして・・・この言葉「ありがとう」「ばかやろう」をいただくのは「私た

  ちの会社」です。

   私はいつもみなさんと一緒に目指していきたいと想います。

 

   お客さまの笑顔の絶えまない追求と実現」

 

 そして、この会社を

        The One ,To Call

          お客さまから最初にお呼びのかかる会社

 にしていきたい、のです。

 

 ★ですから・・・会社の利益を大きくしていくには、どうしたら「お客さ

 まからいただく『ありがとう』」を大きくしていけるのか、そして今一 

 つ、残念ながにら「今は『ばかやろう』」となっているお客さまからどう

 したら「ありがとう」の言葉をいただくことができるのか、これをひとり

 一人が持ち場持ち場で考えて、考えたら行動に移していく・・「こう

 どう=考動」していくこと、これだけでいいのです。これでいい、

 のです。

 

 ★この「こうどう=考え動く」を「あたりまえ」にしてください。「徹底して

 ください」。この「ものさし」で動くのでしたらいちいち上司に了解をと

 らなくてもいい、です。その時間をすぐにお客さまとの対応に充ててく

 ださい。

    迷ったときの判断軸、それはいつも「お客さまの心」です。

    決して上司でも社長の私でもありません、ないのです。

 ★くりかえします・・数字・お金は私たち一人一人の「こうどう=

 考動」の後に「ついてくるもの」なのです。

 

●なかなかブログテーマのprofitが出てこなくてごめんなさい。

 繋げます。

 

●上記の私の「想い」は、今ですと「もう28年間ずっと語り続けやり続けてきている」ことなんです。

 

●しかし、いきなり「この想い」に至ったのではありません。

 

★ここに私に上記の「想い」に至る「気づき」を与えてくれた一つの「英語(英単語)}がありました。それが・・・・・

  「利益」を意味する英語の「PROFIT」と言う言葉。

          

                      挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★気づき・・・気づきは「PROFIT」の綴りを何気なく、しかし「じいっと」見つめ続けていて・・・・でも・・・何も浮かんではこなかったので前回の「MANNER」でも記しました私の癖?「文字(漢字でも英語でも)を勝手に分解して」次にいつもやる「数式化」してみる・・・この動きをしたことでとてつもない大きな「気づき」=「想い」に至ることができました。

      PROFIT=PRO+FIT

 

★「利益」を意味する英語「PROFIT」「PRO」「FIT」で成り立っているる・・・・では「PRO」と「FIT」を自己定義できれば「想い」形成につながっていく・・「PRO」つて何?「FIT」は???

 

★そんな動きを連ねて下のような「絵」「図」になりました。しました。

 

 

●PROFIT=PRO+FIT

 

PROとは何??FITは???PROはPROFESSIONALの略。辞書に頼ることなく「プロって何なんだろう」を考え続けて自分なりの勝手な「定義」にいきつくことができました。

  PRO=とてつなく沢山の、とてつもなく大きな 

       「ありがとう」をいただくことのできる人

 

●今一つのワード「FIT」「相応しい・ふさわしい」の意味をそのまま活かさせていただくことにしました。

 

★そうしますと・・・PROFITと言う言葉は

  プロに相応しい「こうどう=考え動く」をする人が

          獲得できるもの

こう「利益」「PROFIT」を自己定義づけいたしました。

 

●そしてこの「想い」が今ですと28年間以上に渡って変わることなく続いていることになります。

 

●会社の「明日への『糧』となる」「利益」を計上していくために、これも当時の仲間全員に語らせていただき文章でもお渡ししたものがあります。

 

 「利益」を計上しづけていくために  BY  入村道夫

   

       自分たちのお客さまは誰で

   そのお客さまは私たちの何をもって

      ご満足いただけるのか

 お客さまは私たちに何を期待されているのか

    このことを常に考え動いていこう

 

  もしわからないのであれば上司ではなく

       お客さまにお聴きして

         更に確認の上で

  決して私たちからの押し付けにならぬよう

     お客さまのご期待値(ご要望)に

    プラスアルファをつけて実践を

   積み上げていく「こうどう=考動」を

  全員で助け合いながらしていきましょう

         

                       挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★さらに・・・この私の「想い」の徹底のために当時2800人の会社の代表取締役社長の私を含めた全員の名刺にも表しました。

 全員、所属部課・役職の前に「お客さまサービス担当」と入れさせていただきました。(今はない・・ようですが)

 

 

 

         今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                  ありがとうございます。

 

       リストラと言うとすぐに一般管理費の削減に伴っての

               人員削減、経費の削減・・・・

 

         現場で働いている人たちにとっては決して

                 楽しい施策ではなく

         結果としてお客さまに悪い影響が出てくる

 

             私はいつもそう想い続け

     仮に経費節減の一環で人件費を削減する、としたら

  私はまず最初に代表取締役そして取締役の報酬を大きくカットするか

               取締役を減らす

       次に部長に対して・・・そして次は課長に対して・・・

 

              上位者から実施して

      現場でお客さまと相対する人たちについては最後の最後

             そう考え想い続けてきています。

 

              ありがとうございます。

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 297>>

 

       かつて・・悩み悩んでいた時に

  私に「とてつもない気づき」を与えてくれた

        「英語(英単語)」

  その① 「マナー Manner」

        ~私の変わらない想い~   by  入道 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   今回もさいたま市浦和そして東京秋葉原を拠点として世界への羽ばたきを

        されている私と年の離れた友達、画家の田中拓馬さん

           ご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

                拓馬さんありがとうございます。

     田中拓馬さんのwebサイトも訪ねてみていただければと思います。

 

    http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

 

                     

                         挿絵は田中拓馬画伯 画

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「マナー」と言う言葉を調べてみると・・・

    マナー:行儀。作法。礼儀。        ☚ 三省堂大辞林

       :行儀。作法。態度。様子。    ☚小学館新選国語辞典

       :態度。礼儀。礼儀作法。     ☚デジタル大辞泉

       :①行儀作法。礼儀。        ☚精選版日本国語大辞典

         ある行為や事柄に関するやり方や態度

        ②風習

 

 この辞書の解説からは「気づき」をえることは全くできませんでした。

 ここからの自分なりの定義は

  マナー=その時その時で「人がとるべき「形」「容」のこと。

却って、寂しくなってしまいました。

 「自然に」ではなく私の嫌いなMUST DOの世界て゜あり、「容」「形」だけ整っていればいい、そんな気持ちにもなってしまいます。

 もちろん、華道・茶道・・・・日本の「道」の世界では「心、精神」を伴う教えであることは知ってはいるのですが・・・やはり「形」「容」を見てしまうことから入ってしまうのでは・・・

 

「マナー」。会社組織においても新入社員研修・教育の中に「マナー研修」の時間が用意されています。

●名刺の受け渡し、電話の出方・かけ方、挨拶の仕方・・・等々。

 

●私もかつて、会社所属の時代、何度もこの「マナー研修」の講師を務めたことがありました。その研修の結びとして「社会人としてのマナーをあたりまえにいつも発揮できるようにしていきましょう」「しっかりと身に着けてください」・・・「マナーです。マーナ(まぁな)ではだめですよ」なんて語っていました。

 

★今回のブログは上記した「マナー」(形・容)のことではなく、30年ほど前にほぼ2年間に渡って悩み悩んでいた時に、「私が勝手に定義づけして」から今日まである意味で私の「信念」の一つとなっている「私の想い」を記していきたいと思います。

                  ☟

           マナーとは

  礼儀作法、容・形、How Toなのではなく

         「人間力」のこと

    ~コミュニティを活き活きと楽しくさせていく原動力

     それは「ひとり一人の持つ「マナー=人間力=」の発揮

                          BY   入道

          

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

●上記の私の「想い」は今から、なんと30年ほど前になってしまいますが、ほぼ2年間、毎日毎日R事件対応に日々悩んで動いていた時に「たったひとつの英単語」が私にとてつもない「想いのヒント・気づき」を与えてくれました。

●それは「マナー」と日本語で表していた時には全く気付くことのなかったことなのですが、ある時にフッと「マナー」を英単語表記「Manner」と紙に書いたとたんに一気に「気づき」(辞書などには載っていない私独自の勝手な自己解釈です)となりました。

 

           MANNER

 

「マナー」「行儀とか作法と教えられ、私自身も正直、そう思っていました。挨拶の仕方とか、テーブルマナーとか、敬語の使い方、お辞儀の角度・・・名刺の受け渡しの仕方・・・どちらかといえば゛「こうしなければいけない」「こうあるべき」「そうしないと笑われるよ」的に子供の頃から教えられ、私もそう生きてきていました。

 

★でも!!!悩み悩んでいた時に「MANNER」と紙に書いてこの単語にぶち当たった瞬間に私の心に感じました。

 

MANNERと言う単語、MANNERと言う英語はものすごい!!!

