儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。
そんな「制覇の道」・・・天皇陵を中心に皇族の御陵墓をできるだけ回ってみる天皇陵編も実施中です。
(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)
5月14日(日)~16日(火)、京都へ旅してきました。
二日目に嵯峨野を中心に観光してまいりまして・・・
その際に訪れた御陵墓については、ご紹介しました。
一つは、二尊院というお寺・・・
亀山天皇・・・後嵯峨天皇の第七皇子です。
兄の後深草天皇の譲位を受けて即位。
即位には父の後嵯峨天皇の意向があったとされる。
後に、後深草上皇と亀山上皇の対立が、両統迭立ゆくゆくは南北朝の対立になっていくわけです。
二尊院の他に、清凉寺というお寺・・・
ここの多宝塔・・・
ここの裏に、嵯峨天皇と壇林皇后(嵯峨天皇の皇后) のお墓(石塔)があったようで・・・
それを見たのですが、写真には撮ってなく・・・
後で調べなおして、知りました。
・・・失敗!
<参拝した歴代天皇陵>
神武(1)、綏靖(2)、安寧(3)、懿徳(4)、孝元(8)、開化(9)、垂仁(11)、成務(13)、仲哀(14)、応神(15)、仁徳(16)、履中(17)、反正(18)、允恭(19)、雄略(21)、清寧(22)、仁賢(24)、継体(26)、安閑(27)、宣化(28)、欽明(29)、天智(38)、天武(40)、持統(41)、文武(42)、孝謙(46)、称徳(48)、桓武(50)、嵯峨(52)、光孝(58)、宇多(59)、醍醐(60)、朱雀(61)、村上(62)、圓融(64)、一条(66)、後朱雀(69)、後冷泉(70)、後三条(71)、白河(72)、堀河(73)、鳥羽(74)、崇徳(75)、近衛(76)、後白河(77)、二条(78)、安徳(81)、仲恭(85)、後堀河(86)、四条(87)、後嵯峨(88)、後深草(89)、亀山(90)、後宇多(91)、伏見(92)、後伏見(93)、後二条(94)、長慶(98)、後亀山(99)、光明(北2)、崇光(北3)、後光厳(北4)、後圓融(北5)、後小松(北6/100)、称光(101)、後土御門(103)、後柏原(104)、後奈良(105)、正親町(106)、後陽成(107)、後水尾(108)、明正(109)、後光明(110)、後西(111)、霊元(112)、東山(113)、中御門(114)、桜町(115)、桃園(116)、後桜町(117)、後桃園(118)、光格(119)、仁孝(120)、孝明(121)、明治(122)、大正(123)、昭和(124)