岩波新書「平和の政治学」(石田雄)を読みました
笑われましょうが、1968年にに、こういう本が書かれていたこと、その本を古本屋で買い(100円のラベルが裏表紙に)、そして誰かに読まれることを期待して(捨てずに)「不要本棚」に置いた人が いわきに居る(居た?)ことに 感動しています。
私の最大関心事である 「市民的不服従」については「最後の抵抗形態としての市民的不服従」として、そして「非武装防衛」については「非武装の、、政治的可能性」として、(観念的・感情的にではなく)政治学的に慎重に検討してあります。
そして、50年も前の本なのに、少しも「古く」感じませんでした。
私が33歳のときに出版された本。
当時の私は 閉山3年前の炭鉱の生き残りのためにじたばたすることが生き甲斐になっていて、こういう本の広告にも書評にも目が向かず、また、若し読んだとしてもピンとこなかっただろうと思います。
しかし、分かり易い文章、良い本だと思いました。
松島泰勝「琉球独立への道」より
「それではどのように独立するのか。インドのように非暴力主義、非協力主義によって独立する方が琉球にとって最良の方法であると考える。琉球には米軍、自衛隊が駐屯している。・・・武力蜂起しても軍事的には勝ち目はない。・・・しかし、非暴力運動を暴力で鎮圧することは出来ない。非暴力運動は、琉球人一人一人の信念と意思に基づいており、・・・・・非暴力によって琉球人は人間としての威厳や誇りを維持し、取り戻すことが出来る。」
松島泰勝「琉球独立への道」法律文化社
(第7章 琉球自治共和国の将来像 2、琉球独立のための前提貢献 2 なぜ、どのように琉球は独立するのか)より
良心的兵役拒否の思想(抄) (全集第12巻) 阿部知二 などを読んで
『良心的兵役拒否の思想(抄)』 (阿部知二全集第12巻) 河出書房新社
「良心的兵役拒否・・・何でもかでも戦争はいやだ、といって回避するものではない・・・自分の良心に問いただして絶対に正しいという確信が出てこなければならぬ・・・いたずらに生命を惜しむ卑怯な態度をとることはゆるされず、時としては戦闘員にまっさるほど勇敢でなければならぬ・・・戦争を前にして身を引いてかばう態度ではない。」268㌻
「1950年の夏に・・・イギリス・・・クエーカー・・・もし、あくまで戦争を回避したためにコミュニストが征服にきたらならば・・・非暴力の道によって抵抗して彼らを改めさせてうち勝つであろう」269㌻
『ヨーロッパ紀行(1950年)』「教徒の村など」という章に、
「「戦争の惨害をうけるほどならば、いっそコミュニズムの下になったほうが」といった。(中略)こういう英人の言葉の底には、よしんばコミュニズムの下に置かれても、自分たちは決して「1984年」に描かれたような社会を実現させるのではなく、遅かれ早かれ、その恐ろしい全体主義的なレジュームをはね返して、やはり自由とヒューマニズムとを生かした世の中を、その環境の中にあって復活させるであろう、という意思と自信とを腹にもった上での言葉である、と私は感じた。」50㌻
「予はこの天理によりて戦うもの」(田中正造)
田中正造さんの言葉
「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。その戦うに道あり。腕力殺戮をもってせると、天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり。」
(1913年9月4日の昼下がり、彼は生涯を捧げた河川調査の途上、倒れた知人宅で亡くなった。その少し前の日記にはこう書かれている。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://blog-imgs-46.fc2.com/s/i/m/simanto114/103849.jpg
斉間(さいま) 満(みつる)
「原発の来た町・・・原発はこうして建てられた・・・伊方原発の 30年」
南海日日新聞社
----------------------
はじめに