 

●その時に私が心の中で行っていた作業?はものすごく単純なこと。

 

●今でも、私が習慣的に行っていることでもありますし、次回以降、何回かに分けて書こうと思っている「気づきをくれた言葉たち」も同じ作業気づいたことです。

 

◆今でも・・・私が習慣的にやっている私の「癖」??それは「数式化」あるいは「定義の数式化」とでもいえるのかなと思っています。

定義づけしたい言葉を、対象を「数式の左辺」において、「その定義゛は」と思うことを「数式の右辺」においていき、その二つを「=(イコール)」でつなぎます。つなぐだけです。

 

★この私の勝手なやりかたで「MANNER」と言う言葉を「定義づけ」(まさに私の勝手な勝手な定義づけです。辞書などには頼りません)してみたのが下記となります。

★この定義づけをした時・・・・私自身妙な表現なのですが「感動を覚え身震い」していました。

 

 マナー=MANNER=MAN+(N)ER

            (N)は発音上子音を重ねている

      ERは英動詞につけて「・・・する人」となる言葉。

               ☟

 

マナー、mannerは礼儀とか作法・・HOW Toなんかではなくて

    「人間をする人」

「人間らしい動きをする人」のこと・・・

   「人間力」のことなんだ!!!! by 入道

         

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「MAN」は「ヒト」「人間」。「ER」は英語の動詞に付けると「~する人」となる言葉。Player・Golfer・Runner・・・・・・・・。

 

★これだけで私自身が2年に渡って考え悩んで探し求めていた「答え」が一挙に解決されました。

・Manは動詞ではないので文法的におかしいのでは・・けそんなことは全く関係ありません。気にすることなし、なのです。

 

★「自分がそう想う」これが「正解」なのです。

 

「マナー」とは「人間をする人」「人間らしくを物差しに動く人」「人間をしているヒト」!!!!

         スゴイ・・・すごい・・・・・凄い・・・・

 

★でも・・・では「人間をするって」何なのでしょうか。

 

★ここで先と同じように「人間」に対しての「自分での定義づけ」が必要になります。

 

★これも・・・辞書あるいは諸先輩に答えを求めるのではなく自分で徹底的に考え続けました。

 

●そして・・・行き着いたのがこれもものすごく単純!!!

 

●そうだ、「人間って動物」しかも「単体では生存確率のとっても低い弱い弱い動物」「他の肉食動物に食べられてしまう存在」なんだよな、との想いに至り、それが今でも私の「信念」の「柱」となっています。

 

●この思考過程で更に疑問が出てきました。

「ヒトと人間」何が違うのでしょうか人間・・・私たち両方、使っていますがきちんと意味付けして使っているのでしょうか!??

 

●習いました。『ヒトはホモサピエンス』。「知恵あるヒト」。

ここからまた単純な「想い」が生まれました。

 

困ったとき、困った状況に直面した時に「知恵を出して乗り越えていくのがヒト」。

  「困難直面の時に知恵をださないのはヒト・人ではない」!!!

 

★では???その「知恵」はどこから出でくるのか!!??

 

★ちょっとだけ書籍に頼りました。その学習過程で動物の「習性」や「行動」は「3つに分けられる」との説明に出会うことができました。

  ①  本能行動

  ②  学習行動

  ③  知能行動

 

★感じとりました。感じ取らせていたたきました。

  現代のヒト・人においては「本能行動」はほとんどみられず

  「学習行動」と「知能行動」が特に発達してしまっている。

    ⇒だからこそ「正しい人間教育」が必要!!

      正しい人間教育が必要なのに現実は・・・寂しい!!

 

本来の人の行動は

  ①⇒②⇒③なのに現実、現在では・・

           誤った  ②⇒③

   なぜに誤った、と言えるのか?それは

   大事な土台「本能」=「ヒト・人」がない!!!!!!!!

 

★現代人は動物としての「ヒト」「人」が「本能的に持っている」「優しさ」を後ろに追いやってしまっている!!!!!!!!!!

             私の想いです。

 

学習そして知能「ヒトとヒトとの「間」で生活をして、生活を通して産まれてきたものであるなら問題はない」と思います。でも・・・

「実体験からではない」「学習目的を誤ったバーチャルな学習」と、そこから身についてしまった「誤った知識」。そしてそれを諫めることをしない、諫めることができない大人たちの現代社会・・・。

 

「動物としての「本能」に戻ろう」「動物としての「本能」に戻りませんか」!!

 

単体、一人では生きていくことのできない弱い弱い動物としての「ヒト

の本能をきちんと認識して発揮させていけるような社会にしていきたい」・・そんな想いにもなっています。

 

ヒトの持つ「本能力」こそが「人間力」なんだと感じています。

 

●ヒトの「本能」。前記していますが私の勝手な定義づけを改めて記します。

    「 ヒトは自分一人(単体)では生を重ねていくことのできない

           弱い弱い動物」なのですから

        「生」を重ねていくには「仲間と一緒に生きて」

         「助け合って生きていく」ことになるはず

            私はそう想い続けています。

 

★「助け合って、助け助けられて」。

   これこそが「人間力」の「根本」の「優しさ」なのだと思うのです。

  これが私のもう変わることない想い、「信念」なのです。

                 

  もう20年以上使い続けている・・ちょっと長い私のメール署名です。

 

●では・・・「優しさ」とは何なのでしょうか。

これも正しい、正しくないなんて関係ありません。自分がどう想うか、でいいのです。

 

「優しさ」。私の行き着いている「想い」を記します。

 

  優しさ=(自分以外の存在を)守ろうとする力

 この動き・・・他の動物たちにもみられる動きですが、私は「人間固有?の特徴」が2つあるのでは、と想い続けています。それは

  ①自分以外の存在の「心の状態を感じようとする」動き。

  ②自分以外の存在の「今の心の状態を感じとれる力」を持っている

 

★こう考えていきますと「優しさ」とは「感性」あるいは「思いやり」「仁」「礼」「義」・・・・これらの「力」を発揮して「優しい」動きをしていく、していけるのだと思うのです。

 

●自分以外の人が言葉だけでなく、言葉なくとも・・・手の上げ下げ、方の上下、眼の動き、脚の組み換え・・・・相手の人のあらゆる身体個所の様子、変化から「どうして欲しいのか」の「心」を感じとることができる、のです。私たち、人間は。

 

★そしてその「力」こそ「MANNER」「人間力」なのでは・・。私の定義です。

       MANNER=MAN+ER
            =ヒトをする人 

           

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

         今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                  ありがとうございます。

     「人間力」、本当にこんな「力」「言葉」があるのかは関係ありません

                        でも・・・

  私たちは「群れ・集団」を形成して=「社会」でしか生きていくことのできない

           弱い弱い動物、生き物、『ヒト』なんです。

 

             とてつもなく長い時間と技術革新が

利便性とは裏腹に人間に与えてしまった「大きな誤解」(一人で勝手にいける)を

                   解きほぐして

     ひとり一人が改めて「人間(社会に生きるヒトby入道)」として

          考え動いていくことが必要だと感じています。

                

)   ありがとうございます。にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 296>>

 

     定年退職・・会社組織を離れられるみなさまへ

     「これまでのルール」と「これからのルール」

   会社組織を完全に離れることで

  ようやくと「自分で決めて自分で動く」

  「自分の人生」が始まります

                

     ~私の変わらない想い~  by  入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           今回も、私のちょっと歳の離れた友達

  浦和そして秋葉原を基点として世界への羽ばたきをされている

      画家の田中拓馬さんがご厚意でブログの挿絵を

              画いてくださいました。

          拓馬さん、ありがとうございます。

  田中拓馬さんのウエブサイトを訪ねてみていただければと思います。

  http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●9月、世の中の会社の多くが半期決算を迎える時期から、なのでしょうか、ここ1か月の間にこの年末に定年を迎えられて会社を離れられる3人の方と語り合いの接点をいただきました。

 

●そして、その方々との語り合いの場で「会社組織から完全に離れる」と言うことに対しての私の想い(=人生のルールが変わる)を、自分の意志で12年前に会社組織から離れた・辞めた体験者としてお話をさせていたたきました。

                

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●今回はその時に語らせていただいた私の「想い」をブログ更新とさせていただこうと思います。

 

◆定年・・・・長く長く勤めていた、所属していた会社組織から離れる、定年退職する、辞める・・・・・。

 

◆定年で会社を辞める、、、会社組織を離れての「これから」を考えるにあたって、とても「必要」だと私が想うことがあります。

 

◆これからそのことを書いていこうと思いますが、これから書いていくことは私自身が今から12年前に「38年3か月間」の「会社所属生活」から「会社の決まり事」によってではなく、「自分の意志」で「会社から離れよう」「会社を辞めよう」と決断するにあたって58才の時に私自身が悩み考え続けた末に「自分なり」に行き着いた「想い」です。

 

★このブログを読み進めていただくとおわかりいただけると思いますが、私は自分の退社・会社組織を離れることについては「会社のルールで辞めるのではなく「自分の意志」で「自分で決めて」辞める、と言うことにこだわりました。

