ガンディーは インドを どう防衛しようと考えたか
2011,10,16
ガンディーは インドを どう防衛しようと考えたか
日本の防衛は 非武装の市民による非暴力抵抗で(参考)
ガンディーに、「非暴力の抵抗」(「わたしの非暴力 2」みすず書房 所収)という文章があります。
これは、1942年4月「ハリジャン」に掲載された短い文章です。
非暴力抵抗について一般的に論じているのではなく、日本のインド侵攻を覚悟し、これにどう対応するかという緊迫した条件下での、具体的な行動を説いています。
ガンジーは、ここで、このように書いています。
「日本軍がわれわれの戸口にまで迫って来ている。
非暴力の手段をもって、われわれは何をなすべきだろうか?
われわれが自由な国民であるならば、日本軍を国内に侵入させないように、非暴力的に自体を収拾できるだろう。(*1)
ところが実際には、日本軍が上陸を果たした瞬間に、非暴力の抵抗を始めることになるだろう。
非暴力の抵抗者は、彼らにどんな援助をも、水さえも与えることを拒否するだろう。・・・・もし日本軍が水を与えよと強要するならば、抵抗者たちはあくまでも抵抗して死ぬにちがいない。
彼らは抵抗者を皆殺しにするすることも考えられる。
けれども、このような非暴力の抵抗の根底には、侵略者もやがては精神的に、あるいは肉体的にも、非暴力の抵抗者を殺害するのに飽きるだろうとの信念が潜んでいるのである。
侵略者は、刃向かわずに協力を拒否する、この新しい力(彼にとって)とは何かを考え始めるだろう。
そしておそらく、それ以上の殺戮は断念するだろう。
けれども抵抗者たちは、日本人が全く無慈悲で、どれだけの人間を殺しても平気でいるのを見ることになるかもしれない。
それでもなお非暴力の抵抗者は、屈従よりも全滅を選ぶだろうから、かならずや最後の勝利をかち得るだろう。」
このあと、ガンジーは、英国人とその軍隊、日本軍の宣言を信じるインド人、中立主義者という三つのグループの存在に言及します。
そして、
「終わりに四番目のグループは、非暴力の抵抗者たちである。
彼らの数がほんのひと握りしかないとしたら、彼らの抵抗は、未来への鑑として意味をもつほかは効果はないだろう。・・・どんな環境のもとでも、非暴力のみが人間に正義をなさしめるものであることを、彼らは信じている。
それゆえに十分な数の同志が得られないために、非暴力の抵抗者たちが目的を達成できなくとも、彼らはその道を放棄することなく、ひたすら死に至るまで追求するだろう。」
これが前半ですが、ここにも強い信念の人であることに感嘆するとともに、足が地についた政治指導者としての面にも、考えさせられます。
例えば、(*1)の部分からは、「若し、インドが独立国であれば、外交によって」という思いを読んで間違いないと思います。
又、後半でも、あの広いインドで、
「ケララ(インド最南の州)の抵抗者は、いま差し迫った危機に直面しているアッサム(1942年3月には、日本軍はインド北部のアッサム州国境にまで迫っていた)の防衛に」どう対応すべきか、
「英国軍が実際に『敵』と交戦しているところでは」どうするべきかなどについて、具体的に述べています。
そして、最後の部分では、
「非暴力の準備をする、あるいはそれを表現する最上の方法は、断固として建設的プログラムを追及することにある。
(中略)
わたしはいまだに、わたしの心に描く非暴力から遥か遠くにいる。
それは、わたしが理想としている、もの言わぬ民衆との敢然な一体感から、いまなおほど遠いからだろうか?」
と結んであります。
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現在の日本は、この時期のインドのように、どこかの国の侵攻に晒されているわけではありません。
それでいて、何かに怯えています。
防衛庁を防衛省に格上げし、毎年5兆円規模の予算を計上して世界最高レベルの兵器を調達し続けている・・・・
「日本が沖縄に米軍にとって使い勝手の良い基地を提供しないなら・・・」と言われただけで、鳩山首相の首を差し出し、「市民派」を名乗る菅首相は「日米同盟絶対論」を高唱する。
これは、残念ながら、国民世論の反映でもあると思います。
新聞の世論調査に示される日本人の「憲法9条維持」は、憲法本来の趣旨とは似ても似つかないもの、単なる「自分と身内のものは犠牲にしたくない」というものになっているのではないでしょうか。
私たち、日本の憲法に、本当の平和主義を見出し、これを日本の政治・外交のありようの基礎にしようとするものは、今のうちに、
「非暴力(防衛)の準備をする」
ために
「断固として(非武装市民による非暴力抵抗による防衛)の建設的プログラムを追及する」
ことを開始すべきではないでしょうか。
「わたしはいまだに、わたしの心に描く非暴力から遥か遠くにいる。」
のです。
「わたしが理想としている、もの言わぬ民衆との敢然な一体感から、いまなおほど遠い」
ことを 十分自覚して、努力し続けなければならないと思います。
(鞍田 東)