「人生」そして「生」と「死」を改めて考える。人生ってとても不思議です~私の変わらない想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

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    3月29日の投稿から「今」までに起こったことから想う

       「人生」そして「生」と「死」を改めて考える

   「(誕)生」と「死」、この間が「人生」

  やはり人生ってとてもとても不思議です

          ~私の変わらない想い~       by 入道

 

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             今回も私の年の離れた友達

        秋葉原から世界への羽ばたきをされている

   画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

           拓馬さん、ありがとうございます。

  田中拓馬さんのオフィシャルサイトも訪ねていただければ、と思います。

          https://tanakatakuma.com/

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 3月29日の更新依頼、久しぶりの久しぶりのブログ更新。前回更新から2カ月半経過!!

 

 この2カ月半、4月、5月そして6月も半ば・・・私にとってある意味で「怒涛の日々」?改めて「人生」そして「生」と「死」、特に「死」ということに正に直面していた日々でした。

 

               

       挿絵は田中拓馬画伯 画「生と死を彷徨う入村さん」

 

 5年前・・・自分なりの想いを形成して心落ち着けていたはず、なのに再び、「死への恐怖」?を感じた日々でもありました。

 

 詳細を省きます。4月に実施した「全身各種検査」で一か所異常が見つかり、その告知を受けたのが4月23日。その場で「要手術」の宣告を受け、5月13日に人生2回目の「入院」、5月15日朝9時から人生初の「手術」(4時間の予定がおかげさまで2時間半で完了)。人生初の「全身麻酔下での手術」でした。

 

 手術日当日は朝8時半に手術着に着替え、徒歩で手術室へ移動。この時を含め、手術当日はほぼ「悩まずに」、でしたが、前夜まではいろいろと、特に「死」と言うことへの想いが湧きあがり、ほぼ眠れずの2日間・・・手術後、全身麻酔から覚めて自分の姿を眺めれば、これも人生初の「酸素マスク着用」そしてベット脇には「手術後の痛み止め用の軽モルヒネ投与の器具」が鎮座?している・・・この状況・景色もまた色々と考えさせるキッカケにも・・。

 

 お陰様で、ほぼ痛みなく、術後の経過も非常に順調で5月24日退院。

 (これからほぼ半年間、予防治療を一か月に2回(一回につき2日間、延べ24日?受けることになると思いますが・・)

 

 これだけなら「おかげさまで無事退院しました」で終わりなのですが・・・。

 

 実はこの私の入院・手術・回復治療期間中(5/13~5/24)「5月21日」の13時に母親が入院したいる病院から私の携帯に「危篤状態。すぐに来れないか」との報せが届きました。

 この日、たまたま私の妻が私の見舞いに来てくれて昼前に帰宅の途に就いていたので妻に電話を入れて母親の病院に行ってもらいましたが、14時過ぎに永眠いしたました。

 

 全く苦しむことなく静かに正に眠りに就くように亡くなった、とのことでした。

 5月21日・・・「98才3か月」!!「天寿全う」でした。

 

 ちなみに前日には妻が母に会いに行っており、持参したジュースを「おいしいね」と喜んで飲んで、帰り際には「ありがとう。またね」と元気に手を振っていたということです。

 

 母の葬儀・・・何せ「喪主」となる長男の「私」自身が、その時まだ入院状態ですので、妻と弟と相談して「葬儀は1週間ほど後で」「私が退院してから」と決め、一週間霊安室が利用できる斎場を探して予約してもらい、同時に母体時のご住職とも相談させてもらい無事に私の「退院(予定)後」の5月29日通夜・5月30日告別式・火葬と葬儀一切を執り行うことができました。

(私が手術から9日の退院直後、まだ腹部に5か所の縫合糸が残っていること、そして母親が天寿全うの死であったことから親戚そして身近な人たちだけで葬儀一切を済ませましたので、親戚等以外どなたにも母の死去そして私の手術のこと・・お報せはしませんでした)

 

 4月そして5月に6月そして納骨の7月と「約100日の日々、私自身の現実としても「死」と「生」そして「人生」「一生」と言うことを考え、感じざるを得ない100日となっています。

 

