9条の防衛論・安全保障論 君島東彦
非暴力力防衛は、それに東アジアの共通の安全保障の戦略を付け加えて、完結します。君島東彦
「非暴力平和隊・日本」のメーリングリストに載った代表・君島東彦さんの意見です。
キッカケは 私の次のような発言でした。
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(前略)
今回の鳩山発言は 彼らのかねてからの持論です
これが 普天間基地移転問題を巡るやりとりは 自主防衛力強化~解釈改憲~明文改憲という筋道について日本人を「自覚」させようという彼らなりの戦略であったとしても 不思議はでありません
「従来の護憲派の防衛論」は 「平和外交による防衛論」ですが これで国民を納得させることは 不可能だと思います
今こそ 軍事力による防衛に代る選択肢としての「非武装・非暴力防衛」を 国民の前に提示し、これに気がつき、考え、討議してもらわなければならない時期だと思います。
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ここからが 君島さんのご意見です。
鞍田さま
メール拝見しました。
ちょうどいい機会ですので、わたしの意見を書かせていただきます。
非暴力防衛のエッセンスは民主主義、かつ民主主義の非軍事化・非暴力化にあります。
われわれが追求すべきもののひとつは民主主義です。
もともと民主主義とは、市民が共同体の防衛のために武器を持って防衛すること=民兵の制度=常備軍・職業軍人の否定です。カントの『永遠平和のために』は常備軍の廃止と同時に市民が武器をもって準備する必要性を述べています。この発想、制度はいまでもスイスに残っています。
しかし、その一歩先を追求するのが非暴力防衛で、市民は武器によらずに防衛することを追求します。
日本国憲法9条のもとでもっとも適合的で妥当な防衛は、非暴力防衛です。
しかし自衛隊を違憲とする9条論は、防衛の側面を本格的に検討しないままで来ました。その例外が、宮田光雄氏、小林直樹氏、寺島俊穂氏です。
防衛論を持たない9条論は国民多数の支持を得ることはできません。結局、日本国民の選択は「9条も自衛隊も両方支持する、両方必要」という世論になります。
このような選択は矛盾であり、偽善的です。
しかしわたしは、非暴力防衛は他の方法による防衛と組み合わせて採用する方法であると考えています。
非暴力防衛だけでは非現実的です。現実には、東アジアにおける共通の安全保障の追求──日米同盟・韓米同盟の側と中国、北朝鮮の側との間の緊張緩和の追求=ヘルシンキ・プロセス、CSCEプロセスのようなものを東アジアで追求すること、六者協議の活性化・拡充、さらには東北アジア非核兵器地帯の追求など──と非暴力防衛の組み合わせこそが、9条の防衛論であると考えます。
いずれにしても、非暴力防衛の成否は民主主義の強さによります。9条から引き出されるのは、職業軍人(ミリタリー)ではなくて、一般市民(シビル、シビリアン)が安全保障・防衛に責任を持つという考え方です。
寺島さんの「攻められたどうするか」はもちろん有意義ですが、それに東アジアの共通の安全保障の戦略を付け加えて、9条の防衛論・安全保障論は完結します。 君島東彦
ガンジーの危険な平和憲法案 C・ダグラス・スミス 集英社新書
非暴力防衛の現実的な姿の提案があります。
ガンディーの案によると 先ず
1:国の基本は「村」で、選挙された「パンチャーヤット」が最大の権限を持ちます。
2:その「オアンチャーヤット」の機能のうち、「治安」について、
「a、村を、泥棒、群盗、野生動物から守るため、保護者を置く。」
「b、すべての市民に、サティヤグラハや非暴力抵抗と防衛の訓練をさせる」
とあります。
3:上位の組織のトップにある「全インドパンチャーヤット」には、村に対する命令の権利がありません。
こういう国は 侵略には強いでしょうね!
憲法九条を有り難がっているだけではダメで、こういう国造りを目指して 日々努力する必要があるのだと、思いました。
同時に、このような努力をしてゆくことで 非暴力防衛が達成されるのだという筋道が 初めて見えてきました。
合掌
「攻められたらどうするか」寺島俊穂
昨日の朝日新聞に、「オバマ演説 日本ジレンマ」「『核』の傘頼る政府困惑」という8段抜きの記事があります。
あるラジオのニュース解説でも、オバマ演説の受け止め方として、「日米で、これから如何にして日本を守るかを真剣に協議しなければならない」と締めくくっていました。
憲法前文~第九条の精神など、すっかり何処かへいってしまっています!