2006年 10月 17日、愛媛県八幡浜市と伊方町を購読エリアとするローカル紙「南海日日新聞」の社主であった斉間満さんが永眠されました。斉間さんの著書『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の 30年』は、2002年5月、南海日日新聞社から刊行されましたが、いまは在庫切れとなっています。
この本をぜひもっと多くの人に読んでもらいたいと考えた反原発運動全国連絡会では、斉間さんの承諾を得て、いくつかの出版社と相談し、新しい本として出版できるよう本文の記述を年代順に並べかえるなどの編集作業を行ないましたが、残念ながら販売の見込みが立たず、頓挫してしまいました。
出版が難しい中、それでもできるだけたくさんの人に読んでいただきたく、ここに掲げさせていただきます。
なお、「南海日日新聞」は匿名報道の実践でも知られる新聞で、斉間さん著『匿名報道の記録―あるローカル新聞社の試み』が2006年6月、創風社出版(愛媛県松山市みどりヶ丘9-8、 089-953-3153)から刊行されています。併せてお読みいただければ幸いです。
2006年 10月 反原発運動全国連絡会
【 目 次 】
まえがき 小出裕章
年表・伊方原発をめぐる動き
Ⅰ.原発はこうして建てられた
伊方原発誘致ドラマの幕開け
反対決議を無視 漁協総会のてんまつ(その一)
海は奪われた 漁協総会のてんまつ(その二)
原発が来た町の最初の犠牲者
不当な住民弾圧のはじまり
◆一号炉訴訟に判決(西園寺秋重)
Ⅱ.安全協定無視の三号炉建設
八人を逮捕したのは警察か海上保安部か
三号炉建設へ
金をめぐる争い
魚大量死
◆一号炉訴訟控訴審判決(近藤誠)
Ⅲ.出力調整試験
反原発ステッカー事件
針金一本切ったとして逮捕
原発真近への米軍ヘリコプター墜落事故
Ⅳ.伊方原発のいま
金を巡って四電VS県・伊方町がバトル
◆一号炉訴訟最高裁判決(広野房一)
伊方原発沖に横たわる活断層
町長選挙の裏に原発利権
使用済み燃料、六ヶ所へ
JCO事故の後で
◆二号炉訴訟に判決(中野正明)
Ⅴ.原発と地域
原発で町はどう変わったか
事件・怪奇な出来事
あとがき
著者紹介
まえがき
1978年4月25日、松山地方裁判所の玄関から「辛酸亦入佳境」の垂れ幕を持った住民が飛び出してきた。73年から始まった四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)二号炉の設置許可取消しを求める裁判で住民が敗訴した瞬間であった。この垂れ幕の言葉は1907年6月、谷中村の強制破壊を前に田中正造が書いたものであった。
19世紀から20世紀に移る頃、日本は日清・日露の戦争を勝ち抜き、列強諸国の仲間に入ろうとしていた。そのためには鉱工業を中心に国内産業を飛躍的に増大させることが必要とされた。栃木県足尾の銅山はその中心を担ったが、鉱山の鉱毒は渡良瀬川下流一帯の田畑を汚染し、多数の農漁民の命を奪った。田中正造は帝国議会の議員として10年にわたって、国と企業が一体となった自然破壊と人民殺戮を告発し続けた。
しかし富国強兵の名分の前に議会は無力であり、人民の被害はますます拡大した。1900年2月17日、正造は「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」を提出して議会を捨てる。
その中で彼は「民を殺すは国家を殺す也。法を蔑ろにするは国家を蔑ろにする也。皆自ら国を毀つ也。財用を濫り民を殺し法を乱して而して亡びざるの国なし、之を奈何」と書いた。
東京を流れる江戸川に鉱毒が拡大するのを嫌った政府は、利根川・江戸川の分流点であった関宿で河川改修工事をして渡良瀬川を現在の利根川に流すとともに、谷中村を水没させて鉱毒溜にしようとした。正造は「谷中問題は日露問題より大問題なり」として谷中村に入村、弾圧される村民に全身全霊をかけて寄り添った。しかし、国・企業・官憲一体となった攻撃で村民の住居は強制破壊され、村は水底に沈められた。以降、正造は利根・渡良水系の河川調査を進め、自然を守ることの大切さを説き続けた。
1913年9月4日の昼下がり、彼は生涯を捧げた河川調査の途上、倒れた知人宅で亡くなった。その少し前の日記にはこう書かれている。