 

★今回のブログタイトルにいたしました「ルール」。

★この「ルール」は「(私の、あなたの・・)自分自身の人生のルール」です。

 

会社等の「組織」に所属していた時のこの「ルール」と「組織を離れてから」のこの「ルール」は違う、異なる、のです。

★一体、何が違う、何が異なるのでしょうか。

 

●少しだけ「今これまで」を振り返えってみたいと思います。

 

●私たちは「誰でも」産まれてから、ある意味「自分の意志とは無関係」に、この世に生を受けてからずっと「組織」(=二人以上の人の集まり⇔この定義はby入道)に「所属」して生きてきています」。

 

家庭・保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校そして大学に会社・・。

 

「今これまで」のほぼ「全て」と言っていい「時間」「時」「期間」を私たちは「組織(=二人以上の人の集まり。人の集合体⇔by入道)」で過ごしてきている、「組織」の中で生きてきています。

 

★今これまで「所属」していた「組織」。この「組織」の中での「ルール「与えられたルール」「与えられるルール」であり、その「組織」に所属する限り、その組織の中で「生きて行く」限り「守らなければいけない(Must Do)ルール」なのです。

 私の想いの根幹です。

 

★この間、語り合わせていただいた3人の方々からも「そんなことはないのでは」「私は私で決めて動いています」とのご発言もありました。

でも・・・・本当に「そう」なのでしょうか。

 

★「自分自身で決めて」の頭に一つとっても重い言葉がつくのだと私は思っています。

★その重い言葉、それは「会社・組織のルールで許される枠の中で」と言う言葉です。全くの「自由」ではありません・・ないのです。

 

朝起きる「時間」から夜の眠る時間まで「与えられたルール」、もっと言ってしまえば「一日のほぼ全ての時間」を「与えられたルール」その「ルール」が描く「与えられたシナリオ」に沿って「生きてきている」のです。

             ⇩

●会社の始業時間は「9時」だから家を「7時30分」までには出ないと・・・そのためには6時30分には起きていないとマズイ・・・そのために前夜は何時に寝よう・・・・月曜日は朝8時から会議があるから日曜日に家族と遊びにでかけても夜7時までには帰宅していたい・・・夏休みも子供家族の予定ではなく会社の規定に従って・・・・・。

          

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●こんな動きが現実なのです。

 

●自分で決めている「つもり」になっていても違いますよね。その後ろには所属している「組織」の「ルール」が明確にあるのです。

 

保育園・幼稚園・・・学校でもおなじです。

 

●一方でこの「生き方」「組織ルールで動く人生」は現実「辛い」と感じている、思っている人たちもおられるとは思うのですが、実は・・・・この「生き方」すごく「楽」なのです。

 

●「家庭のルール」「保育園・幼稚園のルール」「学校のルール」「会社のルール」に従って「自分が動けばいい」のですから。

●自分で「ルール」を創る必要がない、自分で「ルール」を創らなくていい、のですから。

 

★「社長」であっても同じなんです。

 

朝9時までには「出社して、17時までは「仕事」をする。

 その「仕事」の進め方についても「ルール」が与えられます。

  自分で悩み考えることはほとんど「ない」、「必要なし」なのです。

 

★認めたくない、かもしれませんが、これが「事実」。

私はそう感じ続けています。

 

産まれてから、会社・組織を離れるまで、辞めるまで・・・・「今これまで」は「親」「学校」・・・・「会社」・・・・自分以外の人達「他人が創ってくれた「ルール」に従って生きてきているのです。

 

★こんな想いで「組織(会社)を完全に離れてからの「これから」」を私自身の体験を踏まえそして私の想いから考えていきますと「これから」は『自分自身で創っていかなければ貴方の(私の)「これから」の「人生」はなくなってしまうのです。

 

★会社・組織を離れて・・・・「これから」の「人生ルール」「自分自身で創っていく」。「自分で創っていける」のです!!!

自分で創らない限り、会社・組織を離れてからの「ルール」は存在しないのです。

                 

                         挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「いつ何をやったらいいのか」が解らなくなってしまう、のです。

 

●9時の始業時間がない、通勤もない、終業時間も決められていない・・・何をやるのかも決められていない、わからない・・・一日何もしなくても誰も注意をしてはくれない・・・。

「今日は何時に起きて一日の中で何をしていくのか」全て自分が考えて、全て自分自身で決めていくことができる、のです!!

 

◆言い切ります。

 

「自分で何も考えることなく、決めることなく」朝起きることから夜眠るでの毎日を重ねてきていた、重ねられていた「楽な生活」の「まま」ですと、会社・組織から解き放たれた瞬間から「何をすればいいのか」「何をしたらいいのか」が解らなくなってしまいますし、何もしなくても誰も「注意」あるいは「忠告」をしてくれる人は「誰もいない」のです。

 

ポジティブに考えましょう!!!ポジティブに捉えましょう!!

 

今までのルール、決められているルールはある意味で

MUST DOルール」です。

  こうしますと「これから」の「ルール」は何??

 

会社・組織を離れての「これからのルール」、

それは全て!!「WISHルール」なのです。

 

「楽」ではありませんが「楽しい」ですよ!!

 

●「ああしたい」「これをしたい」「こうありたい」「ああなりたい」・・・こんな「自分の『想い』」から「自分自身の「これから」の「人生シナリオを創り、その「自分自身が創る自分自身の人生シナリオ」が「自分の」「これからの人生ルール」になっていく、のです。

 

「みずから日々のシナリオ」を創り、それに従って動いていくことができる!!

 

 とてもとっても楽しみな人生」、それが会社・組織を離れてからの

「これから」なんです。

 

◆でも・・・自分が創らない限り、他の誰も「あなたの「これから」の人生シナリオ」を創ってはくれませんし、その実現のための「人生ルール」を創ってはくれません、これも事実なのです。

 

 

定年・・・会社組織とサヨナラすることは「自分で決めて自分で動く、自分の人生」をスタートすることなのです。

          

           おめでとうございます。

 

        自分「らしさ」にこだわりをもって

         もっと「自分らしく」の人生を

          ご家族みなさまと共に!!

 

         今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                ありがとうございます。

 

        会社・組織に所属している「間」の自分の動き・・   

   自分で決めて動いているような気持ちになっている、のですが

                ブログ記載の通り

          朝の起きる時間そして夜眠る時間

               そして日中の行動・・・・

        その大半が組織している会社・組織が

         決めている、決められているのです

 

     自分で決めて自分で動いていく自分の人生は

       会社・組織所属を離れてから始まる

         私の58才の時の想いでした。

 

            ありがとうございます。

   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 295>>

 

            自分を他人(ひと)と比べない

        比べるのなら「昨日の自分」と比べよう

  「らしさ」を大切にして「らしく」仕事をして

「らしく」で人生の日々を重ねていきませんか

  ~「できないこと」探しから

         「できること」発見への転換~

         私のかわらない想い      by  入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

            今回も私のちょっと年の離れた「友達」

       浦和そして秋葉原から世界への羽ばたきをされている

  画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

             拓馬さん、ありがとうございます

     拓馬さんのオフィシャルサイトを訪ねていただければ、と

                  思います。

                                    ↓

     http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「くらべる」ことをやめませんか。「くらべる」ことをやめてみませんか。

 

●Aさんと「くらべて」私は劣っているとか、Aさんができているのに「私にはできない」とか・・・・「他人と比べて一人の人間を評価する」「きめ

 つける」ことやめませんでしょうか。

 

●自分ことを他人とくらべる

 自分の子供を他人の子供とくらべる

 自分の組織のメンバーを他の組織のメンバー、あるいは同じ組織の

 他のメンバーとくらべる

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

         他人とくらべて一人の人間を「評価」すること

     「くらべること」やめてみませんか、やめませんか。

 

       

                         挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●なぜ??って簡単!!!

