『民主主義的な防衛政策』ジーン・シャープ
「自由化された国家は国外からの脅威に直面することもあり、それに備えて防衛能力を整備することが必要となる。また、経済、政治、軍事的占領を企てようとする国外からの脅威にさらされることもあろう。
国内での民主主義を維持するためには、国家防衛にも政治的抵抗の原則を適用することを真剣に考慮すべきだ。新たな自由国家は、抵抗の力を市民の手に委ねることによって、軍事力を構築する必要性を回避することができる。軍事力はそれ自体が、民主主義を脅かしたり、本来ならば他の目的に向けられるべき多大な経済的資源を奪ったりするものだ。
自らを新たな独裁者として打ち立てる目的のために、どんな憲法の準備をも無視するグループがいることも覚えておかなければならない。つまり民衆には、将来の独裁者に対して政治的抵抗と非協力を行使し、民主主義的な構造、権利、手続きを守る永遠の役割があるのだ.
これは『独裁体制から民主主義へ・・・ 権力に対抗するための教科書』の中の 独裁体制崩壊後について書かれた『永続する民主主義のための基礎つくり』という章の一節です。
この本は ビルマの亡命外交官の要請で書かれ、1993年 タイのバンコックで英語・ビルマ語で雑誌に掲載され、小冊子で出版され、2008年時点で28言語で翻訳されているとのことです。
(仮称)「非暴力防衛研究会」への参加をお考えいただきたく
(仮称)「非暴力防衛研究会」への参加をお考えいただきたく
釈正意:鞍田東
改めて「非武装・非暴力抵抗による〈防衛〉」の提言を
「私と憲法」№.209 2018.8.25 (許すな!憲法改悪・市民連絡会)に掲載されている「安倍政権再び!? 3000万人署名ではねかえせ!」(藤井純子・第九条の会ヒロシマ)
の一節「宿題がいくつか」に こういう部分がありました。
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「安倍政権はダメ」としながら悩んでいる人もいました。「安全保障はどうする?」という人。日本政府が盲従するアメリカ主導、軍事力均衡による安全保障に対抗する哲学が必要ではないか?」と真剣に考える人。・・・・私たちがそうした「防衛は必要」・・・といった人たちにしっかり答えているかといえばまだまだです。
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従来は このような問いかけに対して、「平和〈外交〉で〈防衛〉が必要になる状況を予防する」と答えるのが パターンだったのではないでしょうか?
これは 正解ですが 問いに 答えきっていないと思います。
寡聞にして 護憲活動のリーダーのお一人から、このようなお言葉を聞いたのが初めてでしたので 大変うれしく思いました。
現在 メディアなどの論調は 憲法第9条の制定時の精神から離れ、すでにかなり強力な軍備をさらに強化しつつある自衛隊の存在を当然の前提に、〈集団防衛〉か〈自主防衛〉かに移っているように見受けられます。
そのような現状に疑問~危機感抱いている方々の耳に、まずは 異なる選択肢「非武装・非暴力抵抗による〈防衛〉」があることをお届けしたいと痛感しました。
具体的には もし ほんの数名の方でも ご賛同下さる方がおありでしたら まずは(仮称)「非暴力防衛研究会」を発足させてはいかがかと考えます。
ご賛同下さる方がおられましたら、お声を戴きたく存じます。
非暴力防衛〈実行のための〉研究ネット
https://ameblo.jp/nvd/
ジーン・シャープ 「市民力による防衛」 法政大学出版局 参考文献
ジーン・シャープ 「市民力による防衛」 法政大学出版局 2016年
非暴力防衛について読めるもっとも詳細な著作だと思いました
巻末に 参考文献のリストがあるのもありがたいのですが、邦訳のものがあまりにも少ないのは 残念です
それでも 学びをすすめ 考えを深めるための貴重な参考文献リストだと考え ご紹介いたします