「対立、戦うべし。政府の存立する間は政府と戦うべし。敵国襲い来たらば戦うべし。人侵入さば戦うべし。その戦うに道あり。腕力殺戮をもってせると、天理によって広く教えて勝つものとの二の大別あり。予はこの天理によりて戦うものにて、斃れてもやまざるは我が道なり。」
伊方原発を含め日本の原子力発電はエネルギー需要を満たすために必要だといわれる。その大義を振りかざす国の周りには、利権を求める集団や個人が集まり、権力・金力をふんだんに使って住民から土地と海を奪った。伊方原発は動きはじめ、そして今も動き続け、裁判も敗訴した。斉間さんが本書で詳細に、ある時は淡々と、ある時は怒りを込めて事実を書き留めているように、行政・議会・司法、そして警察・さらに学者までが一体となった原子力の推進は苛烈であり、住民の力はあまりにも弱い。刀折れ矢尽きるように、いや住民ははじめから刀も矢も持たず、ある時は警察に弾圧され、ある時はだまされ、ある時は私財を抛ったあげくに倒れていった。残った者も自分の命を削るように抵抗を続けてきたが、闘いの当初若者であった人々もいまや老年にさしかかってきた。
斉間さんは1969年伊方原発の誘致話が表面化して以降、ほとんど自らの一生をかけてこの問題に取り組んできた。新聞記者として、一人の住民として、裁判の原告として長い長い闘いであった。その彼も二号炉訴訟の判決を前に病に倒れ、本書は闘病中の力を振り絞っての刊行である。正造さんが最後まで闘いをあきらめなかったように、斉間さんの闘いも彼の生命のあるかぎりこれからも続くであろう。
詳細な事実を記録し広く知らせるという本書のような闘いは、余人をもって為しがたいものであり、斉間さんがこの時、この場所に生きていてくれたことをありがたく思う。
ただの庶民たちにとって、苦難の歴史は今後も繰り返し、長く続くであろう。しかし、斉間さんが担ってきた闘いこそ「天理によって広く教え」るものであり、「斃れてもやまざる」闘いである。斉間さんに幸あれ。伊方の住民たちに幸あれ。
2002年2月25日 記
京都大学原子炉実験所 小出裕章
『ガンディー 「知足」の精神』を読んで
高校生時代の先輩に、「サルボダヤ」という雑誌の2011年10月号(日印サルボダヤ交友会)をいただきましたら、その巻頭に、この文章が載っていました。
見出しに、「非暴力が生の理法として受け入れられるとき」とあり、6項目からなっています。
そのうち、第3,4 の項目は 私が 求めているものを指し示してくださる言葉でしたので 掲載させていただきます。
3 非暴力は、人の自尊心や名誉心を完全に保護してくれるが、土地や動産の所有権をかならずしも守ってくれ
るとは限らない。もっとも、つねに習慣的に非暴力を実践することは、土地や動産を守るために武装警備兵を
雇っておくよりも、はるかに堅牢な防壁をめぐらすことになるのは、言うまでもないが。(略)
4 非暴力を実践しようとする個人や国家は、名誉以外のすべて(国家のばあいは最後の一人までも)を犠牲に
する覚悟がなければならない。したがって非暴力は、他民族の国を領有しようとする、すなわち近代的帝国主
義とはあきらかに相容れない。なぜなら、近代的帝国主義は、防衛のためにはあからさまに力[軍事力]にたよ
るからである。
森本達雄編訳 『ガンディー 「知足」の精神』(人間と歴史社)より
ガンディーは インドを どう防衛しようと考えたか
2011,10,16
ガンディーは インドを どう防衛しようと考えたか
日本の防衛は 非武装の市民による非暴力抵抗で(参考)
ガンディーに、「非暴力の抵抗」(「わたしの非暴力 2」みすず書房 所収)という文章があります。
これは、1942年4月「ハリジャン」に掲載された短い文章です。
非暴力抵抗について一般的に論じているのではなく、日本のインド侵攻を覚悟し、これにどう対応するかという緊迫した条件下での、具体的な行動を説いています。
ガンジーは、ここで、このように書いています。
「日本軍がわれわれの戸口にまで迫って来ている。
非暴力の手段をもって、われわれは何をなすべきだろうか?
