植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

人間は神ではないので、必ずミスをします。
仕事は契約なのでミスは基本的に許されませんが、それでもミスは起きます。
飛行機だって事故を起こします。

失敗を防ぐために、失敗を禁じ、失敗に厳罰を与えると、
人は「失敗を防ぐ」ではなく
「失敗によって生じる自分の不利益(低評価や罰)を防ぐ」に走ります。

 
そのための最良の方法は
(1)「何もしない」=失敗しない
(2)「できることだけする」=失敗率はかなり下がる
(3)「命令に従う」=失敗しても誰かのせいにできる
です。

でも、これをやってしまうと
(1)「何もしない」=何も出来なくなる
(2)「できることだけする」=成長できなくなる
(3)「命令に従う」=考えられなくなる

になります。
これでは自分の人生は「命令に従う」だけになります。
自分の人生を経営することはできません。

そこで重要なのが「失敗学」です。
航空機の事故防止の概念が元になっているといわれることもあります。
失敗は許されない!ではなく、
失敗を未然に防ぎ、もし失敗してもダメージを最小にしてリカバリーする。です。

そのために重要なのが「原因分析」と「再発防止の工夫」です。
ところが、「考えられない」人達にはそれができません。
残念ながら日本では失敗学はぜんぜん広まっていません。

しょうがないので、失敗には厳罰(みせしめ)で対処します。
日本では、失敗=切腹(辞職)で、なかったことになるケースが多いです。

これでは、同じ失敗が繰り返されるだけです。

できれば失敗学は、
特に人を育成する立場の人には知っておいてほしい学問です。


 

2024年は、なんだか知らないけど忙しかった。
どのくらい忙しかったかって、プラモデルをまったく作れないレベルです。
ですから、2024年の年末には「作りたい」フラストレーションがマックスに達していました。

実際、作るためにはけっこうな時間が必要です。それもかなり集中した時間です。
その時間がとれそうにもないと、作る気持ちが失せてしまいます。

で、2024年の12月28日から植松電機は休みになりました。
正月休みにせがれが帰ってきましたが、帰ってきた翌日にインフルA型発症。
ということで、ものすごく静かで穏やかな正月休みになりました。

2024年は、ある戦車のプラモデルの当たり年でした。
ドイツの1号戦車です。
1号と言うだけあって、第1次世界大戦で敗北したドイツが再軍備で最初に使った戦車です。
ですから、とっても小さいし、武装も機関銃が2丁だけという貧弱さです。
第二次世界大戦でもぜんぜん活躍しないで消えていった戦車です。
だからか、ドイツ戦車をかなりラインナップしているあのタミヤでもプラモデル化していませんでした。
戦車のプラモデルが好きな人達からは「ミッシングリンク」なんて言われていました。

そんな1号戦車ですが、以前は香港の会社などでぽつりぽつりとキット化されていましたが、
なぜか2024年は、まずは韓国のアカデミーという会社からキットが販売されました。


そして年末、ついにあのタミヤがキット化してくれました。


もちろん、両方買ってしまうわけですね。
奇しくもアカデミーもタミヤも1号戦車の後期型B型です。

どっちから作ろうかな・・・とぐるぐる悩みました。
悩んで悩んで、作りました。

悩んだときは、紙です。


当然、一回でうまく行くわけないから、修正に修正。

紙だから、3台作っても、1台の価格は紙代だけなら20円くらいかな?
大きさは、プラモデルにあわせて1/35です。
だから全長は120ミリ弱。
ちなみに、僕が作ったのは1号戦車の初期型A型です。
この後B型作ろうかな。

