<覇道の男→王道の男>天皇陵編(37)後亀山天皇 嵯峨小倉陵、他 ;京都旅 in 2023初夏⑦ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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吾輩の辞書には「不毛」という文字しかない!

特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

儒教では、武力による治世を「覇道」と呼びますが、ここは「制覇の道」という勝手な意味で使ってます。


そんな「制覇の道」・・・天皇陵を中心に皇族の御陵墓をできるだけ回ってみる天皇陵も実施中です。

 

(ちなみに皇室の場合、「覇道」ではなく「王道」の象徴のような存在ですので、天皇陵編のタイトルは<王道の男>です)

 

 

 

5月14日(日)~16日(火)、京都へ旅してきました。

二日目は、JR嵯峨嵐山駅の北側・・・嵯峨野と呼ばれるエリアを回ってまして・・・

大覚寺を回った後は、そこから行ける天皇陵を巡ることにしました。

 

大覚寺の北の嵯峨天皇陵、大覚寺の北東の後宇多天皇陵と巡りまして・・・

次は大覚寺の西にある後亀山天皇陵をご参拝しようと思います。

 

 

 

そのため、一旦 大覚寺へ戻ることにしましたが、途中で・・・

これは宮内庁管理の御陵墓ですね。

 

案内板を見てみますと・・・

大覚寺宮墓地とのこと。

 

中には、いくつもの塔がありました。

この時はどなたのお墓であるかは分かりませんでしたが、後で調べたところ、大覚寺の住職の集合墓地だそうです。

そのうち皇室出身の門跡もいらっしゃるようで、次の方々のお墓があるようです。

寛尊親王(亀山天皇皇子)
性勝親王(後宇多天皇皇子)
深守親王(後二条天皇皇孫)
弘覚王(後二条天皇皇孫)

寛教親王(後光厳天皇皇子)
空性親王(正親町天皇皇孫)
尊性親王(後陽成天皇皇子)
性真親王(後水尾天皇)
性応親王(霊元天皇皇子)

 

 

 

さて、一旦 大覚寺に戻り、その後 西へ1km強あたり・・・

観光用に整備された道路に当たりまして・・・

 

この道路に交わる感じで、小道が・・・

手前には道標には「後亀山天皇嵯峨小倉陵参拝道」・・・

そう、こちらが目指す御陵の参道です。

 

参道は150m程度で、樹々が多く・・・紅葉の季節は良いかもしれません。

 

参道を抜けますと、御拝所がありました。

 

後亀山天皇 嵯峨小倉陵

後亀山天皇(?~1424年)・・・

第99代の天皇、南朝第4代の天皇、在位は1383~1392年、後村上天皇の第二皇子。

南朝第4代の後亀山天皇、北朝第6代の後小松天皇の時に、足利義満のはたらきにより南北朝は合一。

 

 

 

これで、今回の旅で当初から予定してた訪問先は回りきりました。

まだ時間はありましたので、あとは行き当たりばったりで適当なところを回ります。

 

 

<参拝した歴代天皇陵>
神武(1)、綏靖(2)、安寧(3)、懿徳(4)、孝元(8)、開化(9)、垂仁(11)、成務(13)、仲哀(14)、応神(15)、仁徳(16)、履中(17)、反正(18)、允恭(19)、雄略(21)、清寧(22)、仁賢(24)、継体(26)、安閑(27)、宣化(28)、欽明(29)、天智(38)、天武(40)、持統(41)、文武(42)、孝謙(46)、称徳(48)、桓武(50)、嵯峨(52)、光孝(58)、宇多(59)、醍醐(60)、朱雀(61)、村上(62)、圓融(64)、一条(66)、後朱雀(69)、後冷泉(70)、後三条(71)、白河(72)、堀河(73)、鳥羽(74)、崇徳(75)、近衛(76)、後白河(77)、二条(78)、安徳(81)、仲恭(85)、後堀河(86)、四条(87)、後嵯峨(88)、後深草(89)、亀山(90)、後宇多(91)、伏見(92)、後伏見(93)、後二条(94)、長慶(98)、後亀山(99)、光明(北2)、崇光(北3)、後光厳(北4)、後圓融(北5)、後小松(北6/100)、称光(101)、後土御門(103)、後柏原(104)、後奈良(105)、正親町(106)、後陽成(107)、後水尾(108)、明正(109)、後光明(110)、後西(111)、霊元(112)、東山(113)、中御門(114)、桜町(115)、桃園(116)、後桜町(117)、後桃園(118)、光格(119)、仁孝(120)、孝明(121)、明治(122)、大正(123)、昭和(124)