<覇道の男→王道の男>天皇陵編(35)嵯峨天皇 嵯峨山上陵 ;京都旅 in 2023初夏⑤ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。


そんな「制覇の道」・・・天皇陵を中心に皇族の陵墓をできるだけ回ってみる天皇陵も実施中です。

 

(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)

 

 

 

5月14日(日)~16日(火)、京都へ旅してきました。

二日目は、まずは嵯峨野の大覚寺へ行き、その伽藍と境内の東に位置する大沢池を回りました。

 

実は、大覚寺辺りから遠くないところに、いくつかの天皇陵がありまして、そちらにご参拝するのが今回の旅の目的の一つでした。

海外観光客に人気のある京都でも、さすがに天皇陵を回る海外観光客はいませんからね・・・

天皇陵は落ち着いて訪れることのできるスポットです。

 

大覚寺の北西に嵯峨天皇 嵯峨山上陵があるとのことで、そちらへ向かいました。

 

今回の旅行の事前に宮内庁の天皇陵のホームページより嵯峨天皇の御陵の位置をチェックし、大覚寺から遠くないことを確認・・・

そして、そのホームページから御陵の地図を印刷し、それを参考に行ってみました。

 

 

 

しかし、近くに行ってみますと・・・

御陵の参拝口であることを示す碑があり、石段が・・・

この石段を上がっていくと、御陵があるようです。

 

 

石段は折れ曲がっていまして・・・・

 

登れども、登れども・・・御陵の御拝所は見えず・・・

 

更に登れども、登れども・・・御陵の御拝所は見えず・・・

 

石段から下を眺めてみますと、良い景色・・・

 

よくよく見たら、大覚寺と大沢池(下の画像の右手の池)が!

そうか・・・嵯峨天皇陵・・・嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)ですよね・・・よくよく考えたら・・・そりゃ、山の上ですよね・・・

後で調べたら、御拝所の標高180mらしく・・・プチ登山です。

 

 

そして、かなり登ったところ・・・その先に鳥居らしきものが!

御拝所です!

 

御拝所は、こんな感じでした。

 

嵯峨天皇(786~842年)・・・

第52代の天皇、在位は809~823年、桓武天皇の第二皇子。

三筆の一人と称される。

離宮の嵯峨院を造営し、それが後の大覚寺となる。

空海や最澄との交流があり、空海には東寺を賜り、最澄には大乗戒壇の設立を認めている。

 

 

 

 

<参拝した歴代天皇陵>
神武(1)、綏靖(2)、安寧(3)、懿徳(4)、孝元(8)、開化(9)、垂仁(11)、成務(13)、仲哀(14)、応神(15)、仁徳(16)、履中(17)、反正(18)、允恭(19)、雄略(21)、清寧(22)、仁賢(24)、継体(26)、安閑(27)、宣化(28)、欽明(29)、天智(38)、天武(40)、持統(41)、文武(42)、孝謙(46)、称徳(48)、桓武(50)、嵯峨(52)、光孝(58)、宇多(59)、醍醐(60)、朱雀(61)、村上(62)、圓融(64)、一条(66)、後朱雀(69)、後冷泉(70)、後三条(71)、白河(72)、堀河(73)、鳥羽(74)、崇徳(75)、近衛(76)、後白河(77)、二条(78)、安徳(81)、仲恭(85)、後堀河(86)、四条(87)、後嵯峨(88)、後深草(89)、亀山(90)、伏見(92)、後伏見(93)、後二条(94)、長慶(98)、光明(北2)、崇光(北3)、後光厳(北4)、後圓融(北5)、後小松(北6/100)、称光(101)、後土御門(103)、後柏原(104)、後奈良(105)、正親町(106)、後陽成(107)、後水尾(108)、明正(109)、後光明(110)、後西(111)、霊元(112)、東山(113)、中御門(114)、桜町(115)、桃園(116)、後桜町(117)、後桃園(118)、光格(119)、仁孝(120)、孝明(121)、明治(122)、大正(123)、昭和(124)