公辞苑(ハムじえん)【第2.1版】

公辞苑(ハムじえん)【第2.1版】

吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

初版:2012年12月1日
第2版:2017年5月15日

曳馬城・・・

「曳馬」は、引馬、引間などとも。

浜松城の前身で、15世紀頃に築城された。

吉良氏の家臣・巨海新左衛門尉が建てたとも、今川貞相が建てたとも言われる。

徳川家康が入城した際に、曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、「浜松」と改めた。


(浜松城の説明看板より;徳川家康城主時代の浜松城、画像右側の「引間城古城)」と書かれた部分が曳馬城であった場所)

 

 

 

 

 

 

 

 

7月17日(金)~19日(日)に 浜松 に行ってきました。

 

二日目・・・浜松城跡の石垣を堪能した後・・・

 

 

浜松城の前身である曳馬城引馬城/引間城)跡にも寄ってみました・・・現在は神社のようです。

 

 

 

その神社の鳥居の西側手前・・・

「家康公ご住居跡」との看板がありました。

浜松城として城を拡大するために普請している最中、曳馬城主郭の南西角に住んでいたようです。

なお、後ろの建物は曳馬城の御城印所らしいです。

 

 

 

東を進みますと、神社がありました!

元城町東照宮と呼ばれているそうで・・・

曳馬城の本丸跡になるそうです。

 

 

 

なお、この神社の境内には、徳川家康と豊臣秀吉の新し目の銅像が設置されてました。

まぁ、東照宮ですし・・・浜松城城主だった家康の像があるのは分かるのですが・・・

なぜ?秀吉?・・・しかも、秀吉像は子供時代の秀吉ですし・・・

 

近くに説明看板があり、そちらによりますと・・・

16歳の時の秀吉が曳馬城に訪れた際に、頭陀寺城主の松下嘉兵衛

に仕えるきっかけを得たと言われているようです。

調べてみますと、松下氏は今川氏の家臣・飯尾氏の寄子であり、曳馬城主が飯尾氏だったそうです。

子供時代の秀吉像があるのは、そういった理由のようです。

 

 

 

 

浜松城は、歴代城主の多くが後に江戸幕府の重鎮に出世したことから「出世城」といわてたそうですが・・・

浜松城前身の曳馬城が、後の天下人の秀吉と家康の関連地ということもあって、現在は そのような意味でも「出世城」としているようです。