このような時期だけに、この文章の意義はとても大きいと思います。
宮田光雄先生の「非武装国民抵抗の精神」、寺島さんの「市民的不服従」、シャープ「武器なき民衆の抵抗」は、それぞれ立派な本です。
しかし、この文章は、【端的な標題】そして【20ページという読みやすいボリューム】という点で、多くの人に勧めやすいと思います。
内容は
1、攻められることはあるのか
2、オルタナティブとしての非暴力防衛
3、非暴力防衛の実現可能性
参考文献
となっています。
長沼判決で述べられている「非軍事的防衛」
元裁判官の友人に勧められて、「長沼事件 平賀書簡 35年目の証言」(福島重雄他)日本評論社 を 読みました。
この中に
1)判決の本文、「第三、憲法の平和主義と同法弟九条の解釈」にの「四、自衛権と軍事力によらない自衛行動」には、
「たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法もあり、さらに(中略)からは、非軍事的な自衛抵抗には数多くの方法があることも認めることができ、また人類の歴史には(中略)、さらに将来ともその時代、その状況に応じて国民の英知と努力によってよりいっそう数多くの種類と方法が見出されていくべきものである。」
と 書かれてありました。
又
2)水島朝穂さんの文章の中に、その後「軍事力に代わる総合的平和保障手段の共同研究」が行われているとして3冊の本が挙げられていました。64㌻
捜して読んでみたいと思いました。
「平和憲法の創造的展開ー総合的平和保障の憲法的研究」
和田英夫・小林直樹・深瀬忠一・古川純編 学陽書房 1987年
「恒久的世界平和のためにー日本国憲法からの提言」
深瀬忠一・杉原泰雄・樋口陽一・浦田賢治編 勁草書房 1998年
「平和憲法の確保と新生」
深瀬忠一・上田勝美・稲正樹・水島朝穂 北海道大学出版会 2008年
「ボスニア戦争とヨーロッパ」を読んで
「ボスニア戦争とヨーロッパ」N・ステファノフ M/ヴェルツ編 佐久間稔訳(朝日新聞社) 1997年発行
内容は 1994年にフランクフルトで開かれた国際会議「ボスニアとヨーロッパ・・・紛争の原点」で発表された論文・報告・討論(参加者30人)のうち13人のものが収めてあります。
今更ですが 不勉強であったボスニア戦争について知ることが出来、様々な問題について考えさせられました。
その中で「非武装・非暴力でどこまでのことが可能なのか」について とても考えさせられました。
「(いわゆる)民族」を超えて民主的な社会を構築しようという努力が存在したが、この努力は 軍事力の不足・・・西欧諸国が 侵攻してくる外部の軍事力への抵抗を「内戦への不干渉」という口実で躊躇ったために報われなかったと言う。
(例)
「是が非でも平和なのか?」ハリー・バウアー、トーマス・キミッヒ(ドイツ)の『無防備で危機に立たされうえいるリベラルで市民的・批判的な一部ボスニア市民男女が、自分たちの社会を守るための、武器を求めていることに、ボンの自称”無権力者”たちはこれまで一度も関心を寄せたことがないのである。』261㌻ という言葉は 私には とても重い!