(第1章)
ジョン・ウイラー=ベネット「権力のネメシス―国防軍とヒトラー」みすず書房 1984年
上杉重二郎「統一戦線と労働者政府」風間書房 1978年
A・ドプチェク「証言―プラハの春」岩波書店 1991年
「戦車と自由―チェコスロバキア事件資料集」みすず書房 1968年
イジー・ホフマン編「希望は死なずドプチェク自伝」講談社 1993年
植木千加子 「平和のための戦争論」 ちくま新書 2015年
シャープ「武器なき民衆の抵抗」れんが書房新社 1972年
スイス政府編「民間防衛」原書房 2014年
「アンネの日記」文春文庫 2015年
エーリヒ・アイク「ワイマル共和国史 Ⅰ、Ⅱ」ぺりかん社 1984年
有沢広巳「ワイマール共和国物語 上下巻」東京大学出版会 1994年
林健太郎「ワイマル共和国」中公新書 1987年
(第2章)
加藤尚武「戦争倫理学」ちくま新書 2003年
エティエンヌ・ド・ラボエシ「自発的隷従論」ちくま学芸文庫 2013年
トルストイ「愛と暴力」原題教養文庫 1960年
クラウゼビッツ「戦争論」
(第3章)
ジャック・ドラリュ「ゲシュタポ 凶器の歴史」講談社学術文庫 2000年
「ソ連・東欧の体制変動」インパクト出版会 1991年
ヴィクター・セヴェス「東欧革命 1989」白水社 2009年
シャープ「独裁体制から民主主義へ」ちくま学芸文庫 2012年・・・巻末に198の技法
セベスチェン「東欧革命 1989」 ・・・・・・・・
「軍服を着た救済者たち ―ドイツ国防軍とユダヤ人救出工作」白水社 2014年
F・フェイト「スターリン以後の東欧」岩波現代新書 1979年
木戸*「激動の東欧史」中公新書 1990年
ブルース・クウォーリー「世界の秘密警察」社会思想社 1991年
白石隆「海の帝国」中公新書 2003年
保田孝一「最後の皇帝 ニコライ2世の日記」朝日新聞社 1985年
伊藤正孝「南ア共和国の内幕」中公新書 1988年
程翔「天安門事件と鄧小平」花伝社 1990年
(第4章)
鍛冶俊樹「戦争の常識」文春文庫 2005年
ロジェ・カイヨワ「戦争論」法政大学出版局 1975年
(第5章)
ジョミニ「戦争概論」中公文庫
加瀬俊一「ワイマールの落日」光文社1998年
宮崎繁樹「国際法綱要」成文堂 1995年
志摩園子「物語バルト三国の歴史」中公新書 2004年
『帝国憲法改正審議録 戦争放棄編』抜粋から
「復刻版:戦争放棄編 参議院事務局編『帝国憲法改正審議録 戦争放棄編』抜粋」(寺島俊穂 抜粋・解説)三和書籍
序文として掲げられている幣原首相の文章(「外交50年」より)に驚きました。
「軍備などよりも強力なものは、国民の一致協力ということ・・・武器を持たない国民でも、それが一団となって精神的に結束すれば、軍隊よりも強いのである。例えば現在マッカーサー元帥の占領軍・・・もし国民すべてが彼らと協力しないという気持ちになったら、果たしてどうなるか。占領軍としては不協力者を捕らえて、・・・これを殺すことが出来る。しかし8千万人という人間を全部殺すことは、なんとしたってできない。・・・だから日本の生きる道は、軍備よりも何よりも、正義の本道を辿って、天下の公論に訴える。これ以外にはないと思う。」
そして、これに関連する議論も ほんの少しですが 高柳賢三貴族院議員と金森国務大臣との間にあったようです。
そこでは、「一時は侵略にゆだねる」「ガンジーの無抵抗主義」「「戦争以外の方法でのみ防衛する」などの言葉が・・・(307頁以降)
ただ このテーマに 他の発言者は触れておらず、議論が深められなかったこと 残念です。
軍備の抑止効果は迷信
日本の「与論」は どうやら「戦争はしないが 軍備はする」ということになっているようです。その理由は、軍備に 戦争抑止効果があるからということのようです。この考えは、世界の「常識」でもあるようですが、これは 歴史的には疑問です。軍備に期待した結果として、軍拡競争となり、国内では財政困難、国外では競合国との対立激化を招き・・・・・・
