大沢池・・・
京都市右京区嵯峨の大覚寺境内の東に位置する池。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院を造営した際に、唐の洞庭湖を模して築造した池である。
平安時代前期の名残をとどめる日本最古の人工の庭池とされている。
庭湖、内沢、内池などの別称がある。
5月14日(日)~16日(火)、京都へ旅してきました。
二日目は、まずは嵯峨野の大覚寺へ・・・
そして、大覚寺の境内の東を占める大沢池にも足を延ばしました。
なお、お堂の参拝とは別料金になります。
上は大覚寺の五大堂から東に延びる池舞台です。
五大堂から池の周囲を時計回りに回っていきました。
岸にもいくつかの建造物等があり、まず五社明神と呼ばれる5つの社に出合います。
伊勢内宮、伊勢外宮、八幡宮、春日宮、住吉宮で、それぞれの神を祀っています。
離宮嵯峨院の鎮守であり、弘法大師が勧請したと伝えられるそうです。
五社明神から東の方を見ますと、大沢池から細い岸で分断された小さな放生池が見えます。
五社明神の奥にある閼伽堂(あかどう)。
離宮嵯峨院の時代に嵯峨天皇の命で弘法大師が建立した持仏堂「五覚院」の閼伽井として掘られた井戸です。
さらにその奥にある大日堂。
大覚寺門跡が明治初頭まで兼帯していた安井門跡蓮華光院が管理していた洛東の岩倉山真性寺が廃寺となる際に移築されたものとの事です。
大日堂の東には大きな赤い塔がありました。
心経宝塔で、昭和42年(1967年)に嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されたものです。
大沢池の北側で、放生池の近くには不動明王を祀る護摩堂があり、護摩が行われるようです。
その傍には20基を超える如来や菩薩の石仏が佇んでいます。
古いものは古いもので平安時代後期の作らしいです。
護摩堂の東には大沢池の中にある天神島という島へ続く橋があります。
天神島には菅原道真を祀る天神社があります。
菅原道真が大覚寺の俗別当(俗人の身分のまま寺院を統括する責任者)を務めていたことから祀られるようになったそうです。
島から池を眺めた風景はこんな感じです。
五大堂などの大覚寺のお堂が見えます。
大沢池の北東の奥に、名古曽の滝跡(なこそのたきあと)があります。
離宮嵯峨院時代に滝殿庭園内に設けられたもので、今昔物語集では百済川成が作庭したものと伝えているそうです。
大沢池の北東から池を臨んだ風景です。
画像中心の小さな島が菊が島、その右に庭湖石という石があり・・・
画像上では途切れて居ますが、庭湖石の右側にあるのが先ほどの天神島です。
二島一石の景色を「景色いけ」として伝えています。
あとは大きな建物がありませんでしたので、東岸から南岸に渡るエリアを時計回りに回り、そこから見た池の風景をみたいと思います。
まず、下は菊が島を東から見たところです。
下の画像で、対岸に見えるのは五大堂などです。
下では、左手に五大堂、右手に心経宝塔が見えます。
下では船が見えますが、その右手に茶室があるようです。
この近くに、池の参拝出入口がありますので、池を後にしました。
池の周囲は約1kmらしく、ちょうど良い散歩距離でもあります。