 

★にんげんってひとり一人違う、異なるのが「あたりまえ」なのですか

 ら。それが「人間」なのですから。

 

 

●他人とくらべて「点数付け」(=評価)して

 さらに「ランキング化』(順位付け)をすること、していくことが

 日本では「学校」から始まり

 「あたりまえ」のことになっています

 私はずっとずっと「おかしい」と感じ続けています

 

そんな日本の「あたりまえ」=「くらべる」を変えたい、無くしていきた

 いと想い続けています。

 

●会社、企業に中での「査定・評価」も同じ・・・・・

 「人間を点数付けで評価、順位付けする」ことは

 早く早くやめたら、止めるべきと思うのです。

 私はそんな想いで組織運営をやってきています。

 

●点数付けをするのはたぶん・・・・「平均点」を算出するため

 そして

 「最高」と「最低」を明確にするため・・・。

 

★「二人以上の人間の集まりである組織」(私の組織提議)

 この組織において「平均点」に「意味」を持たせていいのでしょうか。

 「平均点」以上が「優」で「平均点以下が「劣」・・・

   なんなのでしょうか、この「区分」は・・・。

 

★私たち、日本人は学校教育の「場」からずっとずっとこの「やりかた」 

 に「慣らされてきています」。

 先生そして父母のみなさんは「おかしい」と感じられないのでしょう

 か。

 

◆『社会で生きていくために必要なことを身につけていく』

 『ひとり一人の「らしさ」=個性を見つけて育てていく』

 これが「学校教育りの役割』なのではないのでしょうか。

  私の変わらない認識です。

 

●学んだら「どの程度、身についたのか」「理解したのか」の「ものさし」

 として「試験」を実施して、その試験は他科目に渡ります。

●私は「ここまででいい」「これだけでいい」と想い続けています。

 

●その試験の結果を「順位付け」『ランキング化」することが本当に必

 要なこと、なのでしょうか。どんな「意味」があるのでしょうか

 

●そして・・・学校を卒業してから属する組織・・・・会社・値域・・・社

 会・・・においても学校のような「平均点付け」「順位付け」が本当に

 本当に必要なのでしょうか。
       本当に「意味あり」なのでしょうか。

 

●疑問に感じてなりません。
 

★学校にしろ会社組織にしろ・・・・「できないこと」を一生懸命になって

 見つけ出して、その人の「できていないこと」を「おい、できていない 

 ぞ」と指摘する・・・おかしくありませんか。絶対におかしいです。

 

★本来は「ひとり一人がそんな状況(できない)にならないようにしてい

 く」ところに「組織での『教育」があるのではないのでしょうか。

 

★「できないこと」を見つけ出す「できないこと」を探しだす・・・・そんな 

 動きではなく「できること」を見つけてあげる

できないことをメモリ(目盛り)にするのではなく、

 「できること」をメモリにしていきませんか

◆変えていけばいい

 そんな動きが「あたりまえ」の日本にしていきたい

 そんな動きが「あたりまえ」の日本社会になってもらいたい・・・

   心の内からそう思っています。

 

「できないこと」はだれにでもあるように、「できること」も誰にでもあるんです。それが『その人らしさ」を形成している、そう思うんです。

 

◆「その人「らしさ」」は「パーソナルブランド」なのかもしれません。

ひとり一人が「自分らしさ」にこだわって、一人一人がパーソナルブランドの確立をしていってほしいのです。

  パーソナルブランドは「その人「らしさ」」なのです。

 

          

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●実は・・・・わかっているようで一番わかっていないのは自分(らし

 さ)」なのでは、と思うのです。

わかっているようでわかっていない「自分らしさ」を一つひとつ明確にして、その一つひとつを「第三者の眼・他人の心」で「客観的」に見 

 て、そして心に感じて「いやだなこいつ」と感じることがあればそれは

 速やかに「やめて」、「いいんじやない、この人のこんなところ」を残し

 て延ばしていく、この動きの積み重ねで、いつも『自分らしさ』を忘れ

 ないで欲しい、「自分らしさ」こだわって欲しい、私の強い想いです。

 

★そして、一人の人間を見る時に「くらべない」「他人とくらべない」、こ

 れを社会の「約束」としませんでしょうか。

 

★「くらべていい」ことが「一つだけ」あります。当たり前にしていきたい

 「くらべる」が一つあります。

 

●それは

    「自分の昨日と今日」。

     「今日の自分と昨日の自分」

 

「昨日のAさんと今日のAさん」

 今日のAさんと昨日のAさん」。

 

★「本人の比較」なんです。「自分自分との比較」。

  「昨日の自分と今日の自分」を「くらべる」のです。

★私がずっとずっと追いかけ続けている、自分の勝手な考え方・数式?

 があります。分数式で表します。

           今日の自分    

        昨日の自分

●そして、「いつもこの分数式の「値」を「1以上」の状態にしていく」ことこそが大切なんだとも想い続けています。常に自分が意識して自分に「課して」いくと・・・・・とってもとっても楽しくなりますよ。楽しくなってきますよ。

 

★私はこれを「自己変化率」と勝手に称しています。

 

★いつも自分自身の「自己変化率」を大きくしいくようにしていきません 

 か。そして「競う」「くらべる」のであれば「自己変化率」で競いあいま

 せんでしょうか。

 

どうして「1」以上にするのか、どうすればいいのか・・・・難しく賢く考えないでください。

 昨日までやっていなかったことをやってみればいい、やってみ

 る、・・・・・・・みれでいいのです。これだけでいいのです。

        初めての人と知り合う・本を読む・

       今まだたべたことのないものを食べる・

        思いきって「頼みます」を口にしてみた・

 「ありがとうございます」と今までで一番大きな声で言った・・・・・

 

「初体験」ですよね。

◆なんでもいい、んです。なんでもいいんだと私は思います。

「今日できないことをできるようにするために毎日ちょっとずつやっていく」・・・・難しく賢く考える必要はありません。

 

今までの自分ができていないこと、やってみなかったことをちょっと

 ずつ無理を重ねないでちょっとずつ積み重ねていく、んです。

 

★他人と比べるのではなく「自分とくらべる」のです。

 

       今日の自分/昨日の自分

       明日の自分/今日の自分

      今日のAさん/昨日のAさん

      明日のAさん/今日のAさん

 

会社組織での教育研修・・・・とうして「みんなを同じような人間」にし

 ようとする研修ばかりなのでしょうか。とってもとっても疑問です。

 

●阻止としても例えば「100人」の組織としたら「100人それぞれが毎日

 一つずつ「できること」を増やしていく」・・・・この動きが大切。
 この動きを続けていけば組織としての「対応力」も大きくなっていくは

 ず、なんです。

 

★組織での研修は「画一的」な人間を創るための「押しつけ教育」ではない、「押しつけ教育」ではダメなのです。

   ひとり一人の「らしさ」=「個性」の増幅のため

                   の教育そして研修

   でありたいと信じて会社所属の時、動きを重ねてきました。

 

★そうあって欲しいと強く強く念じたいと想います。

 

他人とくらべない・・・・・くらべていいのは「昨日の自分と今日の自分」。

「自分「らしさ」」にこだわって、より「自分「らしく」」仕事をして、より「自分「らしく」」の人生を!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

          

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

          今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                   ありがとうございます。

 

                 人間って、そして大人って

      どうして「他人とくらべる」ことで「評価」していくのでしょうか。

 

                  わかりやすいから???

 

               本当にわかりやすいのでしょうか。

                正しい「評価」なのでしょうか。

 

                違うな、と感じてなりません。

            人間はひとり一人異なる存在、違う存在

 

       この「あたりまえ」のことからいつも出発していきたいと想います。      

 

           そんな私自身の考え方から産まれたのが

                「自己変化率」の考え方

 

              もう40年近く使い続けています。

 

                           ありがとうございます。

       にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

<<ブログ 294>>

 

       『組織』=二人以上の人の集まり(by入道)

      学校・会社等「すべての組織」そして「社会」を

        活き活きと楽しい「組織」としていくために

            必要な「3つの項目」

① 上位者・先輩者の不言実行ないし有言実行

    不言実行、有言実行している人を組織の上位者に

② 組織の個々人が「自分らしさ」を発揮すること

③ 今、現実が「AU」の状況となっているかを常

  に意識すること

                 

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

        ~私の変わらない想い~   by 入道

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         今回も浦和&秋葉原を基地として世界に向けての羽ばたきを

     されている私の年の離れた友達 画家の田中拓馬さんがご厚意で

                         素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さんのご厚意に深く感謝です。拓馬さんありがとうございます。

         田中拓馬さんのウェブサイトも訪ねていただければと思います。

                             ↓

  http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「組織」とは何か。学問的に色々な定義が存在していますが、私自身は、もう42年前にもなってしまいますが初めて組織運営を委ねられて悩み悩みの中から、決して学問的ではないのですが「自分なりの定義」に行き着いており、現在でも全く変わっておりません。

 

「組織とは二人以上の人の集まり」のこと。これが組織に対する私の定義になります。

 

●この想いからしますと友達との関係そして家庭地域、保育園、学校・・・会社・・・そして社会。これらの全てが「組織」となります。「組織」なのです。

 

●そして私自身が課長代理・課長・次長そして部長、取締役、常務取締役、専務取締役、代表取締役社長、会長と実際に「組織のマネジメント」「組織運営」に携わらせていただいていた「31年間」、変わらずに「自分用のものさし」として用いていた「考え方」「想い」があります。

 

●それは28歳でR社で課長代理として最初の役職を委ねられた時に「課長代理って何をしたらいいんだ」「仲間(メンバー)」とどう接すればいいのか」「組織マネジメントって何なのか」・・・・悩み悩んで行き着いた「一つの言葉」があります。

 

●その「言葉」は経営的に学問的に言われている「管理」ではなく、単純な『支援』と言う言葉でした。

 

「支援」。 この時から私はこの言葉にこだわりを持ち続けています。

 