私は、非武装にも 絶対的とは言いませんが 抑止効果があると考えます。非武装で、しかし万一の軍事侵攻には決して服従しないという覚悟を固めた国に戦争を仕掛けるのは 難しいでしょう。領土問題や貿易などの紛争は 外交の問題です・・・固有国土論のような外交不要論を反省し、外交協議の場や国連・国際司法裁判所などで 世界の目の前で協議してゆくべきでしょう。
いわば 軍備強化も非武装も 五分五分です。
しかも 非武装には 軍備競争を超える効果があるはずです。限られた財政資金の有効活用・・・国内の文化・福祉・・・国外では 経済協力・環境問題貢献が可能になり、かつ、歴史的に意義のある行為です。
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朝日・声欄への投書(不採択)です
送信日時: 2016年11月20日 10:10
いわき市「平和のつどい」掲示の原稿
武力侵攻に対しては、 軍事的反撃ではなく、 困難であっても 非武装・非暴力の不服従抵抗によって これを退ける覚悟を固めるべきなのです。
そのために
(1) 非武装・非暴力・不服従抵抗のみが合理的で正しい防衛手段であることを 確認しましょう。
(2) 軍事力信仰という迷信に囚われている人たちとの対話を始めましょう。
(3) 日本国内での 様々な自由及び権利の侵害に対して、非暴力・不服従抵抗の経験を積み、力を身に着けてゆきましょう。
(4) 防衛のための非武装・非暴力・不服従抵抗の 適切なグループ~ネットワークづくりをつくって行きましょう。
(参考文献)
「非武装国民抵抗の構想」宮田光雄
「非武装国民抵抗の思想」 (岩波新書)
「非暴力防衛の可能性」寺嶋俊穂
「市民的不服従」 (風行社)
・・・歴史に学ぶ・・・
ドイツ占領下のノルウエー 1940年
「非暴力」阿木幸男(現代書館)
日本侵攻に備えるガンディー 1942年
「私の非暴力」ガンディー(みすず書房)
ソ連軍に対峙したチェコ 1968年
「市民的不服従」寺嶋俊穂(風行社)
米軍の基地拡大と沖縄農民 1954年
「米軍と農民」阿波根昌鴻(岩波新書)
・・・合気道に学ぶ・・・
受けから始まる 先制攻撃の技は ない
攻め手と 正面から対峙する
受けは素手。攻め手の刀・杖なども想定
攻め手の力を利用し、相手のバランスを崩し倒す
攻め手を倒し、関節などを抑え、武器を手放させる。
(参考文献)
「娘と話す、非暴力ってなに?」
ジャック・セムラン(現代企画室)
(参考)ブログ
非暴力防衛実行のための研究ネット
朝日新聞 憲法特集 への投稿
非暴力抵抗で 国の尊厳、国民の生活と権利を守る気概を
真の世界政府が存在しない以上、国と国民には、国の尊厳と国民の生活と権利を自ら守ろうという姿勢が必要です。しかし、軍事力でこれが守れるというのは 歴史に照らせば誤った思い込みです。どの国も、自国の安全の為に、仮想敵国を上回る軍備の強化を図り、双方が傷だらけになるまで戦うに至ったのですから。 他方には、非武装・中立を国是とし、外交努力をつくし、にもかかわらず、万一、非道な武力侵攻があったばあいには、抵抗せずに命を守るのみという意見もありますが、これは、無政府状態から脱し、人類の共存を目指して一歩づつ歩んできた努力の歴史を冒涜するものでしょう。しかし、人類の英知は、戦争を放棄し、しかし、非暴力抵抗で国の尊厳、国民の生活と権利を守るという道筋を生み出すに至っています。 非暴力抵抗で独立を勝ち取ったインドを先頭に、ナチスドイツ占領下での北欧諸国やソ連支配下での東欧諸国が非暴力抵抗の経験を積んできました。ただ、そのためには 誰かに守ってもらうのではなく、国と国民一人一人が 侵略に屈せずあくまで非暴力で抵抗するという覚悟を共有することが必要です。日本国憲法は 人類の歴史で初めて歴史と道理に学び、このような防衛を宣言したのです。誇りを持ってこれを守りませんか。
