<<ブログ 295>>
自分を他人(ひと)と比べない
比べるのなら「昨日の自分」と比べよう
「らしさ」を大切にして「らしく」仕事をして
「らしく」で人生の日々を重ねていきませんか
~「できないこと」探しから
「できること」発見への転換~
私のかわらない想い by 入道
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今回も私のちょっと年の離れた「友達」
浦和そして秋葉原から世界への羽ばたきをされている
画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。
拓馬さん、ありがとうございます
拓馬さんのオフィシャルサイトを訪ねていただければ、と
思います。
↓
http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series
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●「くらべる」ことをやめませんか。「くらべる」ことをやめてみませんか。
●Aさんと「くらべて」私は劣っているとか、Aさんができているのに「私にはできない」とか・・・・「他人と比べて一人の人間を評価する」「きめ
つける」ことやめませんでしょうか。
●自分ことを他人とくらべる
自分の子供を他人の子供とくらべる
自分の組織のメンバーを他の組織のメンバー、あるいは同じ組織の
他のメンバーとくらべる
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他人とくらべて一人の人間を「評価」すること
「くらべること」やめてみませんか、やめませんか。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●なぜ??って簡単!!!
★にんげんってひとり一人違う、異なるのが「あたりまえ」なのですか
ら。それが「人間」なのですから。
●他人とくらべて「点数付け」(=評価)して
さらに「ランキング化』(順位付け)をすること、していくことが
日本では「学校」から始まり
「あたりまえ」のことになっています
私はずっとずっと「おかしい」と感じ続けています
★そんな日本の「あたりまえ」=「くらべる」を変えたい、無くしていきた
いと想い続けています。
●会社、企業に中での「査定・評価」も同じ・・・・・
「人間を点数付けで評価、順位付けする」ことは
早く早くやめたら、止めるべきと思うのです。
私はそんな想いで組織運営をやってきています。
●点数付けをするのはたぶん・・・・「平均点」を算出するため
そして
「最高」と「最低」を明確にするため・・・。
★「二人以上の人間の集まりである組織」(私の組織提議)
この組織において「平均点」に「意味」を持たせていいのでしょうか。
「平均点」以上が「優」で「平均点以下が「劣」・・・
なんなのでしょうか、この「区分」は・・・。
★私たち、日本人は学校教育の「場」からずっとずっとこの「やりかた」
に「慣らされてきています」。
先生そして父母のみなさんは「おかしい」と感じられないのでしょう
か。
◆『社会で生きていくために必要なことを身につけていく』
『ひとり一人の「らしさ」=個性を見つけて育てていく』
これが「学校教育りの役割』なのではないのでしょうか。
私の変わらない認識です。
●学んだら「どの程度、身についたのか」「理解したのか」の「ものさし」
として「試験」を実施して、その試験は他科目に渡ります。
●私は「ここまででいい」「これだけでいい」と想い続けています。
●その試験の結果を「順位付け」『ランキング化」することが本当に必
要なこと、なのでしょうか。どんな「意味」があるのでしょうか。
●そして・・・学校を卒業してから属する組織・・・・会社・値域・・・社
会・・・においても学校のような「平均点付け」「順位付け」が本当に
本当に必要なのでしょうか。
本当に「意味あり」なのでしょうか。
●疑問に感じてなりません。
★学校にしろ会社組織にしろ・・・・「できないこと」を一生懸命になって
見つけ出して、その人の「できていないこと」を「おい、できていない
ぞ」と指摘する・・・おかしくありませんか。絶対におかしいです。
★本来は「ひとり一人がそんな状況(できない)にならないようにしてい
く」ところに「組織での『教育」があるのではないのでしょうか。
★「できないこと」を見つけ出す「できないこと」を探しだす・・・・そんな
動きではなく「できること」を見つけてあげる。
★できないことをメモリ(目盛り)にするのではなく、
「できること」をメモリにしていきませんか。
◆変えていけばいい
そんな動きが「あたりまえ」の日本にしていきたい
そんな動きが「あたりまえ」の日本社会になってもらいたい・・・
心の内からそう思っています。
