植松努のブログ

植松努のブログ

講演でしゃべりきれないことを書きます。

僕が最初にモデルロケットに出会ったのは、2004年の4月です。
当時の僕は青年会議所の委員長でした。
僕は、子ども達に自分の可能性を信じて欲しくて、赤平市にJAXAの方を招いて講演会を開催しようと考えました。
当時のJAXAの窓口の方がとても親切な人で、僕の話を聞いてくれて、とても素晴らしい人を紹介してくれました。
その方に挨拶するために、僕はつくばに向かいます。
そこのJAXAの売店で売っていたのが、オレンジ色の「アルファ3」というモデルロケットでした。
なんだろうなあ、と思って手に取ると表記は全部英語です。
でも、なんだか飛ぶみたいです。何度も使えるようです。けっこういい値段がします。
でも取りあえず、一個買って帰りました。

会社に戻って、ためしに作ってみました。
飛んだとしても、ロケット花火くらいのものだろうと思っていました。
でも、飛ばして見たら尋常ではない飛びっぷりです。ビックリしました。
その機体は、僕がパラシュートの付け方を間違えていました。
だから失敗し、会社敷地内の深い藪に落ちて発見できなくなりました。
一回で終わりでした。ただそれは、僕の心に強く残りました。
同時に、説明書通りにやってもうまくいかない事が納得できない気持ちも残りました。
だからそれを、子ども達につかってもらおうとは思いませんでした。
なぜなら、すごく高価だったし、失敗の可能性が高かったからです。

翌年、娘のクラスで学級崩壊が起きます。
いじめていた人が翌週にはいじめられます。
20人もいないクラスなのに、陰湿ないじめがぐるぐるしています。
それを何とかしたいと思いました。
でも、娘だけを守っても何にもならないです。
クラスのみんなが助からないと、娘は助からないです。
そこで思いだしたのが、モデルロケットでした。
まずは、JAXAの売店に在庫を聞いてみたら、そんなにありませんでした。入荷の目処も立たないそうです。
そこで調べて回ると、知り合いの模型屋さんが「昔は模型屋で売っていったよ」というので、
札幌の古い模型屋を片っ端からあたります。
そうやって、30機ほどのモデルロケットをかき集めます。当時はとても高かったです。

その機体をつかって、娘のクラスでモデルロケット教室をしたのが最初です。
自分の失敗の経験から、失敗しそうな場所を理解していたので、
その部分を注意して支えたら全機成功しました。
そして、そのクラスのいじめは消えていきました。

そこで知り合った先生が別の学校に移動して、そこでもロケット教室ができるようになりましたが、そもそもロケットキットが手に入りません。
だから、紙で作るようになりました。(現在も続くペーパーロケットの元祖は、2006年には生まれていました。)

やがて、当時仲良くしてくれたアメリカ企業の社長が沢山送ってくれたりもしましたが、
いかんせん安定入手できません。しかも高いです。
おまけに、アルファ3は、製作にカッターを使います。接着箇所も多いです。
小学生が作るには、なかなか難しいです。
そこで、小学生がセロテープだけで組み立てられる「ベーター」というロケットを
開発しました。
(この機体はかなりつかったのですが、アルファが進化してしまったので現在はつかっていません。)

しょうがないので、知り合いの会社に相談したら、中国で作る事になりました。
金型からおこすことになったので、数百万円かかりました。
安全性を高め、耐久性をあげる改良もしました。それがアルファ4型になりました。

でも、中国製は胴体紙管の太さがちがったり、品質のばらつきが大きかったので、
それを日本国内の、障害のある人達が働く施設での生産に切り替えました。
それがアルファ5です。

その後、学校の1授業時間で作れるように工作を減らしたアルファ6になりました。

その後、日本向けに飛行高度を40mに押さえたアルファ7になりました。

その間、工作を簡単にしたり、飛行高度を抑えたりしました。
それは、「ロケット」としての魅力を減らす方向だということは知っています。
僕は基本的にエンジニアです。よりハイレベルを目指す気持ちはあります。
でもそれは、自分の趣味としてやればいいだけです。

