民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~ -2ページ目

民間救急移送の軌跡 ~海外患者医療搬送、全国患者移送の足跡~

海外患者医療搬送・全国民間救急搬送の仕事紹介と日記、
世界の国々に訪れた街や食べ物、全国の美味い物を御紹介します。

 

久しぶりにお伺いした中国大連。

この街は2005年に中国支店を開設して以来、

ほぼ変わっていない。

 

 

海外患者搬送の仕事を終え、

中国支店の職員と、イルミネーション輝く街へ。

 

 

日本と同様、ショッピングモールの上階には、

飲食店街がひしめいている。

 

 

ここで夕食を戴くが何を食べて良いか、

判るはずもなく、運ばれた料理を、

ひとつひとつ解説してもらうという、いつもの光景、

独特の中国東北料理を戴いた。

 

 

翌朝はホテルのビッフェ、

宿泊ホテルの質も良かったが、

朝食はとにかく品数が多い。

 

 

24時間も滞在しないで、

大連周水子空港を後に、

日本へと向かう。

 

 

帰国便の機内食は、定番の、

から揚げのクリームソースと、

すき焼き風・・。

 

 

3時間半のフライトはあっという間、

日暮れには、少し早い時間であったが、

きれいな夕焼けが出迎えてくれた。

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師走に入り、岩手県から青森・黒石市への搬送。

 

 

寒波が来る前に、

雪に降られる事もなく

患者さんは無事帰郷を終えた。

 

 

青森県と言えば「リンゴ」

帰路に立ち寄った道の駅では、

所狭しとリンゴが積まれていたが、

その値段を見てびっくり。

 

 

かつてリンゴは庶民の食べ物、

今の時期、こたつに入りながら、

リンゴやミカンを頬張っていたが、

今や、なかなか手の出せない価格、

気候変動はここにも影響していた。

 

 

岩手への戻り道は、あちらこちらに

大きくかかっていた冬の虹橋に見送られての道中であった。

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東京駅から早朝の新幹線に乗車するべく、

深夜の東北道を南下する。

 

 

最終到着地点は四国・高知市。

陸路、新幹線、陸路と長い移動の一日となる。

 

 

長距離の御移動でも、

様々な事情で飛行機に搭乗が出来ない、

患者さんも少なくはなく、

ましてや病院の受け入れ時刻がタイトに決まっていれば、

移動の手段は限られてくる。

 

 

東海道新幹線に乗車すれば、

3時間半で岡山へ。

 

 

岡山の介護タクシーさんの協力を得て、

ここからは陸路移動、瀬戸大橋を渡り、

2時間程で無事に高知市内の病院に到着した。

 

 

搬送の完了は、午後2時過ぎ、

ここから再び、飛行機で羽田へ、

取るものも取らず急いで「高知龍馬空港」へ。

 

 

トンボ返りの出張、

北へと向かう飛行機は西陽に照らされていた。

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福島県にはいわきの浜通り地方の北側に、

相双という地方がある。

この付近は医療圏では宮城県に含まれる。

 

 

この日、宮城県境、相双エリアに、

複数の搬送車輌が集まり、

宮城県内へと患者さんの搬送。

 

 

その後は、宮城県から福島県浜通り、

いわき市までの搬送となった。

 

 

標榜課目外の専科搬送もあれば、

故郷への帰郷搬送も、

患者さんが御移動される理由は様々。

 

 

年末年始にかけて、

このような移動はピークを迎える。

 

 

入院中に限らず、

誰であってもジングルベルや除夜の鐘は、

故郷で聴き、新年を迎えたいと願うものである。

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沖縄本島から関東までの航空機での患者搬送。

いつもの通り、東シナ海の美しい珊瑚礁に迎えられて、

那覇に入る。

 

 

師走とはいえ、気温25℃の沖縄は、

みちのくとは違い、

すごしやすい気候である。

 

 

那覇空港から南部の浦添市に移動し

患者さんの入院している病院へ向かい、

事前のカンファレンス、翌日のフライトの準備を行う。

 

 

病院を出ると、1キロ程東側に、

メル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった、

前田高地・旧浦添城跡が、

足を向けてみた。

 

 

ここは第二次世界大戦、

沖縄戦で最も激しい戦いが繰り広げられた高地、

現在は平和公園となっている。

 

 

米軍もビックリするほどの急登を過ぎると、

広場になっており、浦添の町が一望できる。

記念碑や平和の碑があちらこちらに。

 

 