「支援」を別の言葉で私なりに表現するならそれは「助け助けられ」となります。

 

「支援」一方的ではない、のです。「相互」の関係なんです。だから「助け助けられ」となります。年齢とか経験は関係ありません、入社歴、出身学校、性別そんなものには関係なく「ひとり一人が「できること」で「助け助けられ」の関係を形成していく「組織」にしたい、していきたい、とずっとずっと強く想い、動き続けていました。(います)

         

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そんな私自身の「想い」から一番大きな組織、「社会」を見渡しますと「助け助けられの組織にはなっていない」「支援社会になっていない」そう正直に感じています。

 

●これまでもブログに何度も書いてきていることですが、「にんげんはだれでもひとりで生きていくことのできない弱い動物」「だから、にんげんは群れ・集団を形成して生きて行く」「その群れ・集団、それが社会」。だから!!!「社会のあたりまえ」それは「助け助けられ」なのだ、そう想うのです。

 

日本と言う「国」を「そんな社会の国に」「ひとり一人が活き活きと楽しい一日を重ねている国」・・・そんな「社会」にしていきたい本気の変わらない想いです。私には「国」は無理だから自分に委ねられた組織、会社を「助け助けられの組織」としていく動きをしてきました。

 

●では、いろいろな組織・・・地域、学校、会社・・・社会の中で「支援状態=助け助けられの状態」を構築していくためにはどうしたらいいのか、何が必要なのでしょうか。

 

★私は冒頭タイトルにも記しましたように『「3つの項目」を「満たすこと」』だと、考え実践し続けてきました(きています)。

 

◆では、その「3つの項目」とは。

 

 ①上位者・先輩者の不言実行ないし有言実行

  不言実行ないし有言実行の人物を組織の上位者とすること

 組織の上位者が、組織の先輩者たちが組織の人達の「手本」「見本」「目指したい人」「なりたい人」であることが一番簡単な必要条件であると思います。

 逆に毎回毎回、言うことはもっともなことを口にするくせに、その人自身はその動きをしていない、できていない・・・・その上司の言動を見るとどうもあの人は「口と心と身体が別々」に存在しているみたい・・・こうであっては絶対にいけません。絶対にダメなのです。

 

② 個々人が遠慮することなく「自分らしさ」を発揮すること、発揮させること。

  生きることは言い切ってしまえば「いつも「にんげん対にんげん」です。自分と言うにんげんを知ってもらうと同時に相手と言うにんげんを知る動き、この両方の動きが必要です。

 なかなか自分をわかってもらえない・・・愚痴ってばかりしていても何も変わりません。

 それぞれの人間、ひとり一人が「自分らしさ」を発揮することで「助けられ」の関係が出来上がる、のです。

 言い換えれば、会社組織の「評価」で良く見かける「あの人は『これができていない』」「あれがまだできない」・・・・「できないことを探す」のではなく「ひとり一人のできることを探しだして更に増幅させていってあげる」、そんな動きが言ってみれば役職者・組織上位者の「役割」なのです。私の「信念」でもあります。

 それぞれの人間が自分「らしさ」を発揮し合う(できることの組み合わせ)ことが組織活性化の一番の早道そう想いませんでしょうか。

 

③ 「AU」を常に意識し続けること

 私の「想い」そのものかも知れません。

         

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「AU」は「あう」「合う」です。
下の言葉の「左右」を眺めてください。

 

    愛する  ⇒  愛しAU   ⇒  愛し合う

    喜ぶ   ⇒  喜びAU   ⇒  喜び合う

    感じる  ⇒  感じAU   ⇒  感じ合う

    教える  ⇒  教えAU   ⇒  教え合う

    わかる  ⇒  わかりAU  ⇒ わかり合う

    分ける  ⇒  分けAU   ⇒  分け合う

    信じる  ⇒  信じAU   ⇒  信じ合う

    頑張る  ⇒  頑張りAU ⇒  頑張り合う

    助ける  ⇒  助けAU   ⇒  助け合う

    励ます  ⇒  励ましAU ⇒  励まし合う

    報せる  ⇒  報せAU  ⇒  報せ合う

    学ぶ   ⇒  学びAU  ⇒  学び合う

    成長する⇒ 成長しAU  ⇒  成長し合う

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あなたにとって上の言葉の左と右・・・・どちらの状態が楽しいと感じますでしょうか。

 私は完全に右の「AU」「あう」のついている言葉の状態の実現を追求し続けてきています。

 左側の言葉たちの「動き」は『相手の存在そして相手の心に無関係」に「自分一人で勝手にできること」です。

 しかし・・・・「AU」「あう」の二文字がついた状況の実現のためには「必ず」「自分以外の『人間』の存在」が、そして「自分と相手の『心の状態』が一緒」と言うことが条件になってくる、そんなことから私はこの「AU」「あう」のたった二文字が「組織運営の『根本』」を表す言葉なのだと想い続けて42年・・・・いかがでしょうか。

 

◆自分一人でできること、例えば「愛する」に「AU」「あう」の二文字を付け加えると「愛し合う」となり、そのとたんに「自分一人ではできない」「自分本位では実現できない」・・・・「相手の人も自分と同じ『想い』『心』』気持ち』」にならなければ実現できない、となります。

 

★そんなことから私は自分を振り返る時に「今これまでに自分のとった言動」を心に思い浮かべながら、自分の言動が相手の人達にとって「AU」「あう」の状態であったのかどうかを自己問答していきます。

 

「AU」「あう」。ちょっとオットセイの鳴き声のようですが、この二つの「文字」のもっている意味って人間社会においての、ありとあらゆる組織において・・・・とってもとっても大切な気づきを与えてくれる言葉である、そう想っています。

 

「組織は『AU・あう』の欠如によって崩壊する」

          

                     挿絵は田中拓馬画伯 画

 私自身の強い想いであり、今まで関わらせていただいた全ての組織で語り続けそしてやり続けてきていること、です。

 組織がいつも「あう・AU」の状況にあれば、組織として突発的にヤバイ・マズイ状態に陥ったとしても、きっと組織構成員のひとり一人の「心の結集」を前提としての「ひとり一人の『力(ちから)』」(=ひとり一人のできること)の「結集」によってそのヤバイ・マズイ状態から抜け出すことはできる、きっと抜け出せる、のです。

 

 

         今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                  ありがとうございます。

 

                 先の参議院議員選挙・・・

            日本をこうしていく、日本人はこうありたい

               そういった議論はほとんどなく

            いきなりの各論にたいする賛否ばかり・・・

 

                 立候補された先生方が

            日本の国民みなさんと「想いを通じAU」

            そんな選挙活動になっていない・・・

              そんな「投票」にもなっていない

             素直にそう感じてしまいました。

 

                  国も組織・・・

       改めて組織の「あたりまえ」から考えていただきたい

     そうしないとこの国、日本はおかしくなる(モットオカシクナル)
         「人の心不在の国」?になってしまうのかも・・・

           そんなヤバさを感じたりもしていました。

 

                ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 293>>

      「今これまで」を変えていくために必要なこと

                 それは

     「こうありたい」「こうなりたい」の

    『明日のデザイン』を自分で考え

  それを実現していくための「ステップ」を

         「自分で」作成し

       「自分自身が動くこと

           ~変わらない私の想い~      by 入道

 

             

             挿絵は田中拓馬画伯 画 「Move On」    

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             今回も浦和&秋葉原を基地として世界への羽ばたきを

                 されている私とちょっとだけ?年の離れた友達

                 画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を

                                画いてくださいました。

            拓馬さん、ありがとうございます。お心に感謝、です。

       田中拓馬さんのオフィシャルサイトも訪ねていただければ、と

                                    思います。

         http://tanakatakuma.com/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     前向きのエネルギーは「現状への「危機感」と

      現状を変えていくための「創意工夫」である。

 

               Move ON

             先に進める  進歩する

 

これは私のもう30年以上も変わることのない「想い」であり、この自分の「信念」(=変わらない想い)に素直に仕事をし、「人生」「生きる」ことを重ねてきています。

 今回のブログは、嘗て・・・悩み続けていた自分自身に投げかけ、問いかけていた「6つの文・言葉」をそのまま記していきたいと思います。

 では・・・

 

①「もっとしあわせ」に、もっと「たのしく」なりたいのなら・・・

 

           もっとたくさんの「しあわせ」と

           もっとたくさんの「うれしさ」と

       もっとたくさんの「たのしさ」が欲しいのなら

         もっともっとたくさんの「しんどさ」と

         もっともっとたくさんの「くるしさ」と

        もっともっとたくさんの「かなしさ」から

         絶対に絶対に逃げ出さないことだ    入道

 

 「創意工夫」・・・創意工夫は「こうどう」=「考動」。言葉では簡単ですが、自分をその「主体者」としてきちんと置くと悩むことが大変に多くなります。

 今の「しんどい」、今の「いやな」状況を自分以外の「誰かの「せい」にしちゃう・・・」、誰かが変えてくれる、良くしてくれるのを待つことに比べれば、はるかにたくさん「悩み」ます。