僕にとっての「モデルロケット」は、「できないと思っていたことができた」という小さな成功体験を通して、自信を増やすための手段にすぎません。
僕にとってのモデルロケットは、決して、子ども達の技能を向上させたり、高く飛ばして感動させるためのものではありません。そういう活動をしている人たちは既にいますから、それはその人達にお任せします。
僕は、モデルロケットを通じて、いじめや虐待や自信剥奪の連鎖を止めたいのです。
子ども達の自殺を止めたいのです。
だから、45分の授業中に、説明書さえしっかり読めば確実に完成するキットを追求してきました。
でもまだ道半ばです。まだ改良すべき点は沢山あります。
より安全に。より確実に。

でも、もがき続けていたら、日本中に仲間が増えました。
でも、いじめも子どもの自殺も減りません。だから、まだまだです。
いまは、さらに飛行高度と散布界(パラシュートを開いてから流される範囲)を
小さく出来るロケットを研究中です。
まだまだ力を尽くせます。





 

僕はいま、子ども達向けにお話しをしています。
その内容は、「せっかく科学が発達したよ。だからみんなは大人があきらめたことや、できなかったことができるすごい人なんだよ。」を知ってもらうことと、
「夢をかなえるためには、やったことがある人と仲良くなるのが一番だよ。やったことがない人は、出来無い理由しか教えてくれないからね。」
が大きな柱になっています。

ですが、以前、高校の先生に言われました。
「あなたの言葉を信じた子が夢を追って、でも夢が叶わなくて絶望したら、あなたは責任とれるんですか?」というものでした。
その先生は「絶望したら可愛そうだから、できもしない夢はあきらめさせた方がいい」のだそうです。
でも、夢をあきらめさせるという行為は、絶望を生みます。

僕もきっとそういう先生に教えられたのです。
「飛行機やロケットは、東大に行かないと無理だ。お前の成績でいけるわけないだろ。お前には進学なんて無理だ。馬鹿なこと考えてないで、さっさと就職を探せ!」
僕はこの言葉で絶望します。
なにせ、「成績が悪い」ことで、「未来をあきらめろ」ということは、
「変えることができない過去の点数」で「未来をあきらめる」ことです。
それは、努力しても無駄だよ、と言ってるのと同じです。

 

ダンテの神曲という詩の地獄篇には、地獄の門の描写があります。
地獄の門には、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書かれています。
僕は中学生の時に神曲を読んで、この言葉に出会いました。
「地獄って学校じゃん!」って思いました。
成績(過去)で未来をあきらめさせられる世界は、地獄なのかもしれません。

大事なことは、絶望しない人を育てることだと思います。
僕は子ども達に「夢を進学や就職に限定してはいけないよ。そもそも、進学や就職は手段だからね。」という話をします。

僕は、小さい頃から飛行機やロケットを作る会社で働きたかったです。
そのために頑張りましたが、さんざん否定されました。
でも、結局はそういう仕事に就きました。夢が叶いました。
でも、「就職する」という夢が叶ってしまいました。
2~3年したら、そのあとどうしていいかわからなくなりました。
わからないけど、毎日忙しいし、それなりに楽しいし・・・
でも、ある日気がつきました。「あれ。いつまで同じ毎日を繰り返せばいいんだろ。」

僕は、就職を夢にしたのです。だから、夢が叶ったら、夢がわからなくなったのです。
きっと、そういう人はいっぱいいると思います。

いま僕は、本当の夢がわかったので、毎日が忙しいけど楽しいです。
僕の夢は、人の自信や可能性が奪われない社会を作る事です。
そのための手段はいっぱいあります。宇宙開発は手段の一つに過ぎません。

夢はぼんやりしていていいです。
世界を平和にしたい!とか、
みんなを笑顔にしたい!とか、
知らないことを知りたい!とか、どれも立派な夢です。
そのための手段はいっぱいあります。
いっぱいあるからこそ、1つや2つうまくいかなくたって平気です。
違う道をとおって行けばいいだけです。
絶望などしなくていいのです。

