民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

海外患者医療搬送・全国民間救急搬送の仕事紹介と日記、
世界の国々に訪れた街や食べ物、全国の美味い物を御紹介します。

 

目指すは日本最北端の町、北海道稚内市、

飛行機を乗り継いで、到着するまでほぼ半日。

 

 

仙台空港で、現担ぎのラーメンを食べれば、

千歳空港へ、梅雨時期の東北はほぼ雲海上のフライト。

 

 

その後、稚内へと飛ぶが、

午前と午後の2便だけ便数が少ない。

 

 

午後便で稚内へと向かう。

1時間弱の空の旅であるが、

眼下にはオホーツクの海が見えて来る。

沖縄の海のように深い藍い色。

 

 

稚内空港に到着し、

ここから市内までは30分。

 

 

病院で簡単な打ち合わせを行い、

オホーツク海の見えるホテルにて宿泊。

 

 

翌早朝、患者さんの本州への搬送が開始される。

病院の窓からは、

日本百名山の、利尻島の利尻山が、朝日に映し出されていた。

 

 

病院を出発して40分ほどで、

昨日到着したばかりの稚内空港に到着。

 

 

患者さんの移送状況は御紹介出来ないが、

15時過ぎに無事羽田空港に到着。

 

 

日本最北端の町からの搬送は

陽が落ちる前に完結した。

 

 

帰路は新幹線で宮城へと戻るが、

その前に家系ラーメンで一服。

 

 

大宮駅のホームでで見かけたのは、

ディズニーシー開園25周年記念ラッピング列車。

見ようと思っても中々御目にかかれない新幹線であった。

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小生も最近知ったのであるが、

青森県十和田市と馬の歴史は古く、

飛鳥時代迄遡り、朝廷が軍馬の育成を命じたの事が、

起源と言われる。

 

 

以来、明治時代には軍馬の産地として、

全国に名を馳せたと言う。

 

 

話は脱線したが、今回はこの十和田市に位置する、

新幹線、七戸・十和田駅からの搬送。

 

 

御依頼は、遠く岡山の「キリン介護タクシー」さんから、

仙台や盛岡と言った県都での乗り換えは陸路搬送は、

日常的であるが、十和田駅到着は珍しい。

 

 

停車時間は90秒、

到着と同時に、患者さんをピックアップ、陸路移動開始。

少しばかり雲が多いが、雨の降る気配はない。

 

患者さんは遠路の列車移動にも関わらず、

無事に故郷の病院に到着した。

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関東方面への患者搬送に向かえば、

帰路は、決まって常磐道・友部SAの「トラジ」さんで大休憩する部隊。

 

 

この部隊、今回は東京ディズニーランドの近く、

舞浜迄の陸路搬送。

 

 

気温は高いが、快晴の常磐道を南下、

関東へと向かう。

 

 

夏休みが始まり、ディズニー渋滞を心配していたが、

すんなりと、舞浜の病院に到着。

無事に患者さんは帰郷された。

 

 

「トラジ」さんをこよなく愛す部隊は、

炎天下の中でも、友部サービスエリアを目指す。

 

 

彼らは焼肉丼を食べるのではなく、

食すのはいつも「トラジラーメン」、

今回は真っ赤な、ユッケジャンベースと、

牛骨スープの白を、汗だくになりながら完食した。

 

 

何を食べても美味しいが、

このラーメンは中毒性があり、

しかも元気に一杯になる。

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出発の日、早朝、病院へと向かう、

病室では御家族も患者さんも、

首を長くして待っておられた。

 

 

「ようやく帰れます」

飛行機で2時間程の距離ではあるが、

言語や慣習、医療体制が異なる、

異国の地で病床に臥す事のストレスは計り知れない。

 

 

行き先は日本の関西、浦東国際空港からの出発、

順調に搭乗、一気に故郷へと向かう。

 

 

雲海の上を順調に進み、やがて日本上空に、

患者さんは関西国際空港に到着。

 

 

陽は沈んでしまったが、無事に故郷に戻られた。

その日はホテルに宿泊、

早朝の便で、私達も会社へと向かう、

 

