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『丸腰国防論・・・憲法9条の理念、今ここに』国防を考える市民懇談会・編 を読む

『丸腰国防論・・・憲法9条の理念、今ここに』国防を考える市民懇談会・編 (ゆう出版)

 梅村慎二さんなど 77歳~25歳の6人の「素人」の方が、3年間、メールと会合で勉強し分担執筆。

 護憲派がタブー視しているように思われる「国防」をまともに論じている姿勢、取り上げているテーマ、率直な意見交換、豊富な参考文献リストなど 共感するところ多い。

 しかし 「非暴力防衛」への言及がまったくなく、参考文献リストにも見当たらない。 

 よって『私のスタンスからは、参考文献に 「非武装国民抵抗の思想 宮田光雄」、と 「市民的不服従 寺島俊穂」が載っていないのが 残念です。 私は 積極的に「防衛」を考えるべきであり、その原点は この2冊だとおもっていますので。』 というメールをさしあげたところ、『さっそく取り寄せて勉強させていただきます。』という返信を頂きました。

 お読みになっての感想を期待しています。

弁護士・伊藤真さんの 非暴力防衛 主張について

産経ニュースが かなり詳細に リベラル改憲論についての公開シンポジウムの内容を報じており、その中で 弁護士の伊藤真さんが 非暴力防衛について 発言しておられます http://www.sankei.com/politics/news/160110/plt1601100004-n1.html

寺島俊穂「戦争をなくすための平和学」について

転載はできませんが このページに この本の紹介・・・著者紹介、まえがき、目次・・・が 掲載されています

https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03707-7

「逆風に抗して 非暴力抵抗を」石田雄 のご紹介 

風行社のブログに 寺島俊穂さんの「市民的抵抗」の紹介として この文章が掲載されています。

転載禁止ですので  下記のアドレスをクリックしてお読みいただきたいと思います。


http://www.fuko.co.jp/tayori/tayori_021a.html

ハンナ・アーレント「暴力について」より

こういう文章に出会いました。

『暴力と権力が正面衝突する場合、、結果はほぼ明らかである。もしガンディーの途方もなく強力で上首尾に運んだ非暴力抵抗の戦略が、イギリスではなくて、別の敵――スターリンのロシア、ヒットラーのドイツ、さらには戦前の日本――にたいするものであったとすれば、結果は植民地からの脱却ではなく、大虐殺であり屈服であったことだろう。』


1:アーレントは ガンジーの 1947年の文章を 読んでいるのだろ  うか?

2:アーレントの文章 なにを言おうとしているのか よく分からない。前後を 丁寧に読み直してから コメントすることにしよう。



紹介:非暴力不服従(長谷部恭男)

・非暴力不服従

第三の選択肢として、外国軍隊の侵攻に際しては、政府の保有する自衛力で対抗するべきでもパルチザン戦で対抗するべきでもなく、組織的な非暴力不服従運動で対抗すべきだという立場がありうる。しかし、こうした組織的不服従運動が成功するためには、相手側が拷問や強制収容といったテロ行為によって組織の壊滅をはかることはないであろう、つまり相手方が占領活動にかかわる戦争法規を遵守することが前提となる。また、仮に運動に参加する市民に犠牲者が出た場合には、相手方がそれに良心の呵責をおぼえ、士気を阻喪するであろうほど、相手方の兵士の民度が高いという前提も必要である。

 相手方が戦争放棄を遵守するという想定は、戦争が「際限なき地獄」へといたるはずだという絶対平和主義の前提と衝突するし、一般市民の犠牲に両親の呵責を覚えるほど民度の高い相手であれば、わざわざ抵抗するまでもなく占領政策に協力する方が(つまり「チキン」としての態度を徹底する方が)社会全体の福祉の向上につながるのではなかろうか。

 結局のところ、組織的不服従運動が平和の維持と回復につながるという主張は、戦争と平和にかかわる問題の意義を劇的に小さくするほど、人類一般の理性と良識を信ずることができるという想定と結びついている。そこまで人類一般が理性的であり、良識的に行動するものであれば、われわれは戦争と平和について深刻に考える必要もないはずである。逆にいうと、そこまで人類の理性と良識を信ずることはできず、したがって戦争と平和にかかわる問題の意義は牛会われていないのだとすれば、組織的不服従運動が実際的に平和を回復する手段となるかは疑わしいということになる。


『憲法と平和を問いなおす』長谷部恭男(ちくま新書) 2004年

 第Ⅲ部 平和主義は可能か

  第7章 ホッブスを読むルソー  

  第8章 平和主義と立憲主義

   1 なぜ、そしてどこまで国家に従うべきなのか

   2 国家のために死ぬことの意味と無意味

   3 温和な平和主義へ

      温和な平和主義/パルチザン戦の遂行/非暴力服従/「善き生き方」としての絶対平和主義/「世界警察」、そして「帝国」/9条改正はほんとうに必要か?/平和的手段による扮装解決/修復的司法とその応用


