【せ】清凉寺(せいりょうじ) ;京都旅 in 2023初夏⑩ | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

清凉寺・・・

京都市右京区にある浄土宗のお寺。

もともとは嵯峨天皇の皇子 源融(光源氏のモデルといわれる)が営んだ山荘 栖霞観を、その遺志によって棲霞寺というお寺にしたことに始まる。

その後、宋から帰国した奝然が整備を図り、その弟子の盛算が棲霞寺内に請来の釈迦如来像を安置し、清凉寺と称するようになる。

本尊の木造釈迦如来立像は、宋巡行中の奝然が優塡国王が作ったといわれる釈迦像を模刻し、それを日本に持ち帰ったものといわれる。

そのため本尊は「三国伝来の釈迦像」と呼ばれ、お寺も「嵯峨釈迦堂」と呼び親しまれている。

 

 

 

 

5月14日(日)~16日(火)、京都へ旅してきました。

 

 

二日目は、嵯峨野と呼ばれるエリアを観光・・・

最後に清凉寺というお寺を回って、この日の観光を終了としました。

前回の二尊院の後、本当は別なお寺に行くつもりでしたが・・・

道を間違えて、ここに辿り着いたのが真相といったところです。

ちなみに、上は仁王門です。

 

 

境内に入ってみますと、けっこう大きいですね。

 

奥に見えるのが、本堂である釈迦堂です。

天慶8年(945年)に重明親王妃が寺域に新堂を建て、等身大の釈迦像を安置したのが始まりのようです。

一説には奝然の釈迦像ではなく、こちらの釈迦像が「釈迦堂」由来とも言われているそうです。

度重なる火災により焼失しており、現在のものは元禄14年(1701年)に徳川綱吉と桂昌院の発願で再建されたものです。

 

 

本堂の西側すぐ横には、秀頼公首塚というものがあります。

昭和55年(1980年)に大坂城三の丸の跡地から出てきた豊臣秀頼の首とされるものを、昭和58年にここに埋葬したそうです。

外国の幼児がこの塚の高さを気に入っちゃったみたいで、母親と一緒に佇んでいましたが・・・「首塚」って文字とその意味を知らないんでしょうね・・・まぁ、祟られることはないと思いますが・・・。

ちなみに、豊臣秀頼も釈迦堂を再建したことがあるそうです。

 

 

本堂の東にあるのは阿弥陀堂です。

光源氏のモデルと言われる源融の没後、遺族が寛平7年(895年)に御堂を建立した始まりのようです。

建物は文久3年(1863年)に再建されたものです。

なお、かつて旧棲霞寺の本尊の阿弥陀三尊坐像(国宝)などが祀られていたそうです。

 

それら現在は霊宝館という宝物館に収蔵され、春季と秋季に2ヶ月ずつ公開・・・

ちょうど公開時期でしたので拝見しましたが、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊像はとても綺麗で、見とれてしまいました。

どうも源融の顔に似せて作ったとの伝説があるようです。

光源氏のモデルをモデルにした仏様というわけですね。

 

 

仁王門と本堂の間に多宝塔があります。

元禄13年(1700年)の江戸護国寺での出開帳の際に江戸の人々により寄進され、3年後の元禄16年に船で運ばれ建立されたものらしいです。

 

 

他にも見どころがあったようですが・・・

この日、歩き通しで疲れたのと・・・

境内に野生の猿がいた・・・みたいな話があり・・・

この日の観光を終了としました。