ただ このような事態を身近に感じたヨーロッパの人たちが、このような人たちを孤立させず、非暴力で支援したいと思ったであろうこと、その結果として 大規模・国際的な市民のチームである『非暴力平和隊』のようなもの存在が是非必要と思った気持ちが 分かったような気がしました。
「非暴力防衛の事例を検証する」という記事が「伊藤真のけんぽう手習い塾」に
「非暴力防衛の事例を検証する」 伊藤真のけんぽう手習い塾
たとえ自衛目的であっても軍事的抵抗は多くの市民の犠牲を伴います。
軍事的な防衛手段に頼らない市民的防衛または非暴力防衛は、非現実的であるという一言で片付けられてしまうことが多いのですが、実際の事例も歴史上存在しています。そのいくつかを紹介してみましょう。
占領されたことは全面的な敗北ではありません。仮に軍事侵攻されるような事態に至ったとしても、その時点で
軍事的な反撃をするのではなく、占領されたことを前提に非暴力抵抗が始まるのです。
http://www.magazine9.jp/juku/071/
[非暴力防衛の前提・・・「月は沈みぬ」スタインベックを読んで
読んだことがあったとは思いますが そのときは ただ 感動しただけでした。
この本は 「非暴力防衛」がテーマではありません。
しかし、今、読み直して、「非武装防衛」を唯一の現実のものとして日本人が自覚するために、何が必要で 何が「欠けて」いるのかを考えるうえでは とても大事なものを 分かり易く提示していると思いました。
188ページでウインター博士が・・・「・・・彼らは、ただ自分たちがひとりの指導者とひとつの頭しかもっていないことからして、われわれもみんあ同様だと考えているんですよ。・・・・だが、われわれは自由な人民です。われわれは人民の数だけ頭をもっています。危急存亡のときには、われわれのあいだから、まるでキノコのように指導者がとびだしてきますよ。」と言います。
これが、「非武装」であれ「武装」であれ 「市民的」抵抗の 原点だと思います。
残念ながら 今の日本で、自分を「われわれ」の一人だと感じている人は どのくらい居るでしょうか?
かっての日本人は 殆どが「彼ら」の一員でした!
今の日本が どれだけ変わっているのでしょうか?
・・・護憲を掲げる「革新勢力」についても その一人一人が 組織~上部の指示なしに「われわれ」の一人として考え 行動する訓練がされているのでしょうか?・・・
「どのようにして 日本人が『われわれ』になってゆくか!」
そのために 日々 (防衛問題に限らず)身のまわりの様々な課題を「われわれの」問題として取り組んで行くのか が 基本なのでしょうね。
今のままの日本では、「非武装防衛」は 侵略者への無条件屈服になってしまう・・・・村上さんの「半島を出よ」のように・・・・のではないでしょうか?
しかし、日米安保による「武力防衛」は、「海外経済権益を守るための日中戦争~大東亜共栄圏」の二の舞、「相手とパートナーが変わった日独伊三国同盟」による第二次世界大戦の二の舞になるのでしょう。
挙句の果ては 「国体護持」のための捨石にかわり 民主主義のご本尊・米国を守るための捨石 としてのかっての沖縄戦の二の舞になるのでしょう。そして、ヒロシマ・ナガサキに。
ですから この「月は沈みぬ」の提起している課題に取り組むことは とても大事なことだと思います。
紹介「非武装の現実性について・その2 井上澄夫」
「市民の意見」NO.107(市民の意見30の会)を 友人に戴き、この文章を発見、感動しています。
このブログで紹介させて戴いた数冊の書籍では『非武装防衛』が説かれています。
しかし、これを 実践的な課題として 新聞・雑誌などで提唱されているのを読みなしたのは 今回が初めてでした。
何れ この会のウエブサイトに全文が掲載されると思いますので、要点を紹介させて戴きます。
先ず タイトルの脇に アウンサンスーチーさんの言葉が引用してあります。
「私たちには、国民の諸権利を侵害する命令・権力の発動に反抗する義務があります。
権力への反抗とは、認めない、従わない、受け入れないということです。
民主化を進めるには、規律正しく、平和的な反抗をする必要があります。」
文章は 3段に分かれており、その見出しは
●侵略には「市民的不服従の非暴力直接行動」で立ち向かう
●戦後日本の平和は 安保体制のおかげではない
●現状における九条の力と危機
となっています。
私が この文章の核心だとうけっ取っている部分は
「侵略されたらどうするか―――『非暴力直接行動』をもって人間としての尊厳をかけて主体的・積極的に抵
抗する、『市民的不服従』を貫く。」
という部分です。
そこで 問題は、そのような「市民」に 私たちがなっていないという現実を直視し、どうすれば このような『市民』の国に変わって行くことが出来るか です。
この点について 井上さんは
「侵略に抵抗する『市民的不服従』の実践には、常日頃、自国の政権の不当な抑圧に抵抗することが不可欠
です。」
と書いて居られ、私も そのように思います。