◆「できないこと」はだれにでもあるように、「できること」も誰にでもあるんです。それが『その人らしさ」を形成している、そう思うんです。
◆「その人「らしさ」」は「パーソナルブランド」なのかもしれません。
◆ひとり一人が「自分らしさ」にこだわって、一人一人がパーソナルブランドの確立をしていってほしいのです。
パーソナルブランドは「その人「らしさ」」なのです。
挿絵は田中拓馬画伯 画
●実は・・・・わかっているようで一番わかっていないのは「自分(らし
さ)」なのでは、と思うのです。
●わかっているようでわかっていない「自分らしさ」を一つひとつ明確にして、その一つひとつを「第三者の眼・他人の心」で「客観的」に見
て、そして心に感じて「いやだなこいつ」と感じることがあればそれは
速やかに「やめて」、「いいんじやない、この人のこんなところ」を残し
て延ばしていく、この動きの積み重ねで、いつも『自分らしさ』を忘れ
ないで欲しい、「自分らしさ」こだわって欲しい、私の強い想いです。
★そして、一人の人間を見る時に「くらべない」「他人とくらべない」、こ
れを社会の「約束」としませんでしょうか。
★「くらべていい」ことが「一つだけ」あります。当たり前にしていきたい
「くらべる」が一つあります。
●それは
「自分の昨日と今日」。
「今日の自分と昨日の自分」。
●「昨日のAさんと今日のAさん」
「今日のAさんと昨日のAさん」。
★「本人の比較」なんです。「自分自分との比較」。
「昨日の自分と今日の自分」を「くらべる」のです。
★私がずっとずっと追いかけ続けている、自分の勝手な考え方・数式?
があります。分数式で表します。
今日の自分
昨日の自分
●そして、「いつもこの分数式の「値」を「1以上」の状態にしていく」ことこそが大切なんだとも想い続けています。常に自分が意識して自分に「課して」いくと・・・・・とってもとっても楽しくなりますよ。楽しくなってきますよ。
★私はこれを「自己変化率」と勝手に称しています。
★いつも自分自身の「自己変化率」を大きくしいくようにしていきません
か。そして「競う」「くらべる」のであれば「自己変化率」で競いあいま
せんでしょうか。
◆どうして「1」以上にするのか、どうすればいいのか・・・・難しく賢く考えないでください。
昨日までやっていなかったことをやってみればいい、やってみ
る、・・・・・・・みれでいいのです。これだけでいいのです。
初めての人と知り合う・本を読む・
今まだたべたことのないものを食べる・
思いきって「頼みます」を口にしてみた・
「ありがとうございます」と今までで一番大きな声で言った・・・・・
◆「初体験」ですよね。
◆なんでもいい、んです。なんでもいいんだと私は思います。
◆「今日できないことをできるようにするために毎日ちょっとずつやっていく」・・・・難しく賢く考える必要はありません。
◆今までの自分ができていないこと、やってみなかったことをちょっと
ずつ無理を重ねないでちょっとずつ積み重ねていく、んです。
★他人と比べるのではなく「自分とくらべる」のです。
今日の自分/昨日の自分
明日の自分/今日の自分
今日のAさん/昨日のAさん
明日のAさん/今日のAさん
●会社組織での教育研修・・・・とうして「みんなを同じような人間」にし
ようとする研修ばかりなのでしょうか。とってもとっても疑問です。
●阻止としても例えば「100人」の組織としたら「100人それぞれが毎日
一つずつ「できること」を増やしていく」・・・・この動きが大切。
この動きを続けていけば組織としての「対応力」も大きくなっていくは
ず、なんです。
★組織での研修は「画一的」な人間を創るための「押しつけ教育」ではない、「押しつけ教育」ではダメなのです。
ひとり一人の「らしさ」=「個性」の増幅のため
の教育そして研修
でありたいと信じて会社所属の時、動きを重ねてきました。
★そうあって欲しいと強く強く念じたいと想います。
★他人とくらべない・・・・・くらべていいのは「昨日の自分と今日の自分」。
★「自分「らしさ」」にこだわって、より「自分「らしく」」仕事をして、より「自分「らしく」」の人生を!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
挿絵は田中拓馬画伯 画
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
人間って、そして大人って
どうして「他人とくらべる」ことで「評価」していくのでしょうか。
わかりやすいから???
本当にわかりやすいのでしょうか。
正しい「評価」なのでしょうか。
違うな、と感じてなりません。
人間はひとり一人異なる存在、違う存在
この「あたりまえ」のことからいつも出発していきたいと想います。
そんな私自身の考え方から産まれたのが
「自己変化率」の考え方
もう40年近く使い続けています。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)