沖縄には何度もお邪魔しているが、

80年前、20万人以上の方が亡くなった、

激戦の地である事を、身近に感じる事はなかった。

夕陽が沈みかける、沖縄の海を見ながら

静かに手を合わせた。

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平年並みと言えば聞こえは良いが、

11月であるのに青森の山間部はしっかり雪が降っている。

 

 

こんな日に限って、

青森県までの搬送が重なる、

いつもお世話になっている、

青森駅に降り立った「民間救急北海道」さんもビックリの積雪

道中の高速道路はご覧のとおり、

雪、雪、そして雪。

 

 

青森市内も、

沿岸に行けば鉛色の空と海。

 

 

確実に冬将軍は近づいてきている、

この雪で世間に脅威をもたらしている、

「熊騒動」も鎮静化してくれれば良いのであるが。

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深夜、ヘッドライトに浮かび上がる青森県・八戸市の大病院。

救命センター入口、に静かに滑り込み、

東京までの搬送が開始される。

 

 

相変わらず、気温は低いが風もなく、

穏やかな初冬の朝。

 

 

東北道を南下すれば、

東の空が茜色に染まって来る。

 

 

時間にして8時間半、

道中、栃木県・佐野サービスエリアは、

紅葉の真っ只中であった。

 

 

穏やかな冬空は都内に入っても変わらず、

晴天のまま、東京墨田区の病院に到着した。

 

 

師走にかけて、海を越え、

県を跨ぎ帰郷する患者さん。

本来は御家族と元気に移動出来れば良いのであるが、

実際には思うようには行かない。

年内には故郷へ、

このような患者さんたちの旅はこれからである。

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青森、岩手の部隊は当然だが、

南東北も所によっては雪模様。

 

 

この日は宮城から月山道を通り、

山形県鶴岡市までの患者さん搬送。

 

 

東北道から山形道に入り、

笹谷トンネルを越えるまでは良かったが、

月山パーキングではご覧の積雪。

 

 

標高も高く、

これからの時期は何時通行止めになっても、

おかしくない道路である。

庄内側に下って行けば、再び冬の氷雨。

 

 

片道2時間半ほどの搬送は無事に終わったが、

本格的な冬が来れば、

雪との戦いが始まる。

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宮城県、南蔵王からやや福島県寄り、

伊達郡桑折町に鎮座する半田山。

 

 

標高は863m、

「日本名山図会」に掲載されているとなれば、

かなり古くからこの山は知れていたと思われる。

 

 

半田山は何度か登ったが、

昨今の熊騒動よりは「猿」が、

幅を利かしている地域である。

半田沼のほとりにある管理センターから山頂へ、

これが南コースとなる。

 

 

帰路は北登山口に出る、グルッと周回のコース。

時間にして開始から下山まで、

2時間半ぐらいの行程。

 

 

落葉の葉を踏みしめながら、

静かな山道を登るが、

付近にある1,500m以上の山は

既に降雪で軽装備では登れない。

 

 

頂上近くに少し急登があるが、

それほどはきつくなく山頂へ。

広くなくはないが、

眼下には福島市が一望できる。

 

 

帰路は半田沼を一周するが、

ここの紅葉は見事、

人も少なく穴場のスポットであった。

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北海道・釧路を出発して、

羽田経由、中国大連へ向かう患者さん。

 

 

御家族様と共にようやく帰国出来る喜びは、

ひとしおであろう。

 

 

北海道を出てから、

全区間青空の海外患者搬送は珍しい。

 

 

日本海から、韓国上空を通過して、

黄海へ抜ける、右側には遠く平壌も見える。

 

 

高度が下がれば、黄海から遼東半島に入り、

やがて中国東北の大都市、大連市上空。

 

 

私達の中国での本拠地がある街でもある。

軍事共用空港であるため、

かつては写真御法度のアナウンスが流れていたが、

今は比較的自由になった。

 

 

飛行機がスポットに到着すれば、

中国語のオンパレード、やがて機外へ

空港の前には中国支店の救急車が待機している。

 

 

大連周水子空港から40分、

大連港に近い小高い丘にある故郷の病院に患者さんは無事に到着した。

 

 

今まで様々な紛争地域にもお伺いしたが、

例え国家間が対立しても国際患者搬送に変わりはない。

国境・人種・宗教・言語を問わず、

そこにあるのは故郷に帰りたい、

と言う強い意志を持っている患者さんであり、

待ち続ける御家族である。

会いたい人がいる限り、

その想いを届けるのが私達の仕事である。

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