公辞苑(ハムじえん)【第二版】

公辞苑(ハムじえん)【第二版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

初版:2012年12月1日
第二版:2017年5月15日

源義仲・・・

平安末期の武将。

源為義の次男 義賢の次男、源頼朝・義経とは従兄弟にあたる。

木曽冠者と称され、一般的に木曽義仲の名で知られる。

以仁王の令旨を受けて挙兵、北陸道を西上して入京。

東国の頼朝、西国の平氏と天下三分の形勢をつくり、朝日将軍の名を得たが、後白河法皇に対してクーデターを起こし、、かえって源範頼・義経の追討を受けて、近江粟津原で敗死した。

(『鎌倉殿の13人』より巴御前と木曽義仲)

 

 

 

 

 

 

 

4月18日(土)~21日(月)、滋賀県に旅行に行ってきました。

 

二日目・・・

かつての都 大津宮跡や三井寺を見ようと、そちらの方面へ向け移動・・・

宿泊先の南草津からJRで膳所駅まで移動、ここから京阪膳所駅に乗り換えるつもりでしたが・・・

手元のガイドブックを見ますと、膳所駅・京阪膳所駅から近いところに義仲寺というお寺があることが分かったので、そちらへ行ってみました。

 

 

 

義仲寺・・・その名の通り源義仲(木曽義仲)のお墓があるお寺です。

寺伝では尼となった巴御前が義仲の墓の近くに草庵を結び、日々供養したことが始まりとされているようです。

戦国の頃には荒廃していたが、近江守護の佐々木氏(六角氏)によって再興されたようです。

江戸時代までは小寺だったようですが、貞享年間(1684~88年)に再建されたようです。

松尾芭蕉がたびたび訪れ、宿舎にしたようです。

 

 

何で こんなところに木曽義仲のお墓が?と思いましたが・・・

義仲は宇治川の戦いに敗れた後、粟津というところで討ち死にしており・・・膳所から遠くない場所だったようです。

 

 

 

 

境内は大きくはありませんでしたが、きれいに整理・管理されていました。

 

 

奥に入っていきますと、池がありますが・・・

 

 

池の手前に、源義仲の墓があり・・・

 

さらに、その手前に巴塚と呼ばれる巴御前のお墓・・・

巴御前は義仲の側室です。

 

 

ちなみに、境内の山門の近くに山吹塚と呼ばれるものがあり、こちらも側室 山吹御前の塚です。

もともとJR大津駅近くにあったそうですが、駅の拡張工事に伴いここに移されたそうです。

 

 

義仲の墓の奥には、松尾芭蕉の墓があります。

大坂で亡くなってますが、「骸は木曽塚に送るべし」との遺志により義仲の墓の横に葬られたそうです。

 

 

 

 

 

 

なお、軍記物の中に、巴、葵、山吹といった義仲の側室かつ女武者が出てくるようですが、『吾妻鏡』にはその名がなく・・・

実在については、分からないところが多く・・・

ただ、当時の甲信越地方の武士の家庭では女性も第一線級として通用する戦闘訓練を受けている例はあるようです。

(NHK 人形劇『平家物語』より巴御前と葵御前)