われわれが自由な国民であるならば、日本軍を国内に侵入させないように、非暴力的に自体を収拾できるだろう。(*1)
ところが実際には、日本軍が上陸を果たした瞬間に、非暴力の抵抗を始めることになるだろう。
非暴力の抵抗者は、彼らにどんな援助をも、水さえも与えることを拒否するだろう。・・・・もし日本軍が水を与えよと強要するならば、抵抗者たちはあくまでも抵抗して死ぬにちがいない。
彼らは抵抗者を皆殺しにするすることも考えられる。
けれども、このような非暴力の抵抗の根底には、侵略者もやがては精神的に、あるいは肉体的にも、非暴力の抵抗者を殺害するのに飽きるだろうとの信念が潜んでいるのである。
侵略者は、刃向かわずに協力を拒否する、この新しい力(彼にとって)とは何かを考え始めるだろう。
そしておそらく、それ以上の殺戮は断念するだろう。
けれども抵抗者たちは、日本人が全く無慈悲で、どれだけの人間を殺しても平気でいるのを見ることになるかもしれない。
それでもなお非暴力の抵抗者は、屈従よりも全滅を選ぶだろうから、かならずや最後の勝利をかち得るだろう。」
このあと、ガンジーは、英国人とその軍隊、日本軍の宣言を信じるインド人、中立主義者という三つのグループの存在に言及します。
そして、
「終わりに四番目のグループは、非暴力の抵抗者たちである。
彼らの数がほんのひと握りしかないとしたら、彼らの抵抗は、未来への鑑として意味をもつほかは効果はないだろう。・・・どんな環境のもとでも、非暴力のみが人間に正義をなさしめるものであることを、彼らは信じている。
それゆえに十分な数の同志が得られないために、非暴力の抵抗者たちが目的を達成できなくとも、彼らはその道を放棄することなく、ひたすら死に至るまで追求するだろう。」
これが前半ですが、ここにも強い信念の人であることに感嘆するとともに、足が地についた政治指導者としての面にも、考えさせられます。
例えば、(*1)の部分からは、「若し、インドが独立国であれば、外交によって」という思いを読んで間違いないと思います。
又、後半でも、あの広いインドで、
「ケララ(インド最南の州)の抵抗者は、いま差し迫った危機に直面しているアッサム(1942年3月には、日本軍はインド北部のアッサム州国境にまで迫っていた)の防衛に」どう対応すべきか、
「英国軍が実際に『敵』と交戦しているところでは」どうするべきかなどについて、具体的に述べています。
そして、最後の部分では、
「非暴力の準備をする、あるいはそれを表現する最上の方法は、断固として建設的プログラムを追及することにある。
(中略)
わたしはいまだに、わたしの心に描く非暴力から遥か遠くにいる。
それは、わたしが理想としている、もの言わぬ民衆との敢然な一体感から、いまなおほど遠いからだろうか?」
と結んであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在の日本は、この時期のインドのように、どこかの国の侵攻に晒されているわけではありません。
それでいて、何かに怯えています。
防衛庁を防衛省に格上げし、毎年5兆円規模の予算を計上して世界最高レベルの兵器を調達し続けている・・・・
「日本が沖縄に米軍にとって使い勝手の良い基地を提供しないなら・・・」と言われただけで、鳩山首相の首を差し出し、「市民派」を名乗る菅首相は「日米同盟絶対論」を高唱する。
これは、残念ながら、国民世論の反映でもあると思います。
新聞の世論調査に示される日本人の「憲法9条維持」は、憲法本来の趣旨とは似ても似つかないもの、単なる「自分と身内のものは犠牲にしたくない」というものになっているのではないでしょうか。
私たち、日本の憲法に、本当の平和主義を見出し、これを日本の政治・外交のありようの基礎にしようとするものは、今のうちに、
「非暴力(防衛)の準備をする」
ために
「断固として(非武装市民による非暴力抵抗による防衛)の建設的プログラムを追及する」
ことを開始すべきではないでしょうか。
「わたしはいまだに、わたしの心に描く非暴力から遥か遠くにいる。」
のです。
「わたしが理想としている、もの言わぬ民衆との敢然な一体感から、いまなおほど遠い」
ことを 十分自覚して、努力し続けなければならないと思います。
(鞍田 東)
私たちは、大事な課題を「想定外」にしていないか?
2011,10,17
私たちは、大事な課題を「想定外」にしていないか?