大人が、子ども達の夢を進学や就職に限定し、しかも、1つに集中せよ!と言って、
一個しか選べず、おまけに成績でジャッジされます。
これでは、絶望の道をまっしぐらです。

お昼ご飯に、あの店で食べよう!って決めて行ってみたら、
その店が定休日だったとします。そりゃあがっかりするでしょう。
でも、絶望はしなくていいです。

ちがう店で食べればいいだけです。もっとおいしいものに出会えるかもしれません。

旅行に行くときに、「この道を通っていこう」と計画したとします。
その道が工事で通行止めだったとしても、絶望はしないでしょう。
他の道を通ればいいだけです。もっとすてきな景色に会えるかもしれません。

手段を目的化して、しかも一個にしてしまうから、絶望するのです。

目的を達成するために、あの手この手を駆使することを知っていれば、絶望などしません。
そういう人を育てた方がいいです。

やったことがない人や、あきらめた人は、出来無い理由とあきらめ方しか教えてくれません。
そういう人の憶測の否定や禁止は無視していいです。
大事なのは、現在進行形でやっている人や、成果を上げた人の話を聞くことです。

僕が子どものころ、まわりのリアルな大人は「出来無い理由」しか教えてくれませんでした。
でも、伝記の人達は「こうやったらできるよ」と教えてくれました。
リアルな大人は、なんの成果も上げていませんでした。
伝記の人達は、素晴らしい成果を上げています。
どう考えても、伝記の人達の方が信じるに値します。
僕は、伝記の人達のおかげで、絶望しない人生に気がつけたのだと思います。

だから、漫画でもいいから、伝記を読んで欲しいです。
いろんなあきらめなかった人の人生を知って欲しいです。
それだけで、絶望しない人生になります。

ともに頑張っていきましょう!




 

先日、素敵なことを教えていただきました。
このかっこいいカンバン。

こんなカンバンいいですね。
うちの会社にも欲しい。
会社の構内の案内図とか、受付とか、入り口とかの案内に使いたい。

今のところ植松電機では、会社内の案内表示には工事現場で使うカンバンを使っています。
でも、こういうことにも流用されてしまうので

近づいてよく見ると、一面BB弾の弾痕だらけです。ゴルフボールみたい。

で、さっきのカンバンのスゴいところは、万が一の時には
こうなるからです。

ちなみに僕は運用重量が90kgぐらいだと思います。
それでもびくともしない。なのに軽量。
そして、寝る面はとても柔らかく断熱されているのですごく暖かい。
このカンバンは、そういう用途の為に開発されたそうです。

僕の会社にも担架はいくつも用意されています。
でも、何年かすると、「あれ、担架どこだっけ?」になります。
なにせ、普段使うものじゃないから、どこかにしまわれてしまいます。
でもカンバンなら、常に目につくところに置いておく物ですから、無くなりません。

昔見た任侠映画では、清水の次郎長とかが戦うとき、
「戸板もってこい!」なんていう台詞が飛び交っていました。
負傷者を戸板に乗せて運んでいました。
でもいまはさすがに戸板は見たことがありません。

こういうカンバンが、あちこちにあったら、万が一の事故や怪我の時に、
すぐに負傷者を安全な場所に移せます。
移すまでもなくても、のせておくだけで暖かいです。
(もちろん、怪我の状態によっては動かさない方がいいこともあります。)

なんて優しい発想なんだろう。と思います。

こういうカンバン、あちこちに増えたらいいねえ。
強いて言えば、風で飛ばないように建物と連結する金具なんかもあっていいかも。
(建物にその金具を付けておけば、カンバンをぱちっとはめるだけで飛ばなくなる。)
北海道でも買えるのかなあ。

 

北海道では,昔はスキー学習がありました。
現在は、「費用と時間がかかりすぎる」との声が多くなり、やめてしまった学校も多いです。

スキー学習の時、僕は中くらいのランクでした。
上級ランクの人は、自由に滑ることが許可されています。
先生は見ているだけです。みんな楽しそうです。

上手ではない人達は、リフトに乗ることが許されません。
ひたすら、足で上がって、滑るだけです。

そのときも、「手が下がってる!」「腰が落ちてる!」と怒られています。
ころんだら「なにやってんの!こんな事もできないのか!」と怒られます。
みんなつらそうでした。