防衛は市民の非暴力抵抗で

8月9日 いわき「平和のつどい」に参加し、展示・・・模造紙6枚・・・と 展示説明会・・・10分弱・・・で 《非武装・非暴力・不服従抵抗による防衛》を 提案させていただきました。

説明会は 主宰団体関係者35名ほど、配布した掲示の原稿(下記)に目を通しながら 集中して聞いてくださいましたが、質問や意見は ありませんでした。

展示を 丁寧に読んでくださった方は 数名というところでしょうか。

いずれにせよ このテーマについて 公衆の前で話させていただいたのは初めてです。  

 

防衛は市民の非暴力抵抗で

朝日・声蘭にあった投書です。(2015年2月21日)

『護憲ならば国民守る策を  

・・・論点は、改憲に賛成か反対かではない。国民を守る上で、最もリスクの低い具体策は何かということだ。その提案がない批判に説得力はない。護憲を主張してきた方々に、今こそ出番だとエールだけは送ろう。』


たしかに、憲法は、自由・権利を守る努力を国民に要請しています。

『憲法が保障する自由及び権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない』憲法第12条  

 しかし、これは、軍事力では不可能です。

非暴力平和隊・日本は市民の、 非武装・非暴力・不服従抵抗による自由と権利の防衛 を提唱しています。

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防衛以前に外交努力は必要です。しかし、戦争は 外交努力にもかかわらず 起きています。


では 軍事力で戦争を防げるのか?

抑止力・・軍備増強は 軍拡競争を導きました。そして、戦争へ。 

1次・第2次の大戦は、軍事同盟のために 世界大戦へと拡大したのでした。

専守防衛戦の例は 沖縄戦です。 民間人を巻き込む大きな被害を生みました。その結果は? 

先制攻撃は 真珠湾攻撃のように 全面戦争へと拡大したのです。 

これらは、ここ100年の世界の歴史が教えるところです。


他方、非武装・非暴力・不服従抵抗により自分たちの自由と権利を守ろうとする試みは ナチスドイツに侵攻されたデンマークやスウェーデンなどの北ヨーロッパ諸国や、ソ連に支配されていたポーランドやハンガリーなど東ヨーロッパ諸国、英国の植民地化であったインドなどで 貴重な経験をつみ重ねています。

この方向こそ、日本国憲法第9条、そして第12条とも 整合する防衛姿勢です。


非武装・非暴力・不服従抵抗にも、この先頭に立つ人や 共に積極的に行動する人には 拘束~生命の危険がありましょう。

しかし これは 戦火の下でのこれに数倍数千倍するであろう戦闘員や民間人の無残な犠牲を避けることになりましょう。そして、人類の歴史への貴重な貢献となりましょう。

残念ながら この考え方は、まだ 日本人に共有されるにいたってはいません。

が、今こそ、考えご覧になりませんか?                      非暴力平和隊・日本

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19424月、日本のインド侵攻を覚悟せざるを得ない時期の、ガンディーの言葉です

「日本軍が上陸した瞬間に、非暴力の抵抗を始めることになるだろう。  彼らは抵抗者を皆殺しにするすることも考えられる。けれども、侵略者もやがては精神的に、あるいは肉体的にも、非暴力の抵抗者を殺害するのに飽きるだろう。

侵略者は、刃向かわずに協力を拒否する、この新しい力とは何かを考え始めるだろう。」考えさせられる言葉です。

ガンディー、「非暴力の抵抗」(「わたしの非暴力 2」みすず書房 所収

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(参考文献)宮田光雄「非武装国民抵抗の思想」岩波新書 (サイト)非暴力防衛〈実行のための研究〉ネット





朝日新聞・声欄への投稿(不採用)です

(2015年2月)21日の(朝日新聞)声蘭に「護憲ならば 国民守る策を示して」という大事な投書が載っています。私はこう考えています。

外交努力は必要ですが、戦争は 外交努力にもかかわらず 起きました。軍備増強は 軍拡競争を導き、結果は?専守防衛戦は 沖縄戦のように 民間人を巻き込む 大きな被害を生み、しかもその結果は? 先制攻撃は 世界大戦へと拡大する可能性を高め、結果は? これらは、ここ100年の歴史が教えるところです。

残されたのは 国民が 非武装・非暴力・不服従抵抗による防衛・・・自分たちの自由と権利を守る覚悟を共有することしかないと思います。

この場合には この先頭に立つ人や これを支持して積極的に行動する人には 拘束~生命の危険がありましょう。

しかし これは 戦火の下でのこれに数倍数十倍するであろう無残な犠牲よりすくないでしょうし 人類の歴史への貴重な貢献となりましょう。

そして 軍事的に制圧した軍隊の兵士たちは 武力で抵抗はしないが命令に従わず沈黙の抵抗を続ける私どもから なにかを感じ 自分たちに指示する上官に疑問を感じるようになるかもしれません。