日本の防衛は 非武装の市民による非暴力抵抗で(補論)
今回の東北大震災では さまざまな課題が「想定外」であったといわれました。
そして、その後、明らかになったのは、それらのことは「想定」されていたのに、敢えて論ずることを避けていた、いわば、目を瞑っていたのだということでした。
私どもは、国会の絶対的多数を占める憲法第9条を改変しようとする政治勢力と、第9条維持という「世論」をたよりに、辛うじて対峙しています。
現在、私は、私たちが「想定外」としている問題があり、これによって足を掬われ、改定論の津波に呑み込まれることを恐れています。
問題の一つは、在日米軍基地の撤去・縮小(乃至、日米安全保障条約の解消)という事態の可能性、もう一つは、近隣諸国との軍事的紛争(乃至衝突)の可能性です。
私たちは、このようなありうる事態を想定し、これへの正しい対応として、非武装の市民による非暴力抵抗を、公然と提唱し、軍事的対応しか念頭にない人たちがこれを唯一の選択肢として認識し、国民的合意となるような努力を開始すべきだと思うのです。
私の提案には、むしろ有害な問題提起だというご意見もありますが、どうお考えでしょうか。ご批判、ご意見をお聞かせいただけますと幸甚です。
前提 国民に潜む軍事力信仰を意識すべきです
日本の戦後は、米軍の圧倒的な軍事力への無力感で始まりました。
憲法制定時における憲法第9条・・・非戦・非武装への違和感のない賛同も、一部有識者を除けば、その延長上にあったと思います。
いわば、軍事力信仰は昇華せず、「アメリカと戦争をしてもかないっこない」という形で心の底に潜んだのでした。
ですから、潜在敵国が、アメリカからソ連・中国と変わったとき、全面講和論は、日米安全保障条約と抱き合わせのサンフランシスコ講和条約へという流れに敗れたのでした。
そして、一昨年、民主党・鳩山政権が、普天間基地の国外移設を政策課題にあげ始めるや否や、政治家・新聞・テレビは、一斉に「自主防衛努力」の必要を論じ始めました。
このような論調は、新聞の投書論にも登場しています。
その後、何があったのか、歴代の民主党政権は、かっての自公政権以上に臆面もなく「日米同盟絶対論」「対米軍事協力のための改憲論」を唱えるようになり、「自主的軍事力強化論」は後退しています。
しかし、国民の軍事力信仰が決して消えていないこと、世論調査の「第9条支持 相対的多数」の危うさを感じた一時期でした。
他方、多くの国民は、外交的努力による平和維持が行き詰まった場合には、誰か・・・国連軍・米軍・自衛隊の軍事力に「守ってもらう」ことを期待するのみです。
しかし、「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」(憲法第12条)はずです。
われわれ非武装の市民による非暴力抵抗による防衛という方法があるのですから。
1:在日米軍基地の撤去・縮小という事態の可能性を想定に
アメリカも日本も、国家財政は、とても厳しいものになっています。
アメリカ政府は、軍事費の見直しを要求する議会に、「日本に米軍基地を置いているのは、安くつくからだ」と説明しているそうですが、これを支えている日本の米軍基地への協力・「おもいやり」予算も、震災・津波災害の復旧と原発事故の収拾の費用との兼ね合いで、国民の目が厳しくなりましょうから、現状が維持される保障はありますまい。
同時にアメリカ政府は、中国と虚虚実実の駆け引きをせざるを得ない状況にあるようですから、その駒のひとつでもある在日米軍基地のありようは、「日本が日米同盟絶対論を唱えるから維持しつづけよう」などという次元のもんだいではないと考えます。
私たちは、残念ながら私たちの努力によってではなく、米国政府の都合で・・・日本政府の熱望に反して、在日米軍の縮小、場合によっては前面撤退という事態が生じる可能性を、想定しているでしょうか?
その場合、軍事力信仰が潜伏している国民の中から澎湃として湧き上がってくるであろう「自主防衛努力強化論」を、そして「第9条改定論」を。
わたしは、とても困難ではありますが、この事態を想定しておかなければならないと思います。
これが起こってしまってからでは、手遅れとなるからです。
2:近隣諸国との軍事的紛争の可能性を想定に
現行憲法に異議を唱える論調の一つに、憲法前文の「平和を愛する 諸国民の公正と信義に信頼して」という一段への批判があります。
しかし、私は、「国家」ではない諸「国民」には平和を望む気持ちがある筈だ、これを信頼しようというこの前文の姿勢を支持します。
とはいえ、これら諸国民とこれらの国を統治している政治権力の現状には、今の日本以上のものを期待するべきではないでしょう。
現に、近隣アジア諸国は、太平洋戦争後も、お互いに戦火を交えています。
南北朝鮮戦争をはじめ、中国・ソ連国境紛争、ベトナムのカンボジア侵攻、中国:ベトナム国境紛争、中国:インド国境紛争・・・