 

いつものように、富士山に見送られながら。

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だいぶ古い話であるが、

1980年代に演歌でリリースされた「無錫旅情」

 

 

今回はこの歌のタイトルになった、

中国・上海から南西に130キロ、

江蘇省・無錫市が海外搬送の舞台である。

 

 

いつものように新幹線で東京へ、

仙台駅は七夕祭りの準備完了である。

 

 

いつもの駅弁屋さんで物色をするが、

中々、フィットするものはなく、まっすぐホームへ。

 

 

今回も、羽田国際空港から上海へのフライト、

日本も暑いが、上海も40℃近いと聞く、覚悟が必要である。

 

 

揺れる事もなく、3時間程のフライトで、

あっという間に上海到着。

 

 

中国支店職員と合流し、

空港から、地鉄(地下鉄)で虹橋駅へ、

ここからは中国の新幹線で移動。

 

 

新幹線の駅ターミナルはとにかく奇麗で、

セキュリティは空港並み、今の世相を考えれば当然、

日本がゆる過ぎるのかも知れない。

 

 

上海虹橋から無錫までは50分。

気温は36℃、湿度も70%、とにかく暑いが、

真っ直ぐ患者さんのもとへと向かった。

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人工呼吸器を装着されている患者さんの搬送は珍しくなく、

1日に数件は、呼吸器を利用されている患者さんの移動がある。

 

 

患者さんの搬送に遠いも近いもないが、

海外からの呼吸器装着の患者さんを、

20時間かけて移送していれば、

国内での呼吸器搬送が日常となるのは、必然である。

 

 

この日は秋田県から陸奥湾に面した町までの、

転院搬送、4時間程の行程となる。

 

 

青森部隊が、晴天の東北道を南下、

秋田道へと入る。

 

 

患者さんのピックアップが完了すれば、

直ちに北上、八戸側からのアプローチで、

下北半島方面へと入る。

 

 

予定通り、患者さんの搬送は無事に終了した。

県を跨ぎ、郡部から郡部への搬送は、

患者搬送の基本であり、

向かう度に、地域医療に携わる方々の、

献身的な姿勢を目の当たりにする。

感謝。

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暑い日が続く列島、

涼しい北東北でも30℃を越える日が続いている。

 

 

この日は、青森の病院から、

東北新幹線を利用して、

神奈川県・平塚市までの患者さん移動。

 

 

早朝病院を出発、

東北新幹線でいっきに東京駅まで向かう。

 

 

3時間程の列車旅となるが、

全体行程の陸路移動とほぼ変わらない時間である。

 

 

東京は酷暑、35℃を越えており、空気が暑く感じる。

 

 

いつもお世話になっている、

民間救急「グレイスケア」さんのアテンドで、

1時間ちょっとの陸路移動。

 

 

無事に病院に到着し、引き継ぎを終えれば、

再びとんぼ返りで東京駅へ。

 

 

定番の駅弁time、

ささやかでも、至極の時間。

後は青森までゆっくり、うとうと、

帰社の3時間であった。

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昔の話をすれば笑われるが、

かつて、津軽海峡を渡る時は、

青函連絡船、フェリー、航空機を利用していた。

 

 

現在は北海道新幹線の開通で、

数十分で、津軽海峡を渡る事が出来るようになった。

そのスピードには仰天である。

 

 

しかも北海道新幹線を利用すれば、

寝たきりの患者さんもご移動が可能、

本当に便利な時代なった。

 

 

この日は、青森の病院を出発して、

青森駅へ、ここから新幹線で函館へと向かう。

 

 

新幹線を利用すれば、

ちょっとした青森県内の陸路搬送より、

短い時間で移動が出来る。

 

 

青森駅を出発すれば、

程なく、長いトンネルへ、

30分ほどでトンネルを抜ければ、

もう、そこは北海道である。

 

 

函館北斗駅で、

地元の介護タクシーさんのお世話となり、

病院へ、総行程2時間程の搬送であった。

 

 