私たちは 日本を民主的な国として築いてゆく努力を それがそのまま「非武装防衛」のための訓練だという意識のもとで 改めて行ってゆくべきなのだと 気付かされた思いで この文章を読ませて戴きました。
市民査察で基地が一時機能不全に。その日イラクではミサイル爆撃は無かった
<civilsocietyforum21@yahoogroups.jp>Sent : Sunday, June 24, 2007 2:56 PMというMLで読みました。
このような行動をされている方がおありなのですね。
このいち ドナ・マルハーンさんの最終弁論を紹介させていただきます。
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市民査察で基地が一時機能不全に。その日イラクではミサイル爆撃は無かった
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オーストラリア人女性ドナ・マルハーンは、2003年春イラクでの「人間の盾」に参加し、04年春には米軍包囲下のファルージャに入り、その帰路地元レジスタンスによる拘束を経験し、04年冬から05年春にかけてイラク・パレスチナを旅して、05年8月アメリカからシンディ・シーハンのキャンプ・ケーシーについて報告してくれました。オーストラリアに帰国したドナは自国のテロを見据え、05年12月に米国主導のイラク戦争・占領にオーストラリアが最も貢献してきたアリス・スプリングス近郊のパイン・ギャップ軍事基地に向かい民間査察を強行して逮捕・起訴されました。
そして、最高7年の刑期を科せられるかもしれない裁判がついに始まりました。連日行われてきた裁判は、3週間目に入り最終段階に近づいてきた6月13日(水)には検察・被告双方の最終弁論が終わりました。あとは、14日(木)に予定される陪審員の評決と判事による判決の言い渡しだけとなりました。13日の裁判閉廷後の夕刻に送られてきたドナの報告です。(翻訳:福永克紀/TUP)
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あなたの人間性を捨てなさい、判事が勧告 ドナ・マルハーン 2007年6月13日
お友達の皆さんへ
今日は、裁判所まで最後の行進をしてから、道路を挟んだ公園で歌と霊感を与えてくれる朗読をする最後の集いで始まりました。
みんなで意気揚々として裁判所に入り私たちが法廷に着くと、公正な裁判を受けることができなかったという理由で私がこの裁判の無期限延期を申請しました!(裁判が永遠に終わった状態になることを意味します)。判事はこれを認めませんでした(求めることしかできないのです!)、しかしそうして理由を述べておくことが大事なのです、こうすることでもし上訴するなら私たちの論点すべてはその道を開かれていることになるのですから。
それからデンボ検察官の最終弁論がありました。私はその無味乾燥さに少しがっかりしました。彼が私たちを激しく非難するだろうと待ち構えていたのですが、かわりにいつもの台詞を持ち出すばかりでした。「誰も法律を自分の思うようにすることはできないのです」とか、変革の手段としては議会の処理を活用すべきであるとか、それから付け加えて、私たちの計画は「冷酷に計算された」ものだと、そのうえ私たちは「それを自慢する厚かましさ」まで兼ね備えていると言いました。
それからブライアン、ジム、アデル、そして私が最終弁論を行いました。これらの清書謄本を早く手に入れたいと思いますが、今のところ私が陪審員に何を話したか要約しておきます。
最初に彼らに、こんなにも一生懸命に身を入れて私たちの話を聞いてくれたことに感謝を述べました。
この訴訟は世界中から関心を持たれていることを話し、今朝は全オーストラリアばかりでなく6ヶ国からも支持のメッセージを受け取ったことを話しました。
私の真剣さや動機、信念や行動を彼らが理解するための手助けができたと願い、祈ったことを述べました。
「平和的な抗議行動が用を足さなかったときには、更なる行動が求められるのです。歴史がこれを証明しています、私の信仰がこれを求めるのです、私が人間であること、その立場がそれを命ずるのです」
「お分かりでしょうが、私は議員たちに手紙を書きました、それでもパイン・ギャップの人工衛星はまるで巨大な掃除機のようにデータを収集しました」
「デモにも参加しました、でも情報はリアルタイムで米軍に中継されました」
「世界中の何百万人という人々が民主的権利を行使して抗議行動を行い、街頭に繰り出しました」
「しかしそれでも、パイン・ギャップのおかげでミサイル標的座標が整えられ、ミサイルが落とされたのです。そして、もっとミサイルが落とされ、更にもっとミサイルが」
「私が行なったどんな合法的なことも、役に立ちませんでした」
「しかし、私がパイン・ギャップに行った数時間で、基地は活動停止し、イラクに情報は中継されませんでした、そしてその日はミサイルは落ちなかったのです」
「私たちの行動は成功したのです」