これらの紛争は、それぞれの政府のさまざまな内政・外交上の思惑があってなのでしょう、外交的手段を踏み越えて起こされています。
島国・比較的安全といわれている日本も、平和条約が締結できないでいるロシアとの間をはじめ、漁業・海底資源問題で離島を領土とすることの意義が大きくなったこともあって、既にいくつかの領土(国境)問題を抱えてしまっています。
更には、言葉の上とはいえ軍事的威嚇を公言している国があり、また、日本の海上貿易の航海ルートが領海紛争のあるゾーンを経由していて紛争に巻き込まれる可能性なども含め、何らかの軍事的紛争が生ずる可能性を、想定外とすべきではないと考えます。
あらかじめこれを想定し、その場合の基本的な対応姿勢を明確にしておかないと、何かが起こった場合、国民が一挙に軍事的暴走を支持し、あるいは政府に対して積極的に軍事的対応を要求するようになった場合、私どもの対応が遅れる、あるいは対応不能となる可能性があると思うからです。 (鞍田 東)
小冊子草稿「日本の防衛は 非武装の市民による非暴力抵抗で」(2)
(4)今まで なぜ「非武装の市民による非暴力抵抗」の
準備がされてこなかったのでしょうか
私は、主な理由は 次の二点だったのではないかと思います。
一つには、これが、私たち市民に、非常な努力を求めるものなので、これを唱えることで、幅広い九条改憲に反対している人たちのうち、かなりの方々が脱落することへの恐れへの懸念です。
もう一つは、防衛を論ずるというのは、即「仮想敵国」を想定することになり、これはそのこと自体、平和的ではないという考え方です。
これらのご意見を、私は、頭から退けようとは思いません。
しかし、私は、その結果として、「攻められたらどうするか?」という普通の市民の素朴な疑問に向き合うことに立ち遅れ、鳩山民主党政権の「自らの防衛姿勢を確立し、米軍占領状態からの脱却を」という姿勢に載せられてしまいかねない情況を招いている状況を、先ずは直視すべきだろうと思っているのです。
(5)「非武装市民の非暴力抵抗による防衛」という考えの歴史
念のため、宮田光雄・寺島俊穂のお二人の著書から、非武装防衛・非暴力防衛という思想と現実についての歴史を、極く短く紹介させて抱きます。
1886年 トルストイ「イワンの馬鹿」
1906年 ガンディー 南アで サッティヤーグラハ運動開始
1910年「真の独立への道」ガンディー
1915年「戦争と無抵抗」バートランド・ラッセル」
1923年 ルール闘争
1934年「非暴力の力」リチャード・グレッグ
1940~年 ナチス占領下のオランダ・デンマーク・ノルウエー
1964年「市民的防衛」アダム・ロバーツ
1968年 チェコ事件
1871年「非武装国民抵抗の思想」宮田光雄
1972年「武器なき民衆の抵抗」ジーン・シャープ
2004年「市民的不服従」寺島俊穂
しかし、日本では、このような考え方があるということさえも、常識になっていません。
例えば、2007年8月15日放映の『日本の、これから』(NHK)で、憲法九条に関して「本当に、日米安保も自衛隊もなくして、丸裸の状態になり、それでもやっていく覚悟があるのか。あるのならわしはそれに賛同しますよ?」という小林よしのりの発言に対して、改憲反対が半数は居たはずなのに、一人も、受けて立つ人がなく、テレビの前で呆然となったことがありました。
又、宮田光雄「非武装国民抵抗の思想」が、1971年に岩波新書という極めて影響力が強い出版物として刊行されてから、40年を経過しているのに、まだ「思想」に止まっていて、「具体的な検討・準備」への着手がなされていないのです。
(6)差し当っての課題
1)ともかく スローガンとして 国民の耳に!
この言葉を始めて耳にしたとき、様々な意味で「奇異」に感じる方が、多いのではないかと思います。
私も、びっくりしたことを覚えています。
私は、すぐに「賛成!」の声があがること、そしてそれが多数となることを期待してはいるわけではありません。
まず、「奇異」に感じ、驚いていただくこと、そして、何らかの疑問~なんらかの反対の意見が出てくることが必要だと思います。
そのためにこそ、ご賛同いただける方には 様々な機会をとらえて 積極的に発言していただきたいと思うのです。
若し、何らかの反応がありましたら これを元に 更に 考えを深めてゆきたいものです。
2)何らかの組織づくり・・・のための構想を 考えませんか?
「非武装市民による非暴力防衛」、これは、国会で何らかの「法案」を議決すれば良い、という問題ではありません。
それぞれのからにとって、「自分は、どのような場合、どのような形で、一市民として、非武装で非暴力防衛に当るか」という問題であり、全ての国民が、そのような考え方で、心から一致するようになる必要がある、という問題です。
そのような難しいゴールを目指して、志を持つ~持ちたいという市民が、どのように繋がりあい、学びあい、仲間を増やしてゆくかというのが、組織論だということになりましょう。
これは、どのようにして、始めればよいのでしょうか?