患者さんの搬送が終われば、

再び、函館駅へ向かい、しばらく駅付近を散策、

「チャイニーズ・チキン・ラッキーピエロ」で大休憩、

ハンバーガーで腹ごしらえ。

 

 

お腹が満たされれば、新幹線で青森へと、とんぼ返り。

便利な世の中であるが、

もう少し、北海道の空気を吸っていたかった

北海道、新幹線の搬送であった。

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日本中が、猛暑日・酷暑日となったこの日、

山形県の霊峰「月山」へと向かった。

 

 

今回は西川町、姥ヶ沢ルートからの登山、

朝から30℃超えたが、標高が高くなるにつれ、

気温は25℃程度に落ち着く、

登山口から空を見あげればガスが立ち込め、

目前に鎮座する月山は全く見えない。

 

 

リフトを降りても天候は変わらないが、

一面に、ニッコウキスゲと、数年に一度しか咲かないと言われる、

「ゴバイケソウ」の花畑。

この光景は牛首を過ぎる付近まで続いていた。

まずは姥ヶ岳頂上へと向かう。

 

 

今年はこの霧で多くの方が、

方向を見失っている、ここは慎重に歩く。

進行方向の右手には大きな雪渓が残っている。

 

 

登山客は少なくはなく、互いに声をかけながら、

牛首方向に稜線を歩く。

 

 

時折空が明るくはなるが、霧は晴れない。

あまりの霧の深さに、牛首で引き返す人も。

 

 

牛首からの急登を過ぎ、

延命地蔵まで来れば、頂上は直ぐそこ。

 

 

2時間30分ほどで、月山神社本宮へ、

ここで参拝、あまりにも霧が濃いので、

山頂へは行かず、下山する事に。

 

 

不思議な事はここで起きた。

登られた方なら判るはずだが、

月山神社本宮は、修険行者の聖地、

標高は1984m。

 

 

本宮に参拝しようとしたところ、

20歳台の、ブラウン系のワンピースを着た女性が立っている。

髪は長く、短めのハイヒール、透明ビニールの肩掛けポーチ。

この日の月山山頂の気温は14℃、濃い霧のため、

登山者はヤッケを着装、それでもずぶ濡れ。

まず、はじめに思ったのが、どうやってここに登って来たのか?

しかも、たった「ひとり」。

更にびっくりしたのは、その女性、本宮の入り口付近で、

登山客(女性)に、「持ち合せがないので、お金を貸して下さい」と

次から次へと声をかけている。

 

 

小生は声をかけられなかったが、

見てはいけないものを見たような気がしながら、

山を下った。

あれは現実だったのか、あるいは「山姫」伝説、幻だったのか、

もし現実なのであれば、月山神社に限らず、

お金を借りて参拝したり、御札を購入すると言う行為は如何なものか、

手を合わせる神様にも、失礼極まりない、

不思議というより残念で悲しい出来事であった。

 

果たして彼女はどうやって下山したのだろうか?

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常磐線「特急ひたち」、

かつては「スーパーひたち」と呼ばれていたが、

冠がとれて、現在は「ひたち号」。

 

 

その歴史は古く1960年代までさかのぼる。

しかし新幹線の台頭で、

仙台~東京まで6時間かかる特急は減便、

現在は、仙台発、東京までの「ひたち」は1日3本となった。

 

 

それでも、福島県、南相馬・いわき方面に、

「ひたち」を利用するお客さんは少なくはない。

 

 

常磐方面への患者さんの御移動は、

陸路が主流であるが、

今回は在来線「ひたち」を利用される移動。

 

 

始発の仙台駅6番線ホームには、

何人かの撮り鉄がカメラを構えていた。、

グリーン車連結の車両には、

車いすスペースが確保されている。

 

 

新幹線にのり慣れている私達は、

ゆっくりゆっくりと進む特急のスピードに

もどかしさを感じるが、風情がある。

 

 

常磐沿線を眺めながら、

目的地、茨城県・日立市に到着。

 

 

駅で御家族に引き継ぎを

行えば、2時間程後の便で、

再び、仙台へ、一日がかりであるが、

たまにはまったりゆっくりの旅も良い物である。

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