砲塔に着いている機関銃はコピー用紙の端っこを太さ1.2ミリに丸めて使っています。
一番つらいのは、キャタピラのギザギザを切り出すところ。

大晦日から昨日まで完璧に引きこもってひたすら作ってました。
だから「作りたい」ストレスはかなり発散できた感じです。

戦車は戦争に使われるものです。そして戦争は悲劇です。
でも、戦争は悲劇だからと目を背けていると、なぜ戦争が起きたのかがわからなくなります。
そうなると戦争の再発を防ぐことができなくなります。
戦争は国と国との交渉の中で最悪のものです。だから、選びたがる人は少ないです。
だのに起きるのは、武器の進化や発展でギャップが生じたように見えることがきっかけになるケースが多いです。
武器が進化や発展すると、それまでの戦術が通用しなくなります。
だからこそ、相手の戦術が通用しない状態でこちらが有利に運べることが多くなります。
(すぐ対策されるので大抵長続きはしないのですが、それでも一時は勝ててしまう)

この1号戦車も、それまでの戦車の概念とはかなり異なる戦車でした。
そして、この1号戦車を作る事で、多くの企業が戦車の作り方(特に溶接)を学んでいきました。
この1号戦車もまた、性能は貧弱でも、明らかに戦争のきっかけとなった特殊な存在だったと思います。

 

僕は技術の歴史を調べるのが大好きです。
そして僕は技術の仕事をしています。
だから僕は、新しい技術と出会う度に「これはなにかまずいことにつながっていないかな?」を
考えるようにしています。
それを見失うことは、過去にあまた存在した「ものすごく後悔した技術者」への道だと思っています。

嫌なことから目を背けたり、無視したり、気がつかないふりをしていても、嫌なことは存在し続けます。
勇気を出して嫌なことをも見つめ、どうやったらそれを克服できるかを考えてこそ、本当の抵抗です。

1号戦車は小さい戦車です。でも、いまこれを作れと言われたら、そうやすやすとは行かないでしょう。
鋼の薄板溶接で箱を作る段階で相当歪むでしょうし、ネジは走っている間にどんどん緩むでしょう。
どうやって作ったのかなあ・・・と考えると、齢58才にして、まだまだ知らないことだらけです。







 



 

僕が最初にモデルロケットに出会ったのは、2004年の4月です。
当時の僕は青年会議所の委員長でした。
僕は、子ども達に自分の可能性を信じて欲しくて、赤平市にJAXAの方を招いて講演会を開催しようと考えました。
当時のJAXAの窓口の方がとても親切な人で、僕の話を聞いてくれて、とても素晴らしい人を紹介してくれました。
その方に挨拶するために、僕はつくばに向かいます。
そこのJAXAの売店で売っていたのが、オレンジ色の「アルファ3」というモデルロケットでした。
なんだろうなあ、と思って手に取ると表記は全部英語です。
でも、なんだか飛ぶみたいです。何度も使えるようです。けっこういい値段がします。
でも取りあえず、一個買って帰りました。

会社に戻って、ためしに作ってみました。
飛んだとしても、ロケット花火くらいのものだろうと思っていました。
でも、飛ばして見たら尋常ではない飛びっぷりです。ビックリしました。
その機体は、僕がパラシュートの付け方を間違えていました。
だから失敗し、会社敷地内の深い藪に落ちて発見できなくなりました。
一回で終わりでした。ただそれは、僕の心に強く残りました。
同時に、説明書通りにやってもうまくいかない事が納得できない気持ちも残りました。
だからそれを、子ども達につかってもらおうとは思いませんでした。
なぜなら、すごく高価だったし、失敗の可能性が高かったからです。

翌年、娘のクラスで学級崩壊が起きます。
いじめていた人が翌週にはいじめられます。
20人もいないクラスなのに、陰湿ないじめがぐるぐるしています。
それを何とかしたいと思いました。
でも、娘だけを守っても何にもならないです。
クラスのみんなが助からないと、娘は助からないです。
そこで思いだしたのが、モデルロケットでした。
まずは、JAXAの売店に在庫を聞いてみたら、そんなにありませんでした。入荷の目処も立たないそうです。
そこで調べて回ると、知り合いの模型屋さんが「昔は模型屋で売っていったよ」というので、
札幌の古い模型屋を片っ端からあたります。
そうやって、30機ほどのモデルロケットをかき集めます。当時はとても高かったです。