先ずは、何らかの、様々なネット形式のものになるかと思いますが、皆様のお考えを伺いたいものです。
3)各論についても、回避せずに、討議を開始しましょう
様々な反論~疑問が提起されましょう。
例えば、ミサイル・空爆などの威嚇への対応、ゲリラ的侵攻への対応策、国境紛争の解決方法、領海侵犯への対応、所謂「シーレーン防衛」について、等々。
これらについても、世界中でなされているであろうさまざまな努力に学びながら、広い分野の方々の英知を結集して、一つ一つ研究し、討議し、解決の方向を見いだしてゆくという作業も、開始すべきではないかと考えます。
おわりに
このような未熟な提案を持ち出すこと、誠に恐縮ですが、恐らくは、各方面に、憂いを同じくする方が居られることを信じ、これが集まって、日本ならではの新しい歴史の流れを生み出してゆくための一石となることを願って、このリーフレットを、お届けいたします。
どうぞ、宜しくお願い致します。
鞍田東 1935年生 元会社員 福島県いわき市在住
浄土真宗・僧侶 非暴力平和隊日本・会員
(小冊子・草稿)日本の防衛は 非武装の市民による非暴力抵抗で(1)
「何方か 何らかの小冊子を」と願っていましたが、まだ、見つけかねていますので、僭越ですが、私なりに、草稿(叩き台)を纏めてみました。(A5版、8ページに収めるつもりのものです)
内容についてのお叱りは覚悟のうえです。
ご指導ご鞭撻を 心からお願い致します。 合掌
2010,1,20
日本の防衛は 非武装の市民による非暴力抵抗で
・・普天間基地問題の報道について想う・・
普天間基地移設問題について 新聞を読み テレビを見ていて 心穏やかでありません。
例えば、1月13日の朝日新聞・オピニオンのページで、川上高司さんが「五月末までに結論を出すには・・・自衛力を高め、抑止力の一部を担うことだ。」と論じています。
私は 「非武装市民による非暴力防衛」という 殆どの日本人が逃げている選択肢を提示することなしに 普天間を論じ 行動していると 鳩山改憲へと繋がるこういう落とし穴に落ちるのではないかと とても心配です。
このような日本に なぜなってしまったのか?
私は その責任の一半は 所謂「平和・護憲」勢力にあると考えています。
この人たちは 何故か 日本の防衛について まともに論じることを「回避」してきました。
難しい問題ですが 先達の書き物に学びながら 私なりに問題を提起させていただきたいと思います。
(私が学ばせていただいた参考文献から)
阿木幸男「非暴力」現代書館
L・S・アプシー「平和を造りだす力」新教出版社
宮田光雄「非武装国民抵抗の思想」岩波新書
マイケル・ランドル「市民的抵抗」新教出版社
小林直樹「平和憲法と共棲六十年」慈学社
寺島俊穂「市民的不服従」風行社
(1)自由と権利は 誰かに守ってもらうものではない、
自分で守るべきものだ と思います
アメリカの独立宣言・フランスの人権宣言は、人民が自分の自由と権利を 自らのものとするためのものでした。
日本もその憲法第12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなけれなならない。」と謳っています。
しかし、哀しいことに、この憲法が、必ずしも市民の力でかち取られたものではなかったためでしょうか、その精神は、日本人の思想にはなりきれていないのではないかと感じます。
そして、憲法の前文と第九条も さまざまな戦争の苦難を経験した日本人の多くは ただ「自ら戦争を始めさえしなければ 余計な苦労をしなくても済む」というだけの受け止め方が精一杯だったのでしょう。
そして、講和条約締結(独立)にもかかわらず、米軍が日本駐留(占領継続)を続けていることにも、迷惑と感じこそすれ、大きな違和感は感じないで来てしまったのではないでしょうか。
(2)対米対等外交指向の中で
鳩山民主党政権は 米国・オバマ民主党政権の不透明な世界戦略と決別するまでの覚悟はないようですが、日本が敗戦・占領の事実上の継続状態にあることへの違和感、出来ればこれから脱却したいという指向を持っているように感じます。
この点は、米国の外交・軍事戦略に全面的に従属することが唯一の選択肢だと考えていた従来の自民党政権とは違いがあると考えます。