 そして、手術した私の「悪いもの」を全て「母が身代わりに全部持って行ってくれたのでは」そんな想いにもなっています。(母が亡くなった5月21日は私が全身麻酔下での手術から「7日目」。仏教では初七日とか四十九日とか「7の倍数」に意味あり、とのこと。菩提寺のご住職から教えられました)

      

    4月23日  要手術の宣告有

     5月13日  入院 回復箇所の特定検査

     5月15日  全身麻酔下での手術

 

                 5月21日  母死去(98才3か月。天寿全う)

 

     5月24日  退院

 

              5月29日  通夜

              5月30日  告別式・火葬

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 ブログ更新をしていなかったこの期間での出来事?を初めて文字にしております。そんな中で改めて想った、私の想う「人生」そして『生」と「死」と言うことを記していきたいそう想います。前書きが長くなり申し訳ございません。では。

 

●私が5年前の5月29日にとある宣告を受けて「なんで」「どうして」「後何年生きられるのか」「どんな死に方になるんだろう」等々・・・半年くらいの期間悶々と悩み考えていた時がありました。

 

●そして、その悩みの後で、ものすごく単純な「想い」にたどりつくことができました。

●そのたどり着いた「想い」とは・・・。

                 ⇩

●「人の人生、人の一生は「(誕)生」に始まり、「死」で終わる。

      人生とは「誕生」と「死」との「間」のこと」。

 

    人生=From「生」 To「死」  この間のこと

 

●そして今一つ、私がたどり着いた「想い」。人生の不思議さを感じました。

 

●人の「一生」「人生」の「スタートとエンド」「始めと終わり」は「自分自身の意志を働かすことはできない」。

●スタートとエンドの「誕生」と「」は自分の意志ではないところで「決定」される。

 

  ・自分自身の「人生」なのに、「自分の一生」なのに・・・「始め」と

   「終わり」は当事者である「自分」の意志とは「無関係」なのです。

 

●すごくすごく、不思議だと想いませんか。感じませんか。

 

「自分の人生のスタート」である「誕生」の時。「誕生まで」。

「いつ」「どこで」「誰の子として」「男なのか女なのか」「どれくらいの大きさで」・・・・どうやって「生まれるのか」「誕生する」のか・・・・とってもとっても大切なことなのに自分自身の『意志』」「自分自身の『想い』」を働かせることはできません、できない、のです。

 

●自分の人生、自分の一生の「スタート」を自分で決める、自分で選択することはできない、のです。

 

●人生、一生のラスト、人生の終わりの「死」についても同様・・なんです。

●「いつ」「どこで」「どんな病気で」「どうやって」・・・死んでいくのか・・。

これも自分自身で決める、自分自身で選択することがてきない、のです。(自死以外)

 

自分の「人生」自分の「一生」なのに、その「始め」「スタート」と「終わり」「エンド」を自分自身では決められない・・・とってもとっても不思議と想えてなりません。

 

●誰が「自分の「生」」を決め、誰が「自分の「死」」を決めているのか

 

        

         挿絵は田中拓馬画伯 画「生と死を彷徨う入村さん」

・・・考えてもわからないので私は自分なりの「想い」(下記)に表してそれ以後、悩むことは止めにしました。

 

「生」は他の動植物、生き物たちと同じように『地球の豊かな自然環境』が与えてくれたもの、創り出してくれたもの、そう想います。

         きれいな「大気」

         温かなそして穏やかな「陽光」

         清々しい清潔な「水」

 

豊かなそして穏やかな優しいきれいな「地球の自然環境」から「すべての生き物たち」「生」を与えられた、『生」をもらうことができた・・・そう想うことにしています。これが私の「想い」です。

だから、「メール署名」(長いですが・・)にして使い続けています。

 

                     美しい地球環境をそして人間の優しさを大切に

          温かな太陽光と清らかなそしてきれいな空気

            豊かな自然環境があった(ある)からこそ

          この地球に誕生してきた「ヒト」と言う生き物

       ヒトは単体では生きていくことのできない弱い弱い動物

          だから ヒトは群れ・集団を形成して生きていく

          ヒトが形成する群れ・集団  それが「社会」

           そして 「社会」に生きるヒトが「人間

           「社会」で仲間と一緒に生きていくこと

                 それが 「生活」

            だから 社会生活のあたりまえ

              それは 「助け助けられ

                    そして

             それが人間の「優しさ」の根幹

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入村道夫

 

