<覇道の男→王道の男>天皇陵編(36)後宇多天皇 蓮華峯寺陵 ;京都旅 in 2023初夏⑥ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。


そんな「制覇の道」・・・天皇陵を中心に皇族の陵墓をできるだけ回ってみる天皇陵も実施中です。

 

(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)

 

 

 

5月14日(日)~16日(火)、京都へ旅してきました。

二日目に大覚寺を回った後、その裏手にある嵯峨天皇 嵯峨山上陵をご参拝。

 

その後、そこからから歩いて行ける別な御陵・・・

後宇多天皇 蓮華峯寺陵をご参拝してきました。

嵯峨天皇陵から東へ700m程度のところにあります。

 

 

 

嵯峨天皇陵から東へ7分程度歩いていきますと、複数の道が交差する場所に辿り着きます。

 

この交差点の一番細い道を進んでいきますと、竹林となっていまして・・・

この先の左手に御陵があります。

 

なお、御陵の御拝所に着く前に、左手に複数の石塔が見えました。

御陵の管理エリア内になるので、皇室に関連するどなたかの塔なんでしょうね。

 

 

さらに歩いていきますと、やっと御陵であることを示す案内板が見えてきました。

案内板によりますと、次のようにかかれており・・・

後宇多天皇 蓮華峯寺陵
亀山天皇皇后 佶子 蓮華峯寺陵
亀山天皇分骨所
後宇多天皇皇后 姈子内親王分骨所
後二条天皇分骨所

他の方の御陵と分骨所でもありました。

 

なお、亀山天皇(第90代)とその皇后 佶子は後宇多天皇(第91代)の両親・・・

後二条天皇(第94代)は後宇多天皇の第一皇子という関係です。

 

案内板の先は、池に挟まれた参道があり・・・

 

そして御拝所に辿り着きます。

 

蓮華峯寺陵であることを示す石碑が見え・・・

 

格子の隙間からは塔らしきものなどが垣間見えました。

 

後宇多天皇(1267~1324年)・・・

第91代の天皇、在位は1274~1287年、亀山天皇の第二皇子。

大覚寺統の天皇。

在位中に文永の役・弘安の役という元寇が起きている。

鎌倉幕府の意向により自分の皇子ではなく持明院統の皇子に譲位するが、その後 持明院統の天皇が続いたため、後宇多上皇は抗議し、以降は持明院統と大覚寺統が交互に皇位につく両統迭立となる。

その後、自分の皇子であった後二条天皇(94代)、後醍醐天皇(96代)の時に院政を敷く。

1321年(元亨元年)に幕府の了解を得て院政を停止し、後醍醐天皇の親政となり、白河法皇以来 二世紀余続いた院政は幕を閉じる。

 

 

 

 

<参拝した歴代天皇陵>
神武(1)、綏靖(2)、安寧(3)、懿徳(4)、孝元(8)、開化(9)、垂仁(11)、成務(13)、仲哀(14)、応神(15)、仁徳(16)、履中(17)、反正(18)、允恭(19)、雄略(21)、清寧(22)、仁賢(24)、継体(26)、安閑(27)、宣化(28)、欽明(29)、天智(38)、天武(40)、持統(41)、文武(42)、孝謙(46)、称徳(48)、桓武(50)、嵯峨(52)、光孝(58)、宇多(59)、醍醐(60)、朱雀(61)、村上(62)、圓融(64)、一条(66)、後朱雀(69)、後冷泉(70)、後三条(71)、白河(72)、堀河(73)、鳥羽(74)、崇徳(75)、近衛(76)、後白河(77)、二条(78)、安徳(81)、仲恭(85)、後堀河(86)、四条(87)、後嵯峨(88)、後深草(89)、亀山(90)、後宇多(91)、伏見(92)、後伏見(93)、後二条(94)、長慶(98)、光明(北2)、崇光(北3)、後光厳(北4)、後圓融(北5)、後小松(北6/100)、称光(101)、後土御門(103)、後柏原(104)、後奈良(105)、正親町(106)、後陽成(107)、後水尾(108)、明正(109)、後光明(110)、後西(111)、霊元(112)、東山(113)、中御門(114)、桜町(115)、桃園(116)、後桜町(117)、後桃園(118)、光格(119)、仁孝(120)、孝明(121)、明治(122)、大正(123)、昭和(124)