そして その方向が 「国連中心外交」、「駐留無き安保」などという発言、そして今回の普天間基地問題への従来と違う対応となって現れているようです。
ただ、これらの「根っこ」にあるのは、軍事力が 平和の維持・防衛のための最大で決定的な手段だという考えです。
これは 何も米国、或いは自民党・民主党だけの考えではありません。
ある意味では 世界の常識であり、非軍備を謳う現行憲法の下にある日本人さえも、日米安保条約を、自衛隊の存在・強化を認めるなど 実は同じ考えだったのです。
この「根っこ」にまともに対峙しないままに 民主党の対米対等外交を支持 乃至傍観していると、その先には 普通の国・・・憲法改正が待っていましょう。
今こそ 日本人の 軽武装+米国の軍事力という態勢が「平和国家」日本の当然の状態であるかのような錯覚・自己欺瞞状態に向き合い、あるべき選択肢を 勇気を持って採択するよう訴えなければならないと考えるのです。
(3)唯一の選択肢は「非武装の市民による非暴力抵抗」です
日本軍は 沖縄の人たちを守れませんでした。日本各都市の人たちが空襲に晒されるのを、広島・長崎の人たちへの原爆投下を、中国東北部(満州)にいた日本人開拓民を守れませんでした。
軍事力・軍隊に 人々の自由や権利を守る力があるというのは 錯覚に過ぎません。
他方、ナチスドイツ占領下のヨーロッパ各国やソ連支配下の東欧諸国では、ドイツやソ連の軍隊・官僚ではなく、その手先になったその国の人たちによって支配がなされていたのです。
そして、国による違いはありましたが 市民の不服従・非暴力抵抗は、占領・支配の足元を崩していました。
若し、占領者の手先になるものが現れず、又、予め準備・訓練された市民の不服従・非暴力抵抗が徹底したものになっていたら、どうなっていたでしょうか?
自ら始めた戦争により 中国はじめアジア各国の人たちに途方もない損害を与え、そして日本でも多くの非戦闘員が多大な損害を蒙ったという経験が、現在の日本国憲法に反映されています。
占領米軍のリードによるものであったとはいえ、概ね民主的といえる手続きで選出された日本の議会は この世界の歴史・常識からは有り得ないこの憲法を圧倒的多数で支持したのです。
そして さまざまな紆余曲折があり ぼろぼろと評するひとがあるにもかかわらず、この憲法を維持し続けていることは、アジアでも アラブ世界でも 概ね肯定的に評価されているのです。
であれば、60年続いたこの歴史的実験を、苦しくても、矮小化させず、貫き継続することが、日本の歴史的使命であり、後世の人たちへの誇りとすることが出来るのではないでしょうか。
とても 不安です! いまこそ「非武装市民による非暴力防衛」の高唱を!
これは World Peace Now のメーリングリストに投稿したものです(Thursday, January 14, 2010 7:34 AM)
(一部分 略)
昨13日の朝日、オピニオンのページで 川上高司さんが「五月末までに結論を出す には・・・自衛力を高め、抑止力の一部を担うことだ。」と論じています。
私は 「非武装市民による非暴力防衛」という 殆どの日本人が逃げている選択肢を提示することなしに 普天間を論じ 行動していると 鳩山改憲へと繋がるこういう落とし穴に落ちるのではないかと とても心配です。
そう おもってしまうと、昨日のテレビでの クリントン国務長官の 岡田外相と笑顔で会談しながら 普天間問題に強硬な記者会見をする という画面は 日本人をこの落とし穴へ誘導するための 「やらせ」ではないかとさえ 見えてきます。 合掌
追伸
「逃げている」といいましたのは 例えば ご覧になったと思いますが、2007年の8月15日の『日本の、これから』で、九条護憲に関して 小林よしのりさんが、「本当に、日米安保も自衛隊もなくして、丸裸の状態になり、それでもやっていく覚悟があるのか。あるのならわしはそれに賛同しますよ?」と発言したのに対して、九条改憲反対が半数は居たはずなのに、一人も、受けて立つ人がなく、テレビの前で呆然となったことがありました。
又、宮田光雄「非武装国民抵抗の思想」が、1971年に岩波新書という極めて影響力が強い出版物として刊行されてから、40年を経過しているのに、まだ「思想」に止まっていて、「具体的な検討・準備」への着手が 全く なされているように見えないのです。