●スタートの「生」とエンドの「死」のあ・い・だ・・・「間」が「人生」

全部、自分で決められる、のです。(赤ちゃんそして自我が確立するまでは自分の変わりに親、親戚等の人たちが自分の代わりに決めてくています)

 

●そうだとすると・・・「生」と「死」の間の人生を大事にしていきたいと思うのです。

   なぜなら、それが「自分の人生、自分の一生」なのですから。

 

★そして、いつも「今」を、「」と言う「瞬間・時・場」を大事にしていきたい、そう想い続けています。

          

          挿絵は田中拓馬画伯 画「今、この時を生きる入村さん」

 

★人生の終わり、自分の意志で決めることのできない「」は「いつやってくるのか」わからない・・・もしかしたら「明日」なのかもしれない、のですが、「今この時」に「生きている」、これは事実なのですから。

 

★「明日という日」は「あたりまえにやってくる」、「明日を迎えるのは「あたりまえ」。・・・今日やらなくたって「明日」があるさ・・・。

 

●私も5年前までは上記のような感覚で、と言うか、全く疑問に思うことなく「明日がやってくるのはあたりまえ」と思い、動いていました。

 

●でも・・5年前に宣告され、5年生存率を示されたときから・・・悩み考え・・・変わりました。想いを変えました

 

もしかしたら、自分の人生、一生のエンドである「死」は明日なのかもしれない、明日が自分の人生のエンドなのかもしれない・・・そう想うと考え方そして動きが変わります。

 

□自分のやりたいことに時間を使う、優先順位付けして動いていくことが「あたりまえ」になってきています。

 

□その私の想いを私の大好きな集合を表す記号シグマ(Σ)を用いて等式化してみると次のように表せます。

「下」に行けばいくほど「時間の確実さ」「生きていることの確実さ」が増していく、のです。

          人生=Σ(一年)

             =Σ(ひと月)

             =Σ(一週間)

             =Σ(一日)

             =Σ(一時間)

             =Σ(一分)

             =Σ(一秒)

             =Σ(今)

                     ∴ 人生=Σ(今この時)

 

        

     挿絵は田中拓馬画伯 画「今、この時を生きる入村さん」

 

 

●生きていることが唯一確実な「今この時」「今この瞬間」を大切に生きていこう  「」を大切にしよう  を一生懸命に を活き活きと

を自分らしく・・・・

 

「今」は自分自身で、自分の動きで「これから」を創造していくことができる「唯一の時」、そう考え、そう想い動いていきませんか。

 

★「」は「自分自身が「主役」になって、この時までの状況・状態を変えていくことのできる「時」・・私はそう想います。

 

●自分自身の「死」を「実感」する体験を重ねての現在。

もしかしたら「明日の朝」を迎えることができないかもしれない・・・そう考えることができるようになって「今日できることは今日やる」「大切な時間を自分が「やりたいこと」に使っているのか」の「ものさし」でいつも自己チェックする、自己チェックできるようになったと思います。

 

★私の想いを集合記号シグマを用いて前記していますが、この想いを

を同じようにΣを用いて表してこのブログの結びにしたいと思います。

 

          楽しい素敵な人生=Σ(楽しい素敵な一年)

                      =Σ(楽しい素敵なひと月)

                      =Σ(楽しい素敵な一週間)

                      =Σ(楽しい素敵な一日)

                      =Σ(楽しい素敵な一時間)

                      =Σ(楽しい素敵な一分)

                      =Σ(楽しい素敵な一秒)

                      =Σ(楽しい素敵な今この時)

 

     ∴ 楽しい素敵な人生=Σ(楽しい素敵な今この時)

 

●「今この時」を大切に。「今、この時を自分がやりたいことに使っているのか」をいつも自分に問いかけていきたい・・・そう想います。

 

       今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                ありがとうございます。

 

        自分なりに理解した、納得した「つもり」でも

     やはり「死」と言うことを考える時ってあるものですね

  特に齢70才を過ぎると自分の周りだけてなく自分自身の「死」と

         いうことに直面するような場面にも・・・

 

      改めて「生きていることが明確」な「今この時」を

             大切にして生きていきたい

             そう思いなおしています。

 

             ありがとうございます。

    にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)