 でも・・・どんなに時間をかけても、考え悩むだけでは「何も変わりません」、変えていくことはできません。

 「変えていくことができる」のは「自分自身」が「こうどう=考動(=考え、そして考えたら動く)」した時だけ。そう想います。

 「明日をこうしたい」「こんな状況にしていきたい」「こうありたい」・・・そのことを自分自身で考え、想い描き(デザインし)考えたら「行動」すること、です。

 この動きが「変化への挑戦と勇気」「勇気を持って変化に挑戦」なのです。

 悩む自分を「可哀そうだよね」と自分で慰めては絶対にダメなのです。なぜならそれでは「変化に繋がらない」のですから。

         

            挿絵は田中拓馬画伯 画 「Move On」

 

②「つらいとき」「しんどいとき」「かなしいとき」には・・

 

      つらいとき しんどいとき かなしいときに

     つらい顔 しんどい顔 悲しい顔をすることは

            だれにでもできること

            昨日から今日までの

         つらさ しんどさ かなしさをみて

              なげきかなしみ

     自分を「悲劇の主人公」においてはいけない

      今日までのつらさ しんどさ かなしさを

      どうしたら 明日に活かしていけるのか

        自分を悲劇の主人公ではなく

         「冒険」の主人公として考え

         考えたら行動に移していく

     この「こうどう=考動」をしていかないと

  今の「つらさ」 今の「しんどさ」 今の「かなしさ」に

    とってもとっても失礼なのだと想います  入道

         

           挿絵は田中拓馬画伯 画 「Move On」

 

考えた・・・でも「行動」に移せない、「行動できない」。

どうして??何がそうさせてしまうのか。

それはきっと「自分に火の粉」が飛んでくるのを避けるから。

上手くいかなかったときに「自分のせい」にするのが嫌だから

だから、自分が「行動」することを「決断」できない、

私はそう思っています。

 

やってみればいい、じゃないですか。やればいい、じゃないですか、

自分自身を「変化の『主体者』」にきちんと置いて

ちょっとだけ「勇気」を持てばいい

きっとできますよ。大丈夫。

 

③「悩み」を軽くしていく、そのためには・・・

 

          みずからの悩みを軽くして

                 逆に

     悩みを次の変化へのエネルギーにしていく

  変化へのエネルギーに変えていく方法がひとつある

                それは

         「自ら『決断』すること」である        入道

 

変化の「行動主体」それはいつも「自分自身」。

だから・・・仮に「今」、「嫌だなあ」の状態が続いているのなら、それは「誰かが悪い」のではなく「新たなこうどう(=考えそして動く)」をしていない自分自身」が悪い、と思うべきでそれが真実

そう想えば「変化への道のり」は急激に短縮される、私は自分自身のンからそう想い続けています。

        

        挿絵は田中拓馬画伯 画 「Move On」

 

④他人の「せい」にする、他人を「批判」する前に・・

 

       他人(ひと)の「せい」にする

       他人(ひと)を「批判」するときには

       その前にやることがある

       それは

       同じ問を「自分自身」にしてみることだ

       同じことを自分自身に問いかけてみることだ

                                    入道

 

「今これまで」を変えていきたいのなら、「いやだ」「なんとかして」なんて感情論だけでなく、「どうしていきたいのか」「どうありたいのか」「どこのなにをどう変えていきたいのか」の『未来(明日の)デザイン」を(自分自身で描くことだ。そのうえで、「自分の今これまでの「行動=考えと動き」」を変えること、変える勇気を持つことが「変化への入り口」「変化へのスタート」なのです。

 

⑤いやないやな状況から早く早く脱出するには・・

 

       いやな  そしてまずい状況に遭遇したとき

       そこからすばやく脱出して

       しかも 後に後悔を残さない方法が

       「ひとつだけ」ある

       それは

       その状況となってしまったことの「原因」を

       他人(ひと)に求めるのではなく

       自分自身の「今日これまで」の言動に

       その原因を求め

       謙虚な心での謙虚な反省のうえで

       自分自身の「こうどう(=考え動く)」を

       すぐに変えていくことである          入道

 

          

              挿絵は田中拓馬画伯 画 「Move On」

 

●そして・・・「変化」していくにあたって「自分自身の現実」(自分自身の「等身大」をしっかりと認識することがとても大切なことになります。自分自身の等身大(今、できること)を忘れてはダメ、なのです。

「変化」にむけての大切な要素・・・それは「(自分の)現実から逃げることなく、(自分の)現実を直視できるかどうか、と言うことなのだ、と思います。

 

⑥「等身大」・・・・わかっているつもりでも全くわかってはいない・・

 

       夢を大きく持つことはいい

       夢を持ち続けなくてはダメだ

       でも

       同時に「今の自分」が「できること」

       「やれること」の限界

       しっかりと認識していなければダメだ

       やりたいことをたくさんのものさしで検証し

       選択して 「今やるべきこと」を

       明確にしていくことだ

 

       そして

       その「やるべきこと」を

       「今できること」と「今はできないこと」の

       二つに分けてみよう

 

       「今できること」で今日の「動き」を組み立てること

 

       そして  「今はできないこと」を

       どうすれば「できること」にしていくことができるのか

       どうしたら「できる状態」にもっていくことができるのか

       そのための具体的「アクションプログラム」を組み立て

       動いていくことだ

 

       できないことを他人(ひと)に約束しては絶対にダメだ

       自分の「実力」を正しく認識し続けよう

       そして

       「等身大」で動いていこう

 

       背伸びは 自己満足にはつながるかも知れないが

       他人(ひと)に迷惑をかけてしまう

 

       自分の「やりたいこと」「やるべきこと」

       そして

       「できること」と「できないこと」をきちんと認識して

       「やるべきこと」で「今はできないこと」を

       「どうしたら」「できること」に変えていくことができるのか

       自分自身で確認し続けていくことだ

 

       ここに この動きに

       「明日」「今これから」が見えてくる

       個々に成長の方向が見えてくる        入道

          

             挿絵は田中拓馬画伯 画 「Move On」

 

●わかっているような気持ちになってはいるが、実は全く分かっていないのが「自分自身」。

 他人(ひと)のことは色々と感じ、気づき、いろいろとアドバイスしたり苦言を呈したりするのに・・それと同じ動きを自分に対しては全くできない、全くしない・・・・これが人間と言う動物の一つの特徴なのかな、とも感じます。

 

    今回も最終行にまでお眼を進めていただきましてありがとうございます。

 

          近頃・・・と言ってもここ25年位でしょうか

     日本人は自分で汗をかかない民族になってきているように

                感じてなりません。

 

          上手くいけばそれは「自分の手柄」

          失敗すれば、うまくいかなければ

         その原因を「自分以外」に探し求める

 

      「あいつが悪い」「政治が悪い」「上司が悪い」・・

           そんな動きをするのが日本人

         寂しいけれどもそんなこと感じています

 

                    早く

        仮に嫌な、こまった、しんどい状況があれば

  ひとり一人が「自分の何が悪かったのか」「何が欠けていたのか」を

               自分に問いかけ、

    自分に「原因」を発見し、その自分の動きをすぐに変えていく

        その動きの集合で「いつも変化させていく」

       「良くしていく」動きをひとり一人の国民

  (国会議員の先生方も党派関係なく一人の「人間」として)が重ねていく・・・

            そんな日本であって欲しい

             正直にそう感じています。

 

             ありがとうございます。

       にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(入村道夫)

 

 

 

          

 

 

 

 

 

                                

 

 

 

<<ブログ 292>>

 

    3月29日の投稿から「今」までに起こったことから想う

       「人生」そして「生」と「死」を改めて考える

   「(誕)生」と「死」、この間が「人生」

  やはり人生ってとてもとても不思議です

          ~私の変わらない想い~       by 入道

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

             今回も私の年の離れた友達

        秋葉原から世界への羽ばたきをされている

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

           拓馬さん、ありがとうございます。

  田中拓馬さんのオフィシャルサイトも訪ねていただければ、と思います。

          https://tanakatakuma.com/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 3月29日の更新依頼、久しぶりの久しぶりのブログ更新。前回更新から2カ月半経過!!

