今年もあっという間に11月になってしまいました。樹々が色づき、まさに秋真っ盛りのニューヨークです。
いつも散歩する近所の街路樹の紅葉も見事
さて、ニューヨーク・シティーには「ビッグ・アップル" (The Big Apple)」というニックネームがあります。呼び名の由来は諸説あるようですが、100年も前から存在するようです。そんなニューヨーク周辺は、リンゴの大産地・消費地でもあります。毎年この時期になると、市内の週末のマーケットはリンゴを始め晩秋の果物や野菜でいっぱいになり、近所にも果樹園さん直販売所がやってきます。マンハッタンに住んでいた時は、14丁目にあるユニオンスクエアのグリーンマーケットに足繁く通っていました。今は、近所のファーマーズ・マーケットに毎週末行っています。値段はスーパーマーケットとあまり変わりませんが、近郊からリンゴや梨をたくさん積んだトラックがやってきて常に新鮮な果物を補給しておりお得感この上ないです。
夏から秋にかけて近所にやってくる臨時即売所
惜しみなく味見もさせてくれるので人気
日本を原産地とする種類も人気です
日本にいた時は、秋の果物といえば、栗やカボチャ、さつま芋などが主役のような気がしましたが、この辺ではリンゴがダントツです。ハロウィンの関係もあり、カボチャも出回りますが、やはりリンゴはどこに行っても目にします。我々がこの時期ほぼ毎週通っている近所のファーマーズマーケットでは20種類くらいのリンゴを量り売りしていて、それは壮観な光景で一種芸術のようです。ムツやフジなど日本を由来にする品種も人気です。日本の有名なリンゴの産地である青森に住んでいたことがあります。特に津軽地区はリンゴの産地としては有名ですが、こちらのように市街にマーケットが並んで地元の人たちがその年の収穫を愛でるような感じではなかったように思います。今は私は夏から秋にかけてファーマーズマーケットを訪問するのが楽しみで仕方ありません。また、Dは料理への探究心が旺盛なので、新鮮な野菜や果物に触れてもらって、料理研究の成果をその週末の食卓に並ぶようにしてもらっています。いや仕向けていると言ったらいいのか、、、。特にアップルパイは傑作で、自分では日本のコンビニスィーツには勝るとも劣らないレベルになったと言って喜んでいます。ハードルの置き所を有名パティシエとかにしないのと聞いたら、D自身はコロナ前の最後の日本への旅行時に伊勢丹の地下で買ってホテルで食べた有名料理家プロデュースのアップルパイの味が忘れられないそうです。その方はすでに亡くなってしまったので、その幻の味が目標のようです。Dがそんな情報を追っていることに意外な驚きでしたが。
旦那Dお手製のアップルパイ。コロナ禍の副産物です。これは初期の頃の作品
目で見ても楽しい週末臨時マーケットの野菜コーナー
さて、昨日に近所のファーマーズ・マーケットに買い物の出た時に、旦那Dが色々リンゴの種類についてグーグルリサーチしていると思ったら、病気で療養中のゲイRさんに差し入れのためにアップルパイを作るとのこと。何でも、グラニー・スミスというオーストラリア原産の青リンゴが滋養強壮アップルパイに最適のようです。このRさんとその旦那Yさんは、我々の父親くらいの年齢ですが、ラグジュアリー・アーバン・ゲイの見本のような小金持ち、自由奔放なカップルです。数ヶ月前にこちらのブログにも愚痴を書きましたが、こちらは毎年欠かさずバースデープレゼントをあげているのに、私の誕生日を忘れたのか一切スルーしてメッセージすらくれなかった人たち。その件で急に小金持ち特有の鈍感さが鼻について、私的にはもう”切って”いたのですが、旦那Dはなぜかこの老々カップルを気遣っていてわざわざ手作りアップルパイを作る気でいました。
「なんでRとYにアップルパイ作ってやる必要があるの?」と聞いたら、「So they don't need to prepare food when they are having hard time(大変な時に料理なんてしなくていいようにね)」と答え。「彼ら金あるんだからどこかで買うか、お手伝いさんにでも料理作って貰えばいいじゃない?」と私。「Just want to help them(助けたいだけなんだよ)」とD。「でも食べてくれるかわからないよ」とまた私がチャレンジ。せっかくDが作って持参してあげても、甘すぎるとか、クスピーさが足りないとか、容赦ないコメントをする、いかにもな無邪気な悪意に満ちた光景が目に浮かんできました。私はDの好意が無駄になるような気がしてDが嫌な思いをしないように注意喚起の意味で言っているのですが、「But we don't lose anything being just nice to friends(だけど、友達に親切にしてあげて(見返りはなくても)自分たちは失うものはないんだよ」と言ってDはだんだん悲しそうな顔をしてきました。こうした会話をしているうちに、自分こそ冷たい意地悪な人間に思えてきたのと、こういうDのおおらかさを妨害してはいけないと猛省し、「じゃあ、二人で家で食べる分も作ってね」と落ち着きました。
リンゴの話で始まり、オチも何もない秋の平和なある日の出来事でしたが、Dの慈悲深さと自分の狭量さが際立って何とも感傷的になりました。Dが言うように、周囲の人々に親切にして、自分は失うものはないんですよね〜。他人に親切にして恩を仇で返されると嫌、という損得勘定が働く貧乏根性は克服していきたいなと思いました。
この秋の合言葉は人に優しく!