朝日新聞への投書・・・「こころ中山代表」の発言について
10月27日
「憲法を考える/各党にきく」ご担当記者さま
前略
26日の「こころ 中山代表」の発言を読み 日頃の思いを お伝えしたくなりました。
この方は 「2項は 戦力不保持をうたい、1項と2項はちぐはぐ」と言っています。
私は、たしかにこの憲法は 自衛を禁じていないし、第12条は 自由と権利を守るための国民の努力を要請していると考えています。
しかしその手段は 武力の保持・・・当然 ある状況での行使、つまり戦争ではないと考えます。
日本の防衛の手段は、非武装・非暴力の不服従抵抗によるべきだと考えているのです。
こう考えれば 第1項と第2項は 決してちぐはぐではありません。
もちろん 武力侵攻に 非武装・非暴力の不服従で抵抗すれば 犠牲は出ましょう。
しかし ・・・・戦争を自分のこととして考えないひとが 軽々しく防衛を口にしますが・・・ 侵略戦争であろうと防衛戦争であろうと いったん始まってしまった戦争の惨状も 日常生活の延長などではないことは 沖縄線を顧みるだけで理解できましょう。
しかも これは 殺し合いとは次元を異にする人類の歴史への 意義のある貢献だと思います。
同封したものは 今年の8月 いわき市文化センターを会場に 2日間開催された「いわき平和のつどい」で掲示したものの原稿です。
お目をお通しいただけますと 幸甚です。
《非暴力防衛》という「言葉」に目が向くように!
《非暴力防衛研究論叢》刊行のお願い
集団自衛権論議の中で 座標の原点が 大きくずれていっています。
いわゆる護憲派が〈防衛〉という言葉をタブーにしている間に、軍事力による防衛は当然であるかのようになり、一般の人やメディアの人には 軍事力によらない防衛など議論のテーマとしてさえ念頭にないようです。
このような状況に一石を投じるため 表記のような書籍を 新書かブックレットで刊行していただけないかと思います。
収録するものとしては
宮田光雄「非武装国民抵抗の構想」(「非武装国民抵抗の思想1971年)所収)
アダム・ロバーツ「市民抵抗のすすめ」(「世界1982年8月号」掲載)
他社の刊行物ですが 寺島俊穂「非暴力防衛の可能性」(「戦争をなくすための平和学」法律文化社2015年所収)
そして 序文を 石田雄先生にお願いできればなどと・・・・・・
素人の しかし 真剣な願いです。
よろしくご検討下さいますようお願いいたします。
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これは 昨日 岩波書店に出してみた手紙の控えです。
阿波根昌澒「米軍と農民 -沖縄県伊江嶋ー』岩波新書(1973年)を読む
アダム・ロバーツ「市民抵抗のすすめ -日本の安全保障を再考するー」(世界 1982年8月号)を読みました。
その中に こういう文章がありました。
「市民抵抗による防衛が、ある国家にとって少なくとも可能であると考えられる場合、それが満たすべき何らかの基準」として 5項目をあげ その5項目目に、「国内あるいは国際的紛争で、市民抵抗を活用する伝統があること。」としています。
加えて 「日本は先の5つの基準のうち最初の4つについてはよく満たしているが、5番目の基準はまだ議論の余地があると思われる。」と。
これは、「これから」の課題か! と 思っていた時 この「米軍と農民」を思いだし、日本には稀有で貴重な経験として Mな棒と思い読みました。
相手は 日本復帰以前・・・米軍統治時代の『占領軍』です。
何の法律的対抗手段がない状況で さまざまな工夫で・・・嘆願、掲示(聖書・リンカーンの言葉など引用)、対話、与論へのアピール(乞食行進)、実力行使(杭撤去)などを組み合わせて 柔軟に 執拗に 抵抗しています。
皆様は どう お感じでしょうか?
ただ この本が 絶版になっているのが 何とも残念です。