国際的にも 何らかの支援が 起きるかもしれません。

残念ながら 日本で この主張を 真っ向から唱える政党も団体も見えませんが、私は、以上のように答えさせていただきます。

『戦争の廃絶を実現可能な目標とするために』ジーン・シャープ著

この 時宜に適した文章が 一人でも多くの方の目に触れることを願って 「非暴力平和隊・日本」のサイトから 冒頭の部分を転載させていただきます。

『戦争の廃絶を実現可能な目標とするために』

Making the Abolition of War a Realistic Goal

Gene Sharp ジーン・シャープ著/岡本珠代・訳

【この日本語訳はThe Albert Einstein Institutionの承認を得ています】

発行:非暴力平和隊・日本(NPJ

 近代戦争はきわめて破壊的である、とだれもが認めている。それでもなお、大半の政府が、国民の支持のもとに、軍事力の増強に最大限の努力を払い続けている。戦争を廃絶し、世界平和を実現するために、今まで無数の提案や運動が試みられてはきたが、だれの目にも明らかなように、そのどれひとつとして成功していない。実に、戦争の廃絶と平和の実現という目標の達成は、今日では数十年前に比べて、重要な点でいっそう困難となった観がある。  もちろん、我われが解決できなかった重大な政治的課題はこの戦争の問題だけではない。ほかにも、独裁、大量虐殺、抑圧的体制、人民の無力、等の問題がある。これらの問題も、戦争の問題の解決策を探るにあたって、考慮に入れる必要がある。

 戦争が続行し、戦争準備が着々と進められているといった状況にたいしては、大方の人が、あきらめるか絶望するか無力感に陥ってしまう。「戦争は避けられない」と考えて、これを「人間の本性」や、お好みの「悪の力」のせいにする人がいる。他方では、戦争の廃絶を求めて、方角も確かでないのに、見果てぬ夢を追い続け、昔ながらの道をたどる人あり、目標めざして息をきらせる人あり、近道がないかと探す人あり、かえってアブハチとらずになりかねないのに、捨てばちの行動に走る人あり、実に様々である。  しかし、こういう対応のしかたはすべて不十分である。もっと創造的なやり方が可能なのだ。実際、それを練り上げる努力をするのが、我われの責任なのである。そうした対応策が、確固とした基盤に立って、現実に即して練り上げられ、実践されるならば、我われに新たな希望を与えてくれるのではないだろうか。  戦争の問題にたいする新しい対応策が、確固とした基盤を得るためには、まず、平和のために働らく人びとが滅多に考えない、次のような手ごわい事実の数々を考慮しておく必要がある。

• ある種の紛争は、社会の内部にも、社会と社会の間にも、常に存在し、ある種の力の行使を必要とする。

• 「人間の本性」を変える必要はなく、変えることもできない。

• 国民も政府も、平和のために、自由や正義を犠牲にしようとはしない。

• 平和主義への集団転向は起こりえない。

• 軍事技術と軍事的想定が相互関係にある時、軍事技術のスパイラルが切断されることはない。

• 残忍な独裁制や抑圧体制がなくなることはない。ますます残忍になり、ますます拡大していく可能性もある。

• たとえ資本主義が廃止になっても、その結果戦争がなくなるわけではない。

• 交渉は、戦闘し制裁を加える能力の代役にはなれない。

• 一方的「武装解除」(ディスアーマメント、自衛力の放棄)は、戦争に代わってとるべき第二の道ではなく、実現可能でもない。

• 大規模な多国間軍縮もほとんど実現不可能である。

• 国の独立が戦争の原因ではない。

• 世界政府は、実現できない。万一、世界政府ができても、いずれは世界内戦争を起こし、抑圧的となり、あるいは不正義を強いたり持続させるために利用される結果となる可能性がある。

 戦争の問題の解決策を探るにあたっては、ユートピア的幻想に基盤を求めてはならず、国際紛争の立て役者たちの政治的もくろみをうのみにしてかかることもやめねばならない。

以下は 「非暴力平和隊・日本」のサイトから お読みください。



はじめて 宮田光雄先生に お目にかかりました

 昨日 仙台・エマオで 講演があると聞き、伺いました。

 講演のテーマは「復活のキリストーシャガールの『緑の十字架』」でしたが、開会に際して「宮田先生のお勧めで」歌われた讃美歌「この世はみな」の歌詞に 現在の状況への先生と参加者の皆様のご姿勢を感じ 力づけられました。

「悪魔の力が 世に満ちても

 わが心に 迷いはなし」


 また、「非武装防衛に関心のある若い人がいるから」と お二人の方をご紹介いただきました。


 ありがたい機会でした。