中くらいの人達は、リフトに乗れるけど、
先生の後をついて滑るだけです。

時々、みんなの前で滑って、そのときもあーだこーだいわれます。
ぜんぜん楽しくないです。

その結果、僕のクラスは、数名のスキーが元々上手な人と、
大多数のスキーが嫌いな人に分類されることになりました。
(成績はまあまあだけど、スキーは嫌いという人が沢山できました)

なんか、この現象は、普通の勉強でも同じかな・・・と思います。

学校の勉強やテストに、もともと相性がよかった子達はほめられます。成績がいいです。
そういう子がたまたま多いクラスは、優秀な子が多いクラスです。
その他の子は、勉強が嫌いになってしまいます。
先生の教えるスピードについて行けない子は、「落ちこぼれ」といわれました。

高校の卒業式の日、校門を出たところで「これでもう二度と勉強しないですむんだ!」と
叫んでいる子がいました。
僕はその姿を見ながら、「勉強を嫌いにする学校は恐ろしい」と思いました。

本当は、
できなかったことができるようになった!

知らなかったことをしった!

わからなかったことがわかった!

は、人間の本質的な喜びだと思います。

それが、
できない=ダメ!
知らない=ダメ!
わからない=ダメ!

と評価した瞬間から、
ダメといわれたくないからこそ、
できないことをやらなくなります。
知らないことを調べなくなります。
わからないことをわかろうとしなくなります。
実力がばれないように勝負を避けるようになります。

僕は学校の数学が嫌いだったから、数学の微分や積分の記号をを見た瞬間に

「あ、自分は無理です」と思ってしまい、その先を見ようともしなくなりました。
もちろん、わかろうとも思わなかったです。
でも、そのころ既に、パソコンで微分と積分のプログラムを作って計算していました。
(飛行機の運動を解析しようとしていました。)

以前見たテレビでは、算数が苦手な男の子が登場していました。
彼は足し算も引き算もできないのだそうです。
5個のリンゴがありました。2個食べました。残りはいくつ?に対して、
「わかんない!」といっていました。
ところが彼は、戦車が好きなんだそうです。
戦車のスペックはものすごく覚えています。
そして、90式戦車が15台に、74式戦車が8台合流しました。全部で何台?という質問には、
即座に「23台!」と答えていました。

「苦手意識」を持つと、人は本当にできなくなります。
そして苦手意識は、他人の「マイナス評価」によって身に付くことが多いです。
悲しいことに、日本ではそこら中に「マイナス評価」が溢れています。
(その原因は「比べる自信」なんですが、それはまた別記事で)

 

「苦手意識」があると、挑戦できなくなります。
だから、能力が増えなくなります。
そして、状況を変えられなくなります。イヤな状態から抜け出せなくなります。
そして、知る喜びや、できる喜びがわからなくなります。
だから、喜びは「してもらう喜び」になります。
してもらう為にはお金が必要です。
お金がないときはヒマになります。

そして、ひまつぶしもまた、お金をはらってしてもらうことになります。

 

ずっと同じ状態で、自分の境遇に愚痴を言いながら、してもらうためにお金を払い続ける、
という生き方になってしまいます。
愚痴を言うのなら、改善すればいいのに、と思っても、
「どうせ自分がやってもムダだし」
「自分にはそんな能力ないし」
「自分はバカだから」

と、やる前からあきらめてしまいます。


残念ながら、「苦手意識」を「やらない言い訳」に使っていると状態を変えられません。
現状がつらいなあ、納得いかないなあ、理不尽だなあ、と思ったら、
「もがく」ことはとても大事です。
あきらめて、やめて、よくなる未来はありません。
未来は自分の意志で変えられます。

お願いだから、苦手意識を付けるような指導はやめて欲しいです。
学校でも、会社でも。