その機体をつかって、娘のクラスでモデルロケット教室をしたのが最初です。
自分の失敗の経験から、失敗しそうな場所を理解していたので、
その部分を注意して支えたら全機成功しました。
そして、そのクラスのいじめは消えていきました。

そこで知り合った先生が別の学校に移動して、そこでもロケット教室ができるようになりましたが、そもそもロケットキットが手に入りません。
だから、紙で作るようになりました。(現在も続くペーパーロケットの元祖は、2006年には生まれていました。)

やがて、当時仲良くしてくれたアメリカ企業の社長が沢山送ってくれたりもしましたが、
いかんせん安定入手できません。しかも高いです。
おまけに、アルファ3は、製作にカッターを使います。接着箇所も多いです。
小学生が作るには、なかなか難しいです。
そこで、小学生がセロテープだけで組み立てられる「ベーター」というロケットを
開発しました。
(この機体はかなりつかったのですが、アルファが進化してしまったので現在はつかっていません。)

しょうがないので、知り合いの会社に相談したら、中国で作る事になりました。
金型からおこすことになったので、数百万円かかりました。
安全性を高め、耐久性をあげる改良もしました。それがアルファ4型になりました。

でも、中国製は胴体紙管の太さがちがったり、品質のばらつきが大きかったので、
それを日本国内の、障害のある人達が働く施設での生産に切り替えました。
それがアルファ5です。

その後、学校の1授業時間で作れるように工作を減らしたアルファ6になりました。

その後、日本向けに飛行高度を40mに押さえたアルファ7になりました。

その間、工作を簡単にしたり、飛行高度を抑えたりしました。
それは、「ロケット」としての魅力を減らす方向だということは知っています。
僕は基本的にエンジニアです。よりハイレベルを目指す気持ちはあります。
でもそれは、自分の趣味としてやればいいだけです。

僕にとっての「モデルロケット」は、「できないと思っていたことができた」という小さな成功体験を通して、自信を増やすための手段にすぎません。
僕にとってのモデルロケットは、決して、子ども達の技能を向上させたり、高く飛ばして感動させるためのものではありません。そういう活動をしている人たちは既にいますから、それはその人達にお任せします。
僕は、モデルロケットを通じて、いじめや虐待や自信剥奪の連鎖を止めたいのです。
子ども達の自殺を止めたいのです。
だから、45分の授業中に、説明書さえしっかり読めば確実に完成するキットを追求してきました。
でもまだ道半ばです。まだ改良すべき点は沢山あります。
より安全に。より確実に。

でも、もがき続けていたら、日本中に仲間が増えました。
でも、いじめも子どもの自殺も減りません。だから、まだまだです。
いまは、さらに飛行高度と散布界(パラシュートを開いてから流される範囲)を
小さく出来るロケットを研究中です。
まだまだ力を尽くせます。





 

僕はいま、子ども達向けにお話しをしています。
その内容は、「せっかく科学が発達したよ。だからみんなは大人があきらめたことや、できなかったことができるすごい人なんだよ。」を知ってもらうことと、
「夢をかなえるためには、やったことがある人と仲良くなるのが一番だよ。やったことがない人は、出来無い理由しか教えてくれないからね。」
が大きな柱になっています。

ですが、以前、高校の先生に言われました。
「あなたの言葉を信じた子が夢を追って、でも夢が叶わなくて絶望したら、あなたは責任とれるんですか?」というものでした。
その先生は「絶望したら可愛そうだから、できもしない夢はあきらめさせた方がいい」のだそうです。
でも、夢をあきらめさせるという行為は、絶望を生みます。

