僕は、facebookの友だち数が上限に達しています。5000人だったかな。
でもね、正直なところ、ほとんどわからないです。
年間に、厚さ60センチほどの名刺をもらいます。
正直なところ、全てをおぼえるのは不可能です。
僕には、友だちはいるの?と思います。
いるっちゃあいるし、いないっちゃあいない。
何をして友だちって言うのかな・・・。
そこがわからないです。
でも僕には、この人の為ならば、何にも変えてでもなんとかしなくちゃ。
と思える相手は、沢山います。
たとえば、僕の会社の仲間。僕の大切な仲間です。僕を助けてくれます。
だから僕も助けます。
スポシューの仲間。いつも本当に助けてくれます。だから僕も助けたいです。
ほかにも、いろんな大切な人がいます。僕の仲間です。
仲間と何かを成し遂げるとうれしいです。
みんなで喜びを共有できるのは幸せです。
でも僕はいつも気を付けています。
仲間が成り立つのは、目的があるからです。
仲間は目的ではありません。
でも、けっこう、仲間が目的になってる人達を知っています。
すくなからずの大学のサークルが、
創設時にはすごいがんばりだったのが、
やがて、ただの集まりになり、同じルーチンをこなすだけになり、
ヒエラルキーと儀式にとらわれていきます。
それでも、そこに属してる人達は、儀式のたびに泣いて感動しています。
そういうサークルをいくつも見てきました。
そして、そういう組織は、いじめやパワハラの元にもなっていました。
仲間はずれにされたくない人達が、声の大きな人に媚びへつらい、
共通敵を作りだし、結束をかためていく。
仲間が目的になってしまった人は、
相手にあわせて、相手が喜ぶような意見をいいます。だから意見がころころ変わります。
自分の保身のために、平気で嘘をつきます。
こういう人は、まともな組織では居場所を失いますが、
歪んだ組織では、とても都合がよい存在として利用されるから、生き延びられます。
でもそれは、とても悲しい生き方だと思います。
友だちというものは、しらんまにかってになるものだと思います。
仕組みや組織でなるものではないです。
でも、学校というシステムの中では、クラスというグループの中で、
強制的に仲間にされます。友だちにされます。
強制的に力をあわせることを強要されます。
空気を読むことを強制されます。
それは、かなり歪んだ社会だと思います。
でもそれに、慣れきっている人達も沢山います。
そういう人達は、社会に出てからも、それにとらわれ続けます。
それこそが、学閥などの仕組みを作り、
歪んだ強制的な上下関係を作っていくのではないかと僕は思っています。