「皆さんが私を無罪とされるよう求めます――同様の裁判で世界中の陪審員が判断したように」
「これはあなたがたの権利なのです。皆さんが決定権を握っているのです」
「皆さんがたが、母として、兄弟として、娘として、夫として、父として、その良心に従って決定されるようお願いします」
「もうひとつ皆さんにお願いがあります。ちょっとの間、私が履いているブーツのことを考えていただきたいのです」
「これは、アル・シューラ市場がミサイル攻撃を受けたあと、私がそこで履いていたハイキング用ブーツです。人の肉が地上に散らばり、いたるところが血の海でした」
「私のブーツには血の跡があります、その場に居合わせた人間の血です、それはパイン・ギャップの標的座標決定のためです」
「私のブーツに付いた血の、その人の人間性を皆さんが尊ばれますようにお願いします」
「彼らの死を無駄にしないようお願いします」
「彼らの命のために、赤ん坊のヌーラや、私の子供たち、アーメドや、ファリスや、ムスタファや、セイフのために、私が世話するバグダッドの家族たちのために」
「真実のために、皆さんの人間としての権利を行使され、自分が正しいと信じる決定を下されるようにお願いします」
「私は皆さんが私を無罪とされることを求めます」
これは簡略化した報告ですが、要点は押さえたものだと……
午後の残りは、判事から陪審員に裁判全体の要約説明がありましたが、それは非常に長々とした退屈なものでした。
それから彼女は陪審員に説示して、もし彼らが私たちに賛同するなり、私たちに共感するなり、イラク戦争に強い感情を抱いたり、更には私たちはもっとパイン・ギャップのことを知らされるべきだと同意したりしたとしても、それは自然な人間の反応だ、と言いました。
そして、それを無視しなさいと彼らに勧告しました。
容疑の要素についてだけ判断しなさい、良心に従って判断してはならないと勧告しました、そしてデンボ検察官同様それを幾度も強調したのです。
それで今日の午後は陪審員は解放されて、明日午前9時に戻りもう10分間の説示を裁判官から受けることになりました。
それから彼らは審議に入り、全員一致でひとつの結論に達したときに評決を下すことになります。
少なくともひとりの陪審員が自らの良心の声を聞くように祈り続け、願い続けてください。
私たちは全員元気です、それに今夜は「模擬裁判」をおこない、法廷で質問することを許可されなかったパイン・ギャップ問題の鑑定人であり、わざわざ裁判のためにアリス・スプリングスに来てくださったRMIT大学(王立メルボルン工科大学)のリチャード・タンター教授に証言してもらいます。
明日、ことが分かったらニュースを送ります。
愛と感謝を込めてすべてかたへ ドナより
URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/217
メキシコ 女性も子どもも 全くの非武装の人々が、軍隊の基地を占拠
毛利さんという方の「非戦つうしん」というメルマガには 何時も 驚かされていますが、今回 目にしたこの記事には 感動しました。
同時に このような行動の応報を入手し、この意義を高く評価し、日本の方々に伝えようとしてうる方々が居てくださることに 勇気を戴きました。
> □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
> メキシコ 女性も子どもも 全くの非武装の人々が、軍隊の基地を占拠
>
> メキシコ政府は、民衆の圧倒的支持を受けるEZLNと交渉を続ける一方、チ
> アパス州各地に軍事基地を置き、多くの先住民族を拉致し、拷問にかけ、殺害し
> ました。
>
> この「テロ掃討」を名目とした先住民族弾圧に対し、2001年1月、数千人
> もの人々が軍事基地を占拠する行動に出ました。その映像が以下にあります。
>
> Military base occupation 2001 (chiapas mexico)
> http://www.youtube.com/watch?v=r_9oCv396yU
>
> 霧が立ちこめる山中を、数千人もの人々が列を成して歩きいています。女性や
> 子どもも大勢います。皆、顔をスカーフや目出し帽で覆っています。人々はやが
> てメキシコ政府軍基地前に着きます。自動小銃を構えた兵士が威嚇します。しか
> し人々はひるむことなく鉄条網を越え、基地内に入ります。数の多さと人々の気
> 迫に押され、兵士は引き下がります。基地を占拠した人々は
>
> El puebro unido jamas sera vencido!(団結した民衆は決して負けない!)
>
> とシュプレヒコールを叫び、歌を合唱します。
>
> 全くの非武装の人々が、軍隊の基地を占拠する様子には驚かされます。
> 本当にこれは命がけの行為です。
>
> http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-June/014112.html
>