僕もきっとそういう先生に教えられたのです。
「飛行機やロケットは、東大に行かないと無理だ。お前の成績でいけるわけないだろ。お前には進学なんて無理だ。馬鹿なこと考えてないで、さっさと就職を探せ!」
僕はこの言葉で絶望します。
なにせ、「成績が悪い」ことで、「未来をあきらめろ」ということは、
「変えることができない過去の点数」で「未来をあきらめる」ことです。
それは、努力しても無駄だよ、と言ってるのと同じです。

 

ダンテの神曲という詩の地獄篇には、地獄の門の描写があります。
地獄の門には、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書かれています。
僕は中学生の時に神曲を読んで、この言葉に出会いました。
「地獄って学校じゃん!」って思いました。
成績(過去)で未来をあきらめさせられる世界は、地獄なのかもしれません。

大事なことは、絶望しない人を育てることだと思います。
僕は子ども達に「夢を進学や就職に限定してはいけないよ。そもそも、進学や就職は手段だからね。」という話をします。

僕は、小さい頃から飛行機やロケットを作る会社で働きたかったです。
そのために頑張りましたが、さんざん否定されました。
でも、結局はそういう仕事に就きました。夢が叶いました。
でも、「就職する」という夢が叶ってしまいました。
2~3年したら、そのあとどうしていいかわからなくなりました。
わからないけど、毎日忙しいし、それなりに楽しいし・・・
でも、ある日気がつきました。「あれ。いつまで同じ毎日を繰り返せばいいんだろ。」

僕は、就職を夢にしたのです。だから、夢が叶ったら、夢がわからなくなったのです。
きっと、そういう人はいっぱいいると思います。

いま僕は、本当の夢がわかったので、毎日が忙しいけど楽しいです。
僕の夢は、人の自信や可能性が奪われない社会を作る事です。
そのための手段はいっぱいあります。宇宙開発は手段の一つに過ぎません。

夢はぼんやりしていていいです。
世界を平和にしたい!とか、
みんなを笑顔にしたい!とか、
知らないことを知りたい!とか、どれも立派な夢です。
そのための手段はいっぱいあります。
いっぱいあるからこそ、1つや2つうまくいかなくたって平気です。
違う道をとおって行けばいいだけです。
絶望などしなくていいのです。

大人が、子ども達の夢を進学や就職に限定し、しかも、1つに集中せよ!と言って、
一個しか選べず、おまけに成績でジャッジされます。
これでは、絶望の道をまっしぐらです。

お昼ご飯に、あの店で食べよう!って決めて行ってみたら、
その店が定休日だったとします。そりゃあがっかりするでしょう。
でも、絶望はしなくていいです。

ちがう店で食べればいいだけです。もっとおいしいものに出会えるかもしれません。

旅行に行くときに、「この道を通っていこう」と計画したとします。
その道が工事で通行止めだったとしても、絶望はしないでしょう。
他の道を通ればいいだけです。もっとすてきな景色に会えるかもしれません。

手段を目的化して、しかも一個にしてしまうから、絶望するのです。

目的を達成するために、あの手この手を駆使することを知っていれば、絶望などしません。
そういう人を育てた方がいいです。

やったことがない人や、あきらめた人は、出来無い理由とあきらめ方しか教えてくれません。
そういう人の憶測の否定や禁止は無視していいです。
大事なのは、現在進行形でやっている人や、成果を上げた人の話を聞くことです。

僕が子どものころ、まわりのリアルな大人は「出来無い理由」しか教えてくれませんでした。
でも、伝記の人達は「こうやったらできるよ」と教えてくれました。
リアルな大人は、なんの成果も上げていませんでした。
伝記の人達は、素晴らしい成果を上げています。
どう考えても、伝記の人達の方が信じるに値します。
僕は、伝記の人達のおかげで、絶望しない人生に気がつけたのだと思います。

だから、漫画でもいいから、伝記を読んで欲しいです。
いろんなあきらめなかった人の人生を知って欲しいです。
それだけで、絶望しない人生になります。

ともに頑張っていきましょう!