 

 この2カ月半、4月、5月そして6月も半ば・・・私にとってある意味で「怒涛の日々」?改めて「人生」そして「生」と「死」、特に「死」ということに正に直面していた日々でした。

 

               

       挿絵は田中拓馬画伯 画「生と死を彷徨う入村さん」

 

 5年前・・・自分なりの想いを形成して心落ち着けていたはず、なのに再び、「死への恐怖」?を感じた日々でもありました。

 

 詳細を省きます。4月に実施した「全身各種検査」で一か所異常が見つかり、その告知を受けたのが4月23日。その場で「要手術」の宣告を受け、5月13日に人生2回目の「入院」、5月15日朝9時から人生初の「手術」(4時間の予定がおかげさまで2時間半で完了)。人生初の「全身麻酔下での手術」でした。

 

 手術日当日は朝8時半に手術着に着替え、徒歩で手術室へ移動。この時を含め、手術当日はほぼ「悩まずに」、でしたが、前夜まではいろいろと、特に「死」と言うことへの想いが湧きあがり、ほぼ眠れずの2日間・・・手術後、全身麻酔から覚めて自分の姿を眺めれば、これも人生初の「酸素マスク着用」そしてベット脇には「手術後の痛み止め用の軽モルヒネ投与の器具」が鎮座?している・・・この状況・景色もまた色々と考えさせるキッカケにも・・。

 

 お陰様で、ほぼ痛みなく、術後の経過も非常に順調で5月24日退院。

 (これからほぼ半年間、予防治療を一か月に2回(一回につき2日間、延べ24日?受けることになると思いますが・・)

 

 これだけなら「おかげさまで無事退院しました」で終わりなのですが・・・。

 

 実はこの私の入院・手術・回復治療期間中(5/13~5/24)「5月21日」の13時に母親が入院したいる病院から私の携帯に「危篤状態。すぐに来れないか」との報せが届きました。

 この日、たまたま私の妻が私の見舞いに来てくれて昼前に帰宅の途に就いていたので妻に電話を入れて母親の病院に行ってもらいましたが、14時過ぎに永眠いしたました。

 

 全く苦しむことなく静かに正に眠りに就くように亡くなった、とのことでした。

 5月21日・・・「98才3か月」!!「天寿全う」でした。

 

 ちなみに前日には妻が母に会いに行っており、持参したジュースを「おいしいね」と喜んで飲んで、帰り際には「ありがとう。またね」と元気に手を振っていたということです。

 

 母の葬儀・・・何せ「喪主」となる長男の「私」自身が、その時まだ入院状態ですので、妻と弟と相談して「葬儀は1週間ほど後で」「私が退院してから」と決め、一週間霊安室が利用できる斎場を探して予約してもらい、同時に母体時のご住職とも相談させてもらい無事に私の「退院(予定)後」の5月29日通夜・5月30日告別式・火葬と葬儀一切を執り行うことができました。

(私が手術から9日の退院直後、まだ腹部に5か所の縫合糸が残っていること、そして母親が天寿全うの死であったことから親戚そして身近な人たちだけで葬儀一切を済ませましたので、親戚等以外どなたにも母の死去そして私の手術のこと・・お報せはしませんでした)

 

 4月そして5月に6月そして納骨の7月と「約100日の日々、私自身の現実としても「死」と「生」そして「人生」「一生」と言うことを考え、感じざるを得ない100日となっています。

 

 そして、手術した私の「悪いもの」を全て「母が身代わりに全部持って行ってくれたのでは」そんな想いにもなっています。(母が亡くなった5月21日は私が全身麻酔下での手術から「7日目」。仏教では初七日とか四十九日とか「7の倍数」に意味あり、とのこと。菩提寺のご住職から教えられました)

      

    4月23日  要手術の宣告有

     5月13日  入院 回復箇所の特定検査

     5月15日  全身麻酔下での手術

 

                 5月21日  母死去(98才3か月。天寿全う)

 

     5月24日  退院

 

              5月29日  通夜

              5月30日  告別式・火葬

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ブログ更新をしていなかったこの期間での出来事?を初めて文字にしております。そんな中で改めて想った、私の想う「人生」そして『生」と「死」と言うことを記していきたいそう想います。前書きが長くなり申し訳ございません。では。

 

●私が5年前の5月29日にとある宣告を受けて「なんで」「どうして」「後何年生きられるのか」「どんな死に方になるんだろう」等々・・・半年くらいの期間悶々と悩み考えていた時がありました。

 

●そして、その悩みの後で、ものすごく単純な「想い」にたどりつくことができました。

●そのたどり着いた「想い」とは・・・。

                 ⇩

●「人の人生、人の一生は「(誕)生」に始まり、「死」で終わる。

      人生とは「誕生」と「死」との「間」のこと」。

 

    人生=From「生」 To「死」  この間のこと

 

●そして今一つ、私がたどり着いた「想い」。人生の不思議さを感じました。

 

●人の「一生」「人生」の「スタートとエンド」「始めと終わり」は「自分自身の意志を働かすことはできない」。

●スタートとエンドの「誕生」と「」は自分の意志ではないところで「決定」される。

 

  ・自分自身の「人生」なのに、「自分の一生」なのに・・・「始め」と

   「終わり」は当事者である「自分」の意志とは「無関係」なのです。

 

●すごくすごく、不思議だと想いませんか。感じませんか。

 

「自分の人生のスタート」である「誕生」の時。「誕生まで」。

「いつ」「どこで」「誰の子として」「男なのか女なのか」「どれくらいの大きさで」・・・・どうやって「生まれるのか」「誕生する」のか・・・・とってもとっても大切なことなのに自分自身の『意志』」「自分自身の『想い』」を働かせることはできません、できない、のです。

 

●自分の人生、自分の一生の「スタート」を自分で決める、自分で選択することはできない、のです。

 

●人生、一生のラスト、人生の終わりの「死」についても同様・・なんです。

●「いつ」「どこで」「どんな病気で」「どうやって」・・・死んでいくのか・・。

これも自分自身で決める、自分自身で選択することがてきない、のです。(自死以外)

 

自分の「人生」自分の「一生」なのに、その「始め」「スタート」と「終わり」「エンド」を自分自身では決められない・・・とってもとっても不思議と想えてなりません。

 

●誰が「自分の「生」」を決め、誰が「自分の「死」」を決めているのか

 

        

         挿絵は田中拓馬画伯 画「生と死を彷徨う入村さん」

・・・考えてもわからないので私は自分なりの「想い」(下記)に表してそれ以後、悩むことは止めにしました。

 

「生」は他の動植物、生き物たちと同じように『地球の豊かな自然環境』が与えてくれたもの、創り出してくれたもの、そう想います。

         きれいな「大気」

         温かなそして穏やかな「陽光」

         清々しい清潔な「水」

 

豊かなそして穏やかな優しいきれいな「地球の自然環境」から「すべての生き物たち」「生」を与えられた、『生」をもらうことができた・・・そう想うことにしています。これが私の「想い」です。

だから、「メール署名」(長いですが・・)にして使い続けています。

 

                     美しい地球環境をそして人間の優しさを大切に

          温かな太陽光と清らかなそしてきれいな空気

            豊かな自然環境があった(ある)からこそ

          この地球に誕生してきた「ヒト」と言う生き物

       ヒトは単体では生きていくことのできない弱い弱い動物

          だから ヒトは群れ・集団を形成して生きていく

          ヒトが形成する群れ・集団  それが「社会」

           そして 「社会」に生きるヒトが「人間

           「社会」で仲間と一緒に生きていくこと

                 それが 「生活」

            だから 社会生活のあたりまえ

              それは 「助け助けられ

                    そして

             それが人間の「優しさ」の根幹

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入村道夫

 

●スタートの「生」とエンドの「死」のあ・い・だ・・・「間」が「人生」

全部、自分で決められる、のです。(赤ちゃんそして自我が確立するまでは自分の変わりに親、親戚等の人たちが自分の代わりに決めてくています)

 

●そうだとすると・・・「生」と「死」の間の人生を大事にしていきたいと思うのです。

   なぜなら、それが「自分の人生、自分の一生」なのですから。

 

★そして、いつも「今」を、「」と言う「瞬間・時・場」を大事にしていきたい、そう想い続けています。

          

          挿絵は田中拓馬画伯 画「今、この時を生きる入村さん」

 

★人生の終わり、自分の意志で決めることのできない「」は「いつやってくるのか」わからない・・・もしかしたら「明日」なのかもしれない、のですが、「今この時」に「生きている」、これは事実なのですから。

 

★「明日という日」は「あたりまえにやってくる」、「明日を迎えるのは「あたりまえ」。・・・今日やらなくたって「明日」があるさ・・・。

 

●私も5年前までは上記のような感覚で、と言うか、全く疑問に思うことなく「明日がやってくるのはあたりまえ」と思い、動いていました。

 

●でも・・5年前に宣告され、5年生存率を示されたときから・・・悩み考え・・・変わりました。想いを変えました

 

もしかしたら、自分の人生、一生のエンドである「死」は明日なのかもしれない、明日が自分の人生のエンドなのかもしれない・・・そう想うと考え方そして動きが変わります。

 

□自分のやりたいことに時間を使う、優先順位付けして動いていくことが「あたりまえ」になってきています。

 

□その私の想いを私の大好きな集合を表す記号シグマ(Σ)を用いて等式化してみると次のように表せます。

「下」に行けばいくほど「時間の確実さ」「生きていることの確実さ」が増していく、のです。

          人生=Σ(一年)

             =Σ(ひと月)

             =Σ(一週間)

             =Σ(一日)

             =Σ(一時間)

             =Σ(一分)

             =Σ(一秒)

             =Σ(今)

                     ∴ 人生=Σ(今この時)

 

        

     挿絵は田中拓馬画伯 画「今、この時を生きる入村さん」

 

 

●生きていることが唯一確実な「今この時」「今この瞬間」を大切に生きていこう  「」を大切にしよう  を一生懸命に を活き活きと

を自分らしく・・・・

 

「今」は自分自身で、自分の動きで「これから」を創造していくことができる「唯一の時」、そう考え、そう想い動いていきませんか。

 

★「」は「自分自身が「主役」になって、この時までの状況・状態を変えていくことのできる「時」・・私はそう想います。

 

●自分自身の「死」を「実感」する体験を重ねての現在。

もしかしたら「明日の朝」を迎えることができないかもしれない・・・そう考えることができるようになって「今日できることは今日やる」「大切な時間を自分が「やりたいこと」に使っているのか」の「ものさし」でいつも自己チェックする、自己チェックできるようになったと思います。

 

★私の想いを集合記号シグマを用いて前記していますが、この想いを

を同じようにΣを用いて表してこのブログの結びにしたいと思います。

 

          楽しい素敵な人生=Σ(楽しい素敵な一年)

                      =Σ(楽しい素敵なひと月)

                      =Σ(楽しい素敵な一週間)

                      =Σ(楽しい素敵な一日)

                      =Σ(楽しい素敵な一時間)

                      =Σ(楽しい素敵な一分)

                      =Σ(楽しい素敵な一秒)

                      =Σ(楽しい素敵な今この時)

 

     ∴ 楽しい素敵な人生=Σ(楽しい素敵な今この時)

 

●「今この時」を大切に。「今、この時を自分がやりたいことに使っているのか」をいつも自分に問いかけていきたい・・・そう想います。

 

       今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                ありがとうございます。

 

        自分なりに理解した、納得した「つもり」でも

     やはり「死」と言うことを考える時ってあるものですね

  特に齢70才を過ぎると自分の周りだけてなく自分自身の「死」と

         いうことに直面するような場面にも・・・

 

      改めて「生きていることが明確」な「今この時」を

             大切にして生きていきたい

             そう思いなおしています。

 

             ありがとうございます。

    にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 291>>

 

                 「組織と個人」

     「桜花」が気づかせてくれました

       「組織」に対する私の想い

         組織=Σ(個人)

           もう30年以上前になりますが

   サクラの花を眺めていた時に・・私の「想い」になりました

              ~私の変わらない想い~   by  入道

               

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回も秋葉原のアトリエから世界に向けての

羽ばたきを続けている

私とちょっと歳の離れた友達

画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を

画いてくださいました。

拓馬さん、ありがとうございます。

田中拓馬画伯のビジネスサイトを訪ねていただければ、と思います。

     https://takumatanaka.business.site/

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

春、桜の開花情報がいつの間にか満開情報に変わる時節が今年もやってきています。特に今年は「平成最後の花見」の飾り言葉で人々の心を煽りたてている・・・そんな感じも受けています。

 

●かつて、「さくらの花」を観ていて感じたこと、「さくらの花」が私に気づかせてくれたこと「組織と個人」のテーマで書いていこうと思います。

 

           さくらの花の美しさは「集合の美しさ

     ひとつひとつのはなびら「5つ集って

     ひとつの「さくらの『花』」をかたちづくり

     その「」がまたたくさん集まって

     一本の美しいさくらの樹をかたちづくる

     そして

     たくさんのたくさんのさくらの樹が集まって

     春の訪れを待ちわびていた

     ひとびとの心に 

     暖かさと喜びを

     かくれんぼしていた「」の到来を

     報せてくれる 

 

     さくらの花の美しさ

     それは「集合」の美しさ

 

        

     

     ひとつの花は5枚の花弁で形成される

     その5枚の花びらをもった

     ひとつひとつの花が

     たくさんたくさん集まって一本のさくらの樹となり

     美しさをさらに引き立てる

 

     お互いの存在によって

     お互いの美しさを お互いに増幅し合う

     それがきっと さくらの持つ美しさ

 

     同じようだけれども

     花びら(花弁)はひとつひとつ異なるもの

     だから

     同じようだけれども

     美しいさくらの花も

     みんな違う

     ひとつひとつみんな異なる花

 

     ひとりひとりのにんげんを大切に

     ひとりひとりの人間が持っている「個性」を大切に

 

     ひとりひとりのにんげんが集まって

     」という組織をかたちづくり

     課がいくつか集って「」という組織になっている

     部の集合体 それが「部門

     部門の集合 それが「会社」となっていく

 

 

               

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

     組織の基本 それは「ひとりひとりの人」「個人」

     ひとりひとりの「に・ん・げ・ん

 

     そして

     組織を形成するみんなでいつも確認し合いたい

       今、確かに花はたくさん咲いている

       但し、明日もちゃんと新しい花を咲かせられなければ

       今日の開花は今日、今だけのもの

       組織としての「明日」 明日の組織

       美しい花を咲かせ続けていくために

       「今、何をするのか」

       ひとりひとりが考えそして実行していこう

      

       花を咲かせ続けていくためには

       今の「満開」に心の全てを奪われてはダメ

       今、この満開の時にこそ

       明日以降に咲かせる花のために

       土を耕し、根を張り、水をやり

       きちんと陽を充てるようにしていかなければ

 

    組織としてのにんげんは

    みんな同じなのではなく

    ひとりひとり違う  ひとりひとり異なるにんげん

    この「あたりまえ」のことを

    決して忘れてはいけない

    私はそう想う

 

    組織としていつも自己問答を続けたい

        今、花は咲いている

        でも・・・・

        明日以降に咲く花を

        今、育てているのか

 

    組織のひとりひとりは 

    みんな「花びらのひとつひとつ」

    そう記してきていますが

    実は「そうではない」のです

 

    さくらの樹を心に想い描いてください

    さくらの樹を見てください

 

    はなびら 花だけでは「ない」のです

    

    良くみてください

 

    土」があり「根」があり「」があり

    「」があり「葉っぱ」もあります

    そして「花」がある

    その「花」の中にも オシベがあってメシベもある

    

    たくさんの花びらが集まって「さくらの美しさ」を

    構成している

    これも事実

    でも・・・これだけでは表面的過ぎます

 

    さくらのはなびらは

     「同じ種類の仕事」をしているひとたちだけ、であり

    そのはなびらの仕事がきちんと果たせるように

    支えている 支えてくれている

    「根っこ」とか「幹」とか「枝」とか「葉っぱ」とか・・

    これらの働き要素が抜けているのです

 

    そして根っこにも「本根」と「枝根」とか

    さまざまな働きをするたくさんの「根」があります

 

    また次の花をさかせるために・・・

    人々が「花」に対してほどの気を寄せていない

    気にしていない みていない

    「葉っぱ」の果たす役割もとっても大事なもの

 

    だから・・・

    組織を考える時

    私は例えば100人の組織ならば

    100人それぞれがそれぞれの分野でNo.1であって欲しい

    みんな違う存在であって欲しい

    そう思っています

    100人がみんな「同じ」組織は不要

    そう思っています

 

    みんながみんな美しい花びらであっては

    決して「きれいな桜の花」にはなれません

    なりえません

 

        葉っぱの大きさ   ナンバーワン

        緑色の濃さで     ナンバーワン

        枝の太さで      ナンバーワン

        根っこの張り方   ナンバーワン

        隣の樹との共生度 ナンバーワン

        ・・・・・・

        

 

    いろんな分野で いろんな部分での

    ナンバーワンが集まって

    そして

    それらの各々が「調和」していてこそ

    ナンバーワンの美しさを誇れる

    さくらの樹(組織)になれるのだと思います

 

    ナンバーワンは「その人らしさ

    ナンバーワンそれは「個性」なのです

    

    没個性でなく

    「個性」「らしさ」を発揮してもらうこと、です

 

    組織に

    「自分とは異なるたくさんの人達がいることはあたりまえ」のこと

    それは組織にとって好ましいこと

    ここにこだわっていきたい

         

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

    

    但し

    ちっちゃな活き活きした一つ一つの組織が集まって

    全体としての 一本の美しいさくらの樹=会社

    形作っているのかの確認・チェックは

    絶えず行っていく必要、ありです

 

    小さなことをおろそかにせず

    小さなことを大事に・・・

    小さな組織

    それを構成する小さなひとりひとりを大切に

        昔から  言い継がれてきていますよね

         チェリーも積もれば山となる

          ↓

         塵(ちり)も積もれば山となる

 

      今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                  ありがとうございます。

 

                 サクラの季節になる度に

               昔、桜の樹たちが教えてくれた

              さくらの樹が私にくれた「気づき」を

            思い出し続けて  はや30年以上経過・・

 

                     きっと

           これからも変わることはないと感じています。

 

